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第一部 三章

ソルライト商会 3

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 邸を出てしばらく歩くと、ルシエラが視線をこちらに向けた。

「あのまま何も言わずに置いて行っても良かったのに、お前は優しいなぁ」

 さも感心したふうに言い、アルトの肩を組もうとする。

 ルシエラの手をそれとなく避けながら、アルトは前を見据えたままゆっくりと唇を開いた。

「ウィルが一緒に行きたいって言った時、すぐに渋っただろ。あいつも、その……悪気は無いんだと思うけど」

 ウィルが何を思ってああ言ったのか理解出来るが、ルシエラにはとんと分からないようだった。

 終始『行くな』の一点張りで、理由などあまり教えようとしない。

 それほど今から行く場所が危険な所なのだと思うと、自然と脚にも力がこもる。

「──なんか変わったよな、アルトは」

「へ」

 不意にルシエラが立ち止まり、それに合わせてアルトも歩くのを止める。

 背後にはミハルドが一定の距離を保って着いてきていたが、突然二人が止まったからか一瞬固まったものの、そのままアルトの背後に着いた。

 なぜか不穏な雰囲気をルシエラから感じ取り、アルトはすぐ背後にいるミハルドの存在に安堵する。

「いや、なんだろう。いつもならウィルのことは放っておくのに、今日は珍しいなって」

 まぁそういう日もあるよな、とルシエラは苦笑混じりに続ける。

 しかし、アルトは心臓が口から飛び出そうになっていた。

(まさか『アルト』は、俺が思ってるよりも家族に感心がないのか……?)

 そうだとすれば、どんなに取り繕おうといずれボロが出る。

 今はまだよくても、鋭い人間ならば違和感を持ってもおかしくなかった。

(でもウィルはともかく、アルバートは何も言わないし……大丈夫、だよな)

「早く来いよ、アルト。置いてくぞー?」

 するとやや遠くから声がかかり、見ればルシエラが数歩先を歩いていた。

「っ、悪い」

 言いながら小走りでルシエラに駆け寄り、追い付く。

「あ、そうそう。お前がいない間の事だけどな──」

 アルトが隣りに来ると同時に、ルシエラはさも楽しげに言った。

 その言葉をどこか上の空で聞き、時折それとなく相槌を打ちながら歩いて数分。

 公爵邸からは街の入口が近いためか、ほどなくして賑やかな通りに入った。

「そこのお兄さん、買っていかないかい?」

「おまけしておくよ!」

 わいわいと客引きをする声がそこかしこに響き、アルトも時々声を掛けられた。

「公爵様! 今日は弟さんは一緒じゃないの?」

 店の前で果物を売っていた老齢な女性が、にこやかに話し掛けてきた。

「え、ああ……」

 まさか声を掛けられるとはつゆほども思っていなかったアルトは、しどろもどろになりつつも答える。

「……そう。あの子、いつもうちに来てくれるのよ。公爵様に美味しい果物を沢山食べさせてやるんだ、って言ってね」

 その分だと元気になったみたいね、と女性が微笑む。

「えっと、あいつが何か……?」

 くすりと女性は小さく笑い、続けた。

 どうやらウィルはアルトのために、ほとんど毎日この店に果物を買いに来ているのだという。

『兄さんはこれが好きだから』と言って今日はこれ、今日はこっちを、と決まった量を買うのだと。

「ウィル様は公爵様が大好きなのねぇ」

 女性は口元に手をあてて上品に笑う。

 そういえば、とアルトは思い出す。

(あれはもしかしたら……ウィルが買ってきてくれてたんだ)

 朝食の時に果物が出てくるが、一つ食べるとすべて食べたくなるほどの美味さだった。

 アルトが王宮に居る間も来ていたようだが、それはきっと自分が食べる分にしていたのだろう。

(わざわざ俺を口実にして……いや、確かにここのは美味いけど)

 ウィルの行動に違和感を感じる一方、手間をかけてでもこの店に来る理由は分かる。

「公爵様?」

 突然黙ったのを不審に思ったのか、女性が首を傾げた。

「いや、はは……」

 アルトは曖昧に笑って誤魔化すと、それとなく女性を観察する。

 見たところ女性は一人で店を開けているように思う。

 ウィルがほぼ毎日来ているのは、そんな女性の様子見も兼ねているのだろう。

 アルトと女性が話しているのを横目に、ルシエラが足早にとある店の前に向けて歩いていくのが視界の端に映った。

「あ、じゃあ俺はこれで」

 軽く会釈し、アルトは女性に別れを告げる。

 足早にルシエラに追い付き、その後ろを着いて行く。

 店舗に入るかと思ったが、ルシエラは路地に足を踏み入れた。

 アルトは不自然にならない程度に周囲を見回す。

 太陽の光が届かない道は薄暗く、ともすれば物乞いをする者や窃盗に遭いそうな雰囲気だ。

(なんだか……不気味だな)

 こうした暗い所はあまり好きではない。

 ただ、前を歩くルシエラは迷いがない足取りで路地を進んでいく。

(みんなが何も言わないから、俺もそのままにしてたけど。『アルト』が周りにどう接してるか、身内以上に分かってるんだろうな)

 ウィルとは元々あまり会話していない、と指摘されればアルトもそこで気付けるのだが、そうした言葉を言われる事は無かった。

 幼い頃から仕えているらしいアルバートすら何も言わないのだから、アルトは今のままでいいのだと疑わなかったのだ。

 何が合っていて間違っているのか、それが今のところ曖昧で根拠らしい根拠もない。

(ルシエラなら、親の顔より見てて『アルト』とも長い時間話してるはずだ。だから不審に思われる日も近い──いや、近いうちにおかしいって言われるかもしれない)

『アルト』は既におらず、まったく知らない人間と今まで話していた、と知られれば気味悪がられるのは必須だ。

(でもルシエラは悪い奴じゃない……そんな感じがする)

 この身体に染み付いている言葉や行動は、たとえ忘れようとしても忘れられない。

 しかし、こちらが気を付けていなければすぐにいぶかしまれてしまう。

(世界が違っても、俺は周りに気を遣ってばっかりだ)

 ただ、それを嫌だとは思わないのだから、この感情が不思議な気さえする。

(多分だけど前は余裕が無かったんだろうな……)

 アルトは小さく自嘲した。

 嫌な事を無理矢理やり、心だけでなく身体も酷使していた自覚はある。

 その後、無理がたたってしまったのだから自業自得以外の何物でもなかった。

「──よし、着いたぞ」

 不意にルシエラが立ち止まり、それまで背後を歩いていたアルトはぶつかりそうになる。

「ここ、は……」

 アルトはそろりと視線を上げ、ルシエラに聞こえないよう小さく呟いた。

 薄暗い路地を通った先は拓けており、こぢんまりとした建物が一軒だけあった。

 どこか懐かしさを思わせる音楽が建物の中から聞こえてくる。

 建物の前には手作りの滑り台やブランコなどの遊具があり、そこで五歳ほどの子供達が思い思いに遊んでいた。

「あっ、ルシエラの兄ちゃんだ!」

 すると来訪に気付いたらしい少年が、パタパタとこちらに駆け寄ってくる。

 少年に釣られるようにして、他の子供たちもこちらにやってきた。

「おー、お前ら。元気にしてたか?」

 ルシエラは視線を合わせるようにしゃがみ、一人一人の顔を見る。

「うん!」

 一人の少年がルシエラの袖を摑む。

「聞いて聞いて、俺ね、文字が読めるようになったんだ!」

「そりゃあすごい。んじゃ、今度来る時は本持ってくるから、ちゃあんと読むんだぞ?」

 少年の弾んだ声と同じくらいの声量で、ルシエラは話し掛けてくる子供たちの頭を順番に撫でた。

「フランツ先生は居るか?」

 ふとルシエラが言うと、先程と同じ少年がはきはきと答えた。

「お買い物に行ったよ。今日は兄ちゃんが来るかもしれないから、すぐに帰るって言ってた」

「あちゃー、入れ違いだったか。……しっかし、いつもながらなんで分かるんだ」

 恐縮したふうにルシエラが頭を搔く。

 どうやらフランツという人には頭が上がらないらしい。

「ルシ兄が分かりやすいから!」

 少女が元気よく声を出した。

 そうだそうだ、と周りの子供らも同調する。

「そうかぁ? ま、フランツ先生が帰って来るまで兄ちゃんも遊ぶぞー!」

「おー!」

 ルシエラが言うと、瞬く間にわいわいと賑やかな声がこだました。

 子供らに手を引かれ、背中を押され、ルシエラは笑いながら建物の方向に向かって行った。

 それまで静観していたアルトは、その一部始終だけですべてを察する。

(孤児院、なのか)

 元の世界でもそういう所はあったが、こうしてしっかりと目にするのは初めてだった。

 行くあても帰るあてもない幼い子供が、成人するまで住む場所。

 時には親の経済環境で育てられず、赤子が孤児院の前に捨てられている場合もあるという。

 そうした理由のある場所に『アルト』はいつもやってきて、子供たちの相手をしていたらしかった。

「ねぇねぇ」

 不意に上着の裾を引かれ、そこでアルトは正気に戻る。

 見れば六歳ほどの女の子が、じっとこちらを見上げていた。

「どうした?」

 アルトはしゃがんで少女に目線を合わせる。

「お兄ちゃん、文字読める?」

 丸く大きな瞳はきらきらと輝いて、好奇心に満ちていた。

「ああ、読めるよ」

 にこりと柔らかく笑い、少女を怖がらせないよう小さな声で言った。

「読みたい本があれば持ってきて、一緒に読もうか」

 すると少女はスカートの裾を弄び、顔をうつむける。

「……ん?」

「わー、すっげー!」

 どうしたんだ、と問おうとするより前に、子供特有の高い声が背後から聞こえた。

 少女とともに声がした方を見れば、ミハルドが両肩に一人ずつ子供を乗せていた。

 どうやら子供らに『抱っこ』をせっつかれたらしい。

 ミハルドから少し離れた所では順番待ちをする子らが列を作っており、今か今かと瞳を輝かせている。

「怖くないなんてすごいなぁ、君たちは」

 ミハルドは自分よりやや上にある、少年少女の顔を交互に見やった。

「俺は強いからもっと高くてもいいよ! まぁミアは無理だろうけど」

「ひどい! ミアだってだいじょうぶだもん!」

「……これ以上は背伸びするか、何か台に乗らないと」

 二人のやり取りに、大真面目な表情でミハルドが呟く。

 しかしその表情はいつになく柔らかく、慈愛に満ちていた。

「君は行かなくてもいいのか?」

 アルトは少女の顔を覗き込む。

 淡い栗色の髪を二つに結び、丸く大きな瞳はほんのりと潤んでいる。

「……うん、お兄ちゃんとがいいから」

 そう言うと黙ってしまった少女の頬が、みるみるうちに赤くなっていく。

(恥ずかしがり屋なんだな)

 心がぽかぽかと温かくなるのを感じつつ、アルトは控えめに少女に手を差し出した。

「よし、そしたら本を探しに行こうか。読みたい本がどこにあるのか、教えてくれるかな?」

 努めて優しく言葉にし、アルトは少女をまっすぐに見た。

 少女もアルトをしばらくぼうっと見つめ、やがてこくこくと何度も頷く。

 まだ恥ずかしいのか、手は繋いでくれなかったが『早く早く』と楽しそうに先導する少女は、この世界に来て何よりもなごんだ。


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