イェルフと心臓

チゲン

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第二部 イェルフの子供たち

13頁

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 翌日の昼過ぎ、アコイは歩けるほどにまで回復していた。
 トリンが持ってきてくれた服に着替えると、寄合へ向かう。
 その途中、先の夜襲で命を落としたウリクとゲーナの家に寄った。
 ウリクはアコイより少し若く、まだ幼さの残る少年だった。母親と二人暮らしで、普段は畑仕事を手伝っていた。膂力があり、肝の据わった少年だった。
「ウリクのことは、全て僕の責任です」
 アコイは、ウリクの母親に向かって頭を下げた。ウリクの母親は、泣きらした目を細めて微笑んだ。
「あの子が望んでやったことだから」
 小さな家が広く感じられた。アコイは、逃げるようにそこを後にした。
 ゲーナには妻子がいた。娘はまだ生まれたばかりで、妻の乳の出が悪く、ときどき他の女に母乳を貰っていた。
 目元の辺りは父親によく似ていた。
 その目が、アコイの顔を見つめている。
 ゲーナの妻も、彼を責めたりはしなかった。ただ、一度も目を合わそうとしなかった。
 里のイェルフたちと擦れ違った。誰もがアコイの怪我を心配し、労を労ってくれた。
 寄合の席に着く頃には、アコイの顔からは悲壮感さえ漂っていた。長老衆が、思わず息を呑むほどに。
「怪我は、もういいようだな」
「はい」
 最長老トスカの前に座し、頭を垂れる。
「すでにお聞き及びでしょうが、夜襲でゲーナとウリクの二人を死なせてしまいました」
「うむ。彼らには可哀想なことをした」
「隊を指揮する者として、配慮に欠けていました。敵の力をあなどっていたんです」
 グッと拳を握りしめる。爪が、手の平に食い込む。
 ウリクの母親の涙。ゲーナの妻の顔。生まれたばかりの赤子の、父の命を継いだ目。
「僕には、これ以上この役を続ける資格はありません」
 後悔と無念で、胸が張り裂けそうだった。
「任を降りるというのか」
「全て僕の責任です」
 泣くことは許されなかった。泣いて許しをおうとも思わなかった。
「一人で背負しょい込んでんじゃねえよ」
 振り返ると、ジイロが立っていた。
「ジイロ……おまえ、なんでここに……」
 それには答えず、ジイロはアコイの隣へどっかと腰を下ろした。
「アコイは悪くねえ。そもそも、奇襲のことを言いだしたのは俺なんだ」
「ジイロ!」
「だから、ばっするなら俺を罰してくれ」
 長老衆がざわめいた。あの問題児のジイロの口から、そんな殊勝しゅしょうな発言が飛びだすとは。
 トスカは、二人の若者を見つめると、小さくかぶりを振った。
「あの夜襲は、私が決めたこと。とがを受けねばならんのは、私の方だ」
「最長老……」
「身に傷を受けた者が、心にまで傷を受ける必要はない」
 トスカの言葉は、アコイの胸に深く染みとおった。
 俯き、涙をこらえた。
「ところで、野伏どもの動きはどうなっている」
「警戒がきつくなったんで、あんまり詳しいことは判らねえけど」
 そう前置きして、ジイロは報告した。アコイの療養中、彼が中心になって野伏たちの動きを監視していたらしい。
「人数はまた増えてるな。たぶん二十人くらいになってんじゃねえか」
 思ったより少ないが、決して楽観視できる数ではない。
「今のところ、動きだす気配はねえけどよ」
「ふむ。ならば今のうちに、柵の強化を急いでくれ」
 何人かの長老が、頷いて席を立った。
「やはり決断を下さねばならんか」
 トスカは、吐息とともに肩を落とした。
 疲れている。アコイは思った。数日顔を見なかっただけで、十年も老けたように見えた。顔には無数の傷と皺が刻み込まれていた。
「決断って?」
 その言葉の真意が判らず、ジイロは疑問符を浮かべていた。
「……この里を捨てるんですね」
 アコイは確信を込めて訊いた。
 トスカが、苦汁に満ちた顔で頷いた。
「捨てるだって!?」
 悲鳴をあげたのは、ジイロ一人だった。
 長老衆は、沈痛な表情を浮かべて俯くだけ。すでに何度も話しあってきたことで、暗黙のうちに覚悟はできていた。
「やはり、僕が夜襲を成功させてれば……」
 悔やんでも悔やみきれない。アコイは奥歯を食い縛った。
「いいや。夜襲の結果がどうであれ、近くここを捨てるつもりだった」
 人間の侵攻が、もはや防ぎ切れないところまで来ていることを、トスカは悟っていた。
 目の前の野伏たちを駆逐しても、すぐに新手がやってくるだろう。正規の軍が動きだせば、抗し切れるものではない。
「冗談じゃねえ!」
 ジイロが怒りの声をあげた。
「なんで俺たちが里を捨てなきゃならねえんだ。先に住んでたのはこっちなんだぜ!」
 こぶしで床板を叩く。
「人間なんか、皆殺しにしちまえばいいじゃねえかよ!」
「よせ、ジイロ、最長老の前だぞ」
「ここを守るために、いったい何人死んだと思ってんだ。ウリクやゲーナや、オッティーさんや……俺の親父だって、みんなを守るために戦って死んだんだ!」
 その言葉は、激しく館を震わせ、イェルフたちの胸を打った。
 ジイロはあまりにも鋭い目で、アコイを睨みつけていた。その目は怒りと悲しみに打ち震えていた。
「純粋な目をしている」
 トスカは二人の若者を見守りながら思った。彼がとうに失ったものを、おくすることなくさらけだし、ぶつけあっている。
「里を捨てるなんて、俺は反対だ。俺は、何があっても、この里を守ってみせる!」
「じゃあおまえは、みんなが殺されてもいいって言うのか」
 アコイの拳が、微かに震えている。
「何だと……」
「おまえの言ってることは、ただの理想だ」
「理想じゃねえ。俺が守るっつってんだろ。人間なんかに、もうこれ以上、指一本触れさせねえ」
「無理だ。人間たちが本気になったら、俺たちなんかあっという間に全滅だ」
「そうならねえようにするのが、俺たちの役目だろ!」
「勝てる訳ないだろ!」
 アコイが語気を荒げた。普段の彼からは想像もできない声だった。
 場に、気まずい空気が流れる。
「どこをどう見たら、そんな楽観的なことが言えるんだ。兵力も足りない……武器だってろくにないっていうのに」
「戦おうって気がねえから……逃げることしか考えてねえから、負けちまうんだよ!」
「ジイロ、言い過ぎだ!」
「うるせえ!」
 ジイロが不意に立ち上がった。
「どこに行くつもりだ」
「ついてこいよ」
 そう言って、ジイロは寄合に背を向けた。
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