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29.秘書の懐旧

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 思い返せば、一之瀬義隆という主人は、よくしつけられたドーベルマンのような子どもだった。無駄に泣きわめくことはなく、自分が周囲にどのように見られているのかをよく理解していた。
 だから、周囲の子どもがどんなに騒いでいても一人静かにしていたし、そんな場合自分がどのように行動をすれば正解なのかよく理解していた。
 だからと言って自己主張が全く無いわけでもなかった。欲しいと思ったものは静かに手に入れるし、邪魔だと思ったものは周囲の大人を利用して綺麗に排除していた。
 田中が義隆の自己主張に気がついたきっかけは、ある朝の登校の時の事だった。いつも通り田中は義隆を後部座席に座らせ、シートベルトをしめた。そうしていつもの通学路を走っていると、不意に義隆が口を開いたのだ。

「田中、あの子たちは何故靴の種類がバラバラなんだ?」

 赤信号で停車している車の前を、手を挙げて近隣の小学校に登校する子どもたちが歩いていく。いつもの事だから、田中は気にも止めてはいなかった。

「ああ、靴ですか。それはこの辺りの小学校では制服の指定がないからですよ」

 なんてことの無い事だと田中がこたえると、義隆はだいぶ驚いたらしい。

「でも、みんな似たようなデザインの靴を履いているみたいだ」

 バックミラー越しに義隆の顔を見れば、スっと目を細めて歩道を歩く義隆と歳の近い子どもたちの足元に目線が行っているのがわかった。信号を気にしながら子どもたちの足元を見れば、随分とカラフルな靴を履いているのが分かった。

「男の子は好きなものが似通っていますからね。友だち同士で色違いにしているのかもしれませんね」

 走り出してしまったことで、靴のデザインが何なのか確認出来なかったため、田中は当たり障りのない答えを口にした。それで納得したのかどうかは分からないが、義隆はそれきり黙ってしまったのだった。
 義隆を送り、戻ってからドライブレコーダーに映し出された登校中の子どもたちの足元を確認した。義隆の身の安全のため、通学路におかしな人物が居ないかをチェックするのは田中の大切な業務だ。
 黄色い旗を持つ警備員、それから手を挙げて渡る子どもたち。いつも通りの光景なので、普段ならスルーしておくところではあるが、今日は画像を拡大して念入りにチェックを入れる。そうして田中は子どもたちが履いている靴が何なのか知ることが出来た。そうして急いで義隆の部屋を確認すれば、確かに答えはそこにあった。

「やはり男の子は好きなんですねぇ」

 義隆の子どもらしい一面を知り、田中は静かに笑ったのだった。
 そうしてその週末、義隆が部屋で静かに本を読んでいると、部屋のドアが突然開いた。ノックもなしに義隆の部屋に入ってくるのは一人しかいない。

「美幸、ドアを開ける前にノックをするよういつも教えているだろう?」

 義隆は本を閉じ、椅子から降りて妹の美幸の元へ向かった。まるでワンルームのような造りの子ども部屋であるから、まだ小学校低学年の義隆にとってはだいぶ広い自室だった。

「お父様とお母様が一緒にお出かけしてくださるんですって」

 弾んだ妹の声に義隆の動きがピタリと止まった。


 父親の運転する車で出かけたのは多分幼稚園の入園式の日だった。と義隆は記憶している。小学校の入学式は、父親が挨拶をする都合で一緒には行かなかった。そう考えると随分と久しぶりである。だが、それが名家一之瀬家に生まれた者にとっての普通である。特に母親はオメガであるから、そう滅多には外出などしない。
 着いたのは一之瀬家が管理するショピングモールであった。専用の入口から中に入り、視察ということで前後をショッピングモールの責任者と警備に囲まれている。それでも、父親と母親は手を繋いでいるし、妹は母親と手を繋いでいる。母親と妹はオメガであるから、必然的に義隆は妹と手を繋いだ。家族四人が手を繋いで横に並べは、もう誰もその横を歩くことなど出来なかった。
 吹き抜けの反対側の通路には、大勢の人たちが歩いていた。つまり、一之瀬家が来たことによりショッピングモールの通路は大渋滞が起きてしまったのだ。しかしながら、文句を言う人はおらず、それどころか拝んでいる人がいる程だった。

「いらっしゃいませ」

 そんな声が聞こえて、義隆がそちらを見れば、そこは靴屋であった。しかも子ども靴の専門店らしい。子どもの目線に合わせて設置された棚には、人気のキャラクターものからブランド物まで、多岐にわたった靴が並べられていた。

「あっ」

 そう叫んで美幸が義隆の手を振りほどいて走り出した。慌てて止めようと思ったが、母親が楽しそうにそのあとをついていくのを見て、義隆は立ち止った。妹の美幸が駆け寄ったのは毎日見ているアニメのキャラクターの靴だった。しかし、美幸の通う幼稚園も制服があって靴まで指定されていたはずだ。

(いつ履くつもりなんだ?)

 義隆がそう思った時、

「おうちにいるときに履けるわね」

 母親がそんなことを口にした。驚いて顔を上げれば、父親と目が合った。

「義隆、お前も選びなさい」

 言われて心が跳ねたが、決して顔には出さない。

(黄色い新幹線の靴だ)

 静かに歩み寄った棚には、ピカピカに光る靴が並んでいた。あの日見た小学生たちが履いていたものだ。色違い、いや車両違いで現行の新幹線のデザインがすべて揃っていた。義隆の胸が静かに高鳴った。

「サイズはお判りですか?」

 驚いて横を見れば、床に膝をついた店員がいた。子どもの目線に合わせた接客なのだろう。見れば美幸にも同じように接客をしている店員がいた。

「サイズ?」

 突然の質問に義隆は戸惑った。普段はいている靴にサイズ何て書いてあっただろうか?

「それでは測ってみましょう」

 店員は子どもサイズの椅子を持ってきて義隆に座るように促した。

「じゃあ、靴を脱いでこれの上に両足をのせてくださぁい」

 カラフルな色合いの板の上に両足を乗せると、踵を合わせるように言われ、そうすると店員が義隆の足を見て言った。

「左足が軸足なのかな?右より少し大きいみたいですね」

 そう言って店員は一つの箱を取り出して義隆の前で開いて見せた。

(黄色い新幹線のやつだ)

 義隆の喉が鳴った。

「合わせてみましょう」

 義隆の両足に黄色い新幹線の靴がはめられた。店員がマジックテープを止めて義隆を見た。

「きつくはないですかぁ?少し歩いてみてくださぁい」

 言われて義隆は一歩踏み出した。

「うん」

 右が少し緩い気がしたので自分でマジックテープを止めなおしてみる。今度はいい感じで歩くことができた。

「うわぁ、お兄様のかっこいい」

 美幸に褒められ悪い気はしなかった。

「いかがですかぁ?」

 店員が姿見を見せてきた。そこにはシンプルな外出着を着た義隆が写っていて、足にはピカピカに光る靴があった。

「これからの季節に良さそうな色ね」
「うん、似合っているぞ義隆」

 父親と母親に褒められて義隆の頬が紅潮した。

「はい。ありがとうございます」

 その後店員が丁寧に包もうとしたが、美幸が駄々をこねてその場で履いてしまった。それを黙って義隆が見つめていると、店員が口を開いた。

「おぼっちゃまもお履きになりますかぁ」

 言われた途端、義隆は思わず目をそらした。

「はい、こちらをどうぞ。今はいている靴、紙袋に入れてますね」

 その一連の流れが当たり前すぎて、義隆は素直に受け入れた。もちろん、履いていた靴の入った紙袋は田中が受け取っていた。

(自分で持つ。なんて言われなくてよかった)

 田中は密かに安堵しつつ、仲睦まじい家族の後ろをそっと歩いたのであった。
 後日、黄色い新幹線の靴の箱は、義隆の宝箱の宝箱になったのであった。
 
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