上 下
349 / 391
短編・中編や他の人物を中心にした物語

医聖 張仲景13

しおりを挟む
「賄賂の件、許靖の従兄弟が上手くやってくれたそうですよ」

 騒動の翌日、張機は雪梅の包帯を手際よく替えながらそう伝えてやった。

 雪梅は包帯交換のため、張機の家の居間で足を投げ出している。その姿勢のまま深々と頭を下げた。

「ありがとうございます。本当に何から何まで」

 これで公式に兵から追われることはなくなったのだ。ホッと安堵の息を漏らした。

「いえ、賄賂のことで動いたのは僕じゃありませんから。許靖とその従兄弟です」

 実際、この件に関しては許靖に丸投げだった。

 というのも、許靖にはこんな案件に強い許相キョショウという従兄弟がいるのだ。

 許相はこの腐った時代に三公(後漢における最高の役職)にまで昇りつめた男なので、賄賂の一つ二つはお手の物だ。宦官にも顔が利く。

「それよりも雪梅さん、捻挫がもう少し良くなるまでは家事なんかもしなくていいんですからね」

 張機が仕事から帰ってくると、家は片付けられており食事の用意も終わっていた。

 ありがたくはあるものの、この足で家事をさせるのは申し訳ない。

 とはいえ申し訳ないといえば、ただ家でゴロゴロしていては雪梅の方が申し訳ないだろう。そもそも助けてもらった身だ。

「いいえ。置いていただく以上、出来るだけのことはさせて下さい」

「でもそれで足が悪化したら……」

「無理のない範囲でやらせていただきますから」

 雪梅が身を小さくして言うものだから、張機にもその気持ちは伝わってきた。何かやらせる方が優しさかもしれない。

「分かりました。本当に無理のない範囲でお願いしますね」

 それから二人で食事をとった。

 自宅で食べる時はいつも一人なので、どこか新鮮だった。

「美味しい。雪梅さんは料理が上手ですね」

「ありがとうございます。ただ、もう少し食材があればもっときちんとしたものをお出しできるのですが……」

「ああ、それは明日僕が買っておきますから必要なものを書き出しておいてください。その足で買い物はまだ無理です」

「申し訳ございません。よろしくお願いいたします」

「あと五日ほどで普通に歩けるようになると思います。でも出歩く前に髪の結い方だけでも変えたほうがいいかもしれませんね。公的な罪に問われなくなったと言っても、軍営の顔見知りにでも会ったら面倒だと思いますし」

「ええ、おっしゃる通りだと思います。出る時には化粧も厚くして出ましょう。このお見苦しいそばかすが消える程度には厚塗りいたしますよ」

 雪梅は自分の頬を撫でながら、あえて笑った。

 この娘は昔から自分のそばかすが大嫌いだった。

 あまりに嫌いなため、一周回ってわざと触れてしまうほどだ。

『あの娘もそばかすさえ無ければ、もう少し良い仕事がさせられそうなのですが』

 そう言われているのを聞いたのは、何年前だったか。

 雪梅は古くから劉表の家に仕える家系に産まれた。

 劉表は前漢の景帝に連なる男で、皇族という高貴な血に見合って代々の家臣がいる。

 その家の一つが雪梅の実家なのだが、雪梅はただ家臣の娘というだけでなく、雪梅自身が劉表の役に立つべく育てられた。

『お前は劉表様にとって有益な男、もしくは有害な男に嫁ぐのだ。もしくはその愛妾になるべし』

 幼い頃からそういった運命を背負わされた。

 そうやって有益な男を繋ぎ止め、有害な男を操作する。さらにそこで情報を得て、劉表へ流す。

 非道い話に聞こえるが、悪いことばかりではない。有益な男にしろ有害な男にしろ、有力者であるのが普通だ。

 良い家に嫁ぐか、妾として良い生活を送れる可能性が高くなる。実際に雪梅と同じ立場の娘は皆裕福な家に入った。

 が、雪梅はそうならなかった。そばかすが見苦しいという理由で、雑仕女として軍の間者に回されたのだ。

(このそばかすさえ無ければ)

 若い雪梅は悔しさのあまり、頬を何度も擦った。強く擦り過ぎて血が出たこともあった。

 しかしそれほど擦ってもそばかすは消えず、ただ肌が荒れるばかりだった。

 劣等感は人の心を歪める。雪梅は歪んだ行動を取るようになった。

 あえて自分からそばかすのことに触れ、笑うのだ。

 そうされると多くの人間は少し困ったように笑い返すのだが、目の前にいる張機は真顔で首を傾げた。

「……え?化粧で隠すのはもったいないですよ。雪梅さんの一番可愛いところなのに」

 そう言う張機があまりに当たり前の目をしていて、雪梅の胸はドキリとした。

(……?今、そばかすを褒められた?)

 そう思ってから、少し考えて認識を改めた。

(冗談を言われたんだろう)

 一瞬でもドキリとした自分を呪いながら、これ見よがしに頭を下げた。

「……冗談でもお褒めいただいて、ありがとうございます」

「いや、別に冗談じゃないですけど。可愛いですよ、そばかす」

 張機の顔は相変わらずの真顔で、確かに冗談を言っている風ではない。

 その様子に雪梅の顔は赤くなった。

「お、お戯れを……」

「ああ、そういえば女性は白くてまっさらな肌が好きですよね。だから化粧品なんかが売れるんでしょうけど、男の僕にはいまいち理解できなくて」

 どうやらこの男は本気で自分のそばかすを可愛いと思ってくれているらしい。

 そう理解した雪梅は、思わず頬を手で覆ってそばかすを隠した。

(そばかすを見られると、嫌われてしまう)

 矛盾したことだが、雪梅を歪めていた劣等感はそんな行動を取らせた。

 しかしこの理性的な娘はすぐに自分で矛盾に気づき、手を下ろした。

 そしてそばかすが可愛らしく見える笑い方はどうだろうと検討しながら、出来る限りの笑顔を作った。

 その笑顔の裏で、張機の心をどう掴もうかと画策していた。

(冷静に、冷静にやらないと。私はこの男を劉表様の手駒にしないといけないのだから)
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

私たち、幸せになります!

ハリネズミ
恋愛
 私、子爵令嬢セリア=シューリースは、家族の中で妹が贔屓され、自分が邪険に扱われる生活に嫌気が差していた。    私の婚約者と家族全員とで参加したパーティーで、婚約者から突然、婚約破棄を宣言された上に、私の妹を愛してしまったなどと言われる始末。ショックを受けて会場から出ようとするも、家族や婚約者に引き止められ、妹を擁護する家族たち。頭に血が上って怒鳴ろうとした私の言葉を遮ったのはパーティーの主催者であるアベル=ローゼン公爵だった。  家族に嫌気が差していた私は、一部始終を見ていて、私を気の毒に思ってくれた彼から誘いを受け、彼と結婚することになる――。  ※ゆるふわ世界観なので矛盾等は見逃してください※  ※9/12 感想でご指摘頂いた箇所を修正致しました。

アルファポリスという名の電網浮遊都市で歩き方がさっぱりわからず迷子になっているわたくしは、ちょっと涙目である。

萌菜加あん
エッセイ・ノンフィクション
三日ほど前にこちらのサイトに引っ越してきた萌菜加あんは、現在ちょっぴり涙目である。 なぜなら、こちらのサイトの歩き方がさっぱりわからず、かなり激しい迷子になってしまったからである。 この物語は、いや、このエッセイは、底辺作家の萌菜加あんが、 生存競争の激しいこのアルファポリスで、弱小なりに戦略を立てて、 アマゾンギフト券1000円分をゲットする(かもしれない)、努力と根性の物語、いや、エッセイである。(多分)

私は私で勝手に生きていきますから、どうぞご自由にお捨てになってください。

木山楽斗
恋愛
伯爵令嬢であるアルティリアは、婚約者からある日突然婚約破棄を告げられた。 彼はアルティリアが上から目線だと批判して、自らの妻として相応しくないと判断したのだ。 それに対して不満を述べたアルティリアだったが、婚約者の意思は固かった。こうして彼女は、理不尽に婚約を破棄されてしまったのである。 そのことに関して、アルティリアは実の父親から責められることになった。 公にはなっていないが、彼女は妾の子であり、家での扱いも悪かったのだ。 そのような環境で父親から責められたアルティリアの我慢は限界であった。伯爵家に必要ない。そう言われたアルティリアは父親に告げた。 「私は私で勝手に生きていきますから、どうぞご自由にお捨てになってください。私はそれで構いません」 こうしてアルティリアは、新たなる人生を送ることになった。 彼女は伯爵家のしがらみから解放されて、自由な人生を送ることになったのである。 同時に彼女を虐げていた者達は、その報いを受けることになった。彼らはアルティリアだけではなく様々な人から恨みを買っており、その立場というものは盤石なものではなかったのだ。

婚約解消して次期辺境伯に嫁いでみた

cyaru
恋愛
一目惚れで婚約を申し込まれたキュレット伯爵家のソシャリー。 お相手はボラツク侯爵家の次期当主ケイン。眉目秀麗でこれまで数多くの縁談が女性側から持ち込まれてきたがケインは女性には興味がないようで18歳になっても婚約者は今までいなかった。 婚約をした時は良かったのだが、問題は1か月に起きた。 過去にボラツク侯爵家から放逐された侯爵の妹が亡くなった。放っておけばいいのに侯爵は簡素な葬儀も行ったのだが、亡くなった妹の娘が牧師と共にやってきた。若い頃の妹にそっくりな娘はロザリア。 ボラツク侯爵家はロザリアを引き取り面倒を見ることを決定した。 婚約の時にはなかったがロザリアが独り立ちできる状態までが期間。 明らかにソシャリーが嫁げば、ロザリアがもれなくついてくる。 「マジか…」ソシャリーは心から遠慮したいと願う。 そして婚約者同士の距離を縮め、お互いの考えを語り合う場が月に数回設けられるようになったが、全てにもれなくロザリアがついてくる。 茶会に観劇、誕生日の贈り物もロザリアに買ったものを譲ってあげると謎の善意を押し売り。夜会もケインがエスコートしダンスを踊るのはロザリア。 幾度となく抗議を受け、ケインは考えを改めると誓ってくれたが本当に考えを改めたのか。改めていれば婚約は継続、そうでなければ解消だがソシャリーも年齢的に次を決めておかないと家のお荷物になってしまう。 「こちらは嫁いでくれるならそれに越したことはない」と父が用意をしてくれたのは「自分の責任なので面倒を見ている子の数は35」という次期辺境伯だった?! ★↑例の如く恐ろしく省略してます。 ★9月14日投稿開始、完結は9月16日です。 ★コメントの返信は遅いです。 ★タグが勝手すぎる!と思う方。ごめんなさい。検索してもヒットしないよう工夫してます。 ♡注意事項~この話を読む前に~♡ ※異世界を舞台にした創作話です。時代設定なし、史実に基づいた話ではありません。【妄想史であり世界史ではない】事をご理解ください。登場人物、場所全て架空です。 ※外道な作者の妄想で作られたガチなフィクションの上、ご都合主義なのでリアルな世界の常識と混同されないようお願いします。 ※心拍数や血圧の上昇、高血糖、アドレナリンの過剰分泌に責任はおえません。 ※価値観や言葉使いなど現実世界とは異なります(似てるモノ、同じものもあります) ※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。 ※話の基幹、伏線に関わる文言についてのご指摘は申し訳ないですが受けられません

婚約破棄された落ちこぼれ剣姫は、異国の王子に溺愛される

星宮歌
恋愛
 アルディア公爵家の長女、ネリア・アルディアは、落ちこぼれだ。  本来、貴族の女性には必ず備わっているはずの剣姫としての力を一切持たずに生まれてきた彼女は、その地位の高さと彼女が生まれる前に交わされた約束のために王太子の婚約者ではある。  しかし、王太子はネリアよりも、優秀な剣姫としての才能を持ち、母親譲りの美貌を持つネリアの妹、ミリア・アルディアと恋に落ち、社交界のパーティー会場でネリアに婚約破棄を言い渡す。  無能と蔑まれ、パーティー会場から追い出されるネリア。  帰ることもできず、下町で働こうにも、平民達にすら蔑まれるネリア。  その未来は絶望的に見えたが……?  これは、無能だったはずのネリアが、異国の王子に愛され、その力を開花させる溺愛物語である。  だいたい、毎日23時に更新することが多いかと思いますので、よろしくお願いしますっ。

夫と妹が不倫関係でした。

杉本凪咲
恋愛
結婚三年目。 私は夫の不倫現場を目撃する。 相手は私の妹だった。

スパイス料理を、異世界バルで!!

遊森謡子
ファンタジー
【書籍化】【旧題「スパイス・アップ!~異世界港町路地裏バル『ガヤガヤ亭』日誌~」】熱中症で倒れ、気がついたら異世界の涼しい森の中にいたコノミ。しゃべる子山羊の導きで、港町の隠れ家バル『ガヤガヤ亭』にやってきたけれど、店長の青年に半ば強引に料理人にスカウトされてしまった。どうやら多くの人を料理で喜ばせることができれば、日本に帰れるらしい。それならばと引き受けたものの、得意のスパイス料理を作ろうにも厨房にはコショウさえないし、店には何か秘密があるようで……。 コノミのスパイス料理が、異世界の町を変えていく!?

よくある婚約破棄なので

おのまとぺ
恋愛
ディアモンテ公爵家の令嬢ララが婚約を破棄された。 その噂は風に乗ってすぐにルーベ王国中に広がった。なんといっても相手は美男子と名高いフィルガルド王子。若い二人の結婚の日を国民は今か今かと夢見ていたのだ。 言葉数の少ない公爵令嬢が友人からの慰めに対して放った一言は、社交界に小さな波紋を呼ぶ。「災難だったわね」と声を掛けたアネット嬢にララが返した言葉は短かった。 「よくある婚約破棄なので」 ・すれ違う二人をめぐる短い話 ・前編は各自の証言になります ・後編は◆→ララ、◇→フィルガルド ・全25話完結

処理中です...