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会稽郡
逃避行
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「大きい船だなぁ」
陶深は少年のように目を輝かせながら感想を漏らした。
男は概して大きなものに憧れと興奮を覚えるものだ。特に陶深は芸術ばたの人間なので、大人になってからも少年のように感性が豊かだった。
「私もここまで大きい船だとは思わなかったな」
陶深ほど幼い感動は得られなかったものの、許靖も意外なほど大きさに驚いていた。
しかし考えてもみれば、予想できないほどではないはずだった。百人以上が乗れる船なのだ。相当な大きさであるに決まっている。
許靖たちは結局、交州への避難を決めた。もちろん許靖の強い希望も大きな理由の一つだが、他の条件も上手くはまったためだ。
同行する避難者の中に、偶然にも産婆どころか内科医も外科医も薬師もいることが分かった。
念のため先方にも妊婦がいる旨を伝えると、ある程度の準備をしていくので何かあっても対応できるだろうとのことだった。
船の方も、緊急時には部屋を一つ専有できる余裕はあることを確認済みだ。
加えて、孫策に攻められた土地の一部でひどい略奪が起こっているという情報が入ってきていた。芽衣と胎児の安全に加え、それも交州行きを決定する理由の一つになった。
略奪など戦では珍しくもない話ではあるが、やはりそういった噂が広まると危機感は募る。
孫策自身は略奪を禁止しているようだが、広域に渡る作戦範囲の全てに目を光らせるのは無理だろう。
一部で略奪を当たり前と思っている部隊がいるのは確かなようだった。
(やはり陶深は交州行きを楽しみにしているようだな)
まだ見ぬ景色への期待を隠そうともしない陶深の横顔を見て、許靖はその事に安堵した。
もちろん妊娠中の娘の体は心配だろうが、ここまでの避難行で完全に旅の喜びに魅入られている。
宝飾品の職人として、新たな刺激を創作意欲へと昇華させているのだった。
(花琳は道場に熱を入れているようだったから、すまない事になったが……)
そのことに関して、許靖は妻に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
初めこそ成り行きで開いた道場だったが、最近はずいぶんと充実しているように見えた。人に教える喜びを見出したのだろう。
許靖が桟橋の先の方へ目をやると、花琳は芽衣、許欽と共に産婆と話をしていた。
すでに荷物の積込は済んでいる。あとは出港を待つのみになっているので、気ががりは芽衣の体とお腹の子だけだ。
産婆はいかにも人の良さそうな、笑顔の柔らかい初老の女だった。経験も豊富なようだったので、何かあっても安心して任せられそうだ。
(花琳は道場を閉める事に、どのような感情を抱いただろうか)
避難の準備で慌ただしかったため、十分に気遣ってやれなかったことを許靖は後悔していた。
武術を教える道場が戦から逃げるために閉まったわけだが、それに関して不平を言う門人はいなかった。
花琳は普段から、
「武術は自分と大切な人を守るために身につけるものです。だから、危険があったらまず自分とその人の安全を最優先に考えるように。第一選択は逃げることです」
と教えていた。そして、
「戦など、もっての外です」
と繰り返し説いた。
ただ、郡の兵や民兵もいたので彼らが戦に出るのは仕方ないことではあった。
花琳は道場を閉めるにあたって一人一人に声をかけ、
「必ず生きて帰りなさい」
心を込めて、そう命じた。
花琳の言葉に涙を流す者も多かった。
許靖はその光景を思い出しながら、改めて船を見上げた。この船と自分とが花琳を会稽郡から連れ去ってしまうのだと思うと、巨船の勇姿も複雑な印象に変わってしまう。
「お前……許靖か?許靖だな!はっはっは、齢を取ったな!」
船を見上げる横から声をかけられ、許靖はそちらに顔を向けた。妙に懐かしい声を聞いたような気がする。
顔を向けた先では、浅黒い肌をした白髪の男が爽やかに笑っていた。
「……陳覧さん?陳覧さんじゃないですか!!」
許靖は我が目を疑った。そこにいたのは、かつて許靖が馬磨きをして生計を立てていた頃の上司だった。
もう二十年以上ぶりになるだろうか。
「お久しぶりです。陳覧さんはお変わりありませんね」
許靖はそう言ったが、当時の髪は黒々としていたはずだ。それが今は真っ白になっていた。
浅黒い肌に白い歯が映えているのは相変わらずだったが、今は頭の白も映えている。
「相変わらずお上品な挨拶だな。変わってないことはないだろう、この通りすっかり老人だ」
老人、というのはきっと年齢的にはそう間違いではないのだろうが、そう呼ぶには少々活力が溢れすぎているように思えた。
馬の管理をしていた時と同じように筋骨隆々としており、闊達な笑い声がよく通る。
「まぁ、お上品で当たり前か。孝廉に挙げられて、中央の人事を操るような上級役人になったって話だもんな」
「今はただの難民ですよ。陳覧さんはどうしてここにいらっしゃるんです?」
「どうしても何も、お前たち避難民を乗せるこの船の船長が俺だよ」
「ええ!?」
許靖は驚きの声を上げた。
二十年前の陳覧は、郡に雇われて馬の管理をしていた。それが大船の船長とは。
しかし考えてもみれば、むしろ納得できる部分も多い。
陳覧の瞳の奥にあるのは、荒れる波濤を越えてゆく船の「天地」だった。馬の管理を生業にするよりは、船の船長をしている方がよほどしっくりくる。
今の「天地」もあの頃とほとんど変わらない。当時との違いは、船の船首に馬が彫られていることぐらいだ。馬を世話する仕事を経て、その愛情が現れたのだろう。
「なんだ、全く聞かされてなかったのか。そもそもこの船はお前の義父である王順さんの所有だぞ。俺はもう十年以上前に、その船長に引き抜かれたんだ」
「ええ!?」
許靖は驚きを重ねた。
全くの初耳で、そんな話は花琳も聞かされていないはずだ。
「王順さんからはお前が俺を推してくれたと聞いてたんだが、違うのか?」
許靖は虚空を見上げて記憶の糸をたどった。
そう言えば若き日に孝廉に挙げられて豫州を出る前、王順から州の有望な人材についてまとめるよう頼まれた記憶がある。
「言われてみれば……確かに王順さんへの報告書に陳覧さんの事を書いた記憶があります」
(確か……『勇気と決断力とを兼ね備えており、困難を乗り越えていける人材。兵であれば一軍の将たりうる。特に川や海、船と相性の良い気質を持つ』などと書いたように思う。なるほど、乱世における貿易船の船長にはもってこいだ)
許靖は王順の見事な抜擢に感心した。
陳覧は嬉しそうに白い歯を見せた。
「そうか、月旦評の許靖に評価してもらえたなんて光栄だ。まぁ、おかげで退屈だけはしない日々を送ってるよ」
陳覧は今の職に満足そうな様子だった。
馬も好きな男だったが、やはり瞳の奥の「天地」にある船の方が性に合っているのだろう。
「俺は乗船者の一覧をもらっていたからお前が乗ることは知っていたんだがな。それにな、王順さんからはあらかじめ親類縁者とその居所の一覧をもらっていて、何かあれば商売より優先して助けるように言われていたんだ。今回は他の地域からの避難民も乗せていて、お前の縁者も何人か乗ってるんだぞ」
許靖にとって、聞けば聞くほど初耳なことばかりだった。
「そうですか……私は全く知らされていませんでした」
「おそらくだが、王順さんとしては『当てにされない方がいい』と思っていたのかもしれん。基本的には貿易であちこち動いている船だから、折よく乗せられることの方が少ないからな。今回はたまたま近くにいた時に太守から打診があって、乗船予定の一覧にお前がいたんだよ」
陳覧の言うことはもっともだ。
確かに近くにいることがほとんどない船を当てにするのは危険だろう。差し迫った危機がある時には、その場から急いで逃げたほうが安全だ。
(しかし、一応伝えるだけ伝えてくれても良かったのではないか)
許靖はそうも思った。
王順は生粋の商人であるため、重要な事をぎりぎりまで語らないというところがある。
横槍を入れられないように、情報は出来るだけ秘匿するのが商売の基本だ。それが癖になっているようにも思えた。
「王順さんはご健勝で?一応文のやり取りはしているのですが、今の話を聞くと我々には伝えられていないことが多いように思います。もしよければ近況をお聞かせ下さい」
「老いてますますご健勝だよ、あのご老体は。最近は戦乱の影響で寸断された流通網と通信網とを回復させるのに尽力してる。物と情報の道が崩れているのが、民と経済にとって最も打撃だからな。俺もその駒の一人ってわけだ」
許靖も王順があらゆる群雄に金品を蒔いているという噂は聞いている。
つまり、そうして自分の関わった荷や文を保護してもらおうというのだろう。
「相変わらず、ただの大商人で終わらない方ですね。義理の父ながら尊敬します」
「ああ。儲けるだけじゃなく、商人の立場から民のことを考えている。俺もそれは尊敬しているよ。知っての通り、人使いは荒いがな」
陳覧は声を上げて笑った。
この男は今も昔も自分で言った冗談に自分で笑う。その笑い方が爽やかで、許靖は好きだった。
「しかもお前、六十過ぎてもうすぐ子供が産まれるってんだから男として尊敬もするしかないよな」
「……は?」
下腹を叩きながら重大情報をさらりと突っ込んできた陳覧に、許靖は目を点にした。
「子供?王順さんの……ですか?」
「何だ、それも聞かされてなかったのか。半年以上前に妊娠が分かって、順調ならもうすぐ産まれるって話だよ」
さすがに陳覧は意外そうな顔をした。もし産まれれば、許靖と花琳にとっては弟か妹ということになる。それすら知らされていないとは。
(……これはもしかしたら、わざと文に書かなかったのかもしれないな。であれば、花琳には言わないほうがいいか?)
許靖は花琳のいる桟橋の先端へと目をやった。
すると、ちょうど花琳の方もこちらへと顔を向けたところだった。
その花琳が慌てた様子で駆けて来る。
「あなた大変よ、芽衣が産気づいたみたいなの」
陶深は少年のように目を輝かせながら感想を漏らした。
男は概して大きなものに憧れと興奮を覚えるものだ。特に陶深は芸術ばたの人間なので、大人になってからも少年のように感性が豊かだった。
「私もここまで大きい船だとは思わなかったな」
陶深ほど幼い感動は得られなかったものの、許靖も意外なほど大きさに驚いていた。
しかし考えてもみれば、予想できないほどではないはずだった。百人以上が乗れる船なのだ。相当な大きさであるに決まっている。
許靖たちは結局、交州への避難を決めた。もちろん許靖の強い希望も大きな理由の一つだが、他の条件も上手くはまったためだ。
同行する避難者の中に、偶然にも産婆どころか内科医も外科医も薬師もいることが分かった。
念のため先方にも妊婦がいる旨を伝えると、ある程度の準備をしていくので何かあっても対応できるだろうとのことだった。
船の方も、緊急時には部屋を一つ専有できる余裕はあることを確認済みだ。
加えて、孫策に攻められた土地の一部でひどい略奪が起こっているという情報が入ってきていた。芽衣と胎児の安全に加え、それも交州行きを決定する理由の一つになった。
略奪など戦では珍しくもない話ではあるが、やはりそういった噂が広まると危機感は募る。
孫策自身は略奪を禁止しているようだが、広域に渡る作戦範囲の全てに目を光らせるのは無理だろう。
一部で略奪を当たり前と思っている部隊がいるのは確かなようだった。
(やはり陶深は交州行きを楽しみにしているようだな)
まだ見ぬ景色への期待を隠そうともしない陶深の横顔を見て、許靖はその事に安堵した。
もちろん妊娠中の娘の体は心配だろうが、ここまでの避難行で完全に旅の喜びに魅入られている。
宝飾品の職人として、新たな刺激を創作意欲へと昇華させているのだった。
(花琳は道場に熱を入れているようだったから、すまない事になったが……)
そのことに関して、許靖は妻に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
初めこそ成り行きで開いた道場だったが、最近はずいぶんと充実しているように見えた。人に教える喜びを見出したのだろう。
許靖が桟橋の先の方へ目をやると、花琳は芽衣、許欽と共に産婆と話をしていた。
すでに荷物の積込は済んでいる。あとは出港を待つのみになっているので、気ががりは芽衣の体とお腹の子だけだ。
産婆はいかにも人の良さそうな、笑顔の柔らかい初老の女だった。経験も豊富なようだったので、何かあっても安心して任せられそうだ。
(花琳は道場を閉める事に、どのような感情を抱いただろうか)
避難の準備で慌ただしかったため、十分に気遣ってやれなかったことを許靖は後悔していた。
武術を教える道場が戦から逃げるために閉まったわけだが、それに関して不平を言う門人はいなかった。
花琳は普段から、
「武術は自分と大切な人を守るために身につけるものです。だから、危険があったらまず自分とその人の安全を最優先に考えるように。第一選択は逃げることです」
と教えていた。そして、
「戦など、もっての外です」
と繰り返し説いた。
ただ、郡の兵や民兵もいたので彼らが戦に出るのは仕方ないことではあった。
花琳は道場を閉めるにあたって一人一人に声をかけ、
「必ず生きて帰りなさい」
心を込めて、そう命じた。
花琳の言葉に涙を流す者も多かった。
許靖はその光景を思い出しながら、改めて船を見上げた。この船と自分とが花琳を会稽郡から連れ去ってしまうのだと思うと、巨船の勇姿も複雑な印象に変わってしまう。
「お前……許靖か?許靖だな!はっはっは、齢を取ったな!」
船を見上げる横から声をかけられ、許靖はそちらに顔を向けた。妙に懐かしい声を聞いたような気がする。
顔を向けた先では、浅黒い肌をした白髪の男が爽やかに笑っていた。
「……陳覧さん?陳覧さんじゃないですか!!」
許靖は我が目を疑った。そこにいたのは、かつて許靖が馬磨きをして生計を立てていた頃の上司だった。
もう二十年以上ぶりになるだろうか。
「お久しぶりです。陳覧さんはお変わりありませんね」
許靖はそう言ったが、当時の髪は黒々としていたはずだ。それが今は真っ白になっていた。
浅黒い肌に白い歯が映えているのは相変わらずだったが、今は頭の白も映えている。
「相変わらずお上品な挨拶だな。変わってないことはないだろう、この通りすっかり老人だ」
老人、というのはきっと年齢的にはそう間違いではないのだろうが、そう呼ぶには少々活力が溢れすぎているように思えた。
馬の管理をしていた時と同じように筋骨隆々としており、闊達な笑い声がよく通る。
「まぁ、お上品で当たり前か。孝廉に挙げられて、中央の人事を操るような上級役人になったって話だもんな」
「今はただの難民ですよ。陳覧さんはどうしてここにいらっしゃるんです?」
「どうしても何も、お前たち避難民を乗せるこの船の船長が俺だよ」
「ええ!?」
許靖は驚きの声を上げた。
二十年前の陳覧は、郡に雇われて馬の管理をしていた。それが大船の船長とは。
しかし考えてもみれば、むしろ納得できる部分も多い。
陳覧の瞳の奥にあるのは、荒れる波濤を越えてゆく船の「天地」だった。馬の管理を生業にするよりは、船の船長をしている方がよほどしっくりくる。
今の「天地」もあの頃とほとんど変わらない。当時との違いは、船の船首に馬が彫られていることぐらいだ。馬を世話する仕事を経て、その愛情が現れたのだろう。
「なんだ、全く聞かされてなかったのか。そもそもこの船はお前の義父である王順さんの所有だぞ。俺はもう十年以上前に、その船長に引き抜かれたんだ」
「ええ!?」
許靖は驚きを重ねた。
全くの初耳で、そんな話は花琳も聞かされていないはずだ。
「王順さんからはお前が俺を推してくれたと聞いてたんだが、違うのか?」
許靖は虚空を見上げて記憶の糸をたどった。
そう言えば若き日に孝廉に挙げられて豫州を出る前、王順から州の有望な人材についてまとめるよう頼まれた記憶がある。
「言われてみれば……確かに王順さんへの報告書に陳覧さんの事を書いた記憶があります」
(確か……『勇気と決断力とを兼ね備えており、困難を乗り越えていける人材。兵であれば一軍の将たりうる。特に川や海、船と相性の良い気質を持つ』などと書いたように思う。なるほど、乱世における貿易船の船長にはもってこいだ)
許靖は王順の見事な抜擢に感心した。
陳覧は嬉しそうに白い歯を見せた。
「そうか、月旦評の許靖に評価してもらえたなんて光栄だ。まぁ、おかげで退屈だけはしない日々を送ってるよ」
陳覧は今の職に満足そうな様子だった。
馬も好きな男だったが、やはり瞳の奥の「天地」にある船の方が性に合っているのだろう。
「俺は乗船者の一覧をもらっていたからお前が乗ることは知っていたんだがな。それにな、王順さんからはあらかじめ親類縁者とその居所の一覧をもらっていて、何かあれば商売より優先して助けるように言われていたんだ。今回は他の地域からの避難民も乗せていて、お前の縁者も何人か乗ってるんだぞ」
許靖にとって、聞けば聞くほど初耳なことばかりだった。
「そうですか……私は全く知らされていませんでした」
「おそらくだが、王順さんとしては『当てにされない方がいい』と思っていたのかもしれん。基本的には貿易であちこち動いている船だから、折よく乗せられることの方が少ないからな。今回はたまたま近くにいた時に太守から打診があって、乗船予定の一覧にお前がいたんだよ」
陳覧の言うことはもっともだ。
確かに近くにいることがほとんどない船を当てにするのは危険だろう。差し迫った危機がある時には、その場から急いで逃げたほうが安全だ。
(しかし、一応伝えるだけ伝えてくれても良かったのではないか)
許靖はそうも思った。
王順は生粋の商人であるため、重要な事をぎりぎりまで語らないというところがある。
横槍を入れられないように、情報は出来るだけ秘匿するのが商売の基本だ。それが癖になっているようにも思えた。
「王順さんはご健勝で?一応文のやり取りはしているのですが、今の話を聞くと我々には伝えられていないことが多いように思います。もしよければ近況をお聞かせ下さい」
「老いてますますご健勝だよ、あのご老体は。最近は戦乱の影響で寸断された流通網と通信網とを回復させるのに尽力してる。物と情報の道が崩れているのが、民と経済にとって最も打撃だからな。俺もその駒の一人ってわけだ」
許靖も王順があらゆる群雄に金品を蒔いているという噂は聞いている。
つまり、そうして自分の関わった荷や文を保護してもらおうというのだろう。
「相変わらず、ただの大商人で終わらない方ですね。義理の父ながら尊敬します」
「ああ。儲けるだけじゃなく、商人の立場から民のことを考えている。俺もそれは尊敬しているよ。知っての通り、人使いは荒いがな」
陳覧は声を上げて笑った。
この男は今も昔も自分で言った冗談に自分で笑う。その笑い方が爽やかで、許靖は好きだった。
「しかもお前、六十過ぎてもうすぐ子供が産まれるってんだから男として尊敬もするしかないよな」
「……は?」
下腹を叩きながら重大情報をさらりと突っ込んできた陳覧に、許靖は目を点にした。
「子供?王順さんの……ですか?」
「何だ、それも聞かされてなかったのか。半年以上前に妊娠が分かって、順調ならもうすぐ産まれるって話だよ」
さすがに陳覧は意外そうな顔をした。もし産まれれば、許靖と花琳にとっては弟か妹ということになる。それすら知らされていないとは。
(……これはもしかしたら、わざと文に書かなかったのかもしれないな。であれば、花琳には言わないほうがいいか?)
許靖は花琳のいる桟橋の先端へと目をやった。
すると、ちょうど花琳の方もこちらへと顔を向けたところだった。
その花琳が慌てた様子で駆けて来る。
「あなた大変よ、芽衣が産気づいたみたいなの」
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