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短編・中編や他の人物を中心にした物語

呂布の娘の嫁入り噺34

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(すごい福耳だな)

 龐舒は己の任務を一瞬忘れ、目の前の席についた劉備という男の耳たぶを凝視した。

 師から『大耳』とは聞いていたが、確かに大きい。以前遠目に見た時にはさして思わなかったが、間近で見るとちょっとした迫力があるほどだ。

 劉備はその耳を揺らしながら使者への礼を取り、それから龐舒へ微笑みかけた。

「龐舒殿、といったな。使者を務めるには随分と若く見えるが、おいくつだろうか?」

 龐舒は劉備の笑みに不思議と引き込まれるような思いをいだきながら頭を下げた。

「私はまだ二十五の若輩者ですが、決して呂布様が劉備様を軽視しているわけではございません」

 劉備はその言葉を受け、頭を下げ返した。それでまた豊かな耳たぶが揺れる。

「二十五か、それは失礼した。もう少し若く見えたので、ちょっと齢を聞いてみたかっただけだ」

 そう言いながら深くなった笑みに、龐舒は心地の良い沼にはまるような感覚を覚えた。

 劉備の笑みは心が浮き立つほどに魅力的で、だからこそ心を引き締め直さなければならない。自分が劉備という群雄の敵である以上、この沼は危険なのだ。

 龐舒は今、呂布の使者として劉備を訪問している。室内には劉備と龐舒の他に、劉備の義兄弟である関羽と張飛もいた。

 場所は小沛しょうはいという地だ。

 ここは二年前に呂布の意向によって劉備が駐屯することになった地だが、実はそのまま居続けたわけではない。一度追い出されて、最近また舞い戻ってきた。

 追い出したのは呂布だ。自身が命じて駐屯させていたのに、その後攻め落として劉備を追放した。

(非道い話にも思えるけど、呂布様の立場からしたら仕方ないよな)

 龐舒はそう考えている。

 というのも、ごく短期間で劉備の軍勢が膨れ上がり、一万を超えるほどにまでなったのだ。劉備という大器の英雄が為せる業だろう。

 呂布はもともと劉備の支配地である徐州を奪っているのだから、本心としては敵同士という認識で間違いはない。それが自分の喉元で刃を持っていれば、突き飛ばさざるを得なかった。

 追い出された劉備はすぐ近くに支配地を持つ曹操の元へ身を寄せた。曹操が保護している帝と劉備とが遠戚関係にあるということも、曹操を選んだ理由の一つだろう。

 そして曹操は劉備を受け入れ、歓待した上で小沛の地に戻した。

 つまり劉備はこれまでと同じ小沛の地に駐屯しているが、今は呂布の命ではなく曹操、引いてはその擁する帝の命で駐屯しているのだ。

 少々複雑なので、呂布と劉備の関係を時系列で箇条書きにしていく。

・曹操に敗れた呂布を劉備が受け入れる。

・呂布が劉備を裏切り、留守中に徐州を乗っ取る。

・劉備が呂布に降伏し、小沛に駐屯させられる。

・袁術が劉備を攻めてくるが、呂布の仲裁で危機を脱する。

・劉備の軍勢が一万を超え、これを危険視した呂布が劉備を追い出す。

・劉備が曹操の元へ身を寄せる。

・曹操の援助で劉備が小沛へ舞い戻る。

 ざっと書くとこのようなものだが、乱世でのこととはいえ劉備が凡人なら呂布からの使者など八つ裂きにしたいところだろう。

 しかし劉備の器の大きさは龐舒へ笑顔を向けさせた。しかも人をとろけさせる温かみのある笑顔だ。

「龐舒殿はこの書状の意図についてはよく聞かされているな?」

 劉備の手元にはあらかじめ渡されていた呂布からの書状があった。それをひらひらと振って見せる。

「はい、うかがっております」

「ならば無駄な話はよして、私と龐舒殿との話をしよう」

 龐舒は劉備の言うことに困惑した。

「わ、私と劉備様のお話ですか?使者としては一応、文へのご回答はいただかねばならないのですが……」

「ならば、否、とだけ答えておこう。私は小沛から退去しない」

 呂布が劉備へ送った書状にはそういうことが書いてあった。

 一度追い出した劉備が帰って来たから、また出て行けと伝えたかったのだ。

 しかし当たり前だが、劉備は拒否した。そもそも呂布は劉備の支配地だった徐州を奪って今の地位にいるのに、この上主人ヅラまでしないで欲しいというものだ。

「呂布殿も返事は聞く前から知っているはずだろう」

「それはまぁ……そうですが……」

 呂布もそういうつもりでこの書状を出している。劉備がここを出て行く理由などない。

 もし出て行くことがあるとしたら、呂布がまた武力で攻めてくる場合だけだ。

 しかし呂布は書状にそういう脅すようなことを書かなかった。その理由も劉備は理解している。

「我らは曹操殿の意向でこの地に駐屯している。そのことの意味は、互いに知っているはずだ」

 要は劉備がここに居ること自体、呂布に対する曹操の牽制なのだ。

 呂布は袁術からの使者を曹操に送り、曹操は呂布に左将軍の位を与えた。そうやって表面上は近づいていた両者だったが、この乱世ではそれも相手を飲み込むための一手段でしかなかったわけだ。

 龐舒もその辺りの事情は了解しているから無言でうなずいた。

 そんな若者に対し、劉備はカラリと笑いかけた。

「ならば、この話はもういいだろう。呂布殿の意向はこちらに伝わった。だから私と龐舒殿の話だ」

「はぁ……しかし私たちの話とおっしゃられましても……」

「単刀直入に言おう。うちで働かないか?」

 突然の勧誘に、龐舒は度肝を抜かれた。

 自分は今、使者として来ている。呂布の利益を代弁する立場にあるのに、それをいきなり裏切らせようとするとは。

 しかも適当な弁舌など使わず、ど直球な言葉を投げてきた。

 ただ、驚きはしたものの龐舒は即答した。

「それはあり得ません」

 劉備はその龐舒の返事を聞いて、むしろ笑みを深くした。

「あり得ないか。そうまできっぱり言われると残念だが、その一方でより欲しくなるのが人間というものだ」

「私は劉備様に欲しがっていただくほどの者ではありませんよ」

「そう謙遜するな。実は龐舒殿をひと目見た時、感じ入るものがあったのだ。これは私好みの真っ直ぐな若者だと思った。後ろの関羽、張飛も龐舒殿に好感を持ったそうだぞ」

 劉備の後ろには義弟二人が控えている。

 ただ立っているだけなのに、その二人からは鳥肌が立つような威圧感が沸き立っていた。

 龐舒はその虎髭の方、張飛が口を開くのをやや緊張しながら見た。

「兄貴の言う好感ってのとは少し違うがな。お前、かなりやるだろう?しかも相当な鍛錬を積んでいるやつの身ごなしだ」

 義弟の言うことに、美しく豊かな髭を蓄えた関羽もうなずいて同意した。

「そうだな。我らの目から見れば龐舒殿が鍛え上げられた肉体を持っていることはよく分かる。少なくとも、よほど真面目な若者であることは間違いないだろう」

 二人の言を聞きながら龐舒は、

(この二人と呂布様や張遼様が戦ったらどうなるだろう?)

などと思ったが、そう思わせるほどの二人に褒められても子供があやされているようにしか感じられない。

「光栄なお言葉ですが、お二人を前にして自惚れられるほど目は曇っていないつもりです。それに、私が呂布様を裏切るようなことは天地がひっくり返ってもありませんので」

 劉備の誘いはすげなく断られたわけだが、目の前の福耳はまるで気にした様子がない。むしろ嬉しそうだった。

「ほう、やはり私の思った通りの真っ直ぐな若者だったな。しかし裏切る必要はない。とりあえず、呂布殿の間者になるつもりでうちに身を置かないか?」

 その提案に呆れたのは龐舒だけではない。義弟二人も長兄へ半眼を向ける。

「……兄貴の無茶は今に始まったことじゃねぇけどよ、そりゃいくらなんでも無茶が過ぎるだろ」

「公認の間者は間者と呼んで良いものか?」

 龐舒も苦笑して応じるしかない。

「それはさすがに……それに私のような人間には、そういう器用なことは無理な気がします」

 間者が上手く出来るのは、例えば玲綺のような器用な人間だろう。泥臭い自分には向いてないように思える。

 そして、それに関しては劉備も同意見ではあった。

「まぁ確かにそうかもしれんな。そういう無器用な人間だから、呂布殿も龐舒殿を信用して使者を任せられたのだろう」

 龐舒は首を横に振った。

 自分が使者にされた理由は師からはっきり聞かされている。

「呂布様は私に使者を命じるに当たり、劉備様、関羽様、張飛様のお三方をしっかり見てくるように命じられました。要は弟子の後学のため、この時代の英傑を見せておこうと思われたのでしょう」

 龐舒はそういった目的で使者を任されたのだった。

 本来ならそれなりの立場と権限を持った人間を送るべきだろうが、今回の訪問はこちらの意見を表明するためだけのものだ。交渉も必要ではないので龐舒でも構わないだろうという話になった。

『世にこういう男たちがいるということを知っておくのは、悪いことではない』

 師はそう言って弟子を送り出した。三兄弟を一代の英傑と認めてのことだ。

 そして龐舒自身、今まさに師の言葉を実感していた。

(三人が巨大な壁に見える……いや、山か?)

 それほどまでに大きな存在だと感じられるのだ。

 にも関わらず、劉備の勢力は群雄としてさほど大きいわけではない。

(僕が思ってるよりも天下は広い、ってことだな……)

 そう思えただけでも自分はきっと有意義な時間を過ごさせてもらっているのだろう。

 そんな事を考えている龐舒へ、張飛が一歩踏み出した。

「弟子?お前、呂布の弟子なのか?」

「はい、そう名乗るのが恥ずかしいほど不肖の弟子ですが……」

「不肖でも不良でもかまやしねぇよ。おい、表へ出ろ。俺とり合ってみようぜ」

「……は?」

 龐舒はまさか本気とは思わなかったが、張飛はずかずかと近づいて襟首を掴んできた。そしてそのまま引きずるように外へと向かう。

 しかし、さすがにそんな蛮行は良識ある義兄が許さない。関羽が張飛の肩を掴んだ。

「おい待て。お前、素面か?」

「なんだよ、飲んでなんかいねぇよ。人をいつでも酔っ払ってるみたいに言わないでくれ」

「酔ってると思われても仕方ない言動だ」

「そうか?あの呂布の弟子だぜ?腕前を見たいと思うのがそれほど変なことかね」

「そう思うのが普通でも、今の龐舒殿は使者としてこの場にいる。それに武器を向けるのが外交上どういうことか、お前の頭でも分かるだろう」

 関羽の説教は全くの正論で、張飛も正面切って反論する気にはならなかった。

 その代わりに、龐舒へと目を向ける。

「おい、お前はどうしたい?」

「え?」

「呂布の野郎から俺たちを見てくるよう言われたんだろうが。その一人と戦える機会が目の前にぶら下がってるのに、ただ頭を下げて帰るだけか?」

 言われた龐舒は、

(確かに)

と思った。

 こんな豪傑と戦える機会など、そうそうないだろう。

 それに先々、劉備陣営とは鉾を交えることになる可能性も高い。だから今その相手を見ておくことは悪いことではないと思った。

「張飛様さえ良ろしければ、是非」

 張飛はその言葉を聞き、ニヤリと笑った。しかしその目がどこか笑っていないようで、龐舒はゾクリとした恐怖を感じた。

 どことなく悪い顔をした張飛に、関羽が呆れたような声で尋ねた。

「……お前まさか、呂布殿に下邳を奪われた恨みを弟子にぶつけようとしてるのではないだろうな?」

 呂布は劉備から徐州を奪ったわけだが、その時に本拠地である下邳城を守っていたのは他ならぬ張飛だ。

 恨んでも恨みきれないような苛立ちを抱えていることだろう。

「はっはっは、俺がそんな狭量な男に見えるかい?」

 張飛はそう言って快活に笑ったが、龐舒を掴む手からは妙な怨念が感じられていた。
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