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第二幕 道化王子の三文芝居
小さな婚約者
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なにも取り柄のない自分に唯一誇れるものがあるなら、それは素晴らしい婚約者がいること。
そして、その素晴らしい婚約者のたったひとつの欠点は、自分という婚約相手がいることだ。
ドロシー・ドロフォノス侯爵令嬢と初めて顔を合わせた日のことを、クロッドは昨日のように思い出せる。
場所は、婚約者との顔合わせとは思えないくらい、テキトーに用意された談話室。
小さなドロシーは毛皮の襟巻に埋もれるようにして、こちらを見上げていた。くりくりとした緑色の目が物珍しげに瞬いて、クロッドは子猫みたいだと思った。
できるだけ怖がらせないよう床に膝をついて目線を合わせる。無表情なのは緊張しているからだろう。それでも彼女は堂々たる態度でちょこんと淑女の礼をしてみせた。あまりの可愛らしさに感動したが、頭を撫でたり、飴をあげたりしたいのを我慢して、紳士的に「これからよろしく」とだけ挨拶した。
「いや、でも犯罪じゃないかなあ。私と並んでる絵面が完全に歩行者専用マークなんだよね。青い標識でダスク街道によく立ってるやつ。十二歳で婚約するのはあまりにも早すぎない?ねえ聞いてる?ルナール」
「聞いてるよ。兄上がちっちゃな女の子を押し付けられたって話でしょ」
「いや、どっちかというと女の子がでっかい男を押し付けられたんだと思う」
「まあいいじゃん。そのうち釣り合いがとれるよ。父上と母上なんて一回り以上差があるんだし」
「そこなんだよなあ……」
十二歳はルナールと同い年。ふつうならルナールの婚約者になるべきだろう。
だって、父王と義母は、ずっと前からルナールを王太子に望んでいる。幼いルナールが「王様になりたい」と言った時から、ずっとそのつもりなのだ。
なのに、何故自分の婚約者?しかも王命?
ドロフォノスは国でも類を見ない古い一族であり、代々宮中で役職を持たない、労働とは無縁の完全なる上級貴族だ。国内・国外に四十四ある所領地からの地代で莫大な資産を有し、当代のデザストロ・ドロフォノスになってからは、新規事業の融資にも乗り出して、もはや王国を裏から支配しているといっても過言ではない大富豪。ドロシーはその一人娘だ。
そんな超重要なお嬢さんが、何故ルナールではなく自分の婚約者?怪しくない?
「でもさ、ドロフォノスってちょっとヤバいって聞かない?」
おっと、聞き捨てならないセリフだ。
「ヤバいって、なにが?」
「え、知らないの。ドロフォノス家ってそこらへんの貴族が束になっても叶わないくらいお金持ちだけど裏で悪いコトでもしてるんじゃないかって噂だよ。『目的のためなら手段を選ばない人でなし』『希代の悪徳領主ドロフォノス』。競合相手はみんな消えちゃうんだってさ」
「……誰から聞いたの?」
「みんな言ってるよ。兄上は友達いないから知らないかもしれないけど」
「一言余計なんだけど」
「他にもいろんな噂があるよ。ドロフォノスの屋敷にはひとつも肖像画がないとか、建国以前の古地図にドロフォノスの家紋そっくりのマークが描かれてるとか。で、その理由はドロフォノス家って、実はずーっと生きてて、ずーっと外見が変わらないからじゃないかって。それを利用してお金持ちになったんじゃないかって」
「へえ」
「だから、ドロフォノスに対価を渡して祈れば、至上の栄華が約束されるんだって」
「へ、へえ……」
クロッドの頬が引きつる。
なんだか異教徒の信じる邪神みたい。
――それほど怖そうな雰囲気でもなかったけどなあ。ドロフォノス侯はお優しそうな方だったし、ドロシーはとてもいい子だった。
顔合わせのときのことを思い出し、クロッドは首をひねる。
ルナールの話はもちろん根も葉もない冗談だとして、あまりにも影響力の強い古い一族だから、伝説や陰謀論めいた噂が湧くのも仕方ないのかもしれない。侯爵たちが社交に力を入れておらず、表に出てくることが少ないのもミステリアスな印象に一役買っているのだろう。
一方で、ちょっぴり納得もした。
父もまた、世間ほどではないにしろドロフォノスを恐れているのだろう。でも、あわよくば王家の縁戚に取り込みたい。だけど、大事なルナールは関わらせたくない。ちょうどよく適齢期のクロッドがいるから、向こうに声をかけて婚約だけさせてもらった、というところだろうか。よくそんな勝手な言い分を許してくれたもんだ。
「ねえ、そんなことより翻訳手伝ってよ。いちいち辞書ひくの面倒なんだから」
ぶつぶつ言うルナールの課題を手伝いながら、それきりドロフォノスの怖い噂は忘れることにしたし、ドロシーとの婚約は継続されることとなった。
婚約に、否とは言わなかった。拒否権などないからだ。
クロッドは、ただ周りの目があるので食事と寝床を与えられているだけの存在。ルナールが成人して王太子を叙任できるようになるまでの弾除けというか、囮というか、安っぽい疑似餌みたいなもの。
それでも、義母は王位継承権をクロッドが持っているだけで気に入らないようで、「お前さえいなければ」というような嫌味をたびたび言ってくる。こうしてルナールの課題を手伝ってるし、囮にもなってるんだから、少しは役に立ってると思うけどな。もちろん、そんなこと口には出さない。いつもの縫い針に代わって、パンやスープに何を混ぜられるか分かったものじゃないから。
とにかく弟が王太子になったら、自分は用無し。
その事実は、クロッドにとって窮屈ながら不足のない生活のおしまいであり、唯一の希望でもあった。
そして、その素晴らしい婚約者のたったひとつの欠点は、自分という婚約相手がいることだ。
ドロシー・ドロフォノス侯爵令嬢と初めて顔を合わせた日のことを、クロッドは昨日のように思い出せる。
場所は、婚約者との顔合わせとは思えないくらい、テキトーに用意された談話室。
小さなドロシーは毛皮の襟巻に埋もれるようにして、こちらを見上げていた。くりくりとした緑色の目が物珍しげに瞬いて、クロッドは子猫みたいだと思った。
できるだけ怖がらせないよう床に膝をついて目線を合わせる。無表情なのは緊張しているからだろう。それでも彼女は堂々たる態度でちょこんと淑女の礼をしてみせた。あまりの可愛らしさに感動したが、頭を撫でたり、飴をあげたりしたいのを我慢して、紳士的に「これからよろしく」とだけ挨拶した。
「いや、でも犯罪じゃないかなあ。私と並んでる絵面が完全に歩行者専用マークなんだよね。青い標識でダスク街道によく立ってるやつ。十二歳で婚約するのはあまりにも早すぎない?ねえ聞いてる?ルナール」
「聞いてるよ。兄上がちっちゃな女の子を押し付けられたって話でしょ」
「いや、どっちかというと女の子がでっかい男を押し付けられたんだと思う」
「まあいいじゃん。そのうち釣り合いがとれるよ。父上と母上なんて一回り以上差があるんだし」
「そこなんだよなあ……」
十二歳はルナールと同い年。ふつうならルナールの婚約者になるべきだろう。
だって、父王と義母は、ずっと前からルナールを王太子に望んでいる。幼いルナールが「王様になりたい」と言った時から、ずっとそのつもりなのだ。
なのに、何故自分の婚約者?しかも王命?
ドロフォノスは国でも類を見ない古い一族であり、代々宮中で役職を持たない、労働とは無縁の完全なる上級貴族だ。国内・国外に四十四ある所領地からの地代で莫大な資産を有し、当代のデザストロ・ドロフォノスになってからは、新規事業の融資にも乗り出して、もはや王国を裏から支配しているといっても過言ではない大富豪。ドロシーはその一人娘だ。
そんな超重要なお嬢さんが、何故ルナールではなく自分の婚約者?怪しくない?
「でもさ、ドロフォノスってちょっとヤバいって聞かない?」
おっと、聞き捨てならないセリフだ。
「ヤバいって、なにが?」
「え、知らないの。ドロフォノス家ってそこらへんの貴族が束になっても叶わないくらいお金持ちだけど裏で悪いコトでもしてるんじゃないかって噂だよ。『目的のためなら手段を選ばない人でなし』『希代の悪徳領主ドロフォノス』。競合相手はみんな消えちゃうんだってさ」
「……誰から聞いたの?」
「みんな言ってるよ。兄上は友達いないから知らないかもしれないけど」
「一言余計なんだけど」
「他にもいろんな噂があるよ。ドロフォノスの屋敷にはひとつも肖像画がないとか、建国以前の古地図にドロフォノスの家紋そっくりのマークが描かれてるとか。で、その理由はドロフォノス家って、実はずーっと生きてて、ずーっと外見が変わらないからじゃないかって。それを利用してお金持ちになったんじゃないかって」
「へえ」
「だから、ドロフォノスに対価を渡して祈れば、至上の栄華が約束されるんだって」
「へ、へえ……」
クロッドの頬が引きつる。
なんだか異教徒の信じる邪神みたい。
――それほど怖そうな雰囲気でもなかったけどなあ。ドロフォノス侯はお優しそうな方だったし、ドロシーはとてもいい子だった。
顔合わせのときのことを思い出し、クロッドは首をひねる。
ルナールの話はもちろん根も葉もない冗談だとして、あまりにも影響力の強い古い一族だから、伝説や陰謀論めいた噂が湧くのも仕方ないのかもしれない。侯爵たちが社交に力を入れておらず、表に出てくることが少ないのもミステリアスな印象に一役買っているのだろう。
一方で、ちょっぴり納得もした。
父もまた、世間ほどではないにしろドロフォノスを恐れているのだろう。でも、あわよくば王家の縁戚に取り込みたい。だけど、大事なルナールは関わらせたくない。ちょうどよく適齢期のクロッドがいるから、向こうに声をかけて婚約だけさせてもらった、というところだろうか。よくそんな勝手な言い分を許してくれたもんだ。
「ねえ、そんなことより翻訳手伝ってよ。いちいち辞書ひくの面倒なんだから」
ぶつぶつ言うルナールの課題を手伝いながら、それきりドロフォノスの怖い噂は忘れることにしたし、ドロシーとの婚約は継続されることとなった。
婚約に、否とは言わなかった。拒否権などないからだ。
クロッドは、ただ周りの目があるので食事と寝床を与えられているだけの存在。ルナールが成人して王太子を叙任できるようになるまでの弾除けというか、囮というか、安っぽい疑似餌みたいなもの。
それでも、義母は王位継承権をクロッドが持っているだけで気に入らないようで、「お前さえいなければ」というような嫌味をたびたび言ってくる。こうしてルナールの課題を手伝ってるし、囮にもなってるんだから、少しは役に立ってると思うけどな。もちろん、そんなこと口には出さない。いつもの縫い針に代わって、パンやスープに何を混ぜられるか分かったものじゃないから。
とにかく弟が王太子になったら、自分は用無し。
その事実は、クロッドにとって窮屈ながら不足のない生活のおしまいであり、唯一の希望でもあった。
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