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追加項目の破棄
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「お母さん~早くしないと遅刻するわよぉ」
狭い洗面台で化粧をしているリカに景子が声を掛けた。
「分かってるわよっ。それより景子、あなたもそろそろ何か仕事を見つけて頂戴よ。お父さんの入院費が高くて大変なんだから」
高野敦司は心労が重なり心筋梗塞を起こして入院していた。和菓子屋は倒産し家屋は没収され、狭いアパートからリカは働きに出ていた。
「働け、働けってうるさいわね。私に会う仕事を選んでるんだから口出ししないで!」
大学在学中に芸能界入りした景子は一般的な仕事の経験がない。自分の家が経営する和菓子屋の手伝いも全て沙耶に押し付けていたから、その経験すら持ち合わせていなかった。
おまけにプライドが高い景子は事務職なんてカッコ悪い、接客なんて相手に媚びへつらう仕事はまっぴらだと何かにつけて文句を言って仕事に就こうとしなかった。
女優時代に稼いだお金はもう底を付きつつあるというのに・・。
TVのワイドショーが京都に新しくオープンした高級ホテルの特集をしていた。客室の様子、レストランのお勧めメニュー、最上階のバーからの展望。そして五瀬馨がインタビューに答える映像が流れた。
『このロビーに描かれている絵は奥様のお父様がお書きになったものだそうですね?』
『ええ、そうです。描かれている女性は妻の母がモデルになっています』
その後、沙耶とヴェルドーネの奇跡的な再会のストーリーがドラマチックに語られた。
「これ・・沙耶の事?」景子は唖然として画面を凝視している。
「確かに・・この絵の人物は麻里子だわ。沙耶の父親は殺人犯じゃなかったの?」
「そうよ・・そのはず、よ」
だがワイドショーが嘘の報道をするはずがない。景子が慌ててスマホで検索して出てきたヴェルドーネの写真も目元が沙耶とそっくりだ。
国際的にも有名なイタリア人画家のひとり娘、夫は国内有数の大企業のイケメン社長。世田谷の家は重要文化財にしてされている由緒ある建物で・・。
母親が仕事に出かけた後、一人になった景子はまだ続いているワイドショーが映る画面に手にしていたマグカップを思い切り投げつけた。マグカップは派手な音を立てて割れ、中身が画面にぶちまけられた。
「どうして・・どうして沙耶なんかがこんな・・」
立ち上がり割れたマグカップをじっと見つめていると景子は少し冷静になってきた。
「いいえ、沙耶自身が優れている訳じゃないわ。ただラッキーだっただけよ。私より先に五瀬馨と出会い、たまたま父親が有名な画家だっただけ。沙耶には何の取り柄も無いわ。それに引き換え私には女優としての才能があるわ」
ひとつだけ残った自尊心の欠片にしがみつくように景子は呟いた。
_____________
「沙耶、そんなに急がなくても約束の時間までまだ15分もあるぞ」
「そうなんですけど、久しぶりに結花ちゃんに会えると思うと嬉しくて」
ウィーン・ミッテ駅からほど近いカフェに向かう沙耶の足はいつの間にか早歩きになっていた。
待ち合わせのカフェには10分前に着いたにも関わらず、結花はもう先に着いて沙耶と馨を待っていた。
「沙耶さん、兄さん!」
「結花ちゃん、元気だった?」
「半年ぶりだな、結花」
結花はパティシエになる為にウィーンの大学に通っていた。大学に通う傍ら、ウィーンでも有名なパティシエの元でアルバイトをしながら修行しているのだ。
「私はどうにかこうにかドイツ語で生活出来るようになってきたよ。沙耶さんはどう? 仕事忙しいんでしょ」
「この間大きな映画が1本終わった所だからひと息ついてるの」
「少し休んだ方がいい。仕事が入るとまともに顔も合わせられなくなるんだから・・」
沙耶は時代劇の大作映画でヘアメイクを担当し、それがベルリン国際映画祭で芸術貢献賞を受賞したのだ。ヘアメイクが当映画賞で芸術貢献賞を受賞したのは初めての快挙だった。
それからの沙耶は国内外あちこちから引っ張りだこで忙しい日々を送っていた。
「まだまだ新婚気分の兄さんには辛いわねぇ」結花はわざとらしく肩をすくめて見せた。
「そうだぞ、この間のドラマの仕事の時だって・・」(おや、素直に認めるんだ)
「はい、このザッハトルテとっても美味しいですよ」そう言いながら沙耶はザッハトルテをフォークに取って馨の口に押し込んだ。
「んぐ・・モグモグモグ・・」馨は話の続きを封じられてしまった。だが今度は馨が自分の皿のバウムクーヘンを切り分けて沙耶に食べさせた。「どうだ? 本場のバウムクーヘンはさすがに美味いよな」
「はい。ほんとに美味しいわ!」
フォークを握ったままで二人は微笑み合っている。
(プププ、兄さん相変わらずデレデレしてるのね!)
「そろそろ休憩時間が終わるから私は行くね、バイトが終わったらご飯食べに行こうよ。もちろん兄さんのおごりで!」
結花は思い出したように付け加えた。「ウィーンの後はイタリアへ行くんだっけ?」
「ああ、ヴェルドーネさんの家に滞在する予定だ」
「いいなぁ、今度は行くときは私も連れて行ってよね」
結花は元気よく席を立ってアルバイト先へ戻って行った。
カフェを出た二人は手を繋ぎながらウィーンの街をぶらついた。
「さっきの話、本当に少しゆっくりした方がいい」
「そうですね。でも仕事が楽しくって・・」
「俺と一緒にいるより?」
「同じくらい?」
馨は大袈裟に傷付いた振りをした。「それはショックだな。当然俺といる方が・・」
「じょ、冗談です。馨さんと一緒にいる方が・・楽しいし、大切な時間です」沙耶は慌てて言い直したが馨が笑っているのを見て安堵した。
「分かってる。ちょっと君の仕事に嫉妬しただけだ。それより契約は破棄したんだから、あの項目も無効だな」
「あの項目?」
「ああ、そろそろ欲しいなと思ってるんだが」
沙耶は首を傾げた。契約結婚が無くなって・・馨さんが欲しい物って何かしら?
「契約書に追加した項目があっただろ? 『子供は作らない事』って」
「あっ!」
ほんのり赤く染まった沙耶の頬に馨は優しく口づけた。
秋晴れのウィーンの雑踏を二人は歩いていく。固く手を握り合ったまま・・。
おわり。
狭い洗面台で化粧をしているリカに景子が声を掛けた。
「分かってるわよっ。それより景子、あなたもそろそろ何か仕事を見つけて頂戴よ。お父さんの入院費が高くて大変なんだから」
高野敦司は心労が重なり心筋梗塞を起こして入院していた。和菓子屋は倒産し家屋は没収され、狭いアパートからリカは働きに出ていた。
「働け、働けってうるさいわね。私に会う仕事を選んでるんだから口出ししないで!」
大学在学中に芸能界入りした景子は一般的な仕事の経験がない。自分の家が経営する和菓子屋の手伝いも全て沙耶に押し付けていたから、その経験すら持ち合わせていなかった。
おまけにプライドが高い景子は事務職なんてカッコ悪い、接客なんて相手に媚びへつらう仕事はまっぴらだと何かにつけて文句を言って仕事に就こうとしなかった。
女優時代に稼いだお金はもう底を付きつつあるというのに・・。
TVのワイドショーが京都に新しくオープンした高級ホテルの特集をしていた。客室の様子、レストランのお勧めメニュー、最上階のバーからの展望。そして五瀬馨がインタビューに答える映像が流れた。
『このロビーに描かれている絵は奥様のお父様がお書きになったものだそうですね?』
『ええ、そうです。描かれている女性は妻の母がモデルになっています』
その後、沙耶とヴェルドーネの奇跡的な再会のストーリーがドラマチックに語られた。
「これ・・沙耶の事?」景子は唖然として画面を凝視している。
「確かに・・この絵の人物は麻里子だわ。沙耶の父親は殺人犯じゃなかったの?」
「そうよ・・そのはず、よ」
だがワイドショーが嘘の報道をするはずがない。景子が慌ててスマホで検索して出てきたヴェルドーネの写真も目元が沙耶とそっくりだ。
国際的にも有名なイタリア人画家のひとり娘、夫は国内有数の大企業のイケメン社長。世田谷の家は重要文化財にしてされている由緒ある建物で・・。
母親が仕事に出かけた後、一人になった景子はまだ続いているワイドショーが映る画面に手にしていたマグカップを思い切り投げつけた。マグカップは派手な音を立てて割れ、中身が画面にぶちまけられた。
「どうして・・どうして沙耶なんかがこんな・・」
立ち上がり割れたマグカップをじっと見つめていると景子は少し冷静になってきた。
「いいえ、沙耶自身が優れている訳じゃないわ。ただラッキーだっただけよ。私より先に五瀬馨と出会い、たまたま父親が有名な画家だっただけ。沙耶には何の取り柄も無いわ。それに引き換え私には女優としての才能があるわ」
ひとつだけ残った自尊心の欠片にしがみつくように景子は呟いた。
_____________
「沙耶、そんなに急がなくても約束の時間までまだ15分もあるぞ」
「そうなんですけど、久しぶりに結花ちゃんに会えると思うと嬉しくて」
ウィーン・ミッテ駅からほど近いカフェに向かう沙耶の足はいつの間にか早歩きになっていた。
待ち合わせのカフェには10分前に着いたにも関わらず、結花はもう先に着いて沙耶と馨を待っていた。
「沙耶さん、兄さん!」
「結花ちゃん、元気だった?」
「半年ぶりだな、結花」
結花はパティシエになる為にウィーンの大学に通っていた。大学に通う傍ら、ウィーンでも有名なパティシエの元でアルバイトをしながら修行しているのだ。
「私はどうにかこうにかドイツ語で生活出来るようになってきたよ。沙耶さんはどう? 仕事忙しいんでしょ」
「この間大きな映画が1本終わった所だからひと息ついてるの」
「少し休んだ方がいい。仕事が入るとまともに顔も合わせられなくなるんだから・・」
沙耶は時代劇の大作映画でヘアメイクを担当し、それがベルリン国際映画祭で芸術貢献賞を受賞したのだ。ヘアメイクが当映画賞で芸術貢献賞を受賞したのは初めての快挙だった。
それからの沙耶は国内外あちこちから引っ張りだこで忙しい日々を送っていた。
「まだまだ新婚気分の兄さんには辛いわねぇ」結花はわざとらしく肩をすくめて見せた。
「そうだぞ、この間のドラマの仕事の時だって・・」(おや、素直に認めるんだ)
「はい、このザッハトルテとっても美味しいですよ」そう言いながら沙耶はザッハトルテをフォークに取って馨の口に押し込んだ。
「んぐ・・モグモグモグ・・」馨は話の続きを封じられてしまった。だが今度は馨が自分の皿のバウムクーヘンを切り分けて沙耶に食べさせた。「どうだ? 本場のバウムクーヘンはさすがに美味いよな」
「はい。ほんとに美味しいわ!」
フォークを握ったままで二人は微笑み合っている。
(プププ、兄さん相変わらずデレデレしてるのね!)
「そろそろ休憩時間が終わるから私は行くね、バイトが終わったらご飯食べに行こうよ。もちろん兄さんのおごりで!」
結花は思い出したように付け加えた。「ウィーンの後はイタリアへ行くんだっけ?」
「ああ、ヴェルドーネさんの家に滞在する予定だ」
「いいなぁ、今度は行くときは私も連れて行ってよね」
結花は元気よく席を立ってアルバイト先へ戻って行った。
カフェを出た二人は手を繋ぎながらウィーンの街をぶらついた。
「さっきの話、本当に少しゆっくりした方がいい」
「そうですね。でも仕事が楽しくって・・」
「俺と一緒にいるより?」
「同じくらい?」
馨は大袈裟に傷付いた振りをした。「それはショックだな。当然俺といる方が・・」
「じょ、冗談です。馨さんと一緒にいる方が・・楽しいし、大切な時間です」沙耶は慌てて言い直したが馨が笑っているのを見て安堵した。
「分かってる。ちょっと君の仕事に嫉妬しただけだ。それより契約は破棄したんだから、あの項目も無効だな」
「あの項目?」
「ああ、そろそろ欲しいなと思ってるんだが」
沙耶は首を傾げた。契約結婚が無くなって・・馨さんが欲しい物って何かしら?
「契約書に追加した項目があっただろ? 『子供は作らない事』って」
「あっ!」
ほんのり赤く染まった沙耶の頬に馨は優しく口づけた。
秋晴れのウィーンの雑踏を二人は歩いていく。固く手を握り合ったまま・・。
おわり。
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