380 / 391
短編・中編や他の人物を中心にした物語
その鼠は龍と語らう1
しおりを挟む花のような血飛沫があちこちで咲き乱れ、馮則はめまいを起こしてしまった。
気持ちが悪い。悪酔いでもしたかのようだ。
胃の腑からせり上がるものを何とか抑えられたのは、吐いている間に殺されるかもしれないという恐怖に駆られたからだった。
今は戦の真っ只中であり、ここはその最前線の激戦区に当たる。そこで悠長に嘔吐していられるほど、馮則の肝は太くないのだ。
(俺はなんで、こんな所に……)
そんな自問自答に意味など無いことは知っている。
しかし、後悔とともに思わずにはいられない。
(兵士になんぞなるんじゃなかった……やっちまった……人生最大の失敗だ……)
そう思いつつ、一方でそうせざるを得なかったのではないかという思いもある。
そしてその原因となった男の顔が、鈴の音が思い起こされた。
(何が栄えある孫権様直属の騎馬隊だ!あの鈴ヤクザめ!)
心中で悪態をつきながら、敵の目が自分に向かないことを必死に祈った。
馮則は騎兵であり、一応槍は持っている。
しかしその柄は細く短く、穂先もおまけのように付けられた小さなもので、ものの役には立ちそうもなかった。
役に立たないといえば、馮則自身もそうだ。騎兵のくせに武器の扱いはてんで駄目で、その上体格は鼠のように小さいときている。
前職は肉体労働だったのでそれなりに筋肉は付いているものの、戦場では役立たずという評価が適切だろう。
そんな場違い感に満たされた馮則だが、敵兵が馮則を見る目には油断がない。
むしろそれどころか、欲と功名心に燃え上がった熱い視線を向けてきた。
「あの化け物みたいな馬にまたがった騎兵を討て!あいつが指揮官に違いない!」
敵兵の一人がそう叫んだのだが、その人差し指は馮則へ向かって真っ直ぐ伸びていた。
(化け物みたいな馬、か……全くもってその通りだな)
馮則は敵の迷惑な勘違いに冷たい汗をかきながら、その部分については同意した。
指揮官などころか隊の中でも最底辺の扱いを受けている馮則だが、その乗騎は信じられないような巨馬なのである。
見上げるような体躯は並の軍馬よりも二回り以上大きく、目方は倍ほどもありそうだ。
体毛の色は山梔子の花のように清廉な白なのに、清いと思う前にその巨大さに圧倒されてしまう。
さらにただ大きいだけかと言えばそのようなことはなく、馬体の表面に浮き出た筋肉の隆起は惚れ惚れするほどで、もはや美しいばかりの陰影が力強くその存在を主張している。
化け物のような、というか化け物だ。怪物だ。
何なら生物の種として、馬であるという事実の方に疑義が生じてしまう。
そんな冗談が冗談に聞こえないほど、馮則がまたがっている馬は規格外だった。
その化け物が、
ヒュン!
という甲高い声で鳴いた。
それを聞いた馮則の顔が急激に青さを増す。
「白龍!落ち着け!落ち着けよ!」
馬の名を呼び、なだめるために首筋を優しく叩いた。
白龍というこの馬は、神経過敏で気難しい上に、とても気位が高い。敵兵たちから殺気を向けられ、それを不快に思っていることは明らかだった。
馬は相手を威嚇する時に甲高く鳴く。ヒュン!という先ほどの声は、白龍が『これから暴れるぞ』という宣言のようなものだった。
(おいおいここは戦場だぞ!?こんな所で好き勝手に動かれたんじゃ、命がいくらあっても足りねぇ!)
戦場で馬が人の制御を離れてしまうということは、非常に危険なことだ。
極端な話、敵の真っ只中に突っ込んで行かれてもおかしくない。
そして馮則にとって最悪なことに、その極端は行われてしまった。
白龍は己へ不快な感情を向けるものどもを蹴散らすべく、敵の真っ只中に突っ込んで行く。もちろん上に乗せた馮則も連れてだ。
一人と一頭に向けて槍衾が展開された。
馮則の視界にそのきらめきが広がると、耳にはなぜか鈴の音の幻聴が聞こえてきた。
(そうだ、鈴の音……あの鈴の音が全ての最悪の始まりだった……)
馮則はそれを思い出しながら、呪うような悪態を口中で噛み潰す。
「……あの鈴ヤクザっ!!」
鈴ヤクザ。甘寧という武将に馮則がつけた、会心のあだ名である。
0
お気に入りに追加
46
あなたにおすすめの小説
私たち、幸せになります!
ハリネズミ
恋愛
私、子爵令嬢セリア=シューリースは、家族の中で妹が贔屓され、自分が邪険に扱われる生活に嫌気が差していた。
私の婚約者と家族全員とで参加したパーティーで、婚約者から突然、婚約破棄を宣言された上に、私の妹を愛してしまったなどと言われる始末。ショックを受けて会場から出ようとするも、家族や婚約者に引き止められ、妹を擁護する家族たち。頭に血が上って怒鳴ろうとした私の言葉を遮ったのはパーティーの主催者であるアベル=ローゼン公爵だった。
家族に嫌気が差していた私は、一部始終を見ていて、私を気の毒に思ってくれた彼から誘いを受け、彼と結婚することになる――。
※ゆるふわ世界観なので矛盾等は見逃してください※
※9/12 感想でご指摘頂いた箇所を修正致しました。
アルファポリスという名の電網浮遊都市で歩き方がさっぱりわからず迷子になっているわたくしは、ちょっと涙目である。
萌菜加あん
エッセイ・ノンフィクション
三日ほど前にこちらのサイトに引っ越してきた萌菜加あんは、現在ちょっぴり涙目である。
なぜなら、こちらのサイトの歩き方がさっぱりわからず、かなり激しい迷子になってしまったからである。
この物語は、いや、このエッセイは、底辺作家の萌菜加あんが、
生存競争の激しいこのアルファポリスで、弱小なりに戦略を立てて、
アマゾンギフト券1000円分をゲットする(かもしれない)、努力と根性の物語、いや、エッセイである。(多分)
私は私で勝手に生きていきますから、どうぞご自由にお捨てになってください。
木山楽斗
恋愛
伯爵令嬢であるアルティリアは、婚約者からある日突然婚約破棄を告げられた。
彼はアルティリアが上から目線だと批判して、自らの妻として相応しくないと判断したのだ。
それに対して不満を述べたアルティリアだったが、婚約者の意思は固かった。こうして彼女は、理不尽に婚約を破棄されてしまったのである。
そのことに関して、アルティリアは実の父親から責められることになった。
公にはなっていないが、彼女は妾の子であり、家での扱いも悪かったのだ。
そのような環境で父親から責められたアルティリアの我慢は限界であった。伯爵家に必要ない。そう言われたアルティリアは父親に告げた。
「私は私で勝手に生きていきますから、どうぞご自由にお捨てになってください。私はそれで構いません」
こうしてアルティリアは、新たなる人生を送ることになった。
彼女は伯爵家のしがらみから解放されて、自由な人生を送ることになったのである。
同時に彼女を虐げていた者達は、その報いを受けることになった。彼らはアルティリアだけではなく様々な人から恨みを買っており、その立場というものは盤石なものではなかったのだ。
婚約解消して次期辺境伯に嫁いでみた
cyaru
恋愛
一目惚れで婚約を申し込まれたキュレット伯爵家のソシャリー。
お相手はボラツク侯爵家の次期当主ケイン。眉目秀麗でこれまで数多くの縁談が女性側から持ち込まれてきたがケインは女性には興味がないようで18歳になっても婚約者は今までいなかった。
婚約をした時は良かったのだが、問題は1か月に起きた。
過去にボラツク侯爵家から放逐された侯爵の妹が亡くなった。放っておけばいいのに侯爵は簡素な葬儀も行ったのだが、亡くなった妹の娘が牧師と共にやってきた。若い頃の妹にそっくりな娘はロザリア。
ボラツク侯爵家はロザリアを引き取り面倒を見ることを決定した。
婚約の時にはなかったがロザリアが独り立ちできる状態までが期間。
明らかにソシャリーが嫁げば、ロザリアがもれなくついてくる。
「マジか…」ソシャリーは心から遠慮したいと願う。
そして婚約者同士の距離を縮め、お互いの考えを語り合う場が月に数回設けられるようになったが、全てにもれなくロザリアがついてくる。
茶会に観劇、誕生日の贈り物もロザリアに買ったものを譲ってあげると謎の善意を押し売り。夜会もケインがエスコートしダンスを踊るのはロザリア。
幾度となく抗議を受け、ケインは考えを改めると誓ってくれたが本当に考えを改めたのか。改めていれば婚約は継続、そうでなければ解消だがソシャリーも年齢的に次を決めておかないと家のお荷物になってしまう。
「こちらは嫁いでくれるならそれに越したことはない」と父が用意をしてくれたのは「自分の責任なので面倒を見ている子の数は35」という次期辺境伯だった?!
★↑例の如く恐ろしく省略してます。
★9月14日投稿開始、完結は9月16日です。
★コメントの返信は遅いです。
★タグが勝手すぎる!と思う方。ごめんなさい。検索してもヒットしないよう工夫してます。
♡注意事項~この話を読む前に~♡
※異世界を舞台にした創作話です。時代設定なし、史実に基づいた話ではありません。【妄想史であり世界史ではない】事をご理解ください。登場人物、場所全て架空です。
※外道な作者の妄想で作られたガチなフィクションの上、ご都合主義なのでリアルな世界の常識と混同されないようお願いします。
※心拍数や血圧の上昇、高血糖、アドレナリンの過剰分泌に責任はおえません。
※価値観や言葉使いなど現実世界とは異なります(似てるモノ、同じものもあります)
※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。
※話の基幹、伏線に関わる文言についてのご指摘は申し訳ないですが受けられません
婚約破棄された落ちこぼれ剣姫は、異国の王子に溺愛される
星宮歌
恋愛
アルディア公爵家の長女、ネリア・アルディアは、落ちこぼれだ。
本来、貴族の女性には必ず備わっているはずの剣姫としての力を一切持たずに生まれてきた彼女は、その地位の高さと彼女が生まれる前に交わされた約束のために王太子の婚約者ではある。
しかし、王太子はネリアよりも、優秀な剣姫としての才能を持ち、母親譲りの美貌を持つネリアの妹、ミリア・アルディアと恋に落ち、社交界のパーティー会場でネリアに婚約破棄を言い渡す。
無能と蔑まれ、パーティー会場から追い出されるネリア。
帰ることもできず、下町で働こうにも、平民達にすら蔑まれるネリア。
その未来は絶望的に見えたが……?
これは、無能だったはずのネリアが、異国の王子に愛され、その力を開花させる溺愛物語である。
だいたい、毎日23時に更新することが多いかと思いますので、よろしくお願いしますっ。
スパイス料理を、異世界バルで!!
遊森謡子
ファンタジー
【書籍化】【旧題「スパイス・アップ!~異世界港町路地裏バル『ガヤガヤ亭』日誌~」】熱中症で倒れ、気がついたら異世界の涼しい森の中にいたコノミ。しゃべる子山羊の導きで、港町の隠れ家バル『ガヤガヤ亭』にやってきたけれど、店長の青年に半ば強引に料理人にスカウトされてしまった。どうやら多くの人を料理で喜ばせることができれば、日本に帰れるらしい。それならばと引き受けたものの、得意のスパイス料理を作ろうにも厨房にはコショウさえないし、店には何か秘密があるようで……。
コノミのスパイス料理が、異世界の町を変えていく!?
よくある婚約破棄なので
おのまとぺ
恋愛
ディアモンテ公爵家の令嬢ララが婚約を破棄された。
その噂は風に乗ってすぐにルーベ王国中に広がった。なんといっても相手は美男子と名高いフィルガルド王子。若い二人の結婚の日を国民は今か今かと夢見ていたのだ。
言葉数の少ない公爵令嬢が友人からの慰めに対して放った一言は、社交界に小さな波紋を呼ぶ。「災難だったわね」と声を掛けたアネット嬢にララが返した言葉は短かった。
「よくある婚約破棄なので」
・すれ違う二人をめぐる短い話
・前編は各自の証言になります
・後編は◆→ララ、◇→フィルガルド
・全25話完結
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる