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37 二人の男 4

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「あっ! 出てきましたわ! ユルディスと……ルナール様、後ろから五人の士官さん!」
「ああ、あれらは、ルナール殿の士官学校時代の同期の奴らだ。ユルディスに頼まれて、私がそれぞれの隊に知らせを送り、集まってもらった」
「あ! こっちを向いています!」
 ミザリーは立派な士官たちが一列に並ぶのを見て、思わず立ち上がった。
「挨拶のつもりなんだろう。じゃあ、まぁ。久しぶりに。方々ご苦労! 存分にやりたまえ! こちらのお美しいご婦人が応援しておるよ!」
「え!?」
「では、はじめよ!」
「は!」
 ルナールと同じ制服を着た士官たちは、一斉にルナールを取り囲み、剣を交えはじめた。
 かんかんと木の剣の乾いた音が響く。
 ルナールと同じ制服を着た士官たちは、一斉にルナールを取り囲み、剣を交えはじめた。最初は一対一で試すように数合交わした後、士官のほうが鋭い突きを入れたがルナールは体をひねってかわし、体制が泳いだところを木剣の柄で背中をたたいた。
「それまで! 次!」
 審判役が叫び、次の士官が襲いかかる。今度は慎重な足さばきでルナールの利き手の脇を狙い、打ち合うこと十数手ほど交えたが、次第にルナール剣先が鋭くなり、一瞬のスキをついて相手の手の甲を打った。ルナールも相手も大きく息を乱している。
「それまで」
 次にルナールの前に出てきた士官は、なんと二名同時だった。うちの一人はヘンリーだ。ヘンリーはルナールの記憶を取り戻すために、あの事件の日のならず者と同じ動きでルナールを誘導していた。
 息を切らしたルナールは、それでもなんとか相手をしていたが、剣先が鈍り、次第に押されて守り一辺倒になり、じりじりと後退していく。それでも実戦を想定しているのか、二人とも攻めに手を抜いていないのは明らかだ。
「……ここまでよく持った。そこまで!」
 ランサールは声を上げて対戦を制した。
「……っ!」
 ルナールは膝から崩れ落ちて荒い息をこぼした。冷えた空気の中でしたたるように汗をかいている。
 そのまましばらく時が流れた。誰も動くものはなかった。

 確かに、俺は、俺の体は覚えている。剣の扱いを、突きを、守りを。
 こいつらの動きの癖も知っている。
 俺は確かに、軍隊にいた! こいつらと寝食を共にしていた!
 
 ルナールの頭の中に、かつて士官学校で過ごした日々の断片が、次々に浮き上がってきた。

「さて、そろそろ次行きますか?」
「……?」
 這いつくばるルナールの前に立っていたのは、ユルディスだった。
 手に木剣を携えている。
「お前……ユルディス……」
 ルナールはようやく整ってきた息を吸い込みながら立ち上がった。まだ汗が滲んでいる。
「お前がなぜ?」
「なぜ? ご主人様に早く記憶を取り戻していただきたいと思うのは、召使いとして当然でしょう」
 ユルディスは不誠実な丁寧さで説明すると、ルナールの木剣を拾い上げる。
「お前、剣を使う……のか?」
「ええ、少しだけ。四人お相手されてお疲れのところ、恐縮ではございますが、もう少し追い込まれないと、記憶まで失われた戦場とは言えませんからね。ところで、大丈夫ですか? もう少し休まれますか?」
「……いいだろう。貴様の相手になってやる」
 ルナールの言葉が終わらぬうちに、ユルディスは彼の腕の隙間に剣の切っ先を滑り込ませる。
「うわっ!」
 大きく後ろに飛び退すさったルナールだが、ユルディスは容赦無く、どんどん間合いを詰めていった。背後は馬の訓練用の斜面だ。馬が騎手を乗せて向こう側に飛び移れるように、間はちょっとした崖になっている。彼はそこにルナールを追い込もうとしているのだった。

「すごい戦いですね。まるで本能に命のやりとりをしているかのよう」
 ミザリーは戦う男たちから一瞬も目を離せずに言った。
「そうでなくては極限状態に追い込めないからね」
「そういえばルナール様の様子が変でした」
「体に染み付いたものはそうそう忘れられないからな。おっと! 斜面の上まで追い詰められたぞ! 奴め、少しは手加減してやればいいのに」
「手加減?」
「ああ、ユルディスはカドウィンの戦士だ。草原の民の男は、スプーンより先に剣を握らされるという」
「……」
「かつて奴が、戦場で見せた戦いを思い出すたび、血が騒ぐわ。北の前線で、奴はたった一人で十一人の敵を切り伏せた。私は何度も命を救われたのだよ。ユルディスがいなければ、今頃私は冷たい土の下だろう。人は私を英雄だと言うが、奴こそ隠れた英雄だ」
「そう……なのですか」
 ミザリーの目は、二人の男に据えられたままだ。
「あいつの姿を夢に見て、うなされるノスフリントの戦士は何十人といるだろうよ……お! ルナール殿もなかなかやる! なるほど! わかった。あの急斜面を崖に見立てたと言うわけか」

 馬場のこちら側の隅では、士官たちがやはり興奮しながら、二人の戦いを見守っていた。
「あれが、ランサール将軍の懐刀と言われた、北部戦線の黒い鷹か! 正規の訓練を受けていないらしいが、すごい動きだな!」
「たった一年で、四度の勝利に貢献したという……だが、正規兵ではなかったので、昇進や名誉は与えられなかったという話だ」
「しかし、ルナールも、俺たち中では一番の使い手だった。黒い鷹相手に、善戦している」
「記憶を失っているというのは、本当だったんだな。さっき俺たちを見ても何の反応もしなかったし……予め言い含められていなかったら、抱きついていたところだ」
「だが、見ろ。ルナールの動きが、最初よりも硬さが取れている。疲労はしているだろうが、本来の奴の動きになってきている……おお! てっぺんに追い詰められたぞ!」
「ルナール! 踏ん張れ!」
「ルナール!」

「お前……よく使うな」
「不公平はわかっている。あんたを不利な状況に追い込まないといけないからな。しかし、こちらにも譲れない事情がある」
「執事見習い風情が、何の事情だ? うわっ!」
 ルナールの足元から土がこぼれる。馬が駆け上がる斜面の下は、ほぼ垂直に切り取られているのだ。
「言ったはずだ。 あんたが記憶を取り戻してもらわねば俺が困る。そら! もう少し!」
 言うが早いか、ユルディスは鮮やかに剣をはらった。かろうじて打撃は避けたルナールだったが、体制を立て直せぬ内に次の突きが襲い掛かる。
「ああっ!」
 叫んだのはミザリーだけではない。
「落ちた! 落ちたぞ!」
 息をつめて見ていた士官たちも、ルナールが転落するのを見て声を上げた。斜面は平均的な男性の身長よりも高い。そしてその下は人口の池となっていた。
 ルナールは空中で受け身を取りながらも、ものの見事に水面に落下した。大きな水飛沫が上がる。
 溺れる深さではない。しかし、一歩間違えば大怪我になっていたかもしれなかった。
「ルナール様!」
 ミザリーはひらりと柵を乗り越えると、ずぶ濡れて池から這い出すルナールの元へ走った。
「ルナール!」
「大丈夫か!」
 ミザリーよりも早く駆け寄った士官たちが、ルナールを助け起こしている濡れて泥まみれで、美しい銀髪がさんざんだが、怪我はないようだった。
「だ、大丈夫だ……俺は……」

 そうだ。俺は以前もこうやって戦い、崖から落ちた。
 ああ……落下の恐怖は覚えている。
 体の痛み、風の強さ、そして水に呑まれて……俺は……俺は冷たくて真っ暗な闇の中に沈んだんだ。
 
「……俺は」
 ルナールはしばらく呆然と、五人の朋輩を眺めていたが、やがてその目に光が宿った。
「アラン……アランか!? それからジルベール、サミュエルも! それにヘンリー!」
「そうだ! 俺はアランだ!」
「記憶が戻ったか!」
「ルナール様! あなたに助けられたヘンリーでございます!」
「あ……ああ、俺はルナール・エルトレー。エルトレー子爵家の嫡男にして……一人息子だった」
「ルナール!」
「人から散々聞かされてはいたが、やっと……型にぴったりはまった気がする」
「おお!」
「他には!?」
「歳は……二十六歳」
「いや、それはお前が行方不明になった年齢だから、今は二十八だ!」
「……それは士官学校の、七十二期生ということか?」
「そうだ! 思い出したか! よかった」
 後からやってきたランサールは、友人達に囲まれたルナールを黙って見ていたが、小さく咳払いをした。
「あ! 失礼しました!」
 士官達は、恐縮してルナールの背後に並んだ。
 ルナールも、何とか身じまいを正して敬礼する。さすがに英雄の姿は覚えていたようだ。
「このような見苦しい姿で申し訳ございません。私はルナール・エルトレーと申します。訳あって、二年近くも隊を離れておりましたが、この度帰還いたしました」
「いやいや、どうかそうかしこまらんでいただきたい。大変だった経緯は聞いておる。その様子だと、記憶が戻ってきたようだの」
「は、はい……まだ多少は、ぼんやりしておりますが」
「こんなに大掛かりな荒療治をして、全くすまぬの」
「いいえ! 閣下のお陰で私は自分を取り戻せたのです! 私などのために、このような機会を設けていただき、感謝の極みで……」
「いやいや。わしとて、この男に声をかけられたのだ。な? ユルディス」
「え?」
 驚いたのはルナールだ。彼はミザリーの背後に静かに佇立している。
「なぜ……?」
「この男は私の友人で、命の恩人でもある。その男が私にどうか助けてほしいと頼んできたのだ。引きこもりの老人とて腰を上げざるを得まいよ」
「……友人? 命の恩人!?」
「そんなことはどうでもいい。さぁ、ミザリー殿」
「……」
「おお! そうだ、この方をまず抱きしめてやれ……あ、その格好じゃ無理か」
「ははは! だが、もう思い出しただろう?」
「ルナール様……!」
 ミザリーはランサールに背中を押され、ルナールの前に進み出た。その目には涙が浮かんでいる。
「ルナール様、思い出されたのですね……よかった!」
「ああ……思い出した……と、思う。だが……」
 ミザリーを見つめるルナールの視線が揺れた。
「君は……誰だ?」
 刹那、その場の空気が凍りつく。
 

    *****


Twitterにランサール将軍や、出そろった四角関係キャラのイメージを上げています。
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