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長い一日
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時間はもう夜の11時を回っていた。
月明かりを頼りに森を抜けて庭から縁側まで向かって歩いて行くと、そこには一人佇む珀の姿があった。
「やあ、久方ぶり。」
珀は狭間から戻ってきており、私達が連れて来るのが分かっていたかのように妖狐を出迎えた。
「千年ぶりかな。随分と性格が丸くなったようだね。」
「珀光こそ。私を前に笑顔でいるなんて別人みたい。」
和やかな様子で会話をしていた。
珀を本名で呼び捨てにしているし、二人は親しい友人だったのだろうか。気になって尋ねてみたのだが……
「私がまだ生きていた頃に何度も殺されかけた仲だよ。」
「いやねえ。珀光だって何度も私をズタボロにして滅そうとしてきたじゃない。」
笑顔で言い合う内容じゃない……聞いてしまったことを後悔した。
真人がムスッとした表情で珀を睨みつけた。
「珀てめえ……いつから気付いてた?」
妖狐のことを一切聞かされずに散々な目に合わされたのだから、腹を立てるのはごもっともだ。
珀は真人の苛立ちなどどこ吹く風でプカリと煙管を吹かした。
「考えてもごらん。陰陽師の修行もしていないのに私の姿が見えるだなんて、有り得ないことだよ?」
それって、私のこと……?
あまりにもはっきりと見えたから驚いたのはこっちの方だと思っていた。
「紬ちゃんからは懐かしい匂いがしたからねえ。それにあの三毛猫……普通の猫が悪意を持って近づいてくる霊を追い払えるはずがない。君が力添えをしていたんだろ?」
三毛猫とはニャ太郎のことだ。
珀が言うにはニャ太郎は妖狐から術をかけてもらい私を守れるように強化されていたらしい。
「あの妖狐が妙なことをしているなと思い、しばし様子を見ることにしたのさ。」
珀は最初から妖狐の存在を見透かしていたのだった。
修行が足りないと諌められた真人は悔しそうにそっぽを向いた。
「それで、私に話たいことって?」
珀が改めて妖狐に切り出した。
宿敵でもあった陰陽師にわざわざ会いに来てまで話したいこととは一体なんなのだろうか……
妖狐は神妙な面持ちで珀の目を真っ直ぐに見据えた。
「紬のことを、貴方達に託したい。」
えっ……私を─────?!
てっきり私とは無縁の、過去に関する話をするのだと思い込んでいた。
真人も意外な申し出に驚いた顔をしたものの、すぐに妖狐に反発した。
「ここまで育てておいて今さら放り出す気か?!紬は物じゃないんだぞ!大体、喧嘩ふっかけてきた相手に調子いいことほざいてんじゃねえ!!」
「真人、妖狐は君の力を試したんだよ。」
「試すだと?なんでそんなことを俺がされなきゃならねえんだ?!」
「分からないかい?紬ちゃんは妖魔達にとっちゃ最高のご馳走なのさ。」
私が、ご馳走……?
それって普通はお寿司やステーキなんかの食べ物に使う言葉なんじゃないの??
妖魔の中には霊力のある人間を喰らい己の力を増そうとする厄介な者がいる。
私には妖狐から移った途方もない量の霊力が体内にあるが、まるで使いこなせていない。
それに気付いた妖魔達にとっては私の魂は格好の餌なのだという……
今までも幾度となく私を狙ってきた妖魔がいたらしい。
そんなこと全然、気付きもしなかった……
「大事な娘を託すんだから、ひ弱な男では困る。」
「は?だったら自分で守れよ。大事な娘なんだろ?」
妖狐は一瞬口ごもったものの、真人に向かって静かに頭を下げた。
「無礼な振る舞いをしたのは謝るわ。自分で解決できるのならそうしている。今までもそうしてきた。でももう私には力が残っていない。この体を維持する力も、もう尽きた……」
霊力を作りだす核までもが私に移行してしまい、力が枯渇していく中で迫り来るう妖魔を相手になんとか交戦してきたのだという。
真人との戦いでは最後の力を振り絞ったのだと……
だがもうとっくに、限界は超えていたらしい。あと一時間もすれば霊体の体も滅びてしまうだろうと、小さく呟いた。
「ごめんね。私の霊力が移行したせいで貴方にはしなくてもいい苦労をさせてしまったわ。」
私に霊が見えるのは自分のせいだと謝ってきた。私が関わらなければ普通の女の子として生きられたのにと……
でも……この妖狐があの日の事故現場で妊娠した母の遺体を見つけなければ、そもそも私はこの世に生まれてさえいなかったのだ。
「お母さん……消えちゃうの?」
私の言葉に母は悲しげに笑った。
「私はとても、貴方からお母さんと呼ばれていい様な者ではないわ。数多の人間を殺してきた……この体に入り込んだのだって、自分の保身のため。」
母が過去にどれほどの悪行を繰り返してきたかは私には分からないけれど、それは決して許されることではない。
母への複雑な思いが胸の中で渦巻いていく。私にとっては大好きな母だったけれど、他の誰かにとっては憎むべき妖魔だったのだ。
「どうして私のことを育ててくれたの?」
母は自分の右手に視線を落とすと、左手でそっと慈しむように包み込んだ。
「小さなベッドに寝かされた貴方と初めて対面した時、力を取り戻すために首を絞めて殺そうとした。でも、私の指を貴方が掴んできて……」
赤ちゃんが手の平に触れたものをギュッと握るのは把握反射という本能的な反応だ。
ママにしっかり捕まることで、自身の安全を確保しようとしているのだ。
「その手が小さくて……とてもとても小さくて。」
生きようと必死に握り締めてくる可愛い手に、涙が止まらなくなったのだという。
「生きていた頃の記憶なんて、もうとっくに忘れてしまったと思っていたのにね……」
小さな子供でもいたのだろうか……
なにかを懐かしむような慈愛に満ちた横顔があまりにも美しすぎて……胸が切ないほどに締め付けられた。
「この二人のそばに居たら安全だから私はもう行くわね。貴方のこれからのことは信頼のおける弁護士さんに頼んであるから心配いらないわ。大学の費用も貯めてあるから、好きな道を選びなさい。」
「待って……どこにいくの?」
「遺体は綺麗なままで残るから安心して。長いこと借りていたわね……私が言えたことじゃないけれど、どうか丁重に葬ってあげてね。」
母は誰にも看取られずに一人で消えるつもりだ。
じゃあ元気でと去ろうとした背中に堪らず後ろから抱きついた。
いつもは抱きしめられている側だったから気付かなかった。あんなにも大きくて頼もしく見えていた背中が、こんなにも華奢だったなんて……
そう感じられるほどに、私のことをここまで大きく育ててくれたんだ。
涙が溢れてきて、かける言葉がなにも浮かばなかった。
「千年妖魔をやっていたんだ。あと数年この世にいたとしてもさほど変わらないだろう。」
─────────珀……?
『陰陽師は妖魔が目の前に現れたら滅しなければならない。それが例え…血を分けた肉親であっても』
以前珀はそう言っていたのに……
母も信じられないといった表情で珀を見つめた。
「珀光……おまえ………?」
「私も千年前の一辺倒な考え方とは変わったのさ。君が紬ちゃんと出会い変わったようにね。」
そう言って珀はチラりと真人へと視線を送った。
真人の妖魔に対しての向き合い方に、珀も影響を受けているということなのだろう……
「せめて紬ちゃんが一人立ちが出来るまではそばに居てやりな。その体を保つくらいの力添えなら私もするよ。」
それはつまり、しばらくはまだ母と一緒に居れるということだ。
母と顔を見合わせ、お互いの名前を呼び合いながら抱き合って泣いた。
良かった……本当に良かった………!
「もちろん常に監視はさせてもらうし、人を少しでも傷つけようものなら即滅する。それでいいよね、真人?」
珀に聞かれた真人はああと頷きはしたものの、失礼なことを付け加えた。
「未成年の世間知らずの馬鹿が一人で生きていけるほど世の中甘くはないからな。」
「ちょっ、真人!言い方酷くない?」
真人は文句を言う私の頭を軽く小突くと母の方を向いた。
「まあ、こいつは俺に任せな。」
そう言うと真人は大きく伸びをし、疲れたから寝ると言い残してさっさと屋敷の中へと入って行ってしまった。
私を妖魔から守るという申し出を、真人はなんの迷いもなく引き受けてくれた。
それは本当にすっごくありがたいんだけれど、なんかもうちょいこうさあ、なんていうんだろう……俺がおまえを守る!みたいな熱~い雰囲気になってくれても良くない?クールすぎてちょっと物足りないというか……
母が私の肩をポンと叩いた。
「お母さんで良ければいつでも恋の相談にのるからね?」
「な、なに?別に私、そんなんじゃないし!」
素直じゃないねえと珀にまでクスクス笑われてしまった。
真人への気持ちを二人にからかわれて無性に恥ずかしくなってきた。
なんでバレちゃうんだろう……
なにわともあれ。
朝からの出来事を文字に起こせばノートが一冊埋まりそうなほどの濃い一日がようやく……
終わったのだった────────
月明かりを頼りに森を抜けて庭から縁側まで向かって歩いて行くと、そこには一人佇む珀の姿があった。
「やあ、久方ぶり。」
珀は狭間から戻ってきており、私達が連れて来るのが分かっていたかのように妖狐を出迎えた。
「千年ぶりかな。随分と性格が丸くなったようだね。」
「珀光こそ。私を前に笑顔でいるなんて別人みたい。」
和やかな様子で会話をしていた。
珀を本名で呼び捨てにしているし、二人は親しい友人だったのだろうか。気になって尋ねてみたのだが……
「私がまだ生きていた頃に何度も殺されかけた仲だよ。」
「いやねえ。珀光だって何度も私をズタボロにして滅そうとしてきたじゃない。」
笑顔で言い合う内容じゃない……聞いてしまったことを後悔した。
真人がムスッとした表情で珀を睨みつけた。
「珀てめえ……いつから気付いてた?」
妖狐のことを一切聞かされずに散々な目に合わされたのだから、腹を立てるのはごもっともだ。
珀は真人の苛立ちなどどこ吹く風でプカリと煙管を吹かした。
「考えてもごらん。陰陽師の修行もしていないのに私の姿が見えるだなんて、有り得ないことだよ?」
それって、私のこと……?
あまりにもはっきりと見えたから驚いたのはこっちの方だと思っていた。
「紬ちゃんからは懐かしい匂いがしたからねえ。それにあの三毛猫……普通の猫が悪意を持って近づいてくる霊を追い払えるはずがない。君が力添えをしていたんだろ?」
三毛猫とはニャ太郎のことだ。
珀が言うにはニャ太郎は妖狐から術をかけてもらい私を守れるように強化されていたらしい。
「あの妖狐が妙なことをしているなと思い、しばし様子を見ることにしたのさ。」
珀は最初から妖狐の存在を見透かしていたのだった。
修行が足りないと諌められた真人は悔しそうにそっぽを向いた。
「それで、私に話たいことって?」
珀が改めて妖狐に切り出した。
宿敵でもあった陰陽師にわざわざ会いに来てまで話したいこととは一体なんなのだろうか……
妖狐は神妙な面持ちで珀の目を真っ直ぐに見据えた。
「紬のことを、貴方達に託したい。」
えっ……私を─────?!
てっきり私とは無縁の、過去に関する話をするのだと思い込んでいた。
真人も意外な申し出に驚いた顔をしたものの、すぐに妖狐に反発した。
「ここまで育てておいて今さら放り出す気か?!紬は物じゃないんだぞ!大体、喧嘩ふっかけてきた相手に調子いいことほざいてんじゃねえ!!」
「真人、妖狐は君の力を試したんだよ。」
「試すだと?なんでそんなことを俺がされなきゃならねえんだ?!」
「分からないかい?紬ちゃんは妖魔達にとっちゃ最高のご馳走なのさ。」
私が、ご馳走……?
それって普通はお寿司やステーキなんかの食べ物に使う言葉なんじゃないの??
妖魔の中には霊力のある人間を喰らい己の力を増そうとする厄介な者がいる。
私には妖狐から移った途方もない量の霊力が体内にあるが、まるで使いこなせていない。
それに気付いた妖魔達にとっては私の魂は格好の餌なのだという……
今までも幾度となく私を狙ってきた妖魔がいたらしい。
そんなこと全然、気付きもしなかった……
「大事な娘を託すんだから、ひ弱な男では困る。」
「は?だったら自分で守れよ。大事な娘なんだろ?」
妖狐は一瞬口ごもったものの、真人に向かって静かに頭を下げた。
「無礼な振る舞いをしたのは謝るわ。自分で解決できるのならそうしている。今までもそうしてきた。でももう私には力が残っていない。この体を維持する力も、もう尽きた……」
霊力を作りだす核までもが私に移行してしまい、力が枯渇していく中で迫り来るう妖魔を相手になんとか交戦してきたのだという。
真人との戦いでは最後の力を振り絞ったのだと……
だがもうとっくに、限界は超えていたらしい。あと一時間もすれば霊体の体も滅びてしまうだろうと、小さく呟いた。
「ごめんね。私の霊力が移行したせいで貴方にはしなくてもいい苦労をさせてしまったわ。」
私に霊が見えるのは自分のせいだと謝ってきた。私が関わらなければ普通の女の子として生きられたのにと……
でも……この妖狐があの日の事故現場で妊娠した母の遺体を見つけなければ、そもそも私はこの世に生まれてさえいなかったのだ。
「お母さん……消えちゃうの?」
私の言葉に母は悲しげに笑った。
「私はとても、貴方からお母さんと呼ばれていい様な者ではないわ。数多の人間を殺してきた……この体に入り込んだのだって、自分の保身のため。」
母が過去にどれほどの悪行を繰り返してきたかは私には分からないけれど、それは決して許されることではない。
母への複雑な思いが胸の中で渦巻いていく。私にとっては大好きな母だったけれど、他の誰かにとっては憎むべき妖魔だったのだ。
「どうして私のことを育ててくれたの?」
母は自分の右手に視線を落とすと、左手でそっと慈しむように包み込んだ。
「小さなベッドに寝かされた貴方と初めて対面した時、力を取り戻すために首を絞めて殺そうとした。でも、私の指を貴方が掴んできて……」
赤ちゃんが手の平に触れたものをギュッと握るのは把握反射という本能的な反応だ。
ママにしっかり捕まることで、自身の安全を確保しようとしているのだ。
「その手が小さくて……とてもとても小さくて。」
生きようと必死に握り締めてくる可愛い手に、涙が止まらなくなったのだという。
「生きていた頃の記憶なんて、もうとっくに忘れてしまったと思っていたのにね……」
小さな子供でもいたのだろうか……
なにかを懐かしむような慈愛に満ちた横顔があまりにも美しすぎて……胸が切ないほどに締め付けられた。
「この二人のそばに居たら安全だから私はもう行くわね。貴方のこれからのことは信頼のおける弁護士さんに頼んであるから心配いらないわ。大学の費用も貯めてあるから、好きな道を選びなさい。」
「待って……どこにいくの?」
「遺体は綺麗なままで残るから安心して。長いこと借りていたわね……私が言えたことじゃないけれど、どうか丁重に葬ってあげてね。」
母は誰にも看取られずに一人で消えるつもりだ。
じゃあ元気でと去ろうとした背中に堪らず後ろから抱きついた。
いつもは抱きしめられている側だったから気付かなかった。あんなにも大きくて頼もしく見えていた背中が、こんなにも華奢だったなんて……
そう感じられるほどに、私のことをここまで大きく育ててくれたんだ。
涙が溢れてきて、かける言葉がなにも浮かばなかった。
「千年妖魔をやっていたんだ。あと数年この世にいたとしてもさほど変わらないだろう。」
─────────珀……?
『陰陽師は妖魔が目の前に現れたら滅しなければならない。それが例え…血を分けた肉親であっても』
以前珀はそう言っていたのに……
母も信じられないといった表情で珀を見つめた。
「珀光……おまえ………?」
「私も千年前の一辺倒な考え方とは変わったのさ。君が紬ちゃんと出会い変わったようにね。」
そう言って珀はチラりと真人へと視線を送った。
真人の妖魔に対しての向き合い方に、珀も影響を受けているということなのだろう……
「せめて紬ちゃんが一人立ちが出来るまではそばに居てやりな。その体を保つくらいの力添えなら私もするよ。」
それはつまり、しばらくはまだ母と一緒に居れるということだ。
母と顔を見合わせ、お互いの名前を呼び合いながら抱き合って泣いた。
良かった……本当に良かった………!
「もちろん常に監視はさせてもらうし、人を少しでも傷つけようものなら即滅する。それでいいよね、真人?」
珀に聞かれた真人はああと頷きはしたものの、失礼なことを付け加えた。
「未成年の世間知らずの馬鹿が一人で生きていけるほど世の中甘くはないからな。」
「ちょっ、真人!言い方酷くない?」
真人は文句を言う私の頭を軽く小突くと母の方を向いた。
「まあ、こいつは俺に任せな。」
そう言うと真人は大きく伸びをし、疲れたから寝ると言い残してさっさと屋敷の中へと入って行ってしまった。
私を妖魔から守るという申し出を、真人はなんの迷いもなく引き受けてくれた。
それは本当にすっごくありがたいんだけれど、なんかもうちょいこうさあ、なんていうんだろう……俺がおまえを守る!みたいな熱~い雰囲気になってくれても良くない?クールすぎてちょっと物足りないというか……
母が私の肩をポンと叩いた。
「お母さんで良ければいつでも恋の相談にのるからね?」
「な、なに?別に私、そんなんじゃないし!」
素直じゃないねえと珀にまでクスクス笑われてしまった。
真人への気持ちを二人にからかわれて無性に恥ずかしくなってきた。
なんでバレちゃうんだろう……
なにわともあれ。
朝からの出来事を文字に起こせばノートが一冊埋まりそうなほどの濃い一日がようやく……
終わったのだった────────
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