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52 おわりのかたち 3

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 バルファスの葬儀はしめやかに執り行われた。
 盛大な式にすることは彼の本意ではなかったからだ。しかし、彼を慕う領民たちの弔問の列は、冬場だと言うのに途切れることはなかった。
 五日間の間、領地中の街や村から、豪気で献身的だった領主の死を惜しみ、彼の墓には雪よりも多くの花が降り積もることとなった。
 彼が栽培に尽力した染色用の赤い花が。

 ユルディスは、悲しみに暮れながらも葬儀の段取りや、主だった領民への対応などを粛々とこなしていくミザリーの側から離れなかった。
 葬儀が終わった後にも、様々な事務的な手続きがある。ミザリーはいくつも手紙を書き、多くの手紙をもらった。エルトレー家からは、ルナールとドナルディの二人から丁寧な哀悼の辞が送られてきた。
 ミザリーはグリンフィルドの唯一の相続人なので、多くの権利書の名義を書き換えないといけない。都の当局の許可が必要なものもある。面倒な手続きをミザリーは丁寧に、そして正確に行った。
 悲しみを薄めてくれる最良の薬は仕事である。
 ユルディスは手伝えるものは手伝い、ミザリーがこだわるものには手を貸さず、仕事に没頭する彼女の好きにさせた。
 しかし、祖父の死から十日後、気分転換に散歩に出ようと書斎を出たミザリーをひどい目眩めまいが襲った。
「あぶなっ……!」
 ユルディスが背後から二の腕を引っつかまなければ、ミザリーは頭から棒のように大階段を落下していたことだろう。
「ミザリー様!」
 先に階段を降り用としていたケイトが、真っ青なミザリーの顔色を見て立ちすくむ。
「大丈夫です。貧血のようです。マンリーさん、医師をすぐに」
 ユルディスはミザリーを抱き上げながら、階下のマンリーに伝えた。
「はい!ただいま!」

「過労と貧血じゃな」
 先日バルファスを看取った老医師は、すぐに診断を下した。
「この子は小さい時からこうじゃった。両親が事故で亡くなった時も、幼い身で必死に自分のできることをしようと、お館様を手伝っておった。きっと皆の知らないところで泣いていたのだろうて。そうだな、三日も横になって、栄養のある食べ物を食べたら回復するだろう。もともと強い子だから」
「ありがとうございます。きっとそういたします」
 母親代わりのベスが涙を浮かべる。
「だが、あの子は難しいぞ。半分仕事中毒で休み下手だからな、誰かが見張っておかないと」
「それは必ず。私が責任を持って」
 医師を送りに出たユルディスは、医師を安心させるように請け負った。
「そうか。お館から聞いておったが、あんたがそうなのか……草原出身かね?」
「ええ」
「ほうほう、まるで鷹のような目をしておるな。よろしく頼むよ。ここは皆の大切な土地だからな。おお、雪がこんなに溶けかかっている。もうすぐ春だなぁ」
 そんな言葉を残して医師は帰っていった。

「ミザリー様は?」
「スープを少し召し上がられました。薬草茶を飲んで今、お眠りに」
 寝室にはケイトとベスがついている。
「しばらくは私がついています。ミザリー様の入浴や着替えはあなた方に頼まなければならないから、お二人は今のうちに休んでおいてください」
「はい」
 女たちが出ていって、しばらくユルディスは一人になった。いや、眠るミザリーと二人だ。女主と使用人の男女が誰もいない寝室に二人きり。こんなことが許されるのは、よほど信頼されているからだろう。
 眠りを妨げないように部屋は暗くしてある。
 そんな中でミザリーの寝顔は白かった。眠りは深いようで、掛け布が規則正しく上下している。冬服を着ているので分かりにくかったが、祖父の死以来、かなり痩せたようだ。改めて見ても、頬は小さくなり。目の下にうっすら隈ができている。
 ずっと心配していた。抱きしめたかった。それでもそれをしなかったのは、ミザリーが涙を見せずに前を向いていたから。
 その気丈な姿を、自分が勝手に折ってしまってはならないと思ったからだ。
「そんなあなただから、俺はこんなにも溺れてしまった……」
 ユルディスは青い額にそっと唇を落とした。

 人から信頼を得ることは昔から得意だった。
 真面目で実直な男を演じていれば、そして適切に実績を上げれば、人は簡単に俺を信用する。
 その仮面で俺は多くの勝負をくぐり抜けてきたし、欲しいものや立場を得てきた。
 なのに、あなただけは──
 あなたの心は容易に崩れなかった。手の届くところまで近づいてきているのに、他の中に収まってはくれない。
 この瞬間でさえも。

 硬く閉じられた瞼から涙が伝い落ちる。葬儀の最中も、バリファスの棺が埋葬されるその瞬間も流れなかった涙が。
「お爺様……」
 白くなった唇は、うしなった唯一の家族を呼んだ。
「ミザリー……」
 涙は後から後から溢れ出た。
「夢の中でなら、あなたは泣くのか」
 ユルディスは自分の指先で、そっとミザリーの涙を拭い続ける。
「俺はいつも、眠るあなたの顔を見つめているな。だが……」

 幸せにすると誓ったからには──。

 天国と地獄を同時に味わうことになった、あの日。
「君! ああ、君だよ。ちょっとこっちに来ないか」 
 ユルディスが初めてバルファスに会ったのは、ミザリーの婚礼の宴。庭でミザリーを案内した後のことだった。
「なんでしょうか?」
「君、その肌色からして草原地方の出身だな」
「左様でございますが、なにか?」
「いや失礼。草原の民が、グレイシア貴族の屋敷の使用人になるのは珍しいと思ってな。あの人たちは誇り高い民族だ」
「私は、広い世界を知りたいと思って大陸中を旅していたのです。縁あってランサール将軍閣下にこちらを紹介していただきました」
「ほう! ランサール殿に! それはすごいな。君、名前は」
「ユルディスと申します」
「そうか、ユルディス君。君はさっきからうちの孫娘ばかり見ておるが、理由を尋ねても良いかな?」
「恐れ入ります……この上なくお美しい女性だと見惚れておりました」
 鋭い指摘にユルディスは一瞬ぎくりとなったが、そこは如才ない鉄面皮の才能で表情には出さない。
「それには同意見だ。だが、都では、痩せ型で柳腰で色素の薄い婦人が美しいと持てはやされる」
「さ、私は草原の出自ゆえ、都の貴公子の好みはわかりません」
「意見が合うな。私もそうだ。女はしっかりしたのが良い。だが、都の貴婦人は働かぬことが美徳とされておる。だから我が孫娘ミザリーは、これから苦労をするかもしれぬな。あの娘が望んだことではあるが」
「私ができる限りお助けします」
「それはありがたいな。だが、念を押しておくぞ。ミザリーはルナール殿の妻になったのだ」
「ええ。今それを肝に命じているところです。私は一足遅かった」
「で、どうするね?」
 バルファスは鋭くユルディスを見つめた。
「どうもしやしません。全ては状況次第。そして私はその中の最適解を見つけるのみです」
「なるほど。君は敵に回したくない男だな」
「褒め言葉と受け取っておきます」
「だがミザリーを傷つけるなよ」
「夢にも」
「ふふん……この家は今は落ちぶれているが、代々優秀な軍人を輩出してきた家だ。嫡男のルナールは、あれの祖父によく似ている。出世とこの家の再興のためにはなんでもするだろう。ミザリーを妻にと願ったのもその一つと言える」
「ルナール様は、北の国境警備に志願したと伺いました」
「そう。たいていの大貴族の御曹司なら嫌がる任務だ。だがうまく努め上げれば、王弟陛下からの信頼が得られる」
「うまく努め上げれば」
「凄い目をするな。まるで鷹だ。そういえば先ほどから立派な奴が、空を舞っておるな」
 バルファスは空を見上げた。
「私の鷹ですので」
「そうか。草原の民はよく鷹を使うと聞く。ユルディス、もし良ければミザリーの様子を時々わしに知らせてくれんか。あれは我慢が過ぎる娘だ。君の見た通りのあの子の様子を教えてほしい。この家には誰も置いてゆけぬらしいでな」
「喜んで」
「ありがとう。初めて会った男にこんなことを頼むのも妙な話だが、わしは、わしの勘を信じるのでな。君には申し訳ないが」
「いえ。草原の民は耐えることには慣れております」
「……」
「私はミザリー様を見守り、幸せに導きたい。たとえその幸せが自分ゆえでなくとも」
 二人の男は目を見交わしあった。

 あれから二年。
 バルファス殿は亡くなられ、ミザリー様はあの家から自由になった。
 俺は、俺のものを手に入れる。

「待つ時期はとっくに過ぎている」
 その時、ミザリーのまぶたがゆっくりと上がった。
 秋の草原を思わせる深い金の瞳が、ユルディスに焦点を結ぶ。
 男は引き寄せられるように、そっと唇を重ねた。
「草原に行こう、ミザリー」
 熱い囁きが聞こえたか聞こえなかったのか、ミザリーはうっすらと微笑むと、再び眠りに落ちていった。


     *****


章タイトルの「おわりのかたち」とは、ルナールとの訣別と、祖父との別れを意味しています。
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