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第五章 南国 エメラルド
第百二十一話 若き魔術師の過ち
しおりを挟む「ありふれた話さ」
ハントは元々、才能ある魔術師だった。
村のまじない師の女に基礎を習い、独学であらゆる術を身につけた。
彼は、一を教えれば十も百もできる子どもだった。
青年になる頃には、隣村のそのまた隣の村でも、「ヴィ=テスラ」と呼ばれるようになっていた。
だが、若き魔術師にとって、そんな人々の賞賛はどうでも良いことだった。
彼はただ、魔術を学ぶことに夢中だった。
当時のハントは、魔法でできないことはないと思っていたし、その魔法も、あらかた習得してしまったと思っていた。
また、魔術を学び、知識を蓄えるうちに、いつしか自分は何でも知っていると思い込むようになった。
それはごくありふれた勘違いだった。
若い魔術師なら誰もが一度は抱くであろう、うぬぼれといってもいい。
しかし、不運なことに、ハントは他の若者に比べ、下手に力を持ちすぎていた。
そしてさらに運悪く、彼の唯一の師は、ただの村のまじない師で、彼に理を説くにはあまりに役不足だった。
もし彼の師がれっきとした魔術師で、必要な思慮や分別、そしてこの世の理を教えていたならば、ハントは地域で評判の魔術師として、慎ましくも幸せな生涯を終えていたかもしれない。
たまに考える。
もし、何かが違っていれば、自分は平凡な幸せを手放さずに済んだのだろうか、と。
あの日、不死の魔術師にならずに済んだのだろうかと。
* * *
「多くを語る必要はないだろう、ルコットちゃん? 君はとても察しの良い聞き手のはずだ」
ハントの問いかけに、ルコットはおずおず問い返した。
「……禁忌を、犯されたのですか?」
「あぁ、そうさ。正解だよ」
ハントはどこか遠くを見るかのように、言葉を続けた。
「本当に、よくある話さ。私の生まれた村は貧しく、土地も痩せていた。食うに困る者はいなかったが、贅沢ができる者もいなかった。今思えば、それでよかったのかもしれない。しかし私は、こう考えてしまった。私の魔法があれば、村はもっと豊かになるはずだ、と」
それは欲というにはあまりに純粋な願いだった。
皆の生活が少しずつ良くなればいい。苦労が少なくなればいい。無知な魔術師の願いはただそれだけだった。
はじめは小さなことだった。
農具を壊れにくくしたり、家畜のけがを治したり。
そのあたりまでは良かった。
しかし、便利な力を目の当たりにした村人は、次々に何かを頼み込むようになった。
畑に雑草の生えない魔法をかけた。村に害獣が近寄らないようにした。
日照りの続くときは雨雲を呼び寄せ、雨続きのときは雨雲を払った。
水の枯れない泉を作り、冬中炎の消えない暖炉を作った。
そしていつしか、気温や風の向きまで、ありとあらゆるものを操るようになった。
「世界中で『奇跡の村』と噂されるようになり、多くの人々が流れ込んできた。人口は、一気に二十倍にも三十倍にも膨れ上がった。そこで私はようやく、自身の過ちをさとったんだ」
まず、住居が足りなくなった。
すぐに食料がなくなった。
そしてそのうち、病が流行り始めた。
さらに、悪いことはそれでは終わらなかった。
この世の理やバランスを無視して魔法を使い続けたツケが回ってきたのだ。
「端的に言えば、村の魔力濃度が極端に高くなってしまった。するとどうなるか。……良からぬものが村に目をつけ、寄り付くようになる」
あのときはどうしようかと思ったよ。
そう言うハントの声はいかにも余裕ありげに聞こえたが、当時の彼は心底困り果てたに違いない。
「『ソレ』はいわゆる邪神だった。それも相当タチの悪いね」
信じがたいことに、そのとき村へやってきたのは、冥界の神ザドだったのである。
ザドは、影と闇の大群を引き連れ、白昼堂々現れると、恐怖におののく人々に無慈悲な宣告を下した。
「そなたらは人の一生分の贅沢と運を使い果たした。故にこれより全員我が冥界へと連れて行く」
当時のハントは知らなかった。
ここへ雨雲を呼び寄せれば、周囲が日照りで困るということも。
この村から害獣を追い払えば、付近の村への出没率が上がるということも。
何も、知らなかったのだ。
「この世に存在しているものは全てが繋がっている。そしてそれらは、互いに絶妙なバランスを保っている。私は知らず、そのバランスを崩してしまったんだよ」
それは、許されることではなかった。
五大神である冥界の神が口を挟みに来るほどには。
この場所を中心に、世界の均衡が崩れ始めていた。
冥界神ザドは言った。
「そなたらのしてきたことは、大罪だ。そなたらの贅沢のために周辺村の多くの人々が苦しんできたのだ。そしてその贅沢を返済するためには――世界のバランスを元に戻すためには――そなたら全員の残りの寿命でもって贖わねばならない」
ハントには、その男の言う意味が半分もわからなかった。ただ、一つだけわかったのは、自分のせいで村人全員が冥界へ連れて行かれてしまうということだった。
「……私は、それに耐えられなかった」
ルコットは頷いた。
自分の無知のために、多くの人の命が奪われる。それに耐えられる者なら、そもそも貧しい村を助けたいなどとは思わないはずだ。
ハントは単身、ザドに交渉を持ちかけた。
とある春の新月の夜のことだった。
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