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リリベル・ウェリタスの敗走

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(うーむ、落ち着かない……)

新しいお部屋は、どこにいても場違いな気がする。

前転が10回くらいできそうな広々した空間。なにもかもが高価そうでうかつにさわれず、足首まで沈む絨毯ではすでに2回転んでいる。乙女チックな調度類はすべて白で統一されているから、汚さないか心配だ。続きの部屋には天蓋付きのベッドが(わたしより堂々と)横たわり、顔を映すのが申し訳ないほど磨き上げられた鏡台や、壁一面のクローゼットも備えられている。

(本当にわたしなんかがこの部屋を使っていいのかな……でも、花輪がぜんぶ入ったのはよかった。ここなら壁に立てかけられるし、花輪があると逆に『自分の部屋だ!』って感じる)

わたしは、大きな窓の前に設置されたティーテーブルに腰掛け、テーブルクロスにこぼさないよう細心の注意をはらってお茶を飲んでいる。

テーブルの上には「腐るから食っちまえ」とアバリシアさんに引っ張り出された、例の誕生日ケーキやお菓子、サンドイッチの残りがどっさり。今日の夕飯は必要なさそうだ。

「うめェこれ!」「せめてフォーク使いなよ。猿だって木の棒くらい使えるよ」「なあ、お嬢さんも食ってみ!すげェうまい!」「ライラお嬢様、アバリシアが手づかみにしたやつじゃなくてコッチを食べてね」


こんこん


ノックの音で、わたしはまだ手を付けていないケーキから顔を上げた。

「お、誰か来たんじゃね」

「アバリシア出て」

「やだよ、めんどくせェ」

「……忘れてるかもしれないけど、今の君はメイドさんでしょ」

「わーったよ、すぐ追っ払ってやる」

「追っ払っちゃダメですよ!わ、わたし出ますね!」

扉を開けると、ふんわりと花の香りが流れ込んできた。

「こんばんは、おねえさま」

廊下の暗がりで、リリベルが微笑んでいた。「今すこしだけいいかしら?」
思わぬ来訪者に固まっていたわたしは、部屋のなかに彼女を招こうとあわてて身体をかたむける。

「も、もちろんいいよ。どうぞ入って」

リリベルは微笑んだまま、皮肉っぽく眉をひそめた。

「いやだ、もう女主人気取りなの?おねえさまって本当に単純ね。ここでけっこうよ、そんなに長居するつもりないから」

わたしが言葉を返す前に、「今日の舞踏技術のことなんだけど」とリリベルは切り出した。

「どうして授業にいらっしゃらなかったの?先生が心配されてたわ」

「あ、うん……ちょっと具合が悪くて」

真意を探るように「あらそう」と目を細めるリリベル。

「先生に伝言を頼まれたの。授業を勝手に休んだ代わりに『今夜の週末舞踏会には必ず出席するように』ですって。パートナーがいるダンススタイルに早く慣れてほしいのね、きっと。夏の社交シーズンまで時間もないから」

「え!?今夜なんて、そんな急には」

「なあに、また言い訳?おねえさまがズル休みしたのがいけないんでしょう?とにかく伝えた以上は絶対に出席してもらうから。あと3時間もあるんだから用意できるでしょ。ウェリタス侯爵家の名に恥じないようにお願いね」

言いたいことだけ言ってリリベルは踵を返す。一歩踏み出す前にクスリと笑った。

「ああ、ごめんなさい。3時間じゃ足りないかしら。だって、おねえさまには部屋付きの使用人がいな――」「ピーチクパーチクうるせェな」

リリベルは宙づりになっていた。

首根っこを掴んだアバリシアさんが、うさんくさそうにリリベルを眺める。一瞬あっけにとられていたリリベルは、自分の状況に気付くと猛然と暴れ始めた。

「な!なんなのあなた!離しなさい!わたくしを誰だと思ってるの!!」

「コイツ窓から外に放り出していいか」

「アバリシアさん!一回床に降ろしてください!わたしの妹なんです!」

「おねえさま!なんなのこの品のない女は!」

「リリベル、暴れたらあぶないよ!この人はわたしの侍女なの」

「侍女!!??」声が完全に裏返っている。「おねえさまに!!??」

ポイッと廊下に降ろされたリリベルは、顔を真っ赤にしながらアバリシアさんを睨む。「アァ?」と、アバリシアさんは泣く子がよけい泣きそうなガンをつける。リリベルは負けまいと睨み返していたがアバリシアさんに舌打ちされると、さりげなく目を逸らした。

「悪かったな、ヒンがなくてよォ。今度からは、ヒンがあるアンタを参考にさせてもらうぜ。夜中に人の部屋の前で、発情期のネコみてェに騒げばいいんだよなァ」

「はあ!?なんですって!?」

「……アバリシア、『目があう人みんなにケンカを売るな』ってボアさんに言われてるでしょ」

呆れた様子でホロウくんも顔を出した。

「な、え?その子もおねえさまの部屋付きなの?」

「リリベル・ウェリタス侯爵令嬢様だよね?こんばんは!ボクはライラお嬢様のためだけに派遣されてきた執事だよ!これからヨロシクね!」

リリベルは、陶器製のお人形みたいなキュルルンホロウくんに釘付けだ。

「な、なによ。ちゃんとした使用人も雇ってるのね。でも、おねえさまには必要ないんじゃない?会食とか観劇とか他の方と予定もないんだし。よかったら、わたくしが」

「えーやだあ」

ホロウくんはクスクス笑った。

「リリベル様の部屋付きはごめんだな。下心アリアリって感じでボクこわーい」

「な」

「男に自分の下着とか手洗いさせるタイプでしょ。やだよ、そんな女主人」

わたしはあわててアバリシアさんとホロウくんを背後に隠した。

「ごめんなさい、リリベル!あの、さっきのはちょっとした冗談で」

「じ、じ、冗談ですって!!?こ、こんな、使用人風情が、このわたくしに!!」

頭に血が昇りすぎて言葉が出てこないのか、リリベルはぱくぱくと口を動かすだけ。ダメ押しのようにホロウくんが悲鳴をあげた。

「だれかたすけてえー!襲われるうー!」

騒ぎを聞きつけて、他の部屋から何人か侍女が顔を出す。リリベルがそちらを睨むと、侍女たちは怯えたように引っ込んだ。普段の可憐さを知っている人なら相当驚いただろう。

「お、おねえさまッ!使用人のしつけくらいちゃんとしてちょうだい!伝言はしましたからね!約束を破ったらお母様に言いつけてやる!」

キッとまなじりを吊り上げたリリベルは、悔しさのにじむ声でそう吐き捨てると、足音も荒く帰っていった。
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