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第二部 四章

忍び寄る影 4 ★

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 静かに扉が閉まると、アルトはゆっくりとした足取りでベッドへ腰掛けた。

「寝ない、のか……?」

 やや舌っ足らずな口調で言うと、じっとこちらを見つめてくる。

 その瞳は眠いせいか、とろりと蕩けているのが見て取れた。

 手を繋いだまま見上げてくる愛しい男は、普段以上に幼さがあった。

(……朔真)

 このまま寝かせてやりたい気持ちと、この手で『己は生きている』ことを実感したいという気持ちがせめぎ合う。

 同時にレティシアの手紙の内容が脳裏を掠めた。

 自身が倒れた事で立ち消えになったのだと思っていたが、ソフィアーナを交えたパーティーを開催するため是が非でも出席しろ、そうした意図が文面から滲み出ていた。

 エルの気持ちを汲んでくれ、自身がいない間にミハルドやレオンが直接『出席しない』という旨を伝えてくれていたらしい。

 だというのに、どうしてもエルを出席させたい理由に頭痛がしてくる。

 レティシアの息のかかった人間と身体を繋げ、子を成すという行為を想像するだけで虫唾が走るというのに。

(ベアトリス様に似ていてもいなくても、俺は朔真しかいらない)

 雰囲気だけでなく顔立ちまで似ているのには疑問が残るが、自身が決めた結婚に口出しされたくはなかった。

 エルはアルトの頬に両手を添え、目線を合わせる。

「エル……?」

 緩く首を傾げて見つめてくる青い瞳の中には、苦悶の表情をしている己が映っていた。

「──っ」

 エルは小さく目を瞠る。

 少し肩を押せば、すぐにでも組み敷けるほどの細い身体。

 しかしアルトは──『朔真』は自分と同じ男で、力こそエルほどではないものの女よりもあるだろう。

 いくら愛情を与え合ってはいても、異性と身体を重ねたいと思う時があるはずだ。

 自身の知るところで少しでもそんな事を聞いたり見たりしてしまえば、どうなるのか分からなかった。

(もっと、もっと……俺無しじゃいられなくしないと)

 ゆらりとエルの瞳が仄暗い熱を帯びる。

 小さな突起を口に含み、身体中に自分のものだという印を付けたい。

 主張するそれを愛撫し、甘い声で名を呼んで欲しい。

 あわよくば受け入れ、何度もその身体の奥深くに欲望を刻み付けたかった。

 しかし普段ならば正常に働く理性は、すべてがどうでもいいというようにエルの脳をじわりじわりと侵食していく。

「……な、エル」

 寝ようと催促してくる手が、不意に自身の袖をきゅっと摑む。

「朔真……っ」

 たったそれだけの仕草で、エルの理性のたがを外すには十分過ぎた。

 ぐいとおとがいを摑み、柔らかな唇に噛み付く。

 舌で唇のあわいを強引にこじ開け、すぐさま熱くぬるつくそれと絡め合わせた。

 くちゅりとわざと音を立てて吸い上げると菓子のように甘く感じ、さながら媚薬だなと頭の片隅で思う。

「っ、ふ……ぅ?」

 鼻にかかった甘ったるい声が、何が起きたのか分からず小さく見開かれた瞳が、この上なく愛おしい。

 至近距離で交わる瞳は己を見つめており、このままその声ごと食べてしまいたかった。

 着ているものをすべて脱がせ、しっとりと吸い付く肌に触れたい衝動に駆られる。

 しかし欲望のままに身体を繋げてしまえば嫌われる、という漠然とした恐怖が背後からやってくる。

 一度でも身体を繋げようものなら、己の意思では止まれないと分かっているからだ。

「っ、ぁ……え、る……」

 喘ぎ混じりの声で名を呼ばれ、そこでエルははっと気付く。

 袖を握っていた手はいつの間にか背中に回されており、己の腹には主張した雄が控えめに擦り付けられていた。

(こっちの気も知らないで)

 エルは奥歯を噛み締め、理性を総動員させてアルトの頬に口付ける。

 そのままベッドへ押し倒し、愛しい男の顔を覗き込んだ。

「貴方は、何もしなくていいよ」

 掠れた声で呟き、今度は反対の頬にキスを落とす。

「へ、っ……?」

 先程まで己が何をしていたのかも、何を言われたのかも分かっていないようだった。

 そんなアルトにエルは淡く口角を上げ、下肢に纏っている衣服を下着ごと脱がせる。

 緩く勃ち上がっている雄がふるりと姿を現し、同時に透明な雫が溢れた。

「な……に、するん、だ……?」

 途端に震える声で首を振り、しかし拒否する素振りはない。

 あらわになった太腿に手を掛け、もったいぶった仕草でゆるりと撫で上げた。

「ぇ、っ……」

 アルトの小さな声が漏れ聞こえ、その声音には驚きと恐怖とが滲んでいる。

 エルが何をしようとしているのか分かっているような、それでも何をするか予想できていないような、そんな声だった。

「……ちゃんと締めてて、ね」

 そう言うとぐいと太腿を摑み、程よい弾力のある太腿の隙間に自身を滑り込ませる。

「ふ、ぁ……!?」

 ぱちん、と肌を打ち付ける音が響き、すぐさまアルトのわずかに高い声が耳に届いた。

「っや、ぇ、る……これ、へん……っ」

 ふるふると力なく首を振り、アルトは襲い来る快楽を逃がそうと上にずり上がろうとする。

 しかしエルは逃げられないよう太腿を抱え直し、ぐいと肩に担ぎ上げた。

 ぬちぬちぐちゃぐちゃと音を立て、どちらのものともつかない互いの粘膜が混じり合う。

「は……っ」

 ぞくりと背筋が震え、エルは熱い息を漏らす。

 灼熱の禊がやや白い肌を出入りし、擦れ合う淫靡な音も相俟って腰が砕けそうな感覚になった。

 入っているようで入っていない、不思議な感覚に支配される。

 すぐ後ろにある小さな孔に入り、めちゃくちゃに貫いてしまいたい衝動に駆られたが、そうなってしまってはもう止まれない。

 大き過ぎる悦楽にアルトが気絶しても、何度『止めて』と叫ばれても、きっと満足するまで止められないだろう。

(俺なしじゃいられなくなるくらい……壊してしまいたい)

 女など抱けないように、という自身の内にある暗い感情が喉から出そうになり、エルは低く唸る。

「──って、える、とまって……ぇ!」

「っ」

 ふと自身を呼ぶ声に気付き、エルは顔を上げる。

 アルトは力なく腕で顔を隠し、ぼろぼろと涙を零していた。

「さく、ま……?」

 慌てて太腿から手を離し、熱い雫を零す頬を拭う。

「さっき、から……やだ、って……いって、……っ」

 拭っても拭っても涙は後から溢れてきて、己のせいで泣かせてしまっているという事実にエルは狼狽うろたえる。

「ちゃんと、して……こんなの、おれ──ん、ぅ」

 エルは頭で考えるよりも早く、アルトが最後の言葉を言い終える前に唇を奪った。

 舌先で唇の隙間に触れればすぐに薄く開けられ、熱く迎え入れられた。

 やや薄い舌が己のそれにぬるりと絡められ、懸命に吸われる。

 ぎゅうと首に腕を回されたかと思えば、そろりと背中を撫でられて隙間なく抱き着かれた。

 幼子が甘えるような仕草にエルは瞠目すると同時に、得も言われぬ愉悦で胸がいっぱいになる。

「ん、っ……ふ、ぁ」

 お返しというようにアルトの頭をしっかりと抱え、熱くぬめる腔内を余すことなく舐め尽くす。

 上顎を掠め、頬の内側の粘膜から歯の一本一本に至るまで舌で撫でた。

 秘めた場所に二本の指を滑らせると、すげなく飲み込んだ。

 アルトのそこは己の指先に熱く絡み付き、最奥がきゅうと締まるのが分かった。

 やがてもう一本指を増やし、ゆっくりと動かす。

「ふ、っ……ぁ、ぅ」

 小さな喘ぎが唇の端から漏れ、しかしその声はエルの口内に吸い込まれる。

 少しずつ己の形に身体が変わってきている実感に、エルは無意識に目を細めた。

 時折衣服越しに雄が己の腹に擦れる感触さえ愛おしく、柔らかな髪をそろりと撫でる。

「ぅ、ん……」

 飲み込みきれなかった唾液が顎を伝い、鎖骨のくぼみに流れ落ちる。

 それすら勿体なく感じ、唇を解いてやや汗ばんだ鎖骨から首筋を舐め上げた。

「……朔真」

 顔を上げ、本当にいいの、と瞳だけで問い掛ける。

 指先は弱いところを緩く押し上げては抜いてを繰り返し、その度にきゅうと締め付けてくる。

 物足りないというように肉壁がうねる感覚が伝わり、エルは一度息を詰めた。

 このまま衝動に任せてしまえば、壊してしまうから。

 じっと青い瞳を見つめ、ゆっくりと問い掛ける。

「止めてって言っても……もう聞かないよ」

「ぁ、っ……なん、で……? おれ、エルとするのすき、……なのに」

 舌っ足らずな喘ぎ混じりの言葉は眠いからなのか、それとも快楽から来るものなのか、両方という場合も有り得る。

 けれどその言葉が本音だというのは理解出来てしまい、雄槍がぐっと頭をもたげる。

「っ……本当に、貴方は」

 ぎり、と奥歯に力を込め、衝動のまま突き立てたい気持ちを落ち着ける。

 きっとアルトは何も考えておらず、思ったことを言っているだけなのだろう。

 しかしその本音がエルの自制心をぼろぼろに崩してしまうのも、最早時間の問題だった。

「い、から……きて」

 エル、と耳元で甘く囁かれ、詰めていた息を吐くと同時に指先を引き抜いた。

 一息に最奥まで貫くと、肉壁はそれを待っていたかのように熱く絡み付いてくる。

「あ、ぁぁぁ……!」

 一際高い声が耳に届き、自身を包み込む熱さも相俟ってこのまま達してしまいそうだった。

「は、ぁ……」

 小さく呻いて迫り来る吐精感に耐えると、エルは細い腰をしっかりと摑む。

 己を煽ったというのもあるが、レティシアからの手紙を貰った事で普段以上に気が立ち、そして恐怖している自覚がある。

 ただ、今はこの身体を余すことなく食い尽くしてしまいたい、という普段のエルならば考え付かない感情でいっぱいだった。

(ゆっくり寝かせたかったんだけど)

「……俺は忠告したよ」

 跡が付くほど強く腰を摑み直すと、すぐさま寝室には淫靡な香りと甘い声で満ちていった。



 ◆◆◆



「ん、……ぁ?」

 小さな声が自身の口から零れたのを合図に、アルトはうっすらと瞳を開ける。

 ぼうっと辺りを見回すと明るく、窓からは温かな日差しが差し込んでいた。

「──起きたの?」

「へ、っ……」

 不意に背後から力強い腕に抱き竦められ、気だるい身体を動かして声のする方を振り返った。

「おはよう、朔真」

 美しい笑みを浮かべ、エルが愛おしそうにこちらをじっと見つめていた。

「エ、ル」

 昨日よりも声は掠れていたが、それはどこか艶やかでまるで情事の時を思わせた。

 深夜、ベッドが大きく軋む音にぼんやりと目を覚まし、エルと誰かが執務室で何か神妙な顔つきで話していたのは覚えている。

 そこから先はどうしてかエルに狂うほどの快楽を何度も与えられ、気絶するように眠ってしまったのだが。

「……お、はよ」

 ぽつりと囁いた言葉はエルよりもずっと掠れ、あまり声になっていなかった。

 いやに生々しい己の声音に、羞恥で頬が熱くなる。

 赤くなっている顔を見られたくなくて寝返りを打とうとすると、わずかに早くエルの腕に囚われた。

「朔真」

 普段よりも低く甘い声で名を呼ばれ、ぴくりと身体が跳ねる。

 もう一度エルの腕が回され、ぎゅうと抱き締められた。

 少し力を込めれば振りほどけそうな緩い拘束だが、今ばかりは腕一本動かすのも怠い。

「な、に……?」

 その代わりにアルトはエルの胸元に顔を埋め、小さく呟いた。

「貴方は俺のこと、好き……?」

 何かに対して不安で仕方ないというような、怖々とした声だった。

「……なんで、そんなこと聞くんだ」

 身体を繋げて愛情を与え合ってはいるが、こうして面と向かって尋ねてくるなどエルらしくない。

 悦楽で蕩けている時ならまだしも、素面しらふの時にそうした言葉を言うとなると勇気がいる。

「聞きたいんだ。朔真の口から」

 すり、と肩口に頭を擦り寄せる仕草が小動物のようで可愛らしく、そして少しの疑問が脳裏を掠めた。

(何か……あったんだろうな)

 起きた時から身体が重だるく、痛みがあるのはエルが抱いたからだ。

 声が枯れているのはひっきりなしに嬌声を上げたからで、普段よりも下腹部に強い違和感があるのも納得出来る。

(教えてくれたらいいんだけど)

 言わないだろうな、と心の中で呟く。

 王配として隣りに立っている自分に弱味を見せてくれないのは不安でもあるが、無理に聞き出そうとは思わない。

 言いたい時に言って欲しい、今はそれでよかった。

 アルトは小さく息を吸い込み、出来るだけ喉に力を込めて唇を動かす。

「すき、だよ。……ううん、愛してる」

 エルの腕が一瞬動き、やがて腕の力が緩む。

 拘束が緩んだことでアルトは顔を上げ、エルを見つめた。

 淡い色をした瞳は不安で揺れており、わずかに柳眉が寄せられている。

 おかしな奴だな、とアルトは思う。

(いつも、もういいってくらい可愛いとか……好きとか、愛してるとか言ってくれるのに)

 愛を伝えるのがベッドの上だけな己とは違い、エルは日中でも素で言ってくる。

 その度に顔を見れなくなり、このまま身体を巡る熱さで溶けてしまいそうになるのだが。

「……本当?」

 幼子が母親にせがむような、そんな声が耳に届く。

 アルトはゆるゆると腕を持ち上げ、エルの頭をそっと撫でた。

 指通りのいい黒髪は艶があり、いつまでも触っていたくなるほどだ。

「こうしてお前に抱き締められるのも、俺に笑いかけてくれるのも……全部、好きだよ」

 淡く口角を上げ、あまり声が出ない代わりに愛おしいという感情を言葉の端々に乗せる。

 エルは一瞬目を瞠り、しかしまだ何か言い足りないように視線を泳がせていた。

「エルは……? 俺と、一緒になってよかった……?」

 何も言わずに黙ったままのエルがらしくなくて、今度はこちらから問い掛ける。

 すぐに答えが返ってくると思ったが、いくら待ってもエルは口を開くことはおろか目を合わせてくることもなかった。

「えっ、と……」

 何かまずいことを聞いてしまったのか、と不安になっているとやがてエルは起き上がった。

 床に落ちていたらしいシャツを一枚羽織ると、アルトの言葉を返すことも、視線を寄越すこともなく背中を向けられる。

 そんな態度は初めてで、漠然とした違和感が次第に輪郭を帯びていく。

「──貴方は優しいね」

 顔を見せることなく短く呟かれた言葉の意図が摑めず、アルトはエルのシャツの裾を摑もうと手を伸ばした。

 しかしそれよりも早くエルが振り向いた。

 ベッドの上で手を伸ばし、中途半端な四つん這いの体勢になっているアルトに向けてゆっくりと言った。

「少し出てくる。すぐに昼食を運ばせるから、もう少し寝ていろ」

 低く、どこまでも冷たい声だった。

 心做しか仄暗い瞳には王太子としての威厳が見え隠れしており、その視線を真正面から浴びるのは久しぶりで、アルトは知らずおののく。

「エル、ウィズ……?」

 突然冷たくなった理由が分からず、アルトは震える声もそのままに愛しい男の名を呼んだ。

 しかしエルは振り返る事なく扉を開け、寝室を出ていく。

 どうしたんだ、と問うために開いた唇は細く息を吐くだけで、伸ばそうとした手はエルが居たであろう虚空を摑むだけだった。
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