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第34話 蟲使いの刻印④ さっそく虫を操って

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 ――刺青が落ち着くまで、二週間かかった。
 あの刻印士のニドゥイの渡してくれた軟膏は、悔しいことだがよく効いた。変な匂いがするので俺はちょっと萎えていたが、背に腹は代えられないので何度も軟膏を頼った。

(じっくり見たらやっぱり刻印が入ってるって分かってしまうな。けどまあ、割としっかり見ないと気づかないし、いいかなぁ)

 刺青を入れるときに一つ躊躇していたのは、この刺青のせいで公共浴場に入れなくなるんじゃないかということであった。
 幸い、琥珀を砕いて皮膚にしみこませたこの刻印は、よくあるような刺青とは違って本当に目立たなかった。肌の色と比べると多少濃いものの、ぱっと見た印象では誤魔化せそうである。この仕上がりを想定して刻印を仕上げたのであれば、あのニドゥイとかいうエルフは相当の腕前であろう。

主殿あるじどの、体調は大丈夫か?」
「ゾーヤか。大丈夫だ、心配ない」

 しばらく刺青を眺めていると、ゾーヤが心配そうに刺青の部分(というよりは傷跡と表現した方が適切かもしれない)をのぞき込んできた。
 実はあの後、傷が化膿してちょっと熱を出してしまったのだ。現代っ子の俺には処置が荒かったのかもしれない。幸い微熱だったので歩くことはできたものの、ゾーヤにはとても迷惑をかけてしまった。

「痛んだりかゆみが出たりはしてないよ。それに、変な汁も出てこなくなったし大丈夫」
「そうか……でも無理はしないでほしい。主殿あるじどの主殿あるじどのなのだから、私たちをこき使ってあとはゆっくりしてくれて構わないのだぞ」
「そうかなあ」

 現代の感覚からすると、にわかには受け入れがたい価値観だが、向こうの世界イルミンスールの常識ではそういうものらしい。奴隷は使いつぶしてもいい、というわけだ。野蛮な考えのようにも思うが、それが常識なのだと言われてしまった。

 むしろ俺の接し方は破格同然なのだという。美味しいごはんも柔らかい寝床も用意している他、毎日お風呂を提供して、さらに妙な暖房器具(仮想通貨のマイニングリグ)まで使わせてあげるなんて、やり過ぎらしい。
 失敗した召使いに鞭を打ったりしないのだから優しすぎる、なんて言われてしまったが、かといってうちの子たちに鞭をびしばし打ちたいわけではないので、そう言われても困る。

「そんなことよりさ、見てくれよ。早速効果があったみたいだ」
「?」

 俺は話の矛先を変えた。
 指さす先には、アリが群がっている。

 そう、アリである。

「……まさかとは思うが、これは」
「そのまさかさ」

 俺はゾーヤに作ってもらった首飾りを見せながら説明を続けた。
 アリの閉じ込められた琥珀、それを嵌める木彫りの枠、そして細い革細工。
 この首飾りは、虫を操るために用意した道具である。

 ――蟲使いの術。

 まだまだ実験途中で分からないことも多いが、早速使ってみたところ、感触は非常に良かった。

「さっき虫に命令を出してみたんだけどさ、何でも自由自在に命令できるという訳じゃなさそうだ。あくまで本能や習性に反しない程度のことしか指示できないみたいだ」

 何度か試してみたが、魔力というやつの正体は結局分からずじまいである。
 とりあえず首飾りを触りながら強く念じることで、アリの群れを操ることができるということまでは確認できた。

 それも、複雑な命令はできない。
 出来ることは、あの場所に集まれ、この場所には入るな、という程度の大雑把なお願いのみ。
 指示内容も確実に叶えてくれるわけではなく、水の中に自ら入って自害しろ、というような内容は通らない。無視されてしまうというよりは、『水の近くまでは寄ってみたものの、水があることに気付いて諦める』といった感じであろうか。要するに、水の中に潜れというような本能や習性に反するような指示は、そもそもその概念を理解してもらえない、という感じであった。

 ちょっと面白かったのは、あの場所の周辺をぐるぐるまわれ、とか、これを運んで持ち帰れ、という程度の内容であれば、ぎりぎり指示が通ったことであろうか。

「だけどこれでも十分以上だよ。嫌な奴相手に、ハチやムカデをけしかけることが出来そうって分かっただけでも大きな収穫さ」

 冗談めかして俺はそんなことを言ってみた。
 もちろん本当にそんなことをするつもりはない。だがそういうこともいざとなったらできるんだ、ということを知っているだけでも気持ちは随分ましになる。

 よくいうあれである、『俺は筋トレをしっかりしているから、いざとなったら俺はお前をぶちのめせる』とか、『奴はああだこうだ言ってるが、俺には生ハムの原木が家にあるから関係ないね』とか、そういうのに近い考えである。
 果たしてゾーヤには理解してもらえただろうか。

 などと全然どうでもいいことを考えていたら。

「……驚いた、まさか主殿あるじどのが本当に蟲を操れるようになるとは」

 ゾーヤはさも意外そうに、独り言のようにそんなことをつぶやいていた。
 はっきり言って俺が虫を操れると信じてなかったかのような口ぶりである。自分の主人を信じていないとは失礼な奴である。

「なんだよ、俺のことを信じてなかったのかよ」
「いや……そういうわけではないが……。普通、魔術を習練しようとすれば、主殿あるじどのが考えるほど簡単にはいかないものなのだ」

 ゾーヤの口ぶりからすると、本来、こんなにあっさりと魔術を習得することはできないということだろうか。
 確かにそうかもしれない。
 こんな簡単に、誰でも虫を操ることができるようになったら、もっともっと世界は混乱してもおかしくない。

「まあ、言うほど簡単じゃなかったけどね」
「う……むぅ……」
「家が何軒も建つぐらいの琥珀を集めて、それをすり潰して何日も飲み干して身体に琥珀をなじませて、さらに虫入りの琥珀まで取り揃えて、そして大陸でも指折りの刻印士を見つけ出してその人に刺青を入れてもらって、そうしてようやくだもんなぁ」

 簡単と言えば簡単かもしれないが、誰でもできるわけではない。冷静に思い返せば、結構難しいことをやってのけた気がする。
 まず圧倒的な財力がなければ、琥珀集めの段階で、一生涯かけてもできないかもしれないのだから。

「それと、魔道具をたくさん装備しても頭が痛くなったり体調を崩したりしない頑丈な身体も必要かな? こうして考えてみると、俺が蟲使いになれたのってもの凄い幸運なことなのかもしれないな」
「……ああ、そうなる」

 やっぱり条件をあれこれ列挙してみると、一筋縄ではいかない難しいことのように思えてきた。
 俺はあっさりそれを乗り越えてきたが、どこかで躓いていてもおかしくはなかった。
 これは本当に、偶然の産物であろう。

「……やはり、主殿あるじどのは特別なお方だ。何が何でもお守りせねば」
「おいおい、何でさ」

 いよいよ深刻な口調でゾーヤがそんな大げさなことを言うものだから、俺は思わず笑ってしまった。
 だが、続くゾーヤの言葉でちょっとだけ考えを改めた。

「私は、十年はかかると思っていたのだ」
「……あー」

 そういうものなのだろうか。
 ファンタジーの世界って、そんなに魔術が難しいなんて知らなかった。

「……主殿あるじどのは、自身が思っている以上に自分が特殊だと自覚したほうがいい。繰り返しになるが、気を付けるのだ。もし主殿あるじどののことが知れ渡ったら、主殿あるじどのを好き放題に利用しようと企む良からぬ奴らがたくさん出てくるはずだ」

 ゾーヤはどこか悲しそうな顔で、そう忠告をしてくれた。
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