虚構の群青

笹森賢二

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#18 夜の獣

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    ──奇怪なるは人の常。


 普段コインランドリーは使わない。自宅の安アパートに洗濯機用の設置場所があるし、物もある。一々運ぶのも手間だと思っていたが、洗濯機が故障したのだから仕方がない。知人が安く直してくれる事になったが、その都合もあって時間がかかる。幸い誰が使ったのか分からない洗濯機は嫌だ、という潔癖は持っていない。数日分の洗濯物をバッグに詰め込んで近所のコインランドリーへ歩いた。広い駐車場もあるのだが、距離も近いし、秋口の宵の口、散歩するにも丁度良い。
 店内は洗濯機と乾燥機の音が響くだけで閑散としていた。近くにスーパーがあるからついでに晩飯の買い物、と言う人が多いのだろう。入口の右手側に乾燥まで一括でできる大型機がある。左手と正面には乾燥機、俺の目当てはその隣に並ぶ小型機だ。コインを入れながら考えてみる。洗剤を買って、柔軟剤を買って、水と電気代。頻度を工夫すればこっちの方が安いかもしれない。乾燥気に放り込んでしまえば干す手間も省ける。そんな事を考えながら入口付近の椅子に座る。見ると女性が一人スマホを操作していた。気が付かなかったな。長い黒髪が豊かな胸の辺りまで垂れている。節電の為かランドリー内の照明は弱く、女性の顔は妙に青白く見えた。それにしても考えなしだったな。洗濯に三十分、乾燥は二十分程度だろうが、この女性のように暇潰しの道具を何か持って来れば良かった。女性が立ちあがった。どうやら乾燥が済んだらしい。一度フタを開けて、首を傾げながらもう一度閉め、コインを入れた。乾いていなかったらしい。何気なく向けた視線の先、乾燥器の中では目と口が裂ける程開いた、人間らしき何かが回っていた。


 昼食の時に必ず水筒を渡される。同じ部活の後輩で、それなりに可愛いショートカットの子だ。
「先輩、好きな人って居ますか?」
 余り考えた事がない。勉強も部活も忙しくて、それどころでは無いと言ったところか。
「おかしいなぁ?」
 後輩は水筒の中を覗きこんだ。
「毎日ちゃんと血を入れて、先輩が好きになってくれるようにおまじないしてるのに。」
 俺は口に含んでしまった液体を飲むべきか吐き出すべきか悩んだ。


 困っていた。どう処理すべきか。何の解決策も思いつかないまま車を走らせていると小さな小屋と灯りが見えた。「精人所」。元のサイズで値段は変わるが、一キロから三十キロまで好みのサイズに粉砕して袋詰めしてくれるらしい。これだ。


 夜の高速を走っていた。次の料金所までのキロ数、ここから何県、制限速度。様々な看板がある。その中に不鮮明な物があった。少し速度を落としてみる。××まで後一キロ。判別できない。また同じような看板。××まで五百メートル。さらに速度を落として、見えた。地獄まで後十メートル。
 
 
 病院の大部屋の隅に掲示板を下げられている。安物の、青い枠に白地、マグネットが付くようになっている。今月の予定、献立、季節毎の行事等が書かれた紙が丸い磁石で貼られている。水性のペンで書く事もできるが、資料が上がって来る所為もあってか張り出される事の方が多い。デイケアや作業療法の文字を見るとここが精神科の病院だと実感させられる。だからと言って動物園のように大声が飛び交い、奇行者が多い訳でも無い。丸一日静かと言う事もないが、大概は平穏を保っている。清掃も空調も整っていて、居心地は悪くない。放蕩の末に幻視と苦痛を与えられた身分としては、上等も良いところだ。逆に自分なんかがここに居て良いのかと思ってしまう。責を負い、苦しんで死ぬべきだろうと思っていた。
これなら、未だ生きる目もあるのかも知れない。
 そう思っていた。
 あの「何か。」があの悪意ある予言をするまでは。
 或る朝、少し早く目を覚ました。トイレを済ませて、足音を殺して歩く。常夜灯に照らされた大部屋には誰も居なかった。何気なく掲示板を見ると妙な紙が貼られていた。薄い灰色の紙に黒文字、まるで読み易さ等考えていない様な紙に「明日の犠牲者は鈴木。」と書かれていた。性質の悪い悪戯だ。看護師に言う必要も無いか。引き剥がしてゴミ箱に放った。
 陽が昇った。朝食を摂り、作業療法とは名ばかりの麻雀大会。昼食。午後になって少し気になって確認したが、この階に居る三人の鈴木姓の連中は元気だった。矢張り悪戯だったのだろう。当人達に確認すると死ぬ方が難しい位の体調らしい。一応看護師に話して確認したが絶対とは言えないが、今直ぐ急変するような病気ではないそうだ。
 その夜、妙な物を見た。大きな蟻か、何か良く分からない黒い物体が目にも留まらぬ速さで駆け抜けて行った。それだけ、と言えばそれだけだ。翌朝の朝食にスズキの塩焼きが出たのも、誰に訊いてもこの階に鈴木姓は二人しか居なかったと言われた事も、何でもない話だろう。
 
 


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