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回想―王宮―
しおりを挟む「何故兄のような臆病者が次期王なのだ!」
あぁ、分かっている。
俺がどれほど、その地位に相応しくないかなど。
自分が一番、よく知っている。
目を血走らせた弟が、床をふみ鳴らしながら歯軋りする。
数々の武功を立て、覇神と恐れられる奴の方が、よほどこの国の王に相応しい。
「それならば、兄君を消してしまわれたら、宜しいではないですか」
弟の傍に控えていた男が、まるで散歩を勧めるような気軽さで、そう進言する。
すると弟は、先程までの騒々しさが嘘のように黙り込んだ。
その沈黙は、彼の提案が一考に値することを、雄弁に物語っていた。
それだけでも、計り知れない衝撃に襲われる。
同じ腹から生まれた兄を、知らない仲ではない兄を、殺せるというのか。
ややあって、重々しく口が開かれた。
「……時期が来れば、それも必要になるだろう」
俺は自分が震えていることに気づいた。
それは怒りか、恐怖か、悲しみか。
幸い足は床に縫い付けられたかのように動かない。
声も出なかった。
「悠長なことを。やるなら今しかないことは、貴方様もよくお分りのはずです。陛下が亡くなられた今、事は一刻を争います。アラシュ様! この国を救えるのは貴方様だけなのです!」
再び重苦しい沈黙に包まれる。
しかし、今度は長くは続かなかった。
「……分かった、やろう」
「ご立派です」
元より、王の位に執着していたわけではない。
しかし長子が国を継ぐことは、もはや逃れようのない歴史の流れであった。
その上、父王の遺言書にも、はっきりと指名されてしまった。
もはや理由をこじつけ王位を譲ることさえ許されない。
それではこのままむざむざと弟の手にかかり、歴史の闇に消えるのか。
それだけは嫌だった。
誰の手にかかろうとも、血の繋がった弟に殺されるなど、耐えられない。
では策を練り返り討ちにするか。
それも嫌だ。
弟に刃を向けるなど。
どうすれば良い。
どうすれば。
時間がない。
誰に相談することもできない。
してしまえばその時点で、弟は打ち首になってしまう。
あるときから口も聞いてくれなくなった。
声を荒げるようになった。
第二王子派の派閥ができ、敵意にも似た視線を寄越すようになった。
とうとう、殺意さえ抱かせてしまった。
それでも。
口元が歪む。
頰を伝うのは涙か。
幼い頃の愛らしい手が、忘れられない。
まだ何のしがらみもなかった頃、本を読んでほしいとせがんだあの声。
風邪が治るまでここにいてほしいと遠慮がちに伏せられた目。
何一つ、忘れられない。
そんな弟と殺し合うくらいなら、俺は、世界一の愚か者になるしかない。
――――……
目覚めると眼前には見慣れない天井があった。
深い染みが幾十にも重なった、古い木製の低天井。
右手には日除けのない窓が、眩しい朝日を存分に取り込んでいる。
室内を見回す。
やはり見覚えのない部屋だった。
清潔な寝具に、簡素な衣装箱。
他には何もなかったが、窓からの眺めは良い。
日の当たる明るい部屋だった。
毛布から抜け出し、窓を開ける。
見渡す限りの草原を風が吹き抜け、前髪を揺らす。
青い爽やかな匂いが小さな部屋を満たした。
「……ここは、どこだ」
「知りたい?」
はっとして、振り返る。
気配はなかった。
物音一つない。
しかし、彼女はそこにいた。
「そんなに睨まないでよ。怪しい者じゃないわ」
「……あんたは、森の中の女か」
纏う雰囲気は別人であったが、見紛うことのない何かが彼女にはあった。
女もあっさりと首肯する。
「そ。私はベランガレア。お兄さん倒れちゃったから、私たちの村まで運んできたの。ここは私の家。昨夜は……よく眠れた?」
「……あぁ、恩にきる」
そう言うと、女は満足げに笑った。
「困ったときはお互い様よ。それより、お兄さん旅の人でしょ? しばらくこの村で休んでいったら? うちは男手が足りないから、何かと手伝ってもらえると助かるんだけど」
どう? と尋ねる女に他意は見えない。
そもそも害意があれば、意識を失った時点で、身ぐるみを剥がされ森の中に転がされているだろう。
あんな風に倒れるくらいだ。
知らずしらずのうちに疲労が蓄積していたのかもしれない。
休めるときは休むべきだろう。
「ご厚意に感謝する。お言葉に甘えさせていただこう。ベランガレア嬢」
その瞬間、彼女は弾かれたように笑い始めた。
「ベランガレアでいいわ。お兄さんの名前は?」
「オ……スレー」
咄嗟に出た偽名は、幼い頃、家族にだけ呼ばれていた特別な愛称。
不自然に途切れてしまったが、彼女は気にしていないようだった。
「ふぅん、オスレー、いい名前ね。じゃあ、そろそろ朝ごはんにしましょ」
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