イェルフと心臓

チゲン

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第二部 イェルフの子供たち

16頁

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 ジイロは、川原を目指して、裏手口に向かっていた。
 途中で擦れ違うなかには、よそよそしく挨拶をしてくる者もいれば、あからさまに視線をらす者もいた。
 自分が里のなかで孤立していることを、実感せざるを得なかった。
 沈んだ顔で歩いていくジイロを、各家の手伝いで奔走ほんそうしていたアコイとトリンが見とがめた。
「ジイロ!」
 トリンは大声で彼を呼んだ。だが聞こえているのかいないのか、ジイロは黙々と歩いていく。
「聞こえないの? ジイロったら!」
 さらに声を張り上げるが、やはり彼は振り向かない。
「……聞こえてるくせに」
 トリンは、運んでいた荷物をアコイに預けると、ジイロの元へ駆けだした。
「何の用だよ」
 開口一番、ジイロは、不機嫌そうに言った。
「聞こえてたんなら、返事ぐらいしなさいよ」
「どうでもいいだろ」
「よくないわよ」
 トリンはジイロの前方に回り、行く手を遮った。
「どこ行くのよ」
「……さあな」
「みんなが一生懸命働いてるときに、あんた一人がぶらぶらしてていいと思ってんの?」
「俺には逃げ支度なんか必要ねえからな」
「ジイロ!」
 トリンが、きつい眼差しでジイロを睨みつけた。
「何だよ、おまえまで……」
 ジイロは後ろめたそうに目を逸らした。
「聞いたわよ。イェルフの国ですって?」
 彼の遠大えんだいな計画は、すでに皆に知れ渡っている。
「ほんとにバカね。そんなの、できる訳ないじゃない」
「んなの、やってみねえと判んねえだろ」
「判るわよ」
「んなことねえって」
「判る」
「おまえも、ほんとにそう思ってんのか?」
「えっ?」
「俺たちの国ができたら、みんな安心して暮らせるんだ。もう逃げ隠れしなくたっていいんだぜ」
「それは、そうだけど……」
「おまえだって、ここを出てくのは嫌だろ」
「……うん」
「だったら、世界じゅうのイェルフを集めて、この里を俺たちの楽園にすりゃいい」
「楽園……」
 世界じゅうのイェルフ族が集まった様は見当もつかないが、今の生活が続くことは容易に想像できる。
 もしそれが実現できるなら。
「俺はただ、おまえといっしょに……」
「えっ?」
「……何でもない」
 よく聞き取れなかった。
 ジイロは、また目を逸らしていた。
 固い足取りで、アコイがやってきた。
「トリン、早く仕事に戻れ」
「あ、うん……」
 いつになく厳しい顔である。口調もどこか冷たく、刺すようだ。
「ジイロ、トリンに妙なことを吹き込まないでくれ」
「は?」
「みんな支度で忙しいんだ。出発は明日なんだからな」
「知ってるよ」
「おまえも何か手伝えよ」
 二人の間に、険悪な雰囲気が漂う。
 トリンは困惑した。アコイのこんな様子は初めて見たし、いつもなら冗談混じりに受け流すはずのジイロまで、食ってかかろうとしている。
「おまえも結局、俺の案には反対だったんだな」
「今はそんなことを言ってるときじゃない」
「話を逸らすなよ」
 アコイは目をすがめた。ジイロの挑戦的な眼差しを受けて。
「ここを出ていくのは、最長老が決めたことだ」
「素直に無理だって言えよ」
「そうじゃない。今は時機じゃないって言ってるんだ」
「ちょっと、二人ともどうしたのよ……」
 不穏な空気を感じ取り、トリンは二人の間に割って入ろうとした。
「君は仕事に戻れって」
「おまえは黙ってろよ」
 二人から同時に突き放された。
「あ……そういうことか」
 ジイロが、急にしたり顔を浮かべた。
「おまえ、俺にトリンを取られるんじゃないかって不安になってじゃねえのか?」
「なっ!?」
「ジイロ!」
 アコイが、ジイロの胸倉を掴み上げた。
「言っていいことと悪いことがあるだろう!」
「そうだよな。おまえにとっちゃ都合が悪いよな」
「おまえは!」
 今にも噛みつかんばかりの勢いで、二人が睨みあう。
「やめてよ!」
 何とか止めようと、トリンはアコイの腕に手を掛ける。しかし彼女の細腕では、どうにもならなかった。
「お願いやめて。二人とも、どうしちゃったのよ!」
 とうとう、トリンは絶叫した。
「……トリン」
 その声で、アコイは我に返り、ジイロから手を放した。
 ジイロも決まりが悪そうに、顔を背けている。
「…………」
 きびすを返すと、アコイは足早に来た道を戻り始めた。
「ちょっと、アコイ……」
 その跡を追いかけようとして、トリンは躊躇ちゅうちょする。
 去りゆくアコイの背と、たたずむジイロの顔を、困ったように見比べる。
「行けよ。まだ仕事が残ってんだろ」
 突き放すようにそう言うと、ジイロも背を向けて反対方向へ歩きだした。
「ねえ、ジイロ」
「……ほっといてくれ」
 止めなければ。しかし喉まで出かかった言葉を、トリンは飲み込んでしまった。
 ジイロの背中が、しだいに小さくなっていく。
 彼が、このままいなくなってしまうのではないか。そんな不安が胸中を掠めたが、やはりトリンは何も言葉を探せなかった。
 まして追うことも。
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