4 / 7
2.芝居小屋で見つけたものは 2
しおりを挟む「……ゼル伯爵? シュトレーゼル伯爵、どうされたな? 随分ぼうっとされておるようだ。貴公にしては珍しゅう……もしかして先ほどの舞台がめっぽうお気に召したかな?」
面白がっているようでもあり、からかっているようでもある声にアレクシオン・ヴァン・シュトレーゼルは、はっと我に返った。
目の前の粗末な卓には手つかずの料理と酒がところ狭しと並べられている。
「これは失礼、アロウ侯爵殿、いや別に? 少し考える事がありまして。今日の午後の懇談会の一件で」
「ほぉ~、こんな時まで。いやはや、貴公は仕事熱心ですなぁ。しかし、食事の際に難しい事を考えるのは消化に悪いですぞよ、いくら貴公が頑健な若者と言えな。せっかくの旨そうな料理なのに、美味しく頂いてやらにゃあ。まぁ、年寄りには少々こってりしているようじゃが」
「……そうですな」
アレクシオンは迷惑そうに相槌を打った。それ以外にしようがなかったからだ。
「そうですとも」
愉快そうに老アロウ侯は言って梟のようにほほほと笑う。
これだからこの老人は苦手だとアレクシオンは思った。#饒舌__じょうぜつ__
#で、抜け目がなくて慧眼で。
その心の奥底まで見透かすような薄青い瞳を避けるように、青年は杯を取った。
「まぁ取りあえず、乾杯ぐらいしませんかな? せっかくこんな珍しいところまで足を伸ばしたのだから」
「これは失礼を。では」
伸ばさせたのはあんたじゃないか、と言う言葉を呑みこんでアレクシオンは一人で飲もうとしていた杯を眼前にかざした。
「乾杯」
安物のグラスがカチンと軽い音を立てる。
「素晴らしいダーレの夜に」
老アロウは意味ありげにそう付け加えて片目を眇めた。
ダレルノ公国、ダーレ市。
ダレルノ公国は商業と物流で成り立つ小国で、アレクシオン達の属する隣国エイティス聖王国とは友好関係にある。その首都ダーレは人口三万の小さな街だが、商都の名に恥じぬ繁栄ぶりだ。
二人が夜を過ごしているのは、下町の劇場の隣にある劇場付属の料理店「黒猫亭」である。
観劇が終わった客達が食事をしたり、もっと軽く一杯引っかけたりしに訪れる場所で、下町にある割にはまともな料理を出すと評判の店で、客筋は悪くない。店は繁盛しているようで、気楽な服装の老若男女で混み合っている。辺りには濃厚な揚げ物や煮込み料理の香りに満ち、時折グラスを触れ合わせる音が響いていた。彼ら二人が陣取っているのは貸し切りにした一番奥の小部屋だった。
二人の男の内、年取った方はすっかり白くなった髪を後ろで結わえた小柄な老人で、まるで良き魔法使いのように柔らかな皺の寄った顔に、ユーモラスな光をたたえた水色の瞳が若々しい光を宿している。
一見好々爺に見えるこの老人は、エイティス聖王国の前宰相で、隠居した今も聖王家のご意見番として、内外に影響力を持つ、アロウ侯爵、ヨハネイス・サムエルセン・ヴァン・アロウ、その人であった。彼は痩せた体を趣味の良い衣服に包み、品良く酒の杯を口に運んでいた。
そして――
もう一人の男。アレクシオン・ヴァン・シュトレーゼル。
彼も人目を引く存在であった。ただ単に目立つという意味ならアロウ老侯爵よりも数段勝っていただろう。
均整のとれた長身と、砂色の髪の下で鋭く光る同色の瞳。磨き抜かれた刃物が美しいと言うのなら、彼の容貌はまさしくそれであった。見る者に怖れと威圧を与える鍛え上げられた鋼鉄の美。
老アロウは今更ながらに感心したようにその無表情を眺めた。つい先ほど滅多にないほど茫然自失としていたグレイの瞳には今、何の感情も読み取れない。
「……で?」
「で? とは?」
「そろそろ種明かしをしていただきたい。ご老人」
「種明かし」
老人ぱ如何にも無邪気そうに、ぱちくりと目を見張った。まったく意外な事を聞かれたとでも言うように。
「お惚けになるのは無しにして貰いましょう。陛下の名代でダレルノくんだりまでやってきて、忙しい外交の合間に、わざわざこんな下町の劇場まで俺を引っ張りだしたのには、余程の深い訳があるのでしょうな」
でなければ、絶対納得してやるもんかと言わんばかりにひん曲げられた、青年の薄い唇。
給仕を断っているので手酌で酒を注ぎ足すと、アレクシオンはじっくりと腰を据えて飄々とした老人を見据えた。本気で睨みつけられると、大抵の男なら怯んでしまう強い視線にも意に介さず、老人は機嫌よさそうに料理を突(つつ)いている。
「あ、結構いけるね、これ。医者には脂っこいもんは控えろとは言われておるのだけど、出張先でくらい羽を伸ばさにゃあ……あ、そんな怖い顔せんで、伯爵。せっかくの男前が台無しじゃよ。はいこれ」
老人は串焼きが盛られた皿をアレクシオンに差し出した。
「……」
この老獪な元宰相に正面からぶつかっても馬鹿を見るだけだ、本人がしゃべる気になるまで待つしかない。そう判断したアレクシオンは諦めたように脂のこってり乗った串料理に手を伸ばした。程良く焦げ目のついた肉の間に大きく切った野菜が幾種類も並び、さらりとかかったソースの味が絶妙だ。双方、暫し無言で肉を毟る。
「深い訳ねぇ……まぁ、確かにあんたのおっしゃる通り、意味が無いことも無いが……それよりも取りあえずは噂で評判の舞台を見たかったんだよ。そんで、護衛も兼ねて、日頃そう言う風雅の趣味の全くなさそうなあんたを引っ張り出したと言う訳で。これ、ホント」
暫くしてやっと老人は話を繋いだ。
「ハタ迷惑な話だ。俺は忙しいのに」
この老人の闊達な性格をよく知っているアレクシオンは遠慮なく嫌味を言った。案の定、アロウ公に悪びれた様子は全くない。
「おやぁ、そうなの。その割にはかなり舞台に夢中になっておられたように見えたけどもね」
次にスパイスのきいた粗挽き肉の包み揚げにフォークをぶっ刺しながら、老アロウはにこやかにアレクシオンを見た。さっきから見ていると、この老人が食べているのは肉類ばかりだ。本当に医者から止められているのだろうか? そもそもそれからして本当かどうか疑わしい。
老人はやや黄色くなった前歯(絶対に自前だ)で、もっちりとした揚げた皮を引きちぎった。全くよく食べる爺ぃだと彼は思う。しかし、まったく油断のならない爺ぃでもあるのだ。
「……確かにこんな場末の小汚い芝居小屋にしては、まぁまぁ面白い演目だった事は認めます。と、言うか、俺はそもそもこんな劇場に足を運ぶのがほとんど初めてなのだから、他の演劇と比べるべくもないが」
「まぁ、そう言わず。あの黒髪の女優はなかなか可愛らしかったじゃないかな。声もきれいだったし」
「そうだったかな。随分小さいという印象しかないが……ああ、剣の使い方は全くなっていなかった」
アレクシオンはなかなか思い出せないように眉をしかめた。老人はじっとその様子を観察している。
「……俺の顔に何か? ご老人」
黙ったまま眺められるのに居心地を悪くしてアレクシオンが尋ねる。どうせ何か野暮な答えを期待しているのだろうと思っていると、意外に真面目な様子で逆に質問された。
「あの娘、誰か似ているとは思いませなんだかな?」
「……は? 似ている? 誰に?」
全く想定外の事を尋ねられ、アレクシオンは思わず食べる手を止めて老人を見つめた。
一体何を言わそうとしているのだ、このクソ爺ぃは。
「おや、分かりませんか? 我々の良く知っている人物ですよ。あんなに似ているのに切れ者と評判の貴公が気付かないとは……」
「俺のよく知っている?」
アレクシオンは本気で考えたが、あの小さな女優に似ている人物を誰も思いつかなかった。しかし、老アロウは意味も無くこういう事を聞く人間ではない。何か魂胆があるに違いないのに、残念ながらアレクシオンにはその意図も、似ているという人物も思いつかなかった。
「申し訳ないが分かりません。そもそも俺は、役者の顔などあまり覚えていなくて」
「仕方がありませんなぁ……じゃぁ、本人に登場して貰いましょう」
「なんだって!?」
アレクシオンは思わず腰を浮かした。
0
お気に入りに追加
130
あなたにおすすめの小説
【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。
三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎
長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!?
しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。
ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。
といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。
とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない!
フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!
この度、青帝陛下の番になりまして
四馬㋟
恋愛
蓬莱国(ほうらいこく)を治める青帝(せいてい)は人ならざるもの、人の形をした神獣――青龍である。ゆえに不老不死で、お世継ぎを作る必要もない。それなのに私は青帝の妻にされ、后となった。望まれない后だった私は、民の反乱に乗して後宮から逃げ出そうとしたものの、夫に捕まり、殺されてしまう。と思ったら時が遡り、夫に出会う前の、四年前の自分に戻っていた。今度は間違えない、と決意した矢先、再び番(つがい)として宮城に連れ戻されてしまう。けれど状況は以前と変わっていて……。
溺愛ダーリンと逆シークレットベビー
葉月とに
恋愛
同棲している婚約者のモラハラに悩む優月は、ある日、通院している病院で大学時代の同級生の頼久と再会する。
立派な社会人となっていた彼に見惚れる優月だったが、彼は一児の父になっていた。しかも優月との子どもを一人で育てるシングルファザー。
優月はモラハラから抜け出すことができるのか、そして子どもっていったいどういうことなのか!?
溺愛彼氏は消防士!?
すずなり。
恋愛
彼氏から突然言われた言葉。
「別れよう。」
その言葉はちゃんと受け取ったけど、飲み込むことができない私は友達を呼び出してやけ酒を飲んだ。
飲み過ぎた帰り、イケメン消防士さんに助けられて・・・新しい恋が始まっていく。
「男ならキスの先をは期待させないとな。」
「俺とこの先・・・してみない?」
「もっと・・・甘い声を聞かせて・・?」
私の身は持つの!?
※お話は全て想像の世界になります。現実世界と何ら関係はありません。
※コメントや乾燥を受け付けることはできません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
変態婚約者を無事妹に奪わせて婚約破棄されたので気ままな城下町ライフを送っていたらなぜだか王太子に溺愛されることになってしまいました?!
utsugi
恋愛
私、こんなにも婚約者として貴方に尽くしてまいりましたのにひどすぎますわ!(笑)
妹に婚約者を奪われ婚約破棄された令嬢マリアベルは悲しみのあまり(?)生家を抜け出し城下町で庶民として気ままな生活を送ることになった。身分を隠して自由に生きようと思っていたのにひょんなことから光魔法の能力が開花し半強制的に魔法学校に入学させられることに。そのうちなぜか王太子から溺愛されるようになったけれど王太子にはなにやら秘密がありそうで……?!
※適宜内容を修正する場合があります
転生したらただの女子生徒Aでしたが、何故か攻略対象の王子様から溺愛されています
平山和人
恋愛
平凡なOLの私はある日、事故にあって死んでしまいました。目が覚めるとそこは知らない天井、どうやら私は転生したみたいです。
生前そういう小説を読みまくっていたので、悪役令嬢に転生したと思いましたが、実際はストーリーに関わらないただの女子生徒Aでした。
絶望した私は地味に生きることを決意しましたが、なぜか攻略対象の王子様や悪役令嬢、更にヒロインにまで溺愛される羽目に。
しかも、私が聖女であることも判明し、国を揺るがす一大事に。果たして、私はモブらしく地味に生きていけるのでしょうか!?
アルバートの屈辱
プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。
『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる