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33.ただそれだけで幸せな事も

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「ホットココアでいいかな?」

 ゆっくりと列が動いていくので、鼻にずっと漂っていた甘い香りがどうにも魅力的だった。退社間際に真也に言われたことが引っかかっているわけではないが、何となく先回りして聞いてしまった。

「はい」

 義隆が不思議そうな顔をしてキッチンカーの中を見ている。その目はイルミネーションの明かりが反射しているだけではなく、キラキラと輝いていた。

「Lサイズを一つ」

 貴文はなぜかココアを一つしか注文しなかった。義隆は一瞬不思議そうな顔をしたけれど、貴文が手慣れた感じでやり取りをしているのを黙ってみていた。

「熱いから気を付けてね」

 少し歩いてから貴文が義隆の手にカップを渡してきた。

「はい。でも、俺だけ?」

 じんわりと手のひらに温かさが伝わってくる。カップの口が小さくて、そこから立ち上る湯気が甘くなんとも言えなかった。

「うん。小さいカップだとすぐ冷めちゃうし、二人でカップを持ったら危ないでしょ?」

 貴文はそう言って義隆の隣に立った。育ちの良いアルファである義隆は、やはり歩きながら飲み物を口にするという芸当が苦手なようだった。ついでに言えば温かなココアだ。ついうっかりで火傷何てされては大問題だ。

「甘い」

 ようやく一口飲んだ義隆はほんわりとした顔をした。

「ココアって冬の飲み物だよね」

 貴文はそう言って義隆が持ったままのカップをそのまま自分の方に傾けた。義隆の手の上に貴文の手が重なる。カップの中で傾き流れるココアの温度がそのまま貴文の中へと流れ込んでいく。それを義隆は黙ってみていた。なぜなら貴文があまりにも自然に行ったからだ。そして、貴文の喉が上下した時、義隆の喉も同時に鳴った。

(喉ぼとけが、ない)

 そこにあるべきはずである、男性の象徴でもあるものがなかった。中学の授業で第二次成長と第二次性については習うものである。まれに小さい人もいるだろうけれど、貴文の喉には何の凹凸も見受けられなかった。ココアを飲み込んだ時、確かに喉が上下したが、それはあくまで皮膚であり筋肉の動きであり、その奥になにか物体は見当たらなかった。

「あれ?駄目だった?男同士だから大丈夫だと思ったんだけど」

 固まってしまった義隆に、貴文が驚いて声をかけた。実際、義隆は驚いてはいたのだけど、理由はそんなことではなかった。だから、貴文の言っていることに対して少しだけ反応が遅れてしまったのだ。

「……あ、いえ、大丈夫、です。男、同士、ですから」

 なんとか呟いた言葉が無事に義隆の耳に届いたかはわからないが、周りにはそうやって一つの食べ物や飲み物を共有しあっている人たちが結構いた。

「よかった。もしかして買い食いって、初めてかな?」

 にこにこ笑いながら言われたので、義隆はいささかむっとしたが、相手は10以上も年の離れた大人である。しかも平凡なベータ家庭の男だ。名家のアルファである義隆が、浮世離れしていると思っているのだろう。

「ええ、初めてです。ですから、責任取ってくださいね」

 ふざけたように義隆が言えば、貴文も笑いながら答えた。

「よしわかった。責任取っちゃおう。次はあれを食べよう」

 貴文はそう言って駅前広場の一番はじに停められたキッチンカーを指さした。

「は、はい」

 義隆の手をぐいぐいと引っ張る貴文は楽しそうに笑っていて、そしてやはり年上らしく頼もしく見えるのだった。
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