イェルフと心臓

チゲン

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第三部 人間とイェルフ

5頁

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 一歩表へ出るなり、シュイは衆目しゅうもくまとになった。
 野良仕事をしていた男たち、井戸端会議にいそしむ女たち、駆けまわって遊んでいた子供たち……皆が手を止め、驚愕の眼差しでシュイを見つめている。
「おい、ありゃイェルフじゃねか」
「なんでイェルフがこの村にいるんじゃ」
「すげえ別嬪べっぴんだ」
「ばか、そうやってイェルフは人間をたぶらかすのさ」
 好奇の目を向ける者。
 ささやきあう者。
 禁忌きんきなものを見るように、顔をしかめる者。
 肌を刺すような視線。
 小さな村は、たちまち騒然となった。
 シュイは怒りと羞恥で、拳を震わせながら歩いていた。
 こうなることは判っていたはずだ。だが、いざ現実を突きつけられると、思った以上にショックが大きい。
「あたしは見せ物じゃない」
 悔しさを言葉に乗せて、目の前を歩くポロノシューの背中に投げつける。
 聞こえたのかどうか、彼は何の返事も寄越さない。
「人間なんて、やっぱり下等生物だ」
 この男の口車に、まんまと乗せられてしまった。情けない。
 ちなみに足の負傷は、包帯を巻き直してもらうと治まった。慎重に歩けば問題ない。
「先生、どういうことなんだい」
 一人の農夫が、おっかなびっくり、ポロノシューに声を掛けてきた。
「今日だけ俺の助手になった。よろしく頼む」
 野次馬たちから、再びどよめきが起こった。
 シュイは、鋭い眼差しを農夫に向けた。農夫が、悲鳴をあげて逃げだした。
 反感と拒絶。
 八方からシュイを突き刺す視線。
 怒りを通り越して、シュイはしだいに呆れてきた。
「なんて閉鎖的な人種なの」
「行くぞ」
「ちょっと……」
 ポロノシューは、何事もなかったように平然と歩きだした。
 群がる野次馬たちの間に、自然と道ができていった。
「覚えてなさいよ」
 そのまま衆目に晒されつつ、二人はある祖末な小屋に辿り着いた。小屋といっても、立派に人が住んでいる。
 この小屋に限らず、村の建物は、どれも風が吹けば飛んでしまいそうなほど貧相で粗末だった。
 村人の衣服も、破れやツギハギだらけで、男児など裸同前である。
 貧しい村なのだ。ポロノシューは、あれでも実は余裕のある方だった。そのことにもシュイは驚愕した。
 ポロノシューはその粗末な小屋の戸を叩くと、返事も聞かずに開けた。
 湿った木の匂いがした。水けが悪い。
 椅子に座って本を読んでいた少年が、来客に気付いて顔を上げた。今朝会ったばかりのヤナンだった。
 ヤナン少年が、ポロノシューの姿を見て嬉しそうに駆け寄ってくる。しかしシュイに気付くと、条件反射のように身を強張らせた。
「ふん……」
 シュイは忌々いまいましげにそっぽを向いた。
 奥の粗末なベッドに、若い女が横たわっている。こちらは来客に気付くと、「まあ」と驚きつつも満面の笑みを浮かべた。
「わざわざ来てくれたの?」
「起きなくていい。それより具合はどうだ、キローネ」
 ポロノシューも、上体を起こそうとする彼女を制しながら、ほのかな笑みを返した。
 こんな顔もするのだなと、シュイは意外に思った。
「あなたの薬のおかげで、だいぶ楽になったわ」
「良かった」
 微笑むキローネの視線が、イェルフ族の娘に向けられる。
「彼女は、イェルフ?」
「シュイだ」
 ポロノシューは、なおざりに紹介した。
 勝手に名を教えたこともさることながら、その態度の方がシュイのかんさわった。
 キローネがくすりと笑う。
「あなたに、こんなかわいらしい恋人がいるなんて、ちっとも知らなかったわ」
「違うぞ」
「違うから」
 二人が同時に声をあげる。そして顔を向けあい、同時に渋面じゅうめんを作る。
「こいつはただの助手だ」
「あたしは手伝ってやってるだけよ」
 またも互いの言葉が混ざりあって、何を言っているのか判らない。
 キローネが、おかしそうに笑った。
「何がおかしいんだ」
 ポロノシューは憮然ぶぜんとする。
「あれ……もしかして」
 その態度に、シュイはピンと来た。
「とにかく、今日は休んでいた方がいい」
 ひと通りの診察を終えると、ポロノシューは医者らしく、しかつめらしい顔で告げた。
「でも、畑仕事があるから……」
「手が空いている奴に、俺から頼んでおく。君は治すことだけを考えるんだ」
 なおも食い下がるキローネを、半ば強引に寝かせ、ポロノシューとシュイは退出した。
 ヤナンが外まで見送ってくれた。
 最後にシュイと目が合うと、さっと逃げるように家のなかに戻ってしまった。
「かわいくない奴」
 表では、まだ野次馬たちが二人の様子を窺っていた。
 何人かの男に、ポロノシューはキローネの畑のことを頼んでいる。どうやら村人には顔がくらしい。
 そのなかに、シュイを追いかけまわした猟師たちの姿もあった。
「あいつら!」
 やはり、この村の人間だったのだ。
 猟師たちは、シュイを横目で睨みながら、ポロノシューと小声で言い争っている。だがあまり強く言えないのか、渋々引き下がっていった。
「ざまあみろ」
 シュイは鼻で笑い飛ばした。
 それからすぐ、二人は帰路に就いた。
「足はもういいようだな」
 それが自分を気遣っている言葉だということに、シュイは少し遅れて気が付いた。今更だが、ポロノシューがわざとゆっくり歩いていたことにも。
 曖昧あいまいに頷くと、返す言葉が見つからず、話題を換えた。
「さっきの人、体が弱いの?」
「キローネのことか。ちょくちょく熱を出す」
旦那だんなは?」
「出稼ぎだ」
 キローネの夫は、元は腕のいい鍛冶かじ職人だった。だが十年ほど前に、勤めていた都の工房を辞めて、夫婦でこの村に越してきた。
 ところが去年、その辞めた工房から再びお呼びが掛かり、家族を残して出稼ぎにいっているそうだ。
 この村を離れてから、すでに一年が経とうとしている。
「奥さんも大変ね。あんな子供抱えてさ。自分だって体も弱いのに」
「そうだな」
「いっしょに行けば良かったのに。都なら、腕の立つ医者だって、いっぱいいるでしょうし」
「そうだな」
「……ちょっと、聞いてるの?」
「そうだな」
「…………」
 ポロノシューは、まるで心ここにあらずだ。これでは、会心の嫌味も台無しである。
「あいつは、何をやっているんだ」
 独り言のように、この場にいないキローネの夫に対して悪態あくたいを吐いている。
 シュイは意味ありげな視線を送った。ようやくポロノシューが気付いた。
「何だ?」
「ずいぶん、キローネのこと気にしてるみたいね」
「患者だからな」
「無理しちゃって」
「どういう意味だ」
「さあね」
「おまえ、何か誤解しているんじゃないか」
「誤解って?」
「それは……」
「なになに?」
「……もういい」
 不機嫌そうに、そっぽを向くポロノシュー。
 やっと彼に一杯食わせてやったような気がして、シュイはにんまりと笑った。
 こんな調子で一日が終わる……と、たかくくっていた。
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