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#09 虚構の影絵
しおりを挟む──潜み隠れるもの。
去年より早く訪れた夏は長く居座り、昼の時間が短く成っても熱と湿気を街中に振り撒き続けて居る。但、彼らには余り関係も興味も無い事なのだろう。或いは、此の方が居心地が良いのかも知れない。今宵も亦、夜闇に潜み、現世を覗き込んで居る。
起伏に富んだ複雑な地形を通り抜ける簡単な方法は土を削り、橋を架け、平坦な直線の道にしてしまう事だろう。トンネルが良い例だろうか。地盤の強度や水脈、出口への接続等の関係上直線とまではいかないが、ある程度勾配も曲線も少なく、険しい周り道よりも楽に目的地へ向かえる。しかし、その建造は楽でもなければ安全でもない。時代を遡るのなら尚の事リスクの高い工事になる。結果、世間的に価値の低いと判断された者が大量に送り込まれ、危険な作業を杜撰な管理の元で行う事もあっただろう。事故が起き、死人が出てもそのまま壁に埋められた、等とにわかには信じられないような噂もある。完成後も外と中の光の違いで眼が眩んだり、只でさえ薄暗く限られた視界と道幅の所為で事故が起こったり、逃げ場を失う事もあっただろう。その所為か、トンネルにまつわる怪談話は掃いて捨てる程ある。曰く、壁に人型の染みが浮き出る。曰く、窓の内側やボンネットに地の手形が付く。曰く、聞こえるハズの無い雨音が聞こえる。曰く、急なエンスト、運転手の足を掴む手、血塗れの歩行者、低く響くうめき声。その薄闇を抜けた先にある架空の廃村。
そして、今。バックミラーに映る、一つ、また一つと消えていく照明は、僕を何処へ追いやろうとしているのだろう。
(了・トンネル)
霊は水場に溜まる。らしい。それなら、深い穴の底に溜まった霊達は、その水が干上がった時、何処へ行くのだろう。元より常世へは行けず、現世を彷徨うもの達だ。再び当ての無い旅に出るのか、それとも、それでもその場から受けずに留まり続けるのだろうか。
或る仮説として。
水と共に流れ着いたものが集まる場所があるとする。それは次々に水と共に流れ込むが、既に溜まっている水が蓋のような役割を果たして押さえこんでいる。何かの弾みで水が枯れたとしたら、延々と流れ込み圧力の高まった中身は一気に噴き上がる。それは一種の流れを形成し、次から次へと霊が通り抜ける道に成り得るのではないか。
「と、言うのは?」
怪談や妖怪、郷土学にやたら詳しい変わり者の女史は僅かに思案顔を作った後、一度長い前髪を横に流してからカップに口を付けた。
「ふむ。其れが俗に言う井戸神を粗末にした結果だ、と?」
「そんな高尚さはなさそうだけどな。」
女史は僅かにカップから口を離してそう言うと、にやりと口元を歪めた。
「卵が先か鶏が先か。」
言葉の意味を量りかねた俺は、恐らく間抜け面になっていたのだろう。女史はまた前髪を直しながらコーサーにカップを乗せた。
「まぁ、宿題と言った所だろうねぇ、何、時間は余る程有るのだ。今度は歴史や信仰を絡めて調べ、考察して見るが良い。悪い線では無いと思うよ。」
音も無く立ち上がる女史が眩しげに窓の外を見上げた。俺は何故か小石を落としても水音一つ立てない井戸の底を連想していた。
(了・井戸)
「お父さん、お姉さんが手、ふってる。」
ベランダから外を見ていた娘が言った。マンションの三階からは隣接している小さな広場が見える。けれど、それは昼間の話だ。すっかり夜の帳が下りた今し方は灯りも少なく、暗闇が広がっているだけだろう。多少訝しく思いながらベランダに出て娘の視線の先を追って見る。案の定、遠くの街灯と各々の部屋から漏れる光が微かに広場に散らばっているだけだった。
「どこだ?」
「あそこ。」
娘が小さな指を向けた先は広場の隅だった。確か大きなイチョウの木と、交通標識と、
「さ、そろそろ部屋に戻ろうか。そろそろお風呂の時間だよ。」
「はーい。」
屈託無く笑い部屋に戻って行く娘の背を追い、ガラス戸を閉めた。確かに、広場の隅には「お姉さん」と呼べるものがある。広場を見守るように佇む銅像だが、あれは手など上げていない。
(了・少女にだけ見えるもの)
すっかり夜の帳は降りていた。足元には咲き乱れるヒガンバナ。昼の熱と湿気を残したまま緩く流れる風に舞うように、青白い塊が浮かんでいる。ふと、風が向きを変えたのか、その塊達は何かを中心に周り始めた。大きな白い帽子。空には妙に青く見える月が浮かんでいて、そこから落ちて来る光と、青白い塊が帽子の下を照らしている。長い黒髪の後ろ姿。白いワンピースを風に揺らせながら、帽子を押さえながら空を見ていた。何も言えず立ちつくす俺を振り返り、口元に微かな笑みを浮かべて、言った。
──あなたは、だぁれ?
目を覚ますと未だ見慣れない天井があった。酷い寝汗は昨晩の深酒のせいか、それとも、と思いかけて止めた。布団を上げ、浴室へ向かう。それなりの築年数なのがそこらに見えるが、室内は綺麗にリフォームされていて、風呂トイレ別、駅も近く、大抵の物は近場で揃う。それで家賃は三万。仕事場も近く、薄給の俺には文句の良いようのない物件だが、一瞬だけ、瑕疵、という言葉が浮かんだ。振り払うように熱いシャワーを浴びる。汗はあっと言う間に流れて行ったが、心の隅、染みのようにこびりついた言葉までは流してくれなかった。
それから一週間程同じ夢を見続けた。赤い花、青い塊と月、そして、大きな白い帽子。そして、振り返った女性は微笑みながら同じ言葉をくり返す。そう言えば聞いた事がある。鏡に向かって毎日「お前は誰だ?」と問い掛け続けると精神に異常をきたすとか何とか。
あれから何日経ったか、今日も同じ夢の中、女性が問いかける。
──あなたは、だぁれ?
「俺は×××。」
殆ど反射的に零れた言葉は、その名前は、俺のものではなかった。赤い花がまるで道を開けるように左右に散った。青白い塊もすっと離れた。女性はそのままゆっくりと歩いて来る。月はいつの間にか雲に隠れていた。
──そう、あなたは、×××。
住民が失踪して一ヶ月程になると、部屋の家具や荷物は親族が引き取り、もぬけの殻となった。殆ど汚れや破損もなかったが、一応のリフォームが施され、次の入居人も決まった。
「今度は長続きしてくれれば良いんだがねぇ。」
何もなくなった空間をながめながら大家はため息混じりに呟いた。
(了・貴方の名前は?)
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