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第3幕
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二人の暗殺者が現場に辿り着いたとき、既に貿易商は血溜まりのなかで息絶えていた。
辺りには血の匂いが充満している。強烈な死の主張だった。
「あーあ。取られちゃった」
弩を携えた娘が、溜め息混じりにボヤいて肩を落とした。
栗毛を後ろでひとつに束ね、耳には赤いイヤリング。吊り上がった瞳は溌剌としている。愛嬌のある娘だった。
「てゆうかさー、あんたいつの間に来てたの?」
弩の娘が、黒髪の娘に向かって問いかけた。
「はい、かあさ……」
「ちょっと」
黒髪の娘が言い終わる前に、黒い服を着た女が横から割って入ってきた。傭兵を急襲したもう一人の襲撃者で、こちらも栗毛のしなやかな女だった。
「手を出すなって言わなかったかしら!」
激しい剣幕で、黒髪の娘の胸倉を掴み上げる。
「シンシアねえさ……」
そのまま近くの壁に背中を叩きつけた。なかなかの膂力だ。
黒髪の娘は、堪らず咳きこんだ。
「今日は、私たちだけで殺ると言ったはずよ」
黒い服の女の顔は、怒りで真っ赤に上気していた。返り血も相まって、まさに悪鬼のような形相である。
「母様に命じられたんです……シンシア姉様」
黒髪の娘が、息苦しそうな声で弁明した。
「……母様に?」
「はい。二人の後詰めをするように、と」
「ちッ」
黒い服の女シンシアは、ばつが悪そうに、黒髪の娘を解放した。
「あちゃー、やっぱり母様にはバレてたか」
弩の娘が肩を竦める。
「フン。あんたなんかの手を借りなくても、こんな奴、私たちだけで掃除できてたわよ」
そう嘯くと、シンシアは足元に転がる貿易商の骸を足蹴にして、爪先で踏みにじった。
「でも、もし衛兵所にでも逃げ込まれたら厄介なことになると思って……」
「私がそんな失敗するって言うの!?」
「……ごめんなさい。余計なことをしてしまいました」
黒髪の娘が謝罪するが、シンシアはそんな彼女をなおも睨みつける。その目には、殺意さえ浮かんでいる。
「まあいいじゃん、お姉ちゃん。結果良ければ何とやらってやつでさ」
弩の娘が、他人事のように軽く言い放った。それが癇に触ったのか、シンシアの怒りの矛先が今度はそちらに転換するのである。
「だいたい、あんたがちゃんと狙わないから、こんなことになったんでしょう。判ってるの、デイジア!」
「仕方ないじゃん。てゆうか、簡単に言わないでよ。これだって結構難しいんだからね」
弩の娘デイジアが、右手に持った得物を見せながら不満げに口を尖らせる。
「練習不足なだけでしょ。言い訳しないで」
「そういうお姉ちゃんだって、傭兵なんかに手こずってたじゃん。あんなん無視して、さっさとこいつ殺っちゃえば良かったのに」
「目撃者を生かしておける訳ないでしょう!」
「もー、わかったから、そんなに喚かないでよ。あっ、それよりさ」
デイジアはニヤリと笑うと、周囲に散らばった金貨をせっせと集めだした。
「これ、貰っちゃっていいよね」
「やめなさい、そんな汚らわしいもの」
「別に汚れてないし。金貨だよ、金貨」
「そういう意味で言ったんじゃないわよ!」
すると二人のやりとりを見ていた黒髪の娘が、遠慮がちに声をかけてきた。
「シンシア姉様も、デイジア姉様も、ちょっと騒ぎすぎじゃ……」
『あぁン?』
二人に、鬼の形相で睨まれた。
「……ごめんなさい」
「その子の言う通りよ。二人とも」
不意に暗闇から静かな声が響いた。
『!』
シンシアとデイジアが、反射的にその場で直立する。
まるで暗闇から生まれるように、年嵩の女が姿を見せた。
歳の頃は四十代後半。栗色の髪を後ろで丸くまとめ、黒を基調にした質素な服を身に着けている。
一見、市井の主婦然としているが、顔には鋭利な刃のような気配が漂っていた。
女は足元の骸を一瞥すると、次いでシンシアとデイジアを順に睨みつけた。
「掃除を終えたなら、すぐに現場を離れなさいと教えたはずですよ。わたくしの結界にも限度があるのですからね」
「それは……」
シンシアが代表して言い訳を試みる。だが再び女に睨まれると、蛇に睨まれた蛙のように身を竦ませた。
「さ、さーて、もう帰ろっかナー」
デイジアが棒読みで言ってから、そそくさと背を向け立ち去ろうとする。
「お待ちなさい」
その背に女の言葉が突き刺さる。
「ナ、ナンデゴザイマショウカ……」
「御者はどうしました?」
「あ……」
「わたくしの催眠は、すでに効果が切れているはずです。まさか逃がしたのですか?」
「こ、こっちを掃除するのが先かなって思って……」
「先程、目撃者がどうのと言っていた気がするのですが。わたくしの聞き違いだったのでしょうか」
「それは……」
返す言葉もなく項垂れるシンシアとデイジア。
「もう、お姉ちゃんが余計なこと言うから」
「うるさい」
「……もう結構です」
二人のやりとりに、女は呆れて溜め息を吐きながら、
「御者はあなたが始末してきて下さい、レラ」
大人しく脇に控えていた、黒髪の娘に命じた。
「私が、ですか?」
「そうです」
「判りました」
シンシアが舌打ちする。不満が顔にありありと浮かんでいた。
「それでは、わたくしたちは戻りましょう」
女は再び貿易商の骸を一瞥すると、短く呪詛の言葉を吐いて、きびすを返した。
「…………」
「どうかしましたか、レラ?」
「いえ、何でもありません、母様」
「では行きなさい。くれぐれも速やかにお願いしますよ」
「はい」
黒髪の娘に念を押すと、女は来たときと同じように静かな足取りで路地裏に消えた。
「ああっ、待ってください、母様」
慌ててシンシアが付き従う。去り際に黒髪の娘を横目で睨み、舌打ちを残して。
「じゃ、後はよろしく。あー、お腹空いた。何か食べる物あったっけ」
ちゃっかり数枚の金貨を拾い集めたデイジアが、お気楽な調子で、その後に続いた。
全てを見届けた後、黒髪の娘……レラもまた身を翻して闇に溶けた。
辺りには血の匂いが充満している。強烈な死の主張だった。
「あーあ。取られちゃった」
弩を携えた娘が、溜め息混じりにボヤいて肩を落とした。
栗毛を後ろでひとつに束ね、耳には赤いイヤリング。吊り上がった瞳は溌剌としている。愛嬌のある娘だった。
「てゆうかさー、あんたいつの間に来てたの?」
弩の娘が、黒髪の娘に向かって問いかけた。
「はい、かあさ……」
「ちょっと」
黒髪の娘が言い終わる前に、黒い服を着た女が横から割って入ってきた。傭兵を急襲したもう一人の襲撃者で、こちらも栗毛のしなやかな女だった。
「手を出すなって言わなかったかしら!」
激しい剣幕で、黒髪の娘の胸倉を掴み上げる。
「シンシアねえさ……」
そのまま近くの壁に背中を叩きつけた。なかなかの膂力だ。
黒髪の娘は、堪らず咳きこんだ。
「今日は、私たちだけで殺ると言ったはずよ」
黒い服の女の顔は、怒りで真っ赤に上気していた。返り血も相まって、まさに悪鬼のような形相である。
「母様に命じられたんです……シンシア姉様」
黒髪の娘が、息苦しそうな声で弁明した。
「……母様に?」
「はい。二人の後詰めをするように、と」
「ちッ」
黒い服の女シンシアは、ばつが悪そうに、黒髪の娘を解放した。
「あちゃー、やっぱり母様にはバレてたか」
弩の娘が肩を竦める。
「フン。あんたなんかの手を借りなくても、こんな奴、私たちだけで掃除できてたわよ」
そう嘯くと、シンシアは足元に転がる貿易商の骸を足蹴にして、爪先で踏みにじった。
「でも、もし衛兵所にでも逃げ込まれたら厄介なことになると思って……」
「私がそんな失敗するって言うの!?」
「……ごめんなさい。余計なことをしてしまいました」
黒髪の娘が謝罪するが、シンシアはそんな彼女をなおも睨みつける。その目には、殺意さえ浮かんでいる。
「まあいいじゃん、お姉ちゃん。結果良ければ何とやらってやつでさ」
弩の娘が、他人事のように軽く言い放った。それが癇に触ったのか、シンシアの怒りの矛先が今度はそちらに転換するのである。
「だいたい、あんたがちゃんと狙わないから、こんなことになったんでしょう。判ってるの、デイジア!」
「仕方ないじゃん。てゆうか、簡単に言わないでよ。これだって結構難しいんだからね」
弩の娘デイジアが、右手に持った得物を見せながら不満げに口を尖らせる。
「練習不足なだけでしょ。言い訳しないで」
「そういうお姉ちゃんだって、傭兵なんかに手こずってたじゃん。あんなん無視して、さっさとこいつ殺っちゃえば良かったのに」
「目撃者を生かしておける訳ないでしょう!」
「もー、わかったから、そんなに喚かないでよ。あっ、それよりさ」
デイジアはニヤリと笑うと、周囲に散らばった金貨をせっせと集めだした。
「これ、貰っちゃっていいよね」
「やめなさい、そんな汚らわしいもの」
「別に汚れてないし。金貨だよ、金貨」
「そういう意味で言ったんじゃないわよ!」
すると二人のやりとりを見ていた黒髪の娘が、遠慮がちに声をかけてきた。
「シンシア姉様も、デイジア姉様も、ちょっと騒ぎすぎじゃ……」
『あぁン?』
二人に、鬼の形相で睨まれた。
「……ごめんなさい」
「その子の言う通りよ。二人とも」
不意に暗闇から静かな声が響いた。
『!』
シンシアとデイジアが、反射的にその場で直立する。
まるで暗闇から生まれるように、年嵩の女が姿を見せた。
歳の頃は四十代後半。栗色の髪を後ろで丸くまとめ、黒を基調にした質素な服を身に着けている。
一見、市井の主婦然としているが、顔には鋭利な刃のような気配が漂っていた。
女は足元の骸を一瞥すると、次いでシンシアとデイジアを順に睨みつけた。
「掃除を終えたなら、すぐに現場を離れなさいと教えたはずですよ。わたくしの結界にも限度があるのですからね」
「それは……」
シンシアが代表して言い訳を試みる。だが再び女に睨まれると、蛇に睨まれた蛙のように身を竦ませた。
「さ、さーて、もう帰ろっかナー」
デイジアが棒読みで言ってから、そそくさと背を向け立ち去ろうとする。
「お待ちなさい」
その背に女の言葉が突き刺さる。
「ナ、ナンデゴザイマショウカ……」
「御者はどうしました?」
「あ……」
「わたくしの催眠は、すでに効果が切れているはずです。まさか逃がしたのですか?」
「こ、こっちを掃除するのが先かなって思って……」
「先程、目撃者がどうのと言っていた気がするのですが。わたくしの聞き違いだったのでしょうか」
「それは……」
返す言葉もなく項垂れるシンシアとデイジア。
「もう、お姉ちゃんが余計なこと言うから」
「うるさい」
「……もう結構です」
二人のやりとりに、女は呆れて溜め息を吐きながら、
「御者はあなたが始末してきて下さい、レラ」
大人しく脇に控えていた、黒髪の娘に命じた。
「私が、ですか?」
「そうです」
「判りました」
シンシアが舌打ちする。不満が顔にありありと浮かんでいた。
「それでは、わたくしたちは戻りましょう」
女は再び貿易商の骸を一瞥すると、短く呪詛の言葉を吐いて、きびすを返した。
「…………」
「どうかしましたか、レラ?」
「いえ、何でもありません、母様」
「では行きなさい。くれぐれも速やかにお願いしますよ」
「はい」
黒髪の娘に念を押すと、女は来たときと同じように静かな足取りで路地裏に消えた。
「ああっ、待ってください、母様」
慌ててシンシアが付き従う。去り際に黒髪の娘を横目で睨み、舌打ちを残して。
「じゃ、後はよろしく。あー、お腹空いた。何か食べる物あったっけ」
ちゃっかり数枚の金貨を拾い集めたデイジアが、お気楽な調子で、その後に続いた。
全てを見届けた後、黒髪の娘……レラもまた身を翻して闇に溶けた。
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