お隣さんは陰陽師

タニマリ

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君との約束 前編

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スズメのさえずりが心地よく耳に響く中、窓枠をカリカリと引っ掻く音がして目が覚めた。
どうやらニャ太郎が夜遊びをして帰ってきたようだ。
ベッド脇にある窓を開けてあげると窓枠を飛び越えて入ってきたので、お帰り~と言って抱きしめた。
このモフモフのお腹の匂いがたまんないんだよね~。

「寝ぼけんな。俺はおまえの猫じゃない。」

……なんで真人まひとの声がするの?
目の前には不機嫌そうに私を睨むニャ太郎の顔……
そ、そうだった!今はニャ太郎の体に真人が入ってるんだった!!

「ごご、ごめんなさい!いつもの癖でつい!」
「もういい。それより、今日は学校休めよ。」

今はあの蜘蛛がまたいつ襲ってくるか分からない状況だ。
はくは真人の体を取り戻しに狭間はざまへと行っていて留守だし、真人も猫の体ではまともに戦えない。
なので真人は一晩かけてこの家を取り囲むように結界を張ったのだという。小さな猫の体でさぞかし苦労しただろう……
この結界内に居れば蜘蛛は入って来れないから安全だ。
だがしかし、今日私は……絶対に学校に行かねばならない。

「実は物理で赤点取っちゃって……今日期限の提出物を出さないと単位落としそうなんだよね~。」
「はあっ?こんな時になにやってんだ馬鹿が!!」

しかもその課題出来てないし……って言ったら更にこっぴどく怒られた。
朝っぱらから猫に勉強を教わる私って一体……








先週梅雨入したはずなのに雲ひとつない爽やかな青空が広がっていた。
砂浜では老夫婦が手をつないで散歩をしていた。幸せとはきっとこういうことを言うのだろう……
で、私はというと自転車に乗って海岸沿いの道路を汗だくでかっ飛ばしていた。

「もっと急げ。遅刻するぞ。」
「そんなの分かってるってば!」

背中のリュックに隠れている真人が急かしてきた。
課題をなんとか終わらせれたものの、時間がギリギリになってしまったのだ。
ようやく門が見えてきたと思ったら、生徒指導の強面こわもての先生が立っているのに気付いて急ブレーキをかけた。
 マズイ……抜き打ちの持ち物検査だ。
ここは進学校のせいかやたらと校則が厳しく、ゲームやお菓子はもちろん、スマホや整髪料なんかも禁止されている。
猫なんか論外だろう……
真人も気付いたようで、リュックから顔を出すと地面に飛び降りた。

「俺は裏山の方から入る。後で落ち合おう。」
そう言うと真人は道路脇の草むらへと入っていった。

門をなんなく通過し物理の先生にも無事に課題を提出した。後は真人に言われた通り頭が痛いなどと言って早退するだけだ。
とりあえず教室へと向かうと、クラスメイトが興奮した様子で話しかけてきた。

「聞いて聞いてつむぎ!さっき西園寺さいおんじ君にその髪型とっても可愛いねって褒められちゃったの~!」


─────────はい?


「さっきって……さっき?」
「うん!他にも何人か声掛けられた子がいるみたい。みんな大興奮だよ!」

「西園寺って……あの西園寺 真人?」
「うん!あの西園寺君がすっごくニコニコしてて。いつもは近寄り難い雰囲気なのに珍しいよねっ!」

有り得ない……どういうこと?体がもう見つかったってこと……?
だとしても、あの真人が愛想良く女の子に話しかけてるところが想像できない。まるで別人だ……
─────────別人……?
悪い予感がして全身の血の気が引いた。

「その西園寺君はどこにいたの?!」
「えっ、テニス部の部室前だけど……」

もうすぐ朝のHRホームルームの時間だが気にしてられない。私は部室のあるグラウンドへと全速力で走った。
もしかして……真人の体に別の魂が入ってるんじゃっ……!

体育会系の部室が並ぶプレハブ小屋へとやってきたが、既に朝練が終了していて人気ひとけはなかった。
グラウンドを見渡してもそれらしい人影は見当たらない。
小屋の後ろ側も確認しようとしたら、嫌な気配を察知して外壁にへばりついて身を隠した。

いつもならこの気配を感じたら近づかないようにしているのだけれど……
呼吸を整えてから壁からそっと顔を出し、目を凝らしてみた。すると木々の間に真っ黒な巨体が横たわっているのが見えた。
あれはあの蜘蛛の妖魔だ……昨日よりさらに大きくなっている……

これは絶対に見つかってはダメだと思い、音を立てないよう静かに後ろへと下がると誰かにトンと背中がぶつかった。

「紬ちゃん、おっはよ~!」

やたらと明るい笑顔の真人が立っていた。
一目で確信した……この中身は真人じゃない!

「あなた誰?なんで勝手にその体使ってんの?!」
「僕のこと誰だか分からない?そっか~まあ仕方ないか。」

その真人は唇を少し尖らせて拗ねたような表情をした。
真人なら絶対しないような可愛らしい仕草に思わず胸がキュンとなってしまった。
いやいや、なにをほだされてるんだ私は。こんな得体の知れないヤツ、今はしおらしくしていてもいつ豹変するか分かったもんじゃない。
とにかく本物の真人に知らせなければと駆け出そうとした時、ゾクリとする重苦しい視線を上から感じた。

あの蜘蛛の妖魔が、私を見下ろすようにして仁王立ちしていたのである。

蜘蛛は一本の脚を空高く持ち上げ、その鋭くとがった先端を今にも私目掛けて振り下ろそうとしていた。
逃げなきゃとは分かっているけれど、足がすくんで動けないっ……!


「紬ちゃん、こっち!」


真人もどきが私の腕を掴んで引っ張ったと同時に、鋭い脚先が地面に突き刺さった。
そのまま転がるように走って小屋の角を曲がると、ちょうど開いていたサッカー部の部室へと飛び込んだ。
ボールカゴやら三角コーンの間に折り重なるようにして息を潜めていると、蜘蛛の妖魔がギギギと唸りながら通り過ぎて行く音が聞こえてきた。
私を守るようにして覆いかぶさっていた真人もどきが顔を上げ、危険が去っていったのを確認してからホッとため息をついた。

「大丈夫?怪我してない?」

心配そうに覗き込んでくる顔がかなり近い。
助けてくれたので一応お礼を言うと、真人もどきは嬉しそうに私の頬をペロッと舐めて胸に顔を埋めてきた。

「ちょっ、なにしてんの!!」
「この匂い嗅ぐと落ち着くんだよね~。紬ちゃんも僕のお腹匂う?」

「待って……もしかしてあなた、ニャ太郎?」
「ピンポーン!ニャっ太郎で~すっ!」

なにがどうなってこうなった?!!
だって真人の体はお母さんの形見の勾玉まがたまで守られていたはず……
ああでも、ニャ太郎には悪意がないから効かなかったんだ。
あの穴が塞がる時にニャ太郎の魂も吸い込まれてしまったのだろう……それは分かるとして、体が空いてるからってお邪魔しますって入れるもんなの?
それに狭間からどうやって戻ってこれたの?

その辺の事情を詳しく聞こうにも、ニャ太郎は寂しかった~と顔をスリスリさせてくるばかりで困ってしまった。
だって体は真人なんだもん……
落ち着かせようと頭をヨシヨシしてなだめていると、ボールカゴの上になにかがぴょんと飛び乗った。


「おいっ……これは一体どういうことだ?」


恐ろしい形相の三毛猫が毛を逆立せ、殺気を帯びた目でこちらを睨んでいた。真人だ……
珀が探しに行っているはずの自分の体が何故かこんなところにあって、私に甘えてるんだからお怒りになるのはごもっともだ。

「こ、この子はニャ太郎なの!なんか…急に私の前に現れて、ホントびっくりだよねっ!」
「ほ~。それでこの情事に俺が納得するとでも?」

「別に変なことしてたわけじゃないよっ?」
「当たり前だ!!」

今すぐ離れろと怒鳴られ、ニャ太郎は私から引き剥がされた。
ニャ太郎は猫がするように前足を立てたまま後ろ足を曲げて腰を下ろすと、そのままペロペロと毛繕いをし始めた。
自分の体でそんなことをされた真人はたまったもんじゃない。血管が切れるんじゃないかってくらいピクピクしていた。

「おいクソ猫。他の肉体に入るには移魂いこんの術が必要だ。てめえが自らやったとは思えん。誰がやった?」

イラつく真人に対し、ニャ太郎は呑気にぐぐ~っと伸びをした。
二人の温度差に見てるこっちがハラハラしてしまう……

「どうしよっかな~。バラすとあの人に殺されちゃうんだよねえ。あ、でも僕もう死んでるからいいのかっ。」

あの人……?
ニャ太郎の知り合いっぽいけれど、殺されるとは随分物騒な話だ。
真人がそいつは誰なんだと尋ねた時、下からドンとつき上がるような振動が小屋全体を大きく揺らした。
地震かと思ったのだが床がゆっくりと傾き始め、棚に置いていたものが次々と落下して真っ直ぐにも立っていられなくなった。
真人が何事かと高い位置にある窓に飛び乗り外の様子を伺った。

「あの蜘蛛だ。あいつ…この建物をひっくり返す気だ!」

部室として使われているこのプレハブ小屋は全長20メートルはある。コンクリートの土台に乗っているような作りではあるが、固定はされているはずだ。
早く外に出ろと真人から言われたのだが、もう床をまともに歩けるような状態ではなくなっていた。
目の前の鉄製の棚が重力に負け、私の方へと滑り落ちてきた。


「紬ちゃん!」


ニャ太郎が私を押しのけると物がぶつかり合う激しい音がした。部屋は完全に90度にひっくり返り、出口だった扉は地面によって塞がれた。

「二人とも無事か?!」

真人はぴょんぴょんと散乱した物に飛び乗りながら駆け寄ってきた。
私を庇ったニャ太郎は棚と壁に挟まれて身動きが取れなくなっていた。

「ごめんなさい……真人さんの体、アザだらけになったかも。」
「気にするな。俺でも同じことをした。」

外から蜘蛛の唸り声が聞こえ、部屋がガタガタと揺れ出した。またひっくり返す気だ。
慌ててニャ太郎を引っ張り出そうとしたがビクともしない。部屋には割れたガラスも散乱している……今度は怪我では済まないかも知れない。

「俺がおとりになってヤツをここから引き離す。紬はその間にそいつを助けてやれ。」
「待って真人!そんなの危険すぎる!」

私が止めるのも聞かないで真人は窓から外へと飛び出して行った。
真人を追いかけ、蜘蛛が地面を蹴る足音が遠のいて行く……

相手はこんな大きな建物を軽々とひっくり返すほどに巨大化した妖魔だ。
呪符も書けない、印も組めない小さな猫の体でどうやって戦うっていうの?!

ニャ太郎は胸を圧迫されていてとても苦しそうな息をしていた。
真人も心配だけれど、先ずはニャ太郎を助けなければならない。
積み重なった周りのものを必死で掻き出し、倒れた鉄製の棚を体当たりでどかそうと試みたが無理だった。
何度も、何度やっても、時間だけが虚しく過ぎていくだけだった。
こうしている間にも、真人は猫の姿でたった一人であの妖魔と戦っているというのにっ……!

「私はいつも誰かに助けられてばかりだっ……なのに私は、誰も助けてあげることが出来ないっ……!」

悔しさで涙が滲んだ。
気持ちだけが空回りして、結局私にはなにも出来ないんだっ……
ニャ太郎が悲しそうな顔をして私を見つめた。


「それは違うよ。ねえ覚えてる?僕と紬ちゃんが初めて会った日のこと……」


ニャ太郎と出会ったのは12年前、私が四歳の時だった。
家の近くの溝で、ブチ模様の子猫が雨に濡れて弱々しく泣いていたのを保育園帰りの私が見つけたのだ。

「僕はあの時に死ぬ運命さだめだったんだ。でも紬ちゃんが助けてくれた。紬ちゃんは、僕の命の恩人なんだよ?」

獣医さんにはもう無理だと言われた。
でも私は諦めずに三日三晩看病をし続け、奇跡的にニャ太郎は命を取りとめたのだ。

「もっと自信をもって。紬ちゃんは、人を幸せにすることの出来る強くて優しい子だよ?」


ニャ太郎の目から、一筋の涙がこぼれた。


あの時、私は諦めなかった。
誰になにを言われようがニャ太郎は助かるんだって信じてた。
あの頃は周りにいる人のことを守ろうとしていた。
怖い顔した人がいるから行っちゃダメだとか、あそこは嫌な気配がするから遊ばない方がいいとか……
その度に気持ち悪がられ、嘘つき呼ばわりされた。
誰も信じてくれないんだとだんだん諦めるようになって、自分でも見て見ぬふりをするようになった。

でもそれじゃ……なにも守れない。

心から助けたいと思う人がいるなら、どんな時でも諦めちゃダメなんだ───────!!



「待ってて。人を呼んで来る。」

扉は地面に塞がれていて出ることは不可能だ。唯一の出入口はあの頭上高くにある小さな窓だけ。
猫みたいに壁を使ってジャンプして上るなんてことは出来ない。となると……
私は転がったパイプ椅子やボールカゴを積み重ねていった。

「なにする気?そんなの怪我するって!」

ニャ太郎が言うようにものを積み上げただけの足場はかなり不安定だった。
だからといってこのままここで何もせずにいたら、時間だけが過ぎていく……
私は真人も助けたいんだっ!

窓までは高さ4メートル。これを一気に駆け上ってジャンプすればぎりぎり届くはずだ。
壁際まで下がって走り出した瞬間、空気を切り裂くような音がして部室の壁に光が走った。
光は丸い円を描き、その部分だけが繰り抜かれたように外側に倒れた。
突然、外に繋がる穴が開いたのだ。

「なにこれ……ニャ太郎がやったの?」
「僕にこんな力ないよ。多分、あの人じゃないかな。」

だからそのあの人って誰っ?
すごく気にはなるが、今はそんなことを聞いている時間はない。
穴の向こうから騒がしい声が聞こえてきた。
どうやらプレハブ小屋の異常に気付いた人達が集まってきているようだった。
急いで助けを呼びに行こうとしたらニャ太郎に止められた。

「人が来たらいろいろと事情を聞かれる。自分で呼ぶから、紬ちゃんは行って。」
でも……とためらう私に、ニャ太郎は満面の笑顔で言葉を続けた。


「僕はもう大丈夫。真人さんのことが心配なんでしょ?早く行ってあげて。」


額に大量の脂汗が滲んでいるのに大丈夫なんかじゃない。それでも平気そうに振る舞い、私を後押ししてくれるニャ太郎の優しさに胸の奥がジワッと熱くなった。

「ほら早く行って。真人さんの体は僕にどんと任せてよ!」
「分かった。あとでいっぱいナデナデしてあげるね。」

頑張れ~というニャ太郎の声援を背に、真人の元へと向かった。




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