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45 光は闇を包み、闇は光に焦がれる 1

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 ざくざくざく。

 兵士たちは不気味な砂浜を樹海に向かって進む。
 目指すは、その奥にある急峻な山、エーヴィルの塔だ。おそらくその奥ににいるはずだった。
 厄災の魔女、エニグマが。

「樹木を焼き払え!」
 ブルーの一声で、兵士たちがトウシングサを結びつけた矢を放った。
 海岸に近い木々は潮風で湿っているが、それでも紅油こうゆの発火力は有効で、すぐに大きな火の手が上がる。そこに黄油を詰めたトウシングサが投げ込まれ、辺りは炎に包まれた。
「来るぞ!」
 気配を察してオーカーが叫ぶ。
 火勢で腐臭が一気に高まり、梢がざわざわとうねりだす。
 それは人の言葉のようにも聞こえた。大勢の死人の声。
 そして樹海の奥から飛び出してきたものは、予想通り無数のギマの群れだった。最初の連中には火が燃え移っている。
「奴らは数を頼んでいるだけだ! ぎ払え!」
 最初の群れは捨て駒で、兵士たちを疲弊させるためだけのようだった。
 古い個体など、襲いかかる前に燃え尽きてしまったものいる。兵士たちは容赦無くそれらの首を跳ね飛ばし、数を減らしていった。その間に樹海の火事は徐々に鎮火していく。もともと湿気の多い場所なので想定内だ。
「進め!」
「ギマを全てほふれ!」
「これが最後の戦いだ! 信じてすすめ!」
「馬のある者は俺に続け! ナギ達を追うぞ!」
「おおおおおおおお!」
 デューンブレイドの若い兵士も、白蘭の使徒の風変わりな戦士も、イスカをはじめとする街や国の守備兵達も、燃えてひらけた一帯から奥へと突入する。
 あっという間に、島の樹海部分は戦場と化した。

「レーゼ! しっかりつかまっていろ!」
 ナギは貴重な馬で森を駆け抜けていた。
 後からブルーやサップ、カーネリアを乗せたクチバも追いすがってくる。騎馬は二十騎というところだが、後方で戦っている兵士たちも、戦いながら追いついてくるだろうから、その前に道を切り開かないとならない。
 両脇からギマが際限なく襲いかかってくるが、ナギは全て鞭で頭を吹っ飛ばした。ブルーやカーネリアたちも援護射撃をしてくれる。
 ナギを止められるものはもうなかった。
 森の木々は海岸のものとは、様相が変わりつつあった。
 ゾルーディアの森と同じように、樹木自体に意志があるように枝が絡みついてくるのだ。攻撃力はさほどでもないが、鬱陶しいことこの上ない。
 ギマの襲撃も相まって、道行は難儀を極めた。
 兵士の何人かは枝に吊り上げるように、梢の奥に消え去ってしまった。引きれたような悲鳴が上がる。しかし、彼らを振り返る余裕はない。ここまで辿り着いた優秀な戦士たちだから、自力で切り抜けるのを祈るしかなかった。
「わああ!」
 ついに若いサップの馬が足を取られて転倒する。サップはここで脱落だ。
「サップ!」
「レーゼ! 振り向くな!」
 ナギは手綱を握りながらも、抱き込んだレーゼを気遣ったが、当のレーゼはしっかりと前を向いていた。
「大丈夫! 私も、サップも!」
「……そうか」
 ナギはにっと笑った。レーゼがそういうのだから間違いはない。
 枝が伸びてきても、レーゼの鎧に近づくと怯えたように引っ込んでいくのだ。
「このまま進もう! もうすぐ樹海が切れるはず!」
「わかった!」
 レーゼの言った通り、やがて樹木には隙間が見え始め、森の外に出ることができた。
「ついに来たか……」
 ブルーの呟きは皆のものだ。
 目の前には草ひとつ生えない死の山。
 エニグマの住まう、エーヴィルの塔だ。
 濁った大気の奥の岩肌に中に、よどんだ穴が口を大きく開けている。
 まるで早く来いといざなうように。
 しかし、ここでもまだ試練があった。
 塔の中から多くのギマが現れたのだ。そこには人間だけでなく、獣まで混じっている。
「まぁ、歓迎されるとは思ってはいなかったがな」
「いや案外、これが魔女式のおもてなしかもだぜ。ほら、メイド姿のギマもいるし」
「ははは!」
 ブルーは笑い、そして剣を構え直した。
「ナギ、レーゼ。お前達は先を進め。ここは俺たちが食い止める!」
「おい、ブルー。それ結構陳腐なセリフだと思うぞ、俺は!」
 この非常時にオーカーも混ぜっ返した。
「レーゼ、ナギを頼むわよ。私の男なんだから!」
「わかったわ。でも『わたしのおとこ』の意味がわからないけど」
「レーゼ! いちいち妙に突っ込むな!」

 ざわざわざわ。

 人間達の会話をこれ以上聞きたくなかったのか、ギマが一斉に踊りかかった。
「さぁ行け! ここからは役割分担だ!」
 ブルーが二人に振り返った。それへナギが大きくうなずき返す。
「塔の入り口だ。レーゼ、入るぞ!」
「もちろん」
 馬を降りた二人は、切り取られたように口を開ける闇の中へと突っ込んだ。
 背後を振り返っても、もう誰もいないし、外も見えない。
 戦いの音や、声すら遮断されている。
 内部は不気味に静まり返っていた。ギマの気配もない。まるで、早くこいと誘っているようだ。
「みんな、生きてるわ。信じて行こう」
「そうだな」
 ナギは口布を引き上げ、汚れた剣を拭った。
 レーゼは武器を持たない。白藍の鎧だけが防具なのだ。
 山の中に入ったはずなのに、地面は固く平らだ。この先どうやって登るのか、見当もつかない。
 しかし、どちらもひるむ気持ちは微塵も起きなかった。
「進もう」
 二人はどちらからともなく手を握った。

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