上 下
135 / 391
交州

虎豹騎

しおりを挟む
 隊長の号令で兵たちが一斉に動いた。

 残った部下は六人で、三人が花琳へ、二人が芽衣へ、そして残った一人が小芳へと向かった。

「ちょっと、なんで私の所に来るのよ!」

 小芳は据わった目で相手に抗議した。

 しかしそんなことを言われても、兵としても困る。

「なんでって……命令だ」

「私はあっちの人たちと違って普通の女よ。鍛えてもないし、全然強くないわ。抵抗する気もないわよ」

「それでも悪いがそういう命令で……」

「命令だったら無力で無抵抗の女を傷つけるわけ?主君の面汚しね」

 男は主君の面汚し、という言葉に過剰に反応した。

 虎豹騎は曹操直属であることを誇りに思っており、忠誠心が高い。そうでなくとも、あらゆる才を備えた曹操は兵たちから絶大な人気を持たれていた。

 その主君の面汚しと言われて、さすがに男は腹が立った。小芳の胸ぐらを掴み上げ、凄んでみせた。

「なんだと!」

「ほら見なさい。そうやって、弱者をいたぶるのが主君の面汚しでなくて何なのよ」

 男は歯噛みしたが、この女に手を上げてしまえば言われた通りになってしまう。

 小芳を掴んだ手を離し、苛立ちに踵を鳴らして背中を向けた。

(それに、確かにこの女にかまってる場合じゃなさそうだ)

 振り返った男の視線の先では、花琳と芽衣が複数の兵を相手にして見事に捌いていた。あちらに加勢した方が良いのは間違いなさそうだ。

 男がそちらに一歩踏み出した時、その後ろでは小芳が大きな酒瓶を頭上高くに振りかぶっていた。

 そして数瞬後、それは一切の迷いなく男の後頭部へ叩きつけられた。

 まだ酒がなみなみと入っていた瓶はかなりの重量だったらしい。陶器の砕ける音とともに男の意識は消失し、破片と酒にまみれてバタリと床へ倒れ伏した。

 芽衣は横薙ぎの一撃をかわしつつ、横目でそれを見て残念そうな声を上げた。

「あーあ」

「うちの人に手を出したんだから、このぐらい当然よ」

 芽衣はだめになった酒がもったいなくて声を上げたのだが、小芳は勘違いしてそんな言葉を返した。

「ふふふ……お母さんはお酒よりお父さんが好きだからねぇ」

 芽衣は可笑しそうに笑いながら、次の一撃も体を捻らせてかわした。

 そして足をふらつかせ、ゆらゆらと体を揺らす。

「よーし、そろそろ酔いも回ってきたことだし……始めますか」

 芽衣が相手にした男二人が、両側から挟み込むようしてに鞘ぐるみの剣を振った。攻撃の範囲が広いため、普通なら下がってかわすべきだろう。

 しかし、芽衣は二人の間に倒れ込むことでそれらを避けた。

「よっ」

 そんな軽い声とともに、床で体を回転させる。低い下段蹴りが右側の男の足をすくい、背中から転倒させた。

 そして息つく間もなく芽衣の体は跳ね上がり、勢いを乗せた掌底を左の男の顎に食らわせた。

 男の脳は強烈な衝撃を受け、すぐに働かなくなった。全身の力を失って後ろへ倒れていく。

 その体が床につく前に、芽衣の靴は右の男の剣を踏みつけていた。こかされながらも剣を振ろうとした右腕が、握った柄とともに床に固定された。

 芽衣はその右腕へと鋭い拳を振り下ろす。拳は正確に神経を突き、男は脳の芯に来る痛みに顔を歪めた。

 体にはそこを強打されるとしばらく動けなくなるツボがある。そこをきれいに突かれた男の利き腕は、もう使いものにならないはずだった。

 ただし、芽衣はそこで闘いを止めない。花琳の言った通り油断をしていい相手ではなかった。

 芽衣は片足を上げ、股を百八十度開いて足裏を天井へ向けた。

 そしてその踵を容赦なく振り下ろし、男の顔面へ叩きつけた。

 男の体は一度痙攣した後、すぐに動かなくなった。

 そこから少し離れたところでは、花琳が三人を相手にしている。

 それまでかわすだけで積極的な攻撃をしてこなかった花琳は、芽衣が二人を倒すのを確認するとようやく本気で目の前の男たちに目を向けた。

 巧みな足さばきで三人の相手を一列に並ばせると、足元の卓を蹴り上げた。浮いた卓で三人の視界が一瞬遮られる。

 そしてそれが晴れた時、花琳の体が流れるように兵たちの前を横切った。

 横切りながら、花琳は素早く三人に当身を食らわせていた。兵たちは自分たちが何をされたか全く分からないまま、気付けば戦闘能力を失っている。

 床に伏す部下たちを見て、隊長はぼやくような呟きを漏らした。

「ふん、やはり動きもまともに見させてはもらえんか……」

 部下たちは大した働きもできずに無力化されてしまった。

 しかし、それも仕方のないことだろうとも思った。

 特に許靖の妻はちょっと信じがたいほどに練り上げられている。期待するだけ無駄だったのだ。

(部下たちを無駄に傷つけてしまったな)

 隊長は軽い後悔を覚えながら剣の柄を握り、花琳に向かって構えた。

 相手の強さは分かったものの、鞘は外さないままだ。やはり殺すわけにはいかない。

(しかし、殺さずに何とかなる相手か?)

 自分にも虎豹騎としての矜持があるし、腕はかなり立つ方だ。

 それでも目の前の女を上手く取り押さえられそうな展望が頭に浮かんでこない。

 隊長は深呼吸をして、相手よりも自分が勝っているであろうことを心の中で数えた。男としての腕力、剣の攻撃範囲、戦場での実践経験。

 それから周囲の状況を再確認した。薄暗い店内、倒れた卓や食器、遠巻きに見る客たち。

 今まで気づかなかったが、客に混ざって店の用心棒らしき男たちが自分と花琳との対峙を観戦している。

 用心棒をやるぐらいだから、武術の心得があるのだろう。力のある武人同士の闘いに興味を湧かせているのが伝わってきた。

(恥を晒せんな)

 隊長は剣の柄を握り直し、花琳へ半歩近づいた。花琳の方は微動だにせず、力を抜いた半身で隊長の動きを眺めている。

 二人はしばらくの間、何かを待つように対峙していた。まるで熟した果実が落ちるのを待つように、静かにその時を待った。

 やがて隊長が、かすかに剣を揺らした。

 その動きを追って、花琳の視線もわずかに揺れる。

 次の瞬間、隊長は剣を上段に振り上げて激しく踏み込んだ。そして花琳の方もそれに合わせて、いや、それよりも一瞬早く踏み込んだ。

 そのままピタリと二人の動きが止まる。

 隊長は上段に構えたまま、花琳は拳を腰だめにしたまま、動かなくなった。

「……ふん」

 隊長はつまらなさそうに鼻を鳴らすと、ゆっくりと剣を下げつつ花琳から離れた。そして花琳も同じようにする。

 隊長は踵を返すと、張翔に向かって顎をしゃくった。

「おい、もう終いだ。帰るぞ」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

大和型戦艦4番艦 帝国から棄てられた船~古(いにしえ)の愛へ~

花田 一劫
歴史・時代
東北大地震が発生した1週間後、小笠原清秀と言う青年と長岡与一郎と言う老人が道路巡回車で仕事のために東北自動車道を走っていた。 この1週間、長岡は震災による津波で行方不明となっている妻(玉)のことを捜していた。この日も疲労困憊の中、老人の身体に異変が生じてきた。徐々に動かなくなる神経機能の中で、老人はあることを思い出していた。 長岡が青年だった頃に出会った九鬼大佐と大和型戦艦4番艦桔梗丸のことを。 ~1941年~大和型戦艦4番艦111号(仮称:紀伊)は呉海軍工廠のドックで船を組み立てている作業の途中に、軍本部より工事中止及び船の廃棄の命令がなされたが、青木、長瀬と言う青年将校と岩瀬少佐の働きにより、大和型戦艦4番艦は廃棄を免れ、戦艦ではなく輸送船として生まれる(竣工する)ことになった。 船の名前は桔梗丸(船頭の名前は九鬼大佐)と決まった。 輸送船でありながらその当時最新鋭の武器を持ち、癖があるが最高の技量を持った船員達が集まり桔梗丸は戦地を切り抜け輸送業務をこなしてきた。 その桔梗丸が修理のため横須賀軍港に入港し、その時、長岡与一郎と言う新人が桔梗丸の船員に入ったが、九鬼船頭は遠い遥か遠い昔に長岡に会ったような気がしてならなかった。もしかして前世で会ったのか…。 それから桔梗丸は、兄弟艦の武蔵、信濃、大和の哀しくも壮絶な最後を看取るようになってしまった。 ~1945年8月~日本国の降伏後にも関わらずソビエト連邦が非道極まりなく、満洲、朝鮮、北海道へ攻め込んできた。桔梗丸は北海道へ向かい疎開船に乗っている民間人達を助けに行ったが、小笠原丸及び第二号新興丸は既にソ連の潜水艦の攻撃の餌食になり撃沈され、泰東丸も沈没しつつあった。桔梗丸はソ連の潜水艦2隻に対し最新鋭の怒りの主砲を発砲し、見事に撃沈した。 この行為が米国及びソ連国から(ソ連国は日本の民間船3隻を沈没させ民間人1.708名を殺戮した行為は棚に上げて)日本国が非難され国際問題となろうとしていた。桔梗丸は日本国から投降するように強硬な厳命があったが拒否した。しかし、桔梗丸は日本国には弓を引けず無抵抗のまま(一部、ソ連機への反撃あり)、日本国の戦闘機の爆撃を受け、最後は無念の自爆を遂げることになった。 桔梗丸の船員のうち、意識のないまま小島(宮城県江島)に一人生き残された長岡は、「何故、私一人だけが。」と思い悩み、残された理由について、探しの旅に出る。その理由は何なのか…。前世で何があったのか。与一郎と玉の古の愛の行方は…。

GAME CHANGER 日本帝国1945からの逆襲

俊也
歴史・時代
時は1945年3月、敗色濃厚の日本軍。 今まさに沖縄に侵攻せんとする圧倒的戦力のアメリカ陸海軍を前に、日本の指導者達は若者達による航空機の自爆攻撃…特攻 で事態を打開しようとしていた。 「バカかお前ら、本当に戦争に勝つ気があるのか!?」 その男はただの学徒兵にも関わらず、平然とそう言い放ち特攻出撃を拒否した。 当初は困惑し怒り狂う日本海軍上層部であったが…!? 姉妹作「新訳 零戦戦記」共々宜しくお願い致します。 共に 第8回歴史時代小説参加しました!

分析スキルで美少女たちの恥ずかしい秘密が見えちゃう異世界生活

SenY
ファンタジー
"分析"スキルを持って異世界に転生した主人公は、相手の力量を正確に見極めて勝てる相手にだけ確実に勝つスタイルで短期間に一財を為すことに成功する。 クエスト報酬で豪邸を手に入れたはいいものの一人で暮らすには広すぎると悩んでいた主人公。そんな彼が友人の勧めで奴隷市場を訪れ、記憶喪失の美少女奴隷ルナを購入したことから、物語は動き始める。 これまで危ない敵から逃げたり弱そうな敵をボコるのにばかり"分析"を活用していた主人公が、そのスキルを美少女の恥ずかしい秘密を覗くことにも使い始めるちょっとエッチなハーレム系ラブコメ。

滝川家の人びと

卯花月影
歴史・時代
故郷、甲賀で騒動を起こし、国を追われるようにして出奔した 若き日の滝川一益と滝川義太夫、 尾張に流れ着いた二人は織田信長に会い、織田家の一員として 天下布武の一役を担う。二人をとりまく織田家の人々のそれぞれの思惑が からみ、紆余曲折しながらも一益がたどり着く先はどこなのか。

鈍亀の軌跡

高鉢 健太
歴史・時代
日本の潜水艦の歴史を変えた軌跡をたどるお話。

戦国の華と徒花

三田村優希(または南雲天音)
歴史・時代
武田信玄の命令によって、織田信長の妹であるお市の侍女として潜入した忍びの於小夜(おさよ)。 付き従う内にお市に心酔し、武田家を裏切る形となってしまう。 そんな彼女は人並みに恋をし、同じ武田の忍びである小十郎と夫婦になる。 二人を裏切り者と見做し、刺客が送られてくる。小十郎も柴田勝家の足軽頭となっており、刺客に怯えつつも何とか女児を出産し於奈津(おなつ)と命名する。 しかし頭領であり於小夜の叔父でもある新井庄助の命令で、於奈津は母親から引き離され忍びとしての英才教育を受けるために真田家へと送られてしまう。 悲嘆に暮れる於小夜だが、お市と共に悲運へと呑まれていく。 ※拙作「異郷の残菊」と繋がりがありますが、単独で読んでも問題がございません 【他サイト掲載:NOVEL DAYS】

剣客居酒屋 草間の陰

松 勇
歴史・時代
酒と肴と剣と闇 江戸情緒を添えて 江戸は本所にある居酒屋『草間』。 美味い肴が食えるということで有名なこの店の主人は、絶世の色男にして、無双の剣客でもある。 自分のことをほとんど話さないこの男、冬吉には実は隠された壮絶な過去があった。 多くの江戸の人々と関わり、その舌を満足させながら、剣の腕でも人々を救う。 その慌し日々の中で、己の過去と江戸の闇に巣食う者たちとの浅からぬ因縁に気付いていく。 店の奉公人や常連客と共に江戸を救う、包丁人にして剣客、冬吉の物語。

処理中です...