虚構の幻影

笹森賢二

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#09 夜の葉

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   ──秋の日の。


 辺り一面暗闇と言う訳では無かった。足元は石畳、その隙間には草か苔か、或いは土か。明瞭ではないが、両脇に等間隔で並ぶ石灯篭、その中で燃える炎の僅かな明かりで分かる。けれど、それだけだった。石畳も石灯篭も延々と続いている。その向こうには闇があるだけだ。何か建物がある訳でも季節の樹木が見える訳でもない。只々、俺は石灯篭の間を伸びる石畳を歩くだけだ。
 理由は知らない。否、覚えていないのか。それとも思い出したくもないのか。考えるのも厭なのか。
 不意に石畳が途切れた。石灯篭も消えていた。代わりに先ほどよりも僅かばかり光が強い街灯が数本見えた。足元は土と草。少し歩くと樹木や古びた建物が見えてきた。目についたのは幹が絡みついているだけの藤棚。時期になればライトアップされるのだろう。少し離れた位置に消灯された照明器具がある。
 ため息を吐いた。暗い藤棚の下にはベンチがあった。灰皿もある。少し休もうと近づくと、一人、誰かが座っているのが見えた。
「あら、こんな時節に、珍しいお客様ですね。」
 薄い唇から鈴を鳴らすような声が零れた。白い着物には不釣り合いな鍔の大きな白い丸帽子を被っていた。薄闇の中でも分かる白く透ける肌と美しいだけの顔立ちは、恐らくこの世のものではないのだろう。
「どうぞ、お座り下さいな。お煙草もどうぞ。」
 言われるまま煙草に火を点しながらベンチに腰を下ろす。
「怪談話はお好きですか?」
 一瞬、ノイズのようなものが視界を覆った。広がる煙がそれをかき消す。その人はその煙の向こうでゆったりと喋り始めた。
(了・藤棚)


 結局趣味にしかならなかったけれど、今でも風景画を描く。大層なものではない。散歩がてら、適当な場所と風景画見つかったら適当に詰めてきた画材で描く。鉛筆でもクロッキーでも、ボールペンだって良い。描ければ何でも良いのだ。着色は、したりしなかったり、そのまま押入れの段ボールにしまい込まれる事も多い。描いている。それだけで充分だった。今日は公園の楓を描く事にした。ボールペンで良いか。バッグから取り出したスケッチブックに描きつけていく。それだけでいい気分転換になるし、何より楽しかった。
 数日後、私のスケッチブックを手にした娘が塗り絵に使って良いか訊いてきた。好きに塗って良いと答えると、娘は嬉しそうに絵具を広げ始めた。なんでも授業で初めて使ったばかりらしい。娘は数時間足らずで見事に塗り上げた。一しきり褒めてやって、娘が忘れた頃に燃やした。赤く塗られた葉の隙間に、血に塗れた人の手首が紛れ混んでいた。
(了・紅葉)


 仕事が忙しい時期だった。恋人とも上手くいっていない。金を貸した友人が音信不通になった。そんな悪いことが続いていた時だった。疲れているのだろう。歩行者用の信号機。赤いランプの中にいる人の形をしたそれが、おいで、おいでと手招きをしていた。
(了・招待)


 いつからか暗がりを避けるようになった。複雑な地形や形もできるだけ避ける。寝る時も全ての部屋の明かりは点けたまま、掛け布団も使わない。恐怖症だとか、妙な趣味だとか、まじないの類ではない。俺と奴の境界線をはっきりさせておきたいのだ。俺の影が周囲の闇に溶け込むほど、その境界が曖昧になる程、その声は鮮明になって行く。
「なぁ、早く変わって呉れよ。」
(了・影)


 原稿用紙に珈琲を零して仕舞った。直ぐに近くにあった布切れで拭き取った。何気ない午後だ。開け放した窓の向こうからは子供達の声と、少し歪んだようなチャイムの音が聞こえる。何も無い筈だ。其れでも、俺は原稿用紙に残った染みから目を離せずに居た。まるで吊るされた人間の様な形の其れが、今の自分に似合って居るように思えて仕舞ったからだ。
(了・染み)


 いつからか僕は二つの世界を見るようになった。一つは右目に映る、そこにある当たり前の触れられる世界。もう一つは、左目、特に前髪がかかった時、何かに遮られた時、その隙間の向こうに見える、触れられない世界。赤く輝く瞳の狛犬、古びた椅子の上で少しずつ崩れて行く白骨。屋上から落ちて行く赤い服の人。右目には映らないから左目を閉じてしまえば見えなくなる。いつからだったか、なぜそんなものが見えるのか、僕にも分からない。今ではすっかり慣れてしまったが、一つだけ不思議な事がある。時折ふわりと現れる、触れる事の出来ない、それでも右目にも映る青い服の少女は誰だろう?
(了・二つの世界,青い服の少女)


「さて、お時間のようですね。」
 石灯籠の炎は青く変わっていた。少し、気になる事があった。
「私ですか? さて?」
 白い着物がすっと立ち上がって歩いて行く。その先には幾つかの大きな石があった。そいつはその一つに座り、僅かに俯いた。
「此のどれが一つの下に、私の身体が埋まって居るんです。」
 そう言って顔を上げ、真っ直ぐに俺をみたその目は、この世のものではなかった。形は同じだ。まぶたも眼球も瞳孔もある。けれど、この世のものではない。そう思わせる何かがあった。
「冗談ですよ。さぁ、お帰りはあちらです。未だ貴方が来る時ではありません。」
 まるで月光に染められたような、青く染まった石畳を行く。

 目が覚めた。首には先を手すりに結んだタオルが巻かれている。座ったままでも死ねると聞いていたが、どうやら失敗だったらしい。諦めてタオルを解く。苦笑した。もう何度目だ。立ち上がって洗面所へ向かう。夜明けが近いらしく、薄暗い洗面所で顔を洗った。タオルで拭って顔を上げれば疲れ果てた男の顔と、その背後に立つ白い着物の女の姿を映す鏡があった。
(了・夜の葉)


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