イェルフと心臓

チゲン

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第二部 イェルフの子供たち

20頁

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 必死に柵の裏手口まで駆け戻ったトリンだが、見張りの若者の斬殺死体を目にして、短い悲鳴をあげた。
 遅かった。
 涙を振り払うと、トリンは裏手口をくぐり、正門へ急いだ。
 正門の脇にある自警団の詰所へ駆け込む。
「!」
 血溜まりのなかに、当直に当たっていた団員たちと、野伏の死体が転がっていた。恐らく相打ちになったのだろう。
 思わず、その場にうずくまって嘔吐おうとした。
「うう……」
 だが、こんなことをしている場合でない。なるべく死体を見ないようにしながら、小屋の奥の梯子はしごを昇った。
 天窓を開けると、木鐘がある。つちを手に取り、渾身の力で叩いた。
 皮肉にも、それが合図のように、里のあちこちから火の手があがった。
 唇を噛みつつ、さらに力を込めて木鐘を叩いた。
 無数の小屋が煙をあげながら炎上していく。そのなかを、いくつかの不審な影が走っている。
 野伏だ。
 逃げ遅れた女が、野伏と鉢合わせした。野伏が太刀を振るい、女が倒れた。
 トリンは目を見開いた。女は、夜襲で命を落としたウリクの母親だった。
「……許せない」
 トリンはさらに強く、唇を噛んだ。
 血がにじんだ。
「許せない!」
 梯子を降り、壁に掛けてあった自警団用の曲刀を手に取ると、表へ飛びだした。
 里が燃えている。
 炎をあげ、夜空に浮かび上がっている。
 逃げ惑う同胞の姿。
 絶叫。
 悲鳴。
 こちらに向かって、二人の野伏が駆けてくる。正門を狙っているのだ。
 トリンは曲刀を抜いた。
 護身程度の心得はあるが、実戦は初めてだった。
 曲刀は、彼女の腕には重い。自然と構えが下がる。
 二人の野伏が立ち止まり、太刀を構えた。暗闇のなかで、火の光を浴び、その邪悪なシルエットが浮かび上がる。
「女か」
 男たちが唇の端を吊り上げた。左右に広がりつつ、トリンとの間合いを計る。
 風が唸った。
 炎の照り返しを受け、曲刀が閃いた。
 野伏の首が飛んだ。
「なに!?」
 首を失くした野伏の背後に、ジイロが立っていた。
 ジイロが跳躍ちょうやくする。もう一人の野伏との距離を一気に詰めると、その革鎧の隙間に曲刀を突き立てる。野伏は苦悶くもんの表情を浮かべ、その場に崩れ落ちた。
「無事か、トリン!」
「ジイロ……」
 力が抜け、その場に膝を突きそうになる。
「トリン!」
 呼び声とともに、アコイが駆けつけてきた。
「アコイ、無事だったのね!」
 服に、返り血がついている。右手の太刀は、川原で遭遇そうぐうした野伏の物だろう。
「……やられたな」
「くそ!」
 舌打ちするジイロ。
「門のとこに、誰かいるわ!」
 トリンが叫んだ。
 野伏が、まだ他にも残っていたのだ。正門のかんぬきを外そうとしている。
「やらせるかよ!」
 ジイロが駆けつけ、野伏を斬り捨てた。
 しかし遅かった。
 閂が外れたところへ、外から丸太のような物が打ちつけられ、正門が破られた。
「くっ!」
 ジイロが、勢いよく破られた正門に弾き飛ばされた。
 門の外で待機していた野伏たちの本隊が、ときの声をあげ、里へ乱入した。
 三十人以上はいる。
 アコイはトリンの体を引き寄せ、草むらのなかに跳び込んだ。その直後、無数の火矢が里に向かって放たれる。
 立ち上がったジイロに、野伏が斬りかかっていった。
 斬り結び、甲高い音が響く。
 雄叫びをあげて、野伏たちは里の内部に散っていった。火を消そうと躍起やっきになっていたイェルフたちに、容赦なく襲いかかる。
 殺戮さつりくが始まった。
「ちくしょう!」
 目の前の野伏を両断するなり、襲撃者たちを追って、ジイロは駆けだした。
「ジイロ!」
 トリンが彼の名を叫ぶ。
 擦れ違いざま、ジイロとアコイは視線を交えた。
 二人は何も言葉を交わさない。
 ジイロの姿は、たちまち炎のなかへ消えていく。
「僕たちは最長老の所へ急ごう」
 アコイは、トリンの手を取った。
 そして彼らも、炎の渦中へ。
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