続く三代の手仕事に込めた饅頭の味

第18話

　心平は株式会社獅子屋本社社長室に約束の十九時に向かった。昭和時代に創業し、天皇家に和菓子を献上して以降、皇室御用達の製菓業となった。これまで、「桔平」同様に約五十年の歴史を持つが三代目代表取締役社長となった水島寅之助の代になった。

　特に羊羹の製造販売で知られ、「ししやの羊羹」として広くその名を知られている。東京や大阪の老舗店の集まりであるのれん会の会員であるほか、伝統企業の国際組織であるエノキアン協会（本部・パリ）にも加盟している。

　日本国外でも事業を展開しており、一九八〇年（昭和五五年）にはパリ（パリ一区・サントノーレ通り界隈）、一九九三年（平成五年）にはニューヨーク（マンハッタン）に出店している。ただし、後者は二〇〇四年（平成十六年）五月を持って閉店した。

　二〇一五年（平成二十七年）十月七日、本社ビル建て替えのために獅子屋並びに獅子屋菓寮の広島本店を閉店することを発表。閉店に際して初代社長の水島光博からの挨拶状が公式サイトにて披露されている。新しい本社ビルは安藤博の設計、広島建設の施工により、二〇一八年（平成三十年）完成、十月にリニューアルオープンした。当初の十階建て案から五階建に縮小され、二〇二〇年に日本建設業連合会主催の第六十一回BAS賞の一つに選ばれている。

　　※

　本社一階のエントランスに入ると、すでに美紀子が待っていた。

「心平、来てくれたのね？」美紀子。

「当たり前じゃろ、われの親父の鬼軍曹から呼ばれたとありゃあ、一応は来にゃあ悪いけぇな。何言うてもわれより親父の方が話も分かるし、われと付き合うとる時はわしの味方をしてくれんさっている人じゃったけぇな。ところで何の用なんじゃ？」と心平。

「それはパパから聞いてよ」と美紀子。

　トントントン

「おー、入れ！」と寅之助。

「お久しぶりです」と心平。

「悪かったな。呼び出して」と寅之助。

「こりゃさえん物じゃが」と心平。

「そがいな気ぃ使わんでも。店の方を休業しとるそうじゃのぉ？」と寅之助。

「はい、リニューアルオープンをしよう思いまして」と心平。

「何を企んどるんだ？」と寅之助。

「大した事ではありませんので、社長にお話しすることではないですから」と笑いながら言った心平だった。

「実は他でもないんじゃが、このバカ娘があれほど、わしが反対したにも関わらず、心平のことを振って駆け落ちして、今度はその男と離婚して帰って来たなぁ、知っとるよな？」と寅之助。

「はい。昨日、本人から聞いた」と心平。

「どがぁじゃ。もっぺん、美紀子と付き合うてみんか？　うちゃ心平、われの事が好きじゃけぇな」と寅之助。

「ありがとうございます。しかし社長、それだけは勘弁してつかぁさい」と心平。

「なんでだ？」

「新たな挑戦をしよう思うとる矢先じゃし、美紀子さんの気持ちもどうなのかわからんし、うちのような貧乏男にゃあ、もったいないけぇ」と濁して言った心平だった。

「美紀子本人はお前と縒りを戻したい言いよるのだが、どがぁじゃ、考えてくれんか？」と寅之助。

「うちゃもう、美紀子さんのこたぁ忘れとるけぇ、勘弁してつかぁさい」と心平。

「もしかして、あの麗奈さんって言ったあの子と婚約でもしているの？」と美紀子が口を挟んできた。

「ええや。そがいな話まではなっとらんけど、彼女はそのつもりのようじゃ。彼女は頭脳明晰じゃし様々なことに長けとる子じゃけぇ、うちのような男にゃあもったいない思うとって、その内に素敵な人が現れる思うとるけぇ、今は好きにさせとる」と心平。

「じゃったら、美紀子のことを考えてもらえんか？」と寅之助。

「うちのような者では美紀子さんにそぐわんけぇ社長、ご再考をお願いいたします」と心平。

「そっか、そこまで言うなら仕方ないな。実はこの美紀子とのことを飲んでくれんさったら、桔平の前の店を撤退させちゃろうか思うとったんじゃが、仕方ないな」と寅之助。

「はい、今まで通りで結構でがんす」と心平。

「分かった。ほいじゃあ桔平の店の向いからうちの店までの二軒を買うことにして飲食店と甘味処も併設しよう思うとるんじゃ」と寅之助。

「そりゃ素晴らしい思う。あの界隈は夜になると電灯も少のう暗いけぇ、社長の会社でそがいなことをして頂けると、近隣のお宅も安心じゃ思うけぇ」と心平。

「そこまでわれが言うなら仕方ないな」と寅之助。

「ほいじゃあうちゃ失礼いたします」と心平と言って、また美紀子に送ってもらって一階エントランスまで行く途中で彼女が「よほど、私のことを嫌っているのね？」と言った。

「別に嫌うてはないけど、われが再婚の相手はわしじゃないように思うたけぇさ」と心平。

「そうだよね」と美紀子が言って、その後「心平、さようなら」と言った。

「さいなら」と心平も言って別れた。

　つづく