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1章 魔女 扉を開ける
8 魔女と太陽 2
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別れを済ませたザザは、改めて見慣れぬ人々を眺める。
人々はザザのことなど気にも留めないで、フェリアの世話を焼いていた。
森の中なので馬車は持ってこられなかったのだろう、フェリアが侍女たちに囲まれて天蓋つきの輿に収まるのを確認してから、ギディオンは言った。
「ザザ、お前は俺と一緒にハーレイに乗る」
「お馬さまに……はい。ギディオンさま」
はい、と返事をしたものの、怖くてなかなか近寄れない。泉から戻った時は馬の前に立って歩いていたから、あまり恐怖を感じずにすんでいたのだが、改めて見ると灰色の馬はとても大きな生き物だった。
ザザの胸くらいの位置に、鎧と言うのだろうか? 足を乗せる馬具が鞍からぶら下がっている。
その間にも迎えの一行は、フェリアを乗せた輿を中心にそろそろと出発しようとしていた。総勢十人以上の集団だ。
「乗せるぞ、そら!」
「ひゃっ!」
あっと言う間に腰を掴まれ、体が高く持ち上げられたかと思うと、案外そっと鞍の上に下された。
急に高くなった視界と、慣れない座り心地のせいで体がずり落ちそうになってしまったが、すぐに後ろから壁のような硬いものが密着した。ギディオンが跨ったのだ。
「ああああのっ?」
「静かにしなさい。出発だ」
「は、はい! 申し訳ありま……わぁあっ!」
突然歩き出した馬の背で体の平衡を崩しかけ、またしてもザザは声を上げてしまった。慌てて口をふさぐが、その上から更に大きな手のひらに覆われる。
「静かにしろと言ったはずだ。馬が驚く」
「……む」
口が二重に塞がれているので返事ができないザザは、首を振ることで了解の意を示した。実は返事どころか呼吸もままならない。
頑張れ、私。
魔女は、耐え従う者だって自分で言ったのよ。少しくらい息ができなくても……。
意識が朦朧とし出したところでやっと手が離れた。
「おい! 息ができないのになんで我慢している! 少しは抵抗しなさい……と言うか……その、すまん」
ぐったりとなったザザに、ギディオンは慌てて謝った。
「へ、へいき……です」
実際このまま死んでもいいと、ちょっと思ってしまったことは知られてはならない。
主に死ねと言われたら、死ぬのが魔女だとドルカは語っていた。
『主こそ魔女の生きがい、というものさ』
そう言う時のドルカのしわ深い顔はきれいだった。老いても、病に侵されても主に深い愛情を持ってたんだ……。
ドルカの主は誰だったのか、彼女は自分の過去をザザに語らなかったから、今となってはわからない。でも、今はそんなことはどうでもいいことだった。
ようやく自分の主を見つけたのだから。
忌むべき者だとおっしゃったのに触れてくれる。私なんかに謝ってもくださる。
ついていける──この方になら!
「……これから行くところがどこか、わかっているか?」
ゆったりと馬を進めながら、ギディオンは声を落として言った。
「いいえ」
「俺たちはこの森の反対側、つまり王都の方角にある湖の離宮に向かっている。こんな事態になってしまったからには、どうせわかってしまうことだから今打ち明けるが、フェリア様はこの国の第二王女殿下だ」
「だいにおうじょでんか」
それは、ものすごく偉い人なのではないだろうか?
「そうだ。フェリア様は離宮に静養に来られた。初めてお一人で王都から出られたのだ。しかし、我々は明後日には王都パレスに戻る」
「おうと、パレス……」
「そうだ」
「……ごめんなさい」
ザザはなんだか申し訳ない気分になって言った。
フェリアが身分の高い人だろうとは察していたが、まさか王族だとは考えもしなかったザザである。
ギディオンは騎士だと名乗った。騎士とは王族や貴族を守る戦士のことだ。
そんなえらい人達に、わたしは粗末な服を差し出し、一緒に連れていけなどと、身勝手な要求を押し付けてしまったんだ……。
なんて分不相応なことをしでかしてしまったのか。今更ながら心臓が縮み上がる。
しかし、もう後には一歩も引けない。別れをしてしまったのだから。
「何を謝る? とりあえずお前は、俺が後見人となっている親戚の娘ということにする。何か名目がないとまずいからな。離宮で女官や侍女に最低限の礼儀作法や言葉遣いを教えてもらうがいい。くれぐれも魔女だということを悟られないように」
「わかりました。一生懸命に努めます」
「……」
ギディオンはやれやれと肩を落とした。
「全くなんでこんなことになったんだか……とりあえずこれだけは言っておく」
「はい」
「ザザ、魔力は弱くともお前は魔女だ。俺はまだ完全に信用したわけではない。万が一俺を騙していたとして、少しでも怪しい振る舞いをした場合は」
「……」
「俺は容赦無くお前を斬る」
耳元で恐ろしい言葉が囁かれる。しかしザザはそんなことは平気だった。
「承知しました」
きっぱりと頷く。
「あっさり承知するなよ。斬られると死ぬんだぞ。怖くないのか」
「あるじさまのために死ぬのが魔女です。喜んで死にます」
「……」
ザザの答えに、今日何度目かのため息をついたギディオンである。
目の前の娘の背中はとても小さい。馬に乗るのは初めてだろうに懸命に背中を伸ばし、背後のギディオンに寄りかからないように頑張っている。
「どうしたもんだか……」
「あるじさま?」
「その呼び名だが……」
ギディオンは憂鬱そうに言った。
「俺のことは名前で呼びなさい」
「お名前?」
「そうだ。俺の名は、ギディオン・レイ・セルヴァンティースという」
「ギディオン・レイ・セル……セルヴァンティースさま」
初めての音は少し発音しづらい。しかし、ザザはできるだけ綺麗に聞こえるように言った。
「一応俺も、形だけは貴族の端くれだからな。でも長いからギディオンでいい」
「はい」
ザザはギディオンが一人称を使い分けていることに気がついていた。彼は無意識にしているのだろうが、ザザにとってはそんなことが、とても特別なことのように思えたのだ。
「で、お前の名はザザ、だけなのか?」
「はい。魔女は姓を持ちません」
「うーん、それもまずいな。とりあえず、公の場所に出る時はザザ・フォーレットと名乗るがいい」
「森、ですか?」
フォーレットは「森」という意味の古い言葉だ。
「ああ、森に住んでいたからな。いいか?」
ザザは急いで何度も頷いた。嬉しくて息の仕方まで忘れてしまいそうだった。
私は、ザザ・フォーレット。あるじさまがくださった名。
魔女は胸がいっぱいになりながら、その名前を抱きしめた。
人々はザザのことなど気にも留めないで、フェリアの世話を焼いていた。
森の中なので馬車は持ってこられなかったのだろう、フェリアが侍女たちに囲まれて天蓋つきの輿に収まるのを確認してから、ギディオンは言った。
「ザザ、お前は俺と一緒にハーレイに乗る」
「お馬さまに……はい。ギディオンさま」
はい、と返事をしたものの、怖くてなかなか近寄れない。泉から戻った時は馬の前に立って歩いていたから、あまり恐怖を感じずにすんでいたのだが、改めて見ると灰色の馬はとても大きな生き物だった。
ザザの胸くらいの位置に、鎧と言うのだろうか? 足を乗せる馬具が鞍からぶら下がっている。
その間にも迎えの一行は、フェリアを乗せた輿を中心にそろそろと出発しようとしていた。総勢十人以上の集団だ。
「乗せるぞ、そら!」
「ひゃっ!」
あっと言う間に腰を掴まれ、体が高く持ち上げられたかと思うと、案外そっと鞍の上に下された。
急に高くなった視界と、慣れない座り心地のせいで体がずり落ちそうになってしまったが、すぐに後ろから壁のような硬いものが密着した。ギディオンが跨ったのだ。
「ああああのっ?」
「静かにしなさい。出発だ」
「は、はい! 申し訳ありま……わぁあっ!」
突然歩き出した馬の背で体の平衡を崩しかけ、またしてもザザは声を上げてしまった。慌てて口をふさぐが、その上から更に大きな手のひらに覆われる。
「静かにしろと言ったはずだ。馬が驚く」
「……む」
口が二重に塞がれているので返事ができないザザは、首を振ることで了解の意を示した。実は返事どころか呼吸もままならない。
頑張れ、私。
魔女は、耐え従う者だって自分で言ったのよ。少しくらい息ができなくても……。
意識が朦朧とし出したところでやっと手が離れた。
「おい! 息ができないのになんで我慢している! 少しは抵抗しなさい……と言うか……その、すまん」
ぐったりとなったザザに、ギディオンは慌てて謝った。
「へ、へいき……です」
実際このまま死んでもいいと、ちょっと思ってしまったことは知られてはならない。
主に死ねと言われたら、死ぬのが魔女だとドルカは語っていた。
『主こそ魔女の生きがい、というものさ』
そう言う時のドルカのしわ深い顔はきれいだった。老いても、病に侵されても主に深い愛情を持ってたんだ……。
ドルカの主は誰だったのか、彼女は自分の過去をザザに語らなかったから、今となってはわからない。でも、今はそんなことはどうでもいいことだった。
ようやく自分の主を見つけたのだから。
忌むべき者だとおっしゃったのに触れてくれる。私なんかに謝ってもくださる。
ついていける──この方になら!
「……これから行くところがどこか、わかっているか?」
ゆったりと馬を進めながら、ギディオンは声を落として言った。
「いいえ」
「俺たちはこの森の反対側、つまり王都の方角にある湖の離宮に向かっている。こんな事態になってしまったからには、どうせわかってしまうことだから今打ち明けるが、フェリア様はこの国の第二王女殿下だ」
「だいにおうじょでんか」
それは、ものすごく偉い人なのではないだろうか?
「そうだ。フェリア様は離宮に静養に来られた。初めてお一人で王都から出られたのだ。しかし、我々は明後日には王都パレスに戻る」
「おうと、パレス……」
「そうだ」
「……ごめんなさい」
ザザはなんだか申し訳ない気分になって言った。
フェリアが身分の高い人だろうとは察していたが、まさか王族だとは考えもしなかったザザである。
ギディオンは騎士だと名乗った。騎士とは王族や貴族を守る戦士のことだ。
そんなえらい人達に、わたしは粗末な服を差し出し、一緒に連れていけなどと、身勝手な要求を押し付けてしまったんだ……。
なんて分不相応なことをしでかしてしまったのか。今更ながら心臓が縮み上がる。
しかし、もう後には一歩も引けない。別れをしてしまったのだから。
「何を謝る? とりあえずお前は、俺が後見人となっている親戚の娘ということにする。何か名目がないとまずいからな。離宮で女官や侍女に最低限の礼儀作法や言葉遣いを教えてもらうがいい。くれぐれも魔女だということを悟られないように」
「わかりました。一生懸命に努めます」
「……」
ギディオンはやれやれと肩を落とした。
「全くなんでこんなことになったんだか……とりあえずこれだけは言っておく」
「はい」
「ザザ、魔力は弱くともお前は魔女だ。俺はまだ完全に信用したわけではない。万が一俺を騙していたとして、少しでも怪しい振る舞いをした場合は」
「……」
「俺は容赦無くお前を斬る」
耳元で恐ろしい言葉が囁かれる。しかしザザはそんなことは平気だった。
「承知しました」
きっぱりと頷く。
「あっさり承知するなよ。斬られると死ぬんだぞ。怖くないのか」
「あるじさまのために死ぬのが魔女です。喜んで死にます」
「……」
ザザの答えに、今日何度目かのため息をついたギディオンである。
目の前の娘の背中はとても小さい。馬に乗るのは初めてだろうに懸命に背中を伸ばし、背後のギディオンに寄りかからないように頑張っている。
「どうしたもんだか……」
「あるじさま?」
「その呼び名だが……」
ギディオンは憂鬱そうに言った。
「俺のことは名前で呼びなさい」
「お名前?」
「そうだ。俺の名は、ギディオン・レイ・セルヴァンティースという」
「ギディオン・レイ・セル……セルヴァンティースさま」
初めての音は少し発音しづらい。しかし、ザザはできるだけ綺麗に聞こえるように言った。
「一応俺も、形だけは貴族の端くれだからな。でも長いからギディオンでいい」
「はい」
ザザはギディオンが一人称を使い分けていることに気がついていた。彼は無意識にしているのだろうが、ザザにとってはそんなことが、とても特別なことのように思えたのだ。
「で、お前の名はザザ、だけなのか?」
「はい。魔女は姓を持ちません」
「うーん、それもまずいな。とりあえず、公の場所に出る時はザザ・フォーレットと名乗るがいい」
「森、ですか?」
フォーレットは「森」という意味の古い言葉だ。
「ああ、森に住んでいたからな。いいか?」
ザザは急いで何度も頷いた。嬉しくて息の仕方まで忘れてしまいそうだった。
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