133 / 137
第六章 美しき世界
第百三十三話 賑やかな家族
しおりを挟む「ルコットちゃん、いる?」
窓辺で髪を梳きながら、ぼんやりと夜空を見上げていたルコットは、はっとして立ち上がり、急いで廊下の扉を開いた。
案の定、そこにはロゼが立っていた。
両手に持つトレイの上で、二つのティーカップが湯気を立てている。
「ごめんなさい、夜遅くに。驚かせちゃったかしら……」
ためらいがちに眉を下げるロゼに、ルコットは慌てて両手を振る。
「いえ、そんなことはありません。お越しくださって嬉しいです。お茶まで、ありがとうございます。どうぞ」
トレイを受け取り、ローテーブルを挟んで向かい合う。
ロゼもルコットも、髪を背中に流し、ゆったりとしたナイトドレスを身にまとっていた。
窓から吹き込む秋風が、そんな二人の髪や裾をふわふわと揺らす。
情景だけ見れば、とても安らいだ空間だった。
楽な服装で、香りの良いお茶を囲み、寝る前のひとときをともに過ごす義母娘。
それなのに、ルコットの表情はどこかぎこちなく、ともすれば緊張さえしているように見えた。
二人の間にしばらくの間沈黙が落ちた。
ルコットは強いて話題を探しているようだったが、結局自然な言葉は出てこなかった。
そんなルコットを見て、ロゼは小さく微笑み、一度目を伏せて、それから控えめに口を開いた。
「ルコットちゃんは、私たちに合わせる顔がないと思ってるのよね」
図星を突かれ、ルコットははっとした。
その表情を見て、ロゼは「夕食のときもすごく気を遣ってたでしょ」と困ったように笑った。
「ルコットちゃんは真面目だから、感じる必要のない責任を感じてしまってるのかもしれないけど……」
そう言って、ロゼはティースプーンでカップの中をくるくるとかき混ぜた。
揺れる水面を見つめ、次の言葉を探しているようだった。否、どんな言葉なら、この胸の内が伝わるだろうかと考えていたのかもしれない。
とうとう、ロゼは泣きそうな瞳でこう言った。
「……私は……私たちは、もう一度あなたに会えた、それだけで嬉しいの」
ルコットの脳裏に、玄関口で出迎えてくれたベルツ家の人々の顔が浮かんだ。
ハイドル、ロゼ、オルト、ルイ、それからアスラとマシュー。
皆隠しきれない喜びを顔中に浮かべて、迎え入れてくれた。
夕食のときも、まるで小さな子どもにするように、たくさんの料理をすすめ、取り分けてくれた。
ルコットの前に料理の山ができたほどだ。
楽しい、笑いの絶えないひとときだった。
それでも、どこかでルコットは、罪悪感を感じてしまっていた。
この数年、一体どれほど心配させてしまったことか。
しかしロゼは、少しミステリアスな微笑を浮かべて、首を振った。
「実を言うとね、私、それほど心配はしてなかったのよ」
ぽかんとするルコットを見つめ、ロゼははにかむ。
「だって、あの子にはあなたしかいないし、あなたにはあの子しかいないもの。気づいてる? あなたたち一緒にいるとすごくいい顔してるのよ」
だから、いつか必ずまた会えると信じていたわ。
そう言って、ロゼはルコットの手を握った。
ルコットの瞳に、透明な涙の膜が揺れる。
それを見たロゼもつられて涙声になったが、照れをごまかすように咳払いをし、強いて明るく言った。
「それにね、若いときはどんな無茶をしたっていいの。私だって、随分色々やらかしたもの。ね、あなた。そこにいるんでしょう?」
ルコットが驚いて振り返ると、扉が控えめに開かれた。
向こうからハイドルが大きな肩をすぼめてこちらの様子を窺っている。
さらにその後ろには、ホルガーを始め、ルイ、オルト、アスラ、マシュー、ばあやまで全員が揃っていた。
「盗み聞きするつもりはなかったんです……ただ、ルコットさんに夜食でもと思って」
決まり悪そうなホルガーの後ろで、ルイが明るく笑う。
「ほんと、母上の破天荒に比べれば、ルコットちゃんのやんちゃなんて可愛いもんだよな、親父」
「……まったくだ」
当時の苦労を偲ばせるような声のトーンに、ルコットも思わず笑ってしまう。
するとロゼは一瞬、安心したような嬉しそうな、今日初めて見せる表情を浮かべた。
「……もう! 失礼しちゃうわね! でも否定はしないわ」
ロゼはルコットにいたずらな目配せをし、立ち上がる。
ルコットもつられて立ち上がった。
「さぁさ、ルコットちゃんは長旅で疲れてるのよ。寝かせてあげましょ。ルコットちゃん、また明日ね」
「は、はい、また明日」
ロゼはどこか嬉しそうに戸口へ向かい、一度その向こう側へと消えていった。
しかし、数秒もしないうちに、再びひょいと顔をのぞかせた。
「ルコットちゃん」
「はい」
忘れ物だろうか。
小首を傾げるルコットに、ロゼは先ほどまでと打って変わって、どこか真剣な眼差しで言った。
「この家に嫁いだからには、一生自由に生きたらいいのよ。あなたはあなたの空を、自由に羽ばたいて頂戴ね」
思ってもみない言葉だった。
そして同時に、とてもロゼらしい言葉だとも思った。
自由に生きたらいい。
それは、あるがままのルコットを受け入れ、愛する言葉だった。
たおやかな見た目のロゼと、筋骨たくましいホルガー。見た目にはあまり似ていないけれど、確かに二人は親子なのだなと、噛みしめるように感じた。
「ありがとうございます……お義母さま」
今はまだ少し躊躇いがちになってしまう「母」という呼び名。それもそう遠くない未来、自然に呼べるようになるだろう。
ロゼは花開くように微笑んだ。
「明日から、楽しいことがたくさん待ってるわ。きのこやきのみを採ったり、町へお忍びで行くのも楽しそう。村娘の衣装、貸してあげるから一緒に着ましょうね。それから――」
そこへ、ハイドルが戻ってきて、ロゼの手を引いた。
「ほら、ルコットさんを寝かせてあげるんだろう? あまり困らせてはいけない。……ルコットさん、何かするときは父さんも仲間に入れてほしい」
「姉さんもね!」
「僕たちにも声をかけてくれ」
気がつくと、また全員が戻ってきていた。
ホルガーが困ったように眉を下げながら、しかし幸せそうな眼差しで言った。
「おやすみなさい、ルコットさん。また明日」
また明日。
当たり前のように出てきたその言葉に、ルコットは幸せを噛みしめた。
「はい、おやすみなさい。また明日」
皆口々に、おやすみなさい、良い夢を、と微笑み去って行く。
見送りを済ませたルコットが部屋の中へ入ると、廊下の向こうから、ルイの声が響いてきた。
「いやぁ、我が弟は硬派だねぇ……いてっ!」
ルコットは微笑み、もう一度窓から夜空を見上げた。
賑やかな家族とともに過ごす明日からの毎日が、楽しみで仕方がない。
ヒシャーリャ山脈からの眺めを思い出しながら、東国辺境シュタドハイスに想いを馳せた。
彼が生まれ育ったこの地。一体どのようなところなのだろう。
ベッドに入ってからも、ルコットはまだ見ぬ明日に心を躍らせていた。
0
お気に入りに追加
93
あなたにおすすめの小説
雪解けの白い結婚 〜触れることもないし触れないでほしい……からの純愛!?〜
川奈あさ
恋愛
セレンは前世で夫と友人から酷い裏切りを受けたレスられ・不倫サレ妻だった。
前世の深い傷は、転生先の心にも残ったまま。
恋人も友人も一人もいないけれど、大好きな魔法具の開発をしながらそれなりに楽しい仕事人生を送っていたセレンは、祖父のために結婚相手を探すことになる。
だけど凍り付いた表情は、舞踏会で恐れられるだけで……。
そんな時に出会った壁の花仲間かつ高嶺の花でもあるレインに契約結婚を持ちかけられる。
「私は貴女に触れることもないし、私にも触れないでほしい」
レインの条件はひとつ、触らないこと、触ることを求めないこと。
実はレインは女性に触れられると、身体にひどいアレルギー症状が出てしまうのだった。
女性アレルギーのスノープリンス侯爵 × 誰かを愛することが怖いブリザード令嬢。
過去に深い傷を抱えて、人を愛することが怖い。
二人がゆっくり夫婦になっていくお話です。
結婚結婚煩いので、愛人持ちの幼馴染と偽装結婚してみた
夏菜しの
恋愛
幼馴染のルーカスの態度は、年頃になっても相変わらず気安い。
彼のその変わらぬ態度のお陰で、周りから男女の仲だと勘違いされて、公爵令嬢エーデルトラウトの相手はなかなか決まらない。
そんな現状をヤキモキしているというのに、ルーカスの方は素知らぬ顔。
彼は思いのままに平民の娘と恋人関係を持っていた。
いっそそのまま結婚してくれれば、噂は間違いだったと知れるのに、あちらもやっぱり公爵家で、平民との結婚など許さんと反対されていた。
のらりくらりと躱すがもう限界。
いよいよ親が煩くなってきたころ、ルーカスがやってきて『偽装結婚しないか?』と提案された。
彼の愛人を黙認する代わりに、贅沢と自由が得られる。
これで煩く言われないとすると、悪くない提案じゃない?
エーデルトラウトは軽い気持ちでその提案に乗った。
【完結】白い結婚成立まであと1カ月……なのに、急に家に帰ってきた旦那様の溺愛が止まりません!?
氷雨そら
恋愛
3年間放置された妻、カティリアは白い結婚を宣言し、この結婚を無効にしようと決意していた。
しかし白い結婚が認められる3年を目前にして戦地から帰ってきた夫は彼女を溺愛しはじめて……。
夫は妻が大好き。勘違いすれ違いからの溺愛物語。
小説家なろうにも投稿中
愛など初めからありませんが。
ましろ
恋愛
お金で売られるように嫁がされた。
お相手はバツイチ子持ちの伯爵32歳。
「君は子供の面倒だけ見てくれればいい」
「要するに貴方様は幸せ家族の演技をしろと仰るのですよね?ですが、子供達にその様な演技力はありますでしょうか?」
「……何を言っている?」
仕事一筋の鈍感不器用夫に嫁いだミッシェルの未来はいかに?
✻基本ゆるふわ設定。箸休め程度に楽しんでいただけると幸いです。
まだ20歳の未亡人なので、この後は好きに生きてもいいですか?
せいめ
恋愛
政略結婚で愛することもなかった旦那様が魔物討伐中の事故で亡くなったのが1年前。
喪が明け、子供がいない私はこの家を出て行くことに決めました。
そんな時でした。高額報酬の良い仕事があると声を掛けて頂いたのです。
その仕事内容とは高貴な身分の方の閨指導のようでした。非常に悩みましたが、家を出るのにお金が必要な私は、その仕事を受けることに決めたのです。
閨指導って、そんなに何度も会う必要ないですよね?しかも、指導が必要には見えませんでしたが…。
でも、高額な報酬なので文句は言いませんわ。
家を出る資金を得た私は、今度こそ自由に好きなことをして生きていきたいと考えて旅立つことに決めました。
その後、新しい生活を楽しんでいる私の所に現れたのは……。
まずは亡くなったはずの旦那様との話から。
ご都合主義です。
設定は緩いです。
誤字脱字申し訳ありません。
主人公の名前を途中から間違えていました。
アメリアです。すみません。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
そろそろ前世は忘れませんか。旦那様?
氷雨そら
恋愛
結婚式で私のベールをめくった瞬間、旦那様は固まった。たぶん、旦那様は記憶を取り戻してしまったのだ。前世の私の名前を呼んでしまったのがその証拠。
そしておそらく旦那様は理解した。
私が前世にこっぴどく裏切った旦那様の幼馴染だってこと。
――――でも、それだって理由はある。
前世、旦那様は15歳のあの日、魔力の才能を開花した。そして私が開花したのは、相手の魔力を奪う魔眼だった。
しかも、その魔眼を今世まで持ち越しで受け継いでしまっている。
「どれだけ俺を弄んだら気が済むの」とか「悪い女」という癖に、旦那様は私を離してくれない。
そして二人で眠った次の朝から、なぜかかつての幼馴染のように、冷酷だった旦那様は豹変した。私を溺愛する人間へと。
お願い旦那様。もう前世のことは忘れてください!
かつての幼馴染は、今度こそ絶対幸せになる。そんな幼馴染推しによる幼馴染推しのための物語。
小説家になろうにも掲載しています。
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる