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15 エルトレーの領地 1

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 その屋敷は、荒涼とした丘の上にあった。
 冬の夕暮れは早く、今日は暑い雲に覆われているため、夕陽も見えない。
 屋敷は暗い空の下に陰鬱インウツにうずくまっている。かつては優雅でおもむきのある建物だったが、現在使われているのはごく一部のようだ。
 これがエルトレー子爵家の、領地での邸宅なのだ。

 屋敷へと続く道に沿って葉を落とした樹木が立っている。花の咲く種類なので、季節が違えばさぞ綺麗だったろう。
 知らせは出してあったはずだが、出迎えはたった六人だった。それで全部なのだろう。この規模の屋敷としては、考えられない少なさである。
「いらっしゃいませ。私が管理人のファンリーです」
「いらったいまちぇ」
 進み出た中年の男のそばで、小さな女の子が真似をしてお辞儀をする。
 管理人は六人の家族だ。
 夫婦と娘と息子、そしてファンリーの父だという老人。この人数で、あるじが訪れることのない屋敷を管理しているのだという。
「出迎えありがとう。冬の間お世話になります」
 ミザリーは小さな女の子に微笑んだ。
「早速、話を聞きたいのだけど」
 領主の執務室に案内されたミザリーは言った。
「ここ数年、子爵様ご家族はおいでになっておりません。お遣いの方に、税金や屋敷の維持費などの出納帳をお見せし、商人を通じて産物やお金のやり取りをしているだけです」
 ミザリーはエルトレー家の管理能力の低さに頭を抱え込んだ。
 これでは、収益が上がらなくても仕方がない。思った通り、屋敷の内部も使用している部分以外はかなり痛んでいて、せっかく趣のある建物なのに、惜しいと感じる。
 もしかしたら、ことは子爵家だけに限らないのかもしれない、とミザリーは思った。都だけで暮らす貴族たちの経済感覚は、どんどん鈍化している。
 先日夜会が催されたナイトン伯爵家も、見えるところは豪華だったが、主や客が使わない場所はあまり手入れが行き届いていなかった。出された料理や酒の品質も一流とはいえないのに、誰もそれを不思議と思っていなかったのだ。

 もしかしたら、これからこの国では、富裕層は貴族から商人へと変わっていくのかも……。

「以前の管理人が、大変な不正をしたって聞いたけど……」
「はい。その者は私の上役でした。収穫した作物を横流ししたり、税金を長年着服していたのです。手口が巧妙で、発覚するまでに数年もかかってしまって、その間に領地はすっかり荒れてしまいました。私はずっと何もさせてもらえず、この屋敷の維持管理のみしておりました。いまさら言ってもしようがありませんが、本当に申し訳ございません」
「……あなたにはどうしようもなかったのよ。でもね」
「……?」
「これからはすることが多くなるわよ」
 ミザリーは言い放つ。背後でユルディスの唇が上がった。
「……はい。どうぞお使いください。なんでもする所存です。奥方様」
「私はこの領地を立て直す。そのためにここに来たの」
「領地は広いです。奥方様は、全てご覧になられるつもりですか?」
「ええ、その通りよ。でも、今日はもう午後だから、明日の朝から屋敷の近くの村を回ってみます。近所の農家から馬車を借りられるかしら? もちろんお金は払うわ」
「掛け合ってみましょう。多分大丈夫です」
「それと明日の午後からたくさん荷物が届くので、受け取ってちょうだい。あと私のことはミザリーと呼んでくださいな。その方が嬉しいの」
「かしこまりました。では、ミザリー様、ユルディス様、簡単ではございますがお食事のご用意ができております」
「ありがとう。早く着きたくて、お昼は馬車の中で軽食を取っただけだから、嬉しいわ」
 用意された食事は、スープとパンに燻製肉くんせいにくが数片添えられた簡素なものであったが、スープは熱くて濃く、寒空の下を二日の間も乗合馬車に揺られ続けたミザリーにはありがたかった。
 精一杯もてなしてくれているのだろう、ファンリー夫妻が給仕をしてくれるが、家族は後で食べるのだろうか。
 どんなものを食べるのか。少なくとも肉はないのだろうとミザリーは察した。こんなに田舎で収穫後のはずなのに、新鮮な肉が出ない。

 領主の館でこれなのだから、周辺の村ではどんなものを食べているのかしら?
 子ども達はお腹いっぱいで眠れているのかな……。

 子爵家ではいくら困窮していても、ドナルディもセリアナも平気で食べ残している。育ちと身分が違うのだから、仕方がないのかもしれないが、ミザリーはこのままにしておく気にはなれないと思った。
「お疲れのようですね」
 ユルディスは食が進まないミザリーの様子で察したようだ。
「そうね」
 確かに疲れている。
「明日はしたいことが多いから、今日は早く休みます。パンとお肉は手をつけていないので、よかったらそちらで食べてね」
 ミザリーは立ち上がりながらファンリーの妻に言った。
「わかりました。お部屋は二階に用意しています。あとでお湯を持っていきますので、ゆっくりお休みください」
「ありがとう」
 ミザリーに用意された部屋は、領主夫人用の部屋で、さすがに立派なしつらいだった。知らせを受け取ってから、慌てて掃除をしたり寝具を整えたのだろう。
 ファンリーの妻と娘が桶にお湯を運んできてくれる。宿ではさすがに湯は使えなかったので、ありがたかった。着替えの手伝いは断った。一人になりたかったのだ。
 暖炉は大きかったが、薪はそれほど多く焚かれていないし部屋も広いので、空気は肌寒い。
 それでもミザリーは平気で素裸になった。
 暖炉の前に置かれた桶にしゃがみ込んでも、お湯は七分目くらいにしかならない。燃料も乏しいのだ。
 しかしそれが幸いして、ミザリーはじゃぶじゃぶと湯を使って体と髪を洗った。
 疲れがすっかり抜けるわけではないが、体が温まると気持ちが良くなった。よく体を拭うと、新しい夜着を身につけて寝台に体を投げ出した。
 風が強く吹いている。入り口の隙間から隙間風が吹き込むようだが、気にはならなかった。扉の立て付けが悪くなっているのだろう。

 さぁ、明日から忙しくなるわ。領民の信頼を得るところから始めなくては。

 そこまで考えて、ミザリーはすぐに眠りに落ちた。
 だから小さなノックの音がした時も気がつかなかった。
「ミザリー様……もう、お休みですか? 入室しても?」
 返事がないが、駄目ならそう言われるだろう、そう思って女主の様子を確かめるために入ってきたユルディスは、無防備に寝ているミザリーを見つめた。
「……眠っておられる?」
 部屋に入って一時間も経っていない。貴婦人にはあるまじき支度の速さである。
 暖炉の脇には使われた湯桶。きちんと畳まれた衣類は椅子に置かれ、そして乾かそうというのだろう。椅子の背には布が広げられている。
「本当になんでもおできになる……」
 ユルディスは寝酒にと持ってきた、酒の杯をテーブルに置くと、枕に散らばる髪を掬い上げた。
 まだ湿っている。ぬぐうのもそここそに寝てしまったのだろう。よほど疲れていたのに違いない。
 ミザリーは男の気配を察したのか、ん~と寝返りをうち、その拍子に肩が飛び出てしまう。
 ユルディスそっと包みなおした。その拍子に指が頬に触れたのは、偶然ではなかった。
「おやすみ、可愛いミザリー。これにはもう慣れてくれただろうか?」
 ユルディスはそっと頬に唇を落とした。湯上がりでしっとりしている。
 これが男の神聖な儀式となっていた。

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