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1章 魔女 扉を開ける

12 魔女と娘たち 1

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 そのままぐいぐい腕を取られて裏から城内に入ると、二回廊下を曲がっただけでザザは自分の部屋の前にいた。
「あ、ありがとうございます。次からはもう、勝手に外には出ません」
「そうしてくれ。連れてきた俺にも責任があるのでな。少なくともしばらくの間は我慢してほしい。ところでお前、朝めしは?」
「あさめし」
「朝食だよ、どうせ食べていないのだろう? せっかく部屋まで戻ったのになんだが、まぁいいだろう。ついてきなさい。食堂まで案内しよう」
 首を傾げたザザにそう告げると、ギディオンはどんどん歩き出した。
 ザザは慌てて後を追ったが、また迷ってしまわないように、廊下に置かれた燭台や、バナーで帰り道の見当をつけていく。もう明るいので今度は迷わないで済みそうだった。
「あの……わたし、朝ごはんはいただく習慣がなくて……それにわざわざご案内していただくのは……」
「いい。俺も食いにいくところだから。それに朝食を取らないのは体に悪い」
「でも……こんなに朝早くから、開いている食堂があるのですか?」
 いくら夏とはいえ、まだ夜が明けて間がない。事実この付近は人の姿もなく、静まりかえっている。
「あるとも。夜警の交代の時刻だからな。簡単なものだが量はふんだんにある。美味いぞ」
「夜警って、ギディオン様も?」
「いや俺はここでは夜警には出ない。鍛錬で毎朝城の周りを走ったり、剣を振ったりする習慣なんだよ。そこにお前が太陽に向かって両手を広げているのが見えたんだ。全く驚かされたぞ」
「……ごめんなさい」
「勘違いをしたのは俺だ。さぁここが食堂だ」
 連れてこられたところは城の西側だろうと思われた。大きな観音開きの扉が片方だけ開いていて、そこから大勢の人の気配が漏れている。
 そこには二十人ほどの兵士がいて、ギディオンが入っていくと皆、そろって黙礼をした。それから後ろにいるザザを見て、一様に驚いたような顔になる。他に女の姿はなかった。
 しかし好奇心をにじませながらも、誰も二人に話しかけるものはいない。皆食べるのに夢中なのだ。
 男たちは皆正直そうな顔をした兵士だが、騎士の隊服ではなかった。王宮内ならならいざ知らず、貴族出身の騎士は普通、夜警などしないと言うことをザザは知らないのだ。
「そら、これが皿と椀だ。向こうのテーブルから、好きなものを好きなだけ取って開いた席に座っていなさい。俺は向こうで手と顔を洗ってくる」
「は、はいっ」
 そう言うとギディオンは食堂とつながっている手洗い所に行ってしまった。途端にザザは心細くなり立ち尽くしてしまう。押しつけられた食器は兵士用で、ザザの手には重くて大きい。

 こんなことではいけないわ。朝食くらい一人で食べられることを見てもらわなければ。

 ザザは珍しいものを見る目つきで眺めてくる兵士の間を縫って、大きなテーブルまでたどり着くと、もっと大きな器がずらりと並んでいた。中にはかゆや冷肉、パンなどがどっさり盛り付けられている。ミルクや汁物の壺もあって、それをよそう深い鉢が積み重ねられていた。
 兵士達は、自分の皿を好き放題に一杯にして席につき、もりもり食べている。
 ザザもなんとかテーブルの端の方から自分の分を取るには取ったが、今度はどの席についていいのかわからない。何しろ周りは大きな男性ばかりで、みんな仲間らしくベンチ型の椅子に並んで喋り合っている。
 やっと、一番隅の席に空席を見つけたので、そこに向かおうとすると、誰かが行儀悪く伸ばしていた足につんのめり、思い切り転んでしまった。両手に持った食器で足元が見えなかったのだ。食器の割れる派手な音が食堂に響く。

 あああ、やってしまった!
 
「もっ、申し訳ありません! すぐに片付けます!」
 人々の注目を浴びている気配を背中に感じ、ザザはへたりこんだまま泣きたくなった。皿の破片と料理の残骸を大慌てで掻き集める。
「いや、お嬢さん。やめなって」
 振り向くと、大柄な兵士がいた。彼の横の卓には、空っぽになったたくさんの皿や器が積み上げられている。
「俺が悪かったよ。俺の足にあんたは引っかかったんだ。なにしろ長いもんだからよう」
 兵士は機嫌よさそうにザザをからかう。
「お前は行儀が悪いだけだろうが!」
 誰かが突っ込んだ。
「あのっ、わたしおみ足を蹴っ飛ばしてしまいました。お怪我は……」
「あるわけねぇじゃねぇか! そんな小さなで触られちゃったくらいでさぁ」
「ですが破片を」
「そんなもん、拾わなくていいよ。そっちの方が怪我をする。あとで掃除係のものがやってくれるから大丈夫だよ。それよりかわいいお嬢ちゃん、俺の隣で食わねぇかい?」
「えっ? あの」

 かわいいお嬢ちゃん? かわいいってわたしのこと? いや、ありえない。

 聞き間違いだろうとザザはすぐさま首を振る。
 兵士が手招きするのへ、どうすればいいのかわからずに突っ立っていると、背後からいきなり腕が引っ張られた。
「すまんな、デルス。この娘は俺がちょっと預かっているもんでな」
 ギディオンは濡れた前髪をかき上げた。
「これは、セルヴァンティース指揮官殿。おはようございます」
 大柄な兵士が親しげに声をかけた。
「おはよう。でも俺はもう国境守備隊の指揮官ではない。ただの近衛の護衛騎士だ。いつも言っているだろう?」
「いや、我々にとって、あなたはいつまでも指揮官殿です。アントリューズの戦いを知ってる奴ならみんなそう思っていますよ」
「近衛なんかにいられるのはもったいない。こっちへ帰ってきてくださいよ」
「指揮官殿の戦いぶりは今でも語り草ですから」
「最後の最後でしくじって、今はこのざまだがな」
 兵士たちが口々に言うのへ、ギディオンは左手をひらひらと振って見せる。ザザにはなんのことだかさっぱりわからなかったが、周りの兵士たちは神妙な顔つきになった。
「指揮官殿ならどんな戦場だって切り抜けられますよ。たとえ坊ちゃん揃いの近衛騎士でも、陛下主催の舞踏会でもね」
「第二王女殿下をお願いしますよ」
 さっきザザをかわいいといったデルスや、周りの兵士たちが尊敬を込めてギディオンに話しかけている。
 ザザは、事情を知りたい気持ちを顔に出さぬように気をつけながら、男達のやりとりを聞いていた。
「ところで、こちらのお嬢さんはどなたで? 実は食堂に入ってこられた時から、みんなびっくりしてたんですよ。堅物のセルヴァンティース指揮官が女の子を連れてるってね。なぁ、みんな」
「そうですよ。まさか恋人……にしちゃ、ちびっ子すぎますよね?」
「あたりまえだ。言ったろうデルス。子細があって一時預かることになっただけだ。それに俺は堅物ではないぞ」
「はい。実は知ってます」
 その言葉に皆はどっと笑った。ザザには会話の意味がさっぱりわからない。さっきから理解できない言葉の応酬だ。
 それでも心に引っかかったのは──。

 こいびとにはちびっ子すぎるって、どういう意味だろう? こいびとってなんなんだろう?

「何をしている。ザザ、席はこっちだ。そら、これを」
 そう言われて前に置かれた皿の上には、パンやら冷肉がてんこ盛りだった。ミルクの粥もある。
 ギディオンの隣に座らされたことで、兵士たちからは直接声をかけられなくなったが、やはり好奇の視線には晒されている。
 ザザは真っ赤になりながら、パンをちぎるとミルクに浸して口に入れた。二、三切れ食べただけでお腹がいっぱいになる。
「なんだ、もう食わないのか?」
「は、はい。魔女……いえ、私たちは普通一日一回しか食事をとらないので……」
「なるほど、それだからそんなに痩せているのか。だが、これからはそんなしきたりは捨てることだな。もっとも急には食えないだろうから、少しずつ食べる量を増やしていくといい」
「はい」
 ザザはかなり無理をして、もう一切れパンを頬張った。
「それから、この城には常駐の警備の兵士がそれなりにいる。周りの奴らがそうなんだが、口は乱暴でも悪い奴はいない。彼らもれっきとした国軍の兵士だからな。だが、あまり関わらないでおく方が無難だ……お前はまだ世間ずれというか、人馴れしていないようだから。下手に関わってボロが出ても困る」
「わかりました……それで、あの」
「何だ?」
「アントリューズの戦いってなんですか?」
 ザザは一番気になっていたことを尋ねた。
「ああ、三年ほど前に起きた戦いのことだ。ここから馬で七日ほど東に行ったところに、アントリューズという国境の町がある。知らないか?」
「渓谷の地名としてなら」
 三年前といえば、ドルカの命がいよいよ尽きそうになった頃だ。あの頃はドルカが人に会うのを極端に嫌がったため、誰も訪れる人がないようにと森に結界を張っていた。たまにザザが近くの村に物資を調達しに行っても、用だけ済ませて誰とも話さなかったため、世間のことが一切わからなかったのだ。
 ただ、村の店やの品物がひどく少なくなった一時期は確かにあった。
「そうか、かなりの大戦だったのだがな。アントリューズ渓谷や町に、東方の新興国、チャンドラの軍勢が攻めてきた」
「チャンドラ」

 それはこの国の東に伸びる山脈の向こうある国だ。
 保守的な古い国だったが、十年ほど前に側近が保守的な太守をしいして新たに太守となり、新体制を作り上げた。
 新太守は沿岸地方で栄えるパージェス古王国の富に目をつけた。チャンドラは山国で交易路に乏しく、唯一の水運路がアントリュース渓谷を流れるリュース川だ。だから、流域沿いのアントリュースの街に目をつけ、突然攻め入ってきたという。
 保守的な後進国だと、僅かな守備隊しか駐屯していなかったパージェス側は、入念な準備をしていたチャンドラに完全に不意打ちを喰らった。
 ギディオンの率いる隊が駆けつけた時、城壁内はチャンドラ兵で溢れかえっていたのだ。

「戦闘状態は数ヶ月も続いてな。勝つには勝ったが、こっちもだいぶん被害をこうむった」
「ギディオンさまがしくじったって……?」
「聞いていたのか? 別になんでもないことさ。それよりもっと食べなさい」
「……」
 ザザにしてみれば、そこのところをしっかり聞きたかったのだが、適当にあしらわれてしまった。ギディオンはザザにそれきり興味をなくしたのか、黙々と料理を食べている。

 ギディオンさまは、わたしのことをまだ信用してくれてるわけじゃない……。でも、少なくとも気にはかけてくださっている。
 十分じゃないの、ザザ。あるじさまに出会えて、こうしてお声を聞けるのだから。これからどんどん使っていただくのよ。
 魔女は観る者。
 お仕えしていれば、きっと役に立てる時が来るはず。

 ザザは決意を込めてパンを大きく噛みちぎった。一生懸命もさもさ飲み込んでいたので、ギディオンの口元がほんの少しほころんでいることには気がつかなかった。

「あっ! こんなところにいたんですね⁉︎」
 いきなり食堂にやってきたのはキンシャだった。
「ザザ、フェリア様がお呼びです。すぐに来てちょうだい」



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