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第2話 僕の小さな野望

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 伯爵家の領地である海沿いの港町についた。首都からは馬車で五日ほど。馬なら三日で着く距離だ。
 僕は目いっぱいのわがままを言って、養生のためと言う名目でここにやってきた。首都にいたのではダメだ。実家のメイドたちは僕を太らせることしかしない。オマケに、僕のわがままヒステリーに脅えていてなんだか可哀想なのだ。

 で、だ。

 領地の屋敷に来たのはいいけれど、物凄い仏頂面で僕を見ている人物がいる。
 通称黒騎士と呼ばれている。この転生先のヒーローであるクロードだ。
 クロードは侯爵家の三男で、爵位の継承が見込めないから騎士学校を卒業して、騎士になった。もちろん由緒正しき侯爵家の子息であるから、王族に忠誠を誓っている。
 で、なんでそんな素晴らしき騎士様が、僕の目の前にいるのかと言うと、だ。

「クロード様、長旅でお疲れのところ申し訳ないのですが、二階にある僕の部屋に来ていただけません?」

 僕は目を合わせることも出来ないまま、クロードに移動を申し出た。こんな屋敷の使用人たちに見つめられる中では無理だ。

「お茶の支度だけして、部屋には控えてくれなくていい」

 僕はメイドにそう命じると、二階の僕の部屋へと向かった。とは言っても、僕はとにかく太っているので、一歩が遅い。しかも歩幅も狭い。階段を登るのも大変なことなのだ。
 僕がモタモタと階段を登るのを見て、メイドはゆっくりと動き出す。使用人たちが使う階段は裏にあるけれど、僕の動きの遅さから言っても僕が階段の中ほどに来てから動いても全然問題がないのだろう。

 僕は重たい体を何とか動かして、ようやく自分の部屋に着いた。入口でクロードが待っている。物凄い冷たい目線が痛い。
 僕が部屋に入るのに続いてクロードも入ってくる。騎士様として一応は僕に従ってくれている風にはしてくれるようだ。
 僕たちが部屋に入って、少し間を置いてメイドがお茶の支度を持ってやってきた。メイドがお茶をいれて、テーブルに置こうとするが、僕もクロードも立ったままだ。もちろん、騎士であるクロードは、王子の婚約者である僕が、立っている以上座れないし、指示がなければ立ったままなのだ。

「置いてくれればいい」

 僕がぶっきらぼうに言うと、メイドはお茶の入ったカップをテーブルに置き、一礼して部屋を後にした。
 扉がバタリと、閉じられる。
 僕とクロード二人きりになった。
 ようやく、僕は計画を実行することにする。王子の婚約者としての最大限のわがままを言い、王族に忠誠を誓っている騎士のクロードを借りたのだ。

「す、座って…ください」

 思わず声がうわずる。
 既に僕は緊張していた。
 一世一代のお願い事だ。
 これが受け入れられなかったら、もうどうにもならない。断罪されたくないし、家族に迷惑だってかけたくない。

「座る?」

 クロードの片眉がピクリと上がった。その動きは彼の不機嫌な気持ちが現れているようで怖かった。

「そ、そうです。座ってください」

「あなたが立っているのに、俺が座るのですか?」

 皮肉めいた言い方をされたけど、それは仕方がない。騎士であるクロードに座れという僕は立っているのだから。

「座ってください」

 僕はもう一度言った。
 しばらくクロードは動かなかったけど、観念したかのようにソファーに腰を下ろしてくれた。
 クロードが座って、ソファーが軽く揺れる。
 メイドがいれてくれたお茶は既に冷めているだろう。
 僕は大きく呼吸をして、クロードとの距離感を測る。前世の記憶で動く訳には行かない。今の自分は百キロはあるデブなのだ。セルフイメージで行動しては怪我をする。
 ソファーに座ったクロードが、じっと僕を見る。お茶を飲むつもりは無いようだ。
 僕は挑むようにクロードを見て、それから意を決して行動に移した。

「お願いします」

 僕は百キロの巨漢を揺らして、ドスンと言う音を立てて土下座をした。
 もう、クロードの顔は見えない。
 いや、見ちゃいけないんだ。

「お願いします。内緒にして欲しいんです」

 額を床に着けたまま口にする。
 はっきりいって、百キロの巨大な体で土下座はキツイ。お腹がつかえているというか、とにかく苦しいのだ。体勢が辛い。
 けれど、僕はとにかくクロードにお願いを受け入れて貰わないといけないのだ。
 クロードの反応が知りたい。けれど、顔を上げる訳には行かない。

「なんの、話だ」

 クロードの低い声が頭上から降りてくる。
 まるで絞り出すような、低い、低い声だ。

「お願いがあるんです」

 僕は額を床に着けたまま言葉を発する。正直、声を出すのがキツイ。お腹が圧迫されて声を出すのも一苦労だ。

「なんのつもりなんだ?何を企んでいる」

 クロードの声に、多少の苛立ちを感じる。
 分かる。僕はわがままな悪役令息だ。自分のためなら他人を平気で捨て駒のように扱う。王子の婚約者と言う肩書きは、貴族の中ではもはや最上位に当たるわけだ。侯爵も、公爵も目じゃない。何しろ未来の王妃の片道切符なのだから。

「お願いを、聞いていただけますか?」

 僕は顔をあげないまま言葉を続ける。

「顔を上げろ、俺は王家に忠誠を誓った騎士だ。いずれ王妃になるお前に頭を下げたまま話をされるのは良くない」

 クロードにそう言われて、僕はゆっくりと顔を上げた。随分と長いこと下を向いていたので、ゆっくりと動かないと貧血を起こしてしまう。

「お願いを、聞いて貰えますか?」

 僕は、もう一度ゆっくりと問うた。

「何を企んでいるんだ?」

 クロードの目が僕を咎めるように見る。
 その問いかけはあながち間違いではない。そう、僕は企んでいる。それは間違いない。

「このことを、黙っていて欲しいんです。王子に伝えないで欲しい。……もちろん、分かってます。あなたは王族に忠誠を誓っている。僕の土下座なんかより、そちらの方が重い。しかも、あなたは僕が、嫌いだ。僕の願いをきく理由もない」

 僕は、頑張ってクロードを見た。土下座の体勢からのこの角度はキツイ。手をしっかりと床につけておかないとバランスを崩して倒れてしまいそうだ。

「……そうだな」

 クロードの低い声が僕に刺さる。

「それでも、僕はあなたしか頼る人がいないんです。このお願いを聞いて貰えるなら、僕は王子の婚約者を辞退して、あなたの前から永遠に消える覚悟があります」

 僕がそう言うと、クロードの眉がピクリと動いた。

「どういう意味だ」

 僕は喉がなった。ついに本題を話す。

「まず、僕は来月から始まる学園に通うつもりはありません」

 クロードの表情は崩れなかった。ただ、その目力が増した気がする。

「学園を卒業して成人の資格をえる。そして社交界にデビューする。つまり、学園を卒業しなければ成人の資格が与えられない。僕が学園に通わなければ、卒業出来ない。そんな僕は王子の婚約者として相応しくないでしょう?」

「そんなことができるのか?」

 クロードが聞いてきた。

「現にいま、僕はここにいる。学園に通うための準備を何もしていない。養生のためとしているから、入学式の日が来ても、首都に戻らなければ入学は認められないはずです。体調不良で入学式を欠席しても、首都に在住していれば許される。けれど、僕はここにいる」

 クロードが僕を睨むように見ている。
 僕の言わんとしていることがわかったようだ。

「だが、いずれは首都に戻るだろう?」

 そう、養生が終わって首都に戻ればすぐに学園に通わされるに違いない。学園に通うことは貴族としての嗜みで、成人に必要な知識と社交性を育むのだ。

「戻りません。絶対に一年はここに留まるつもりです。学園に通うべき年に養生のためと首都を離れて、一年も姿を見せなければ、そんな婚約者は排除すべきと周りが口にするはず」

 僕の簡単な計画を口にした。
 まぁ、僕は男だから子どもを産むわけじゃないので病弱とかはマイナスに働かないんだけど、正妃として外交なんかに顔を出すには、病弱はマイナスに働くと思うんだよね。それに、僕のうち伯爵家だし、侯爵家当たりが王子の婚約者の立場を狙ってくると思うんだ。

「別に子ども産むわけでもなければ、病弱は理由にならないだろう。あくまでも家の繋がりを重視している婚約のはずだ」

「だったら、なんで、僕?伯爵家だよ?しかも、こんなデブ、性格も悪い。なんのメリットがあるって言うのさ」

 僕は思ったままを口にした。

「それは、俺も思うところがあるが…俺等には理解できないなにかがあるのだろう」

 クロードは唇を強く引き結んだ。
 クロードだって、僕が王子の婚約者であることを本当は理解なんてしていないのだ。

「でも、王子だって僕が婚約者であることを嫌っているよね?」

 僕がそう言うと、クロードの目が見開いた。

「なぜ、そう思う?」

「なぜ?だってそうでしょう?僕が階段から落ちて五日間も意識が戻らなかったのに、王子からはお見舞いもなくて、今回僕が領地に養生に行くと言っても見送りもしてくれないどころか…クロード、あなたに伝言のひとつもないのでしょう?」

 僕がそう言うと、クロードは目を閉じてゆっくりと深呼吸した。何を言うのか、なにか考えがあるのか。もしかすると、僕に内緒でなにか言われているのかもしれない。

「分かってる。あなたは王族に忠誠を誓っている。僕に内密になにか言われているのだとしたら、それは僕の土下座なんかより遥かに重い。けれど、王子から、僕に何も伝言を受けていないの事実でしょう?王子は婚約者である僕のことなんて、これっぽっちも気にかけていないんだよね。ただ、僕のわがまま聞いてあなたを貸してはくれたけど、それは婚約者である僕の身辺警護の為だけだ。いや、ある意味僕の監視の為なんでしょうね」

 僕がそう思いを話すと、クロード深いため息をついた。当たらずとも遠からず、なんだろうか?

「それで、俺にお願いというのは、お前が学園に通うつもりがないことと、王子の婚約者を辞退したい。このことを黙っていて欲しいということでいいのか?」

 クロードが話をまとめようとしている。
 めんどくさいんだろう。嫌っている僕の相手をするのが。

「はい。それと、もうひとつお願いがあります」

 これこそが本題だ。

「なんだ?」

 クロードは、いかにもめんどくさいと言う顔をした。

「僕に剣を教えてください。それと勉強。あなたは学園を首席で卒業したと聞いています。僕は一年はここに留まるつもりです。あなたに一年もここにいてくれとは言いません。基礎を教えて欲しい。せめて半年、3ヶ月でもいい」

 僕は再び額を床に擦り付けた。
 クロードの顔が見えないけれど、沈黙が続く。恐らく怖い顔をして考え込んでいるのだろう。王族に忠誠を誓っているのだから、王子の婚約者である僕が首都に帰らない。なんて決意表明は、立場的に宜しくないはずだ。たとえ個人的に僕のことを嫌っていたとしても。
 もしかすると、報告案件なのかも知れない。
 僕は額を床に着けたまま、クロードの返事を待った。
 沈黙が辛い。お腹も苦しい。

「わかった。指導してやろう。ただし、俺はお前に優しくするつもりは無い。それに、何かあればすぐに王家に報告する義務がある」

「ありがとうございます」

 僕は顔を上げた。勢いよくっていうのは無理だったけど、それでも割と早く顔は上げられたと思う。

「優しくなんてしないぞ」

 クロードが念を押す。

「分かってます。僕の土下座なんかより、王族への忠誠のほうが重いことぐらい。そして、あなたが僕のことを嫌っていることも」

 僕は真っ直ぐにクロードを見た。僕の本気を分かってもらうためには、目線をそらす訳にはいかない。人と目を合わせることは慣れていないけれど、こういう時は目線を合わせるべきだろう。

「なぜ、剣をならいたいんだ?」

 クロードが、質問をしてきた。

「僕、こんなに太っているでしょう?まずは痩せなくちゃいけないと思うのだけど、ただ痩せるんじゃなくて体も鍛えないといけないと思うんだよね。剣の扱いを全く知らないから、痩せながら剣術も覚えられたら一石二鳥かな、って」

 僕の極めて簡単な計画を口にすると、クロードは苦虫をかみ潰したような顔をした。うん、分かる。すっごい気楽に考えたんだもん。でも、この世界は剣はあるけど魔法はない。自分を守るためには剣が使えないとどうしようもないのだ。今は王子の婚約者と言う立場だけど、その肩書きが無くなったら自分の身は自分で守らなくちゃいけなくなる。多分だけど、前世の記憶を取り戻す前の僕の所業で、相当恨まれてると思うんだ。

「剣術よりも先に、体力作りになるかと思うが」

「分かってます。たとえそれだけであなたの教えが終わったとしても構いません」

「わかった。では、明日から指導してやろう」

「ありがとうございます」

 僕はもう一度頭を床につけると、ゆっくりと頭を上げて、クロードを見た。
 クロードは僕のことを不思議そうに見ていた。

「いい加減、ソファーに座ったらどうだ?」

 凄く当たり前のことを言われたんだけど、残念ながらそれは出来ない。なぜなら、長いこと正座をしていたせいで、僕の足は感覚がないのだ。何しろクッソ重たいのだ。痺れているなんて、優しい表現では無理なぐらいの状態だ。下手すりゃ壊死してしまうんじゃないかってぐらい、足首の色が悪い。
 僕は立ち上がれないので、体を横に転がした。本当にデブだ。白豚って言うよりトドかセイウチなんじゃないかってぐらいだ。
 僕が天井を向いて寝転んだのを見て、クロードはだいぶ驚いている。

「笑っちゃうでしょ?自力で立てないの僕。本当にデブでみっともない……なんで、王子はこんな僕と婚約を続けてるんだろう?」

 言いながら涙が溢れてきた。
 デブでわがままで、ヒステリー。伯爵家の次男程度のくせに王子の婚約者なんて、全くもってありえないことだ。

「だからね、きっと王子は学園に入ったら、素敵な人に出会うと思うんだ。僕なんかより綺麗で家柄も良くて、優しい人に出会うんだよ。そうしたらきっと、僕のことなんて完全に忘れるんだ。それこそ、僕の事が邪魔になって、婚約なんて破棄するんだよ。……だって、そうでしょう?僕がここに養生しに来てるのに、何も聞いてくれないんだよ?あなたに伝言のひとつも伝えてくれなくて……手紙のひとつも寄越してくれない。王子の周りの人たちも、僕の事が嫌いなんだよ。普通なら形式的にだけでも婚約者である僕のことを心配しているふりをするはずなのに…それさえもない」

 僕は自分で言って、自分で傷ついた。

 惨めだ。

 婚約者に心配されないどころか、その周りの侍従たちからさえも何もして貰えない婚約者。家の繋がりを考えた婚約だとももはや思えない。
「そんなに悲観しなくてもいいじゃないか」
 いつの間にかにクロードが僕のそばにいた。
 醜く泣きじゃくる僕の顔を覗き込んでいる。

「ありがとう。あなたのその優しさが王族に対する忠誠故のものだとしても、今の僕には必要だと思う」

 僕はゆっくりと体を動かして、ソファーの肘掛けに捕まり立ち上がった。クロードが、手をかそうとしてくれたけど、僕は何とか自力で立ち上がれた。

「食事はね、ここは港町だから、美味しい魚が食べられる。肉を食べるより魚の方が体にいいって聞いてるんだよね」

 僕がそう言うと、クロードは黙って頷いてくれた。僕は完全に冷えきったお茶を飲み干すと、ようやくソファーに座った。

「僕の指導をして下さるんですよね?」

 僕は改めてクロードに聞いた。

「ああ、してやる」

 クロードが頷いた。笑ってくれはしなかったけれど、眉間にシワは寄っていなかった。
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