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第五章 南国 エメラルド

第百十五話 万年の孤独

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 そこは、一寸先も見えない暗闇だった。
 「何故?」とサーリは首をかしげる。
 リュクは? 息子は? 村の人々は?
 皆どこへ行ったのだろう。
 ここは家ではないのだろうか。

「リュク? 皆どこだ?」

 恐る恐る足を踏み出し、周囲を見回す。
 しかしそこには誰もいない。
 何もない。
 自分の他には、何も。

「リュク、リュク、どこだ」

 暗闇に、自分の声と足音だけが響く。
 応える者も、誰かの気配も感じない。
 たまらなくなって、サーリは駆け出した。

「リュク……リュク!」

 果てのない暗闇を走りながら、サーリは何度も何度も彼の名前を呼ぶ。
 あの優しい声を探して。


* * *


 サーリの様子が変わった。
 赫い瞳が突如、墨のような黒に染まる。

 それまで整然としていた攻撃が、徐々に荒々しいものへと変わっていった。
 一撃の威力が桁違いに跳ね上がる。
 ホルガーが避けた一撃が、地表に落ち、その爆風が二人の服を激しく揺らした。

「殿下、大丈夫ですか」
「問題ありませんわ」

 ホルガーは顔を上げ、迫りくる雷撃を再び回避する。
 しかし今度は一撃だけではなかった。
 次々と大槍の突きが繰り出され、絶え間なく雷撃が降り注ぐ。
 ホルガーはルコットを抱える手を強めた。

「殿下。掴まっていてください」

 ホルガーは、一分の隙もなく繰り出される攻撃の間を、針の穴に糸を通すようにかわす。
 すると今度は、周囲の暗雲が鋭い刃へと変わり二人に襲いかかってきた。
 ルコットは、指輪にそっと触れると口の中で呟く。

守りたまえヘレス虹色の珠シャルル

 瞬間、二人の周囲に虹色の膜が現れ、激しい火花を散らし、刃を弾き落とした。
 その間、ルコットの視線はサーリに据えられたまま。
 自我さえ失ってしまった暗黒の瞳の奥を、じっと見つめている。

 サーリは、飛び道具が効かないことを見て取ると、再び激しい大槍の嵐を繰り出した。
 ホルガーはまたそれを避ける。無駄のない身のこなしだったが、こちらに彼女を傷つける意思がない以上、防戦一方だった。
 そのとき、ふとルコットが口を開いた。

「……どれほど寂しい時間だったのでしょう」

 ホルガーが驚いて目を向けると、ルコットは静かな表情でサーリを見つめていた。

「愛を知ってしまった後の孤独は、きっと深い暗闇ですわ」

 安い同情ではない。憐憫でもない。
 ただその事実を、彼女の孤独をなぞろうとしているかのようだった。
 理解などできるはずもない。
 想像も及ばない。
 そんな悠久の孤独を、それでもルコットはその心で追いかけようとしていた。

「……万年の孤独の重みは、私にはわかりませんわ」

 わかりたくとも、そもそも生きている時の長さが違う。

「それでも、目の前のサーリさまがとても苦しんでいることはわかります」

 ルコットの瞳に強い光が宿った。

「ホルガーさま、私は、サーリさまを助けたいです」

 ホルガーはあっけにとられた。
 神を助けたいとは。
 それも、今まさに世界を滅ぼさんとしている戦神を。
 多くの人は不遜を通り越して愚かだと言うだろう。
 事実そうなのかもしれない。
 しかし、ルコットの願いを聞いたホルガーの胸には、明らかな炎が灯った。

「……はい」

 愚かでもいい。
 険しい道でも構わない。
 彼女のこの優しさを守れるのなら。

「ご指示を、殿下」

 ホルガーの返答に、ルコットは真剣な面持ちで頷いた。


* * *


 ルコットには、ある考えがあった。
 とはいえ、策と呼ぶにはあまりに不確定な要素の多い、博打のようなものだったが。
 少なくとも、彼女を救うための活路はこれしかない。

「……召喚魔法を、使いますわ」

 ホルガーは息を飲む。
 隠しきれない躊躇いの沈黙が、場を支配した。

 召喚魔法は、禁術とも呼ばれる高等魔法だ。
 どんな手練れの召喚魔術師でも、一歩間違えば命を落とす。

 ましてルコットは、召喚専門の魔術師ではない。
 その上、二人分の質量を空に浮かした状態だ。割かれている集中力も並のものではない。
 さらに、もう既に多くの魔力を使ってしまっている。いくら空気中から魔力を生成したところで、消費に追いつくはずもなかった。
 こんな万全とは言い難い状態で、彼女は禁術を行おうとしている。

 ホルガーは迷った。
 どう考えてもリスクが大きすぎる。
 魔術に詳しくないホルガーでも、その危険さは軍内で何度も聞いていた。

 止めるべきだと頭ではわかっている。
 本当なら、安全なところから、この戦いを見守っていてほしい。それならば自分は、何を犠牲にしても彼女だけは守り通してみせる。

(……しかしそれでは、きっと意味がない)

 それでは、彼女の意思は守れない。
 彼女の望みはただ一つ、サーリも、世界も、その美しい瞳に映るもの全てを、救うことなのだから。

「……俺は、殿下を信じています」

 ホルガーの答えに、ルコットの瞳が、星を散らしたように輝いた。
 顔中に広がるのは、遠いあの日、聖堂を駆け抜けた彼女が浮かべた微笑と同じもの。

「私も、ホルガーさまの信じてくださる私を、信じていますわ」


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