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第三幕 酔いの月は標(しるべ)を照らす
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翌日、ミランは久しぶりに寝坊した。
夕食の後、帰宅したトルファンと、深夜まで酒を酌み交わしてしまったせいだ。
日はだいぶ高かった。
家には誰もおらず、テーブルには朝食が用意され、一枚の紙切れが添えられていた。
『セカイちゃんを借りていきます』
トキヤの字だろう。農村の娘とは思えない達筆ぶりだった。
ミランは食事を済ませると、散歩がてら表へ出た。
鮮やかな青空が広がっている。陽光が心地よい。
広場に十人ほどの子供が集まって、木刀で剣術の稽古をしていた。
指南役はトルファンだった。
もっとも、子供たちはふざけ半分に木刀をぶつけあうだけで、半ばチャンバラごっこと化していたが。
トルファンは、子供たちが怪我をしないよう見守っているだけのようだ。
ミランの姿を見かけると、トルファンが手を上げた。
「よく眠れたか?」
「おかげさまで」
さすが、宿酔いとは無縁の顔をしている。夕べもなし崩しに飲んでいた。その辺り、トキヤも非情に徹しきれないようだ。
「毎日、ここで?」
子供たちがはしゃぐ姿を眺めながら、ミランは尋ねた。
「傭兵上がりの俺ができることっつったら、こんなことくれえしかないからな」
少し自嘲気味に、トルファンは呟いた。
「ずっと傭兵をやってたんですか?」
「トキヤを引き取るまでな」
「引き取ったって……トキヤとは、本当の親子じゃないんですか?」
「ああ、そういや言ってなかったか」
「……初対面の相手に話すことじゃないですよ」
「別に隠すようなことじゃねえさ」
トルファンは、あっけらかんと言う。
「あいつは戦災孤児ってやつだよ。ちょうどガキもいなかったし、女房も喜んだんだが……その女房も逝っちまった」
「……そうでしたか」
「まあ、よくある話だ」
目の前で子供が転んで、泣きべそをかきだした。
トルファンがその子を抱き起こし、頭を撫でてやる。長年、戦場にいたとは思えないほど、優しい顔をしていた。
「本当の親子と言われても、誰も疑いませんよ。トキヤは運がいい」
「……そうだといいな」
「トルファンさん?」
「何でもない」
ふと、ミランの袖が引っ張られた。
幼児が一人、何か言いたげな顔をして立っていた。
「どうしたんだ?」
ミランは少々面食らいながら、幼児に尋ねた。おとなしそうな子だったので、妙に緊張して、よそよそしくなってしまった。
その幼児が、ミランに木刀を差しだした。
「相手をしろというのか?」
幼児が頷いた。
「しかし、私は……」
「おっ、ミラン先生の特別課外授業か」
トルファンが、横合いから面白半分に囃したてる。
「困ります……」
「なんだなんだ。剣には自信ないのか」
「そういうことじゃなくてですね……」
子供の剣の相手などしたことがないので、戸惑っているのだ。少し加減を誤れば、怪我をさせてしまうかもしれない。
「ガキ一人相手にできなくて、嬢ちゃんを守れんのかい?」
「それとこれとは話が別です」
「おっ、怒ったか。それとも竜剣使いには、剣は必要ないってか」
「……!」
ミランの眼光が、僅かに鋭さを帯びた。
木刀を差しだしていた幼児が、怯えて身を引いてしまった。
「……気付いてたんですか」
「商売柄、敵にも味方にもなってたからな」
「別に……隠してた訳じゃありませんが」
「判ってる。初対面の相手に話すことじゃないしな」
そう言って、トルファンは肩を竦めた。
ミランは苦笑いを浮かべる。
竜剣使いは、戦場でも常に一目置かれる存在だ。
彼らは『二本差し』で一人前と見なされる。ミランのような『四本差し』になるためには、余程の修行を積まねばならないし、何より才能が不可欠だった。
「でも竜剣使いってのは、剣の方はからっきしなんだよな」
トルファンが、幾分、挑発的な物言いをした。
「全ての竜剣使いが、竜剣だけに頼ってるとは限りませんよ。私の師匠もそうでしたし」
ミランが、いささかむきになったように答える。
「若いな」
小声で呟き、トルファンは唇の端を歪めた。
「ガキじゃ物足りねえんなら、老骨の相手でもしてみるかい?」
「……いいですよ」
思わぬ展開に、子供たちから歓声があがった。
二人が、木刀を手に対峙する。
その堂に入った構えに、トルファンは軽く口笛を吹いた。どうやら、口だけではないらしい。
「では、行くぞ」
トルファンが、一歩を踏みだした。
夕食の後、帰宅したトルファンと、深夜まで酒を酌み交わしてしまったせいだ。
日はだいぶ高かった。
家には誰もおらず、テーブルには朝食が用意され、一枚の紙切れが添えられていた。
『セカイちゃんを借りていきます』
トキヤの字だろう。農村の娘とは思えない達筆ぶりだった。
ミランは食事を済ませると、散歩がてら表へ出た。
鮮やかな青空が広がっている。陽光が心地よい。
広場に十人ほどの子供が集まって、木刀で剣術の稽古をしていた。
指南役はトルファンだった。
もっとも、子供たちはふざけ半分に木刀をぶつけあうだけで、半ばチャンバラごっこと化していたが。
トルファンは、子供たちが怪我をしないよう見守っているだけのようだ。
ミランの姿を見かけると、トルファンが手を上げた。
「よく眠れたか?」
「おかげさまで」
さすが、宿酔いとは無縁の顔をしている。夕べもなし崩しに飲んでいた。その辺り、トキヤも非情に徹しきれないようだ。
「毎日、ここで?」
子供たちがはしゃぐ姿を眺めながら、ミランは尋ねた。
「傭兵上がりの俺ができることっつったら、こんなことくれえしかないからな」
少し自嘲気味に、トルファンは呟いた。
「ずっと傭兵をやってたんですか?」
「トキヤを引き取るまでな」
「引き取ったって……トキヤとは、本当の親子じゃないんですか?」
「ああ、そういや言ってなかったか」
「……初対面の相手に話すことじゃないですよ」
「別に隠すようなことじゃねえさ」
トルファンは、あっけらかんと言う。
「あいつは戦災孤児ってやつだよ。ちょうどガキもいなかったし、女房も喜んだんだが……その女房も逝っちまった」
「……そうでしたか」
「まあ、よくある話だ」
目の前で子供が転んで、泣きべそをかきだした。
トルファンがその子を抱き起こし、頭を撫でてやる。長年、戦場にいたとは思えないほど、優しい顔をしていた。
「本当の親子と言われても、誰も疑いませんよ。トキヤは運がいい」
「……そうだといいな」
「トルファンさん?」
「何でもない」
ふと、ミランの袖が引っ張られた。
幼児が一人、何か言いたげな顔をして立っていた。
「どうしたんだ?」
ミランは少々面食らいながら、幼児に尋ねた。おとなしそうな子だったので、妙に緊張して、よそよそしくなってしまった。
その幼児が、ミランに木刀を差しだした。
「相手をしろというのか?」
幼児が頷いた。
「しかし、私は……」
「おっ、ミラン先生の特別課外授業か」
トルファンが、横合いから面白半分に囃したてる。
「困ります……」
「なんだなんだ。剣には自信ないのか」
「そういうことじゃなくてですね……」
子供の剣の相手などしたことがないので、戸惑っているのだ。少し加減を誤れば、怪我をさせてしまうかもしれない。
「ガキ一人相手にできなくて、嬢ちゃんを守れんのかい?」
「それとこれとは話が別です」
「おっ、怒ったか。それとも竜剣使いには、剣は必要ないってか」
「……!」
ミランの眼光が、僅かに鋭さを帯びた。
木刀を差しだしていた幼児が、怯えて身を引いてしまった。
「……気付いてたんですか」
「商売柄、敵にも味方にもなってたからな」
「別に……隠してた訳じゃありませんが」
「判ってる。初対面の相手に話すことじゃないしな」
そう言って、トルファンは肩を竦めた。
ミランは苦笑いを浮かべる。
竜剣使いは、戦場でも常に一目置かれる存在だ。
彼らは『二本差し』で一人前と見なされる。ミランのような『四本差し』になるためには、余程の修行を積まねばならないし、何より才能が不可欠だった。
「でも竜剣使いってのは、剣の方はからっきしなんだよな」
トルファンが、幾分、挑発的な物言いをした。
「全ての竜剣使いが、竜剣だけに頼ってるとは限りませんよ。私の師匠もそうでしたし」
ミランが、いささかむきになったように答える。
「若いな」
小声で呟き、トルファンは唇の端を歪めた。
「ガキじゃ物足りねえんなら、老骨の相手でもしてみるかい?」
「……いいですよ」
思わぬ展開に、子供たちから歓声があがった。
二人が、木刀を手に対峙する。
その堂に入った構えに、トルファンは軽く口笛を吹いた。どうやら、口だけではないらしい。
「では、行くぞ」
トルファンが、一歩を踏みだした。
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