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45 辺境騎士と妻 2

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「あ! リザ様! あれに、ご領主様が!」
 ニーケの声を背中に聞きながら、リザは跳ね橋を走り抜けた。とっくに気づいていたのである。
「エルランド様!」
「リザ!」
 エルランドはするりと馬を降り、駆け寄ったはいいが、手前で躊躇ためらっているリザをさっと抱きしめた。
「遅くなった。すまない」
「いいえ。聞いていたのより早くてびっくりしたわ」
 大きな胸に抱きこまれていることを強く意識しながらも、努めて平静にリザは言った。
「アンテもコルも、お着きは昼過ぎになると言ったのに」
「リザはそう思わなかったのか? 鳩も飛ばさなかったのに」
「思ったけど、ちょうどいつもの散歩の時間だったから、たまたま跳ね橋を通りかかったのよ」
 リザは、なんとか自分の頬を分厚い胸板から引き剥がそうと頑張っていた。でないと、飛び跳ねる心臓の音に気づかれてしまう。頬がちりちりするのは分厚い上着にこすれたせいだと思うことにした。
「たまたま……なのか?」
 がっかりしたような声にリザは少々罪悪感を感じた。嘘はついていないが、いつもより長い時間うろうろしていたのは事実だからだ。
「でも会えてよかった……会いたかったから」
「そうか。俺に会いたいと思ってくれていたか?」
 エルランドは緩めかけた腕を再びリザに絡めた。
「ええ。お話ししたいことがたくさんあるの。でもあなたはきっとお疲れね」
「いや、リザの顔を見ると元気が出る。さぁ見せてくれ」
 そう言ってエルランドは、リザの顎を軽く持ち上げ、陽の光が映り込ませる。リザの黒い瞳が光を吸い込み、透き通るような藍に染まった。
「ああ、綺麗だ。これが見たかった……」
 エルランドは満足そうに言うと「ただいま」と囁いてリザの眉の間に唇を落とした。
「今のって、ただいまの口づけ?」
「ああ。そうだよ」
「なら、私も。お帰りなさいエルランド様」
 リザはエルランドの袖を引き、腰を屈めた彼の頬にとん、と自分の唇を触れさせた。
「私のあなたの目を見たかったの。これでおあいこね」

 リザ様、ちょっと違う気がします……。

 一見仲睦まじく見える二人だが、実に微妙にすれ違っていることに、ニーケは気がつき始めている。リザは明らかにエルランドの帰宅を意識して、朝からそわそわしていたからだ。その目は何度の跳ね橋の向こうへと向けられ、小さなため息をこぼしていた。
「しかし、リザ。あなたは少し痩せたな? こちらの食事が合わないのではないか?」
「エルランド様!」
 城の入り口から駆け下りてきたのはコルだ。後ろにアンテも続いている。
「お迎えに出られずに申し訳ございません! お早いお戻り、ようございました。さぁ、お休みください」
 アンテは思いがけず早く帰ってきたエルランドを、いそいそと屋内に連れて行こうとした。リザのことは無視である。
「ああ、馬を頼む。コル」
 コルがエルランドの馬の手綱を受け取った時、セローが城門から駆け込んできた。
「もう! エルランド様、早すぎます! 結局追いつけなかったじゃないですか~」
「そうか? お前も意外に早かったな」
「もうへとへとですよ。尻が痛い」
 セローは崩れるように馬から下りた。リザが心配そうに駆け寄る。
「まぁ大変! 冷たいお水でお尻を冷やしてみたらどうかしら? 井戸に行く?」
「ああ、いいですね! でもはらぺこだあるから、急がないと!」
 そう言ってセローはリザの手を取った。
「おい」
 怒気を発しながらリザとセローの間に割って入ったのは、エルランドである。
「その手を離せ! 俺の妻にお前の汚い尻の心配なんかさせるんじゃない」
「じゃあ、二人で一緒に冷やせばいいわ」
 空気を読まないリザは少しでも役に立とうと、明るく言った。
「え? いや、俺の尻は大丈夫だから……」
「私は食事を用意するようにコルに伝えてくる! 少し早いけど」
 主人の帰城を知ってたちまち多くの召使達が現れ、手洗いの水を持ってきたり、忙しそうに荷物を運んだりと、大騒ぎになった。
 リザは邪魔にならないよう、ニーケと一緒に部屋に戻った。
 二人がいつものように昼食をとり、今日は邪魔にならないように部屋にいようかと話し合っていた時、再び階下が騒がしくなった。
「何かしら?」
「きっと、後の方々が到着されたのかと。ちょっと見て参ります」
 出て行ったニーケはすぐに戻ってきた。
「やっぱり残りの騎士様もご帰還された見たいです。あとお客様も」
「お客様?」
「ええ。若いご夫婦で旅の商人のようでした」
「そう言えば、もうすぐ秋の収穫の市が開かれるって聞いたわ」
 その内ターニャが食器を下げに入ってきたので、リザは様子を聞いてみることにした。
「お客様がいらっしゃっているのね?」
「はい。ご夫婦でしばらく滞在されるって、アンテさんが」
 絵をあげてから、ターニャは少しずつ打ち解けてくれるようになったのだ。絵は隣村に住む両親に贈ったと言っていた。
「多分。この近くにお部屋をご用意されると思います」
「私もお会いしていいのかしら?」
 リザは嬉しそうに言った。
 本来の領主夫人の立場なら客人の出迎えや、もてなしをするの役割だが、リザはそう言う教育を受けていない上、アンテも教えようとしないので、自分がどう振る舞っていいのか知らないのだ。
「さぁ。私にはわからないけど、もう少ししたらいらしゃいますよ。奥様は少し具合が悪いようでしたし」
「まぁ、それは心配だわね。お医者様はいるの?」
「はい。内壁の村にいらっしゃいます。とてもお年寄りですが」
「私はまだお会いしたことがないわ」
「リザ、入るぞ」
 会いていた扉から入ってきたのはエルランドだ。
「昼飯はここで食っていたのか。下にこないから」
「いつもご飯はここで食べているのです」
 一階には大広間がある。そこにはテーブルや台がいくつも並んでいて、兵士や召使たちはそこで食べるようになっているのだが、リザはアンテの指示に従って、今まで入ったことはなかった。
「ああ……そうか。だが、今日はお客人がいる。巡回の途中で保護した商人夫婦だ。今夜はちょっとした宴になるから、リザもその……妻として、同席してほしい」
「いいの?」
 リザは嬉しくなって言った。
「いつもニーケと二人だけのご飯だったから嬉しい!」
「そうか。それからこれは土産だ」
 エルランドは上着のポケットから陶器の瓶を差し出した。
「ここから少し南の集落で作っていた。果物の煮込みだそうだ。砂糖は貴重品だから使えないが、果実が甘いので十分美味しいらしい」
「まぁ! 嬉しい。早速明日の朝ご飯のパンに添えてみるわ」
「そうですわね。これで固いパンも美味しくなりますわね」
「……固いパン?」
 ニーケの言葉にエルランドが不思議そうに首を傾げた時、コルが顔を出した。
「おくつろぎのところ申し訳ありません。厩番うまやばんが、お留守中に生まれた子馬たちを見て欲しいと言ってきておりますが、いかがいたしましょう?」
「子馬ですって⁉︎」
 立ち上がったのはリザだ。
「見てみたいか?」
「ええ! とても!」
「では一緒に行こう」
 そう言ってエルランドはリザに腕を差し出した。

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