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洛陽
仕事
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許靖の仕官する漢王朝は、つい先日まで危うく滅びるところだった。
黄巾の乱と呼ばれる大規模な宗教・農民反乱が起こったのだ。
そもそもの始まりは一代前の帝である桓帝の時代にあったといえる。
その時代、異民族の侵入や反乱の鎮圧、一部の人間による政府の私物化・奢侈などで、国は多額の出費を強いられた。そして現在の帝、霊帝が即位した時には国庫はほとんど空になっていた。
何とかせねばと知恵を絞った霊帝は、官位を銭で売ることを思いついた。銭さえ払えば誰もが地位の高い役人になれるようにしたのだ。
もちろん全ての官職が銭で買えたわけではなかったが、それでもその効果は抜群だった。金持ちたちが我先にと手を上げ、国庫はすぐに満たされた。
しかし、銭さえあれば誰でも高級役人になれるのだ。当然ながら善政が布けるはずはないし、賄賂もいっそう横行することとなった。
また、銭を払って役人になった者は、それを回収するために重税を課した。
(こうなればもはや一種の投機だ)
善意を残した官吏はこの状況に絶望した。絞られる一方の民はたまったものではない。
そんな中、教祖張角を指導者とする太平道という宗教が急速に広まった。
太平道は初め、懺悔や祈祷などを行うことによって病を癒すと触れ回っていた道教の一種だった。しかし規模が大きくなるにつれ高度に組織化され、やがて政治化、軍事化していった。
「蒼天すでに死す、黄天まさに立つべし」
蒼天とは漢王朝、黄天とは太平道の世のことだ。
この題目を唱えて反乱軍に参加したのは、一説によると三十六万人に及ぶといわれる。信者は皆、頭に黄色の巾をかぶったため『黄巾の乱』と呼ばれた。
とても腐った国が対応できる規模の反乱とは思えなかったが、腐っても漢王朝は四百年近く続いている大帝国だ。帝が帝というだけで、忠義に燃える者も多かった。
鎮圧戦の中で優秀な人材が幾人も頭角を現し、奮戦に奮戦を重ねた結果、反乱は何とか収束できた。戦中、教祖の張角が病に倒れたことも大きい。
今、その反乱鎮圧の功労者たちが続々と洛陽へ帰還している。政府主催でいくつもの宴が計画されていた。
許靖の同僚が土下座することになったのも、その宴の準備で上司に手落ちがあったからだ。
(宴の前にやることがあるだろうに)
許靖からすれば、戦乱で荒廃した民の生活を元に戻すことの方が先決だった。
(もちろん将兵たちは自らの命を賭して戦ったのだから、宴でもなければやっていられないとは思うが……)
許靖もそれくらい頭では分かっているのだが、それよりも今困窮している人々がいることの方が気になる性分なのだ。
許靖は戦争が終わらないうちから、各地の被害状況などをかき集めた。そしてそれを元に支援策を練り、各方面へ働きかけて実行に移してきた。
戦勝後の支援としては今回上げたものが第一段だったが、早めに戦の片がついた地域にはすでに支援物資が届いているはずだった。
許靖は今、侍郎という役職についている。文書の作成、起草を取り仕切るが、誰でもなれる役職ではない。
孝廉に挙げられた者の中でも特に優秀な者がまず尚書郎という役職につき、そこで三年勤め上げられた者だけが侍郎となる。尚書郎の三年間も、初めの一年は試用期間とされた。
(官庁勤めはもう少し楽な仕事だと思っていたが……)
文書の作成、起草と言ってしまえば大したことのない仕事にも感じられるが、国家の命令は基本的に全て文書で出される。その文書に非効率的な内容や不条理なものがあれば、行政の全てに不都合が生じる。
言ってみれば、実務上最も重要な部署だ。
仮に、ある事業の担当者から命令書の起草依頼が来たとする。大抵の場合、その担当者の考えていることだけでは文書が出来上がらない。
担当者は『命令の要点』と『欲しい結果』だけを考えているが、文書にしてしまうとそう簡単な話ではないことが分かる。
『穴だらけ』『他の法令や命令との矛盾』『他部署との調整が必要』といった事が、文書にして初めて見えてくることが多いのだ。そういった問題を見逃さず、一つ一つ潰して文書にしていかなくては行政が回らない。
また、命令を出す根本にいるわけなので、今回の支援のように自身から動いて何かをすることもできた。これが許靖のいる尚書台という部署が力を持っている所以だ。
自分発案で何かをするのは大変といえば大変だったが、普段から他部署より『欲しい結果』だけを伝えられて丸投げされることも多い。それを考えれば日常業務とさして変わらないとも言える。
仕事は楽ではなかったし、嫌な思いをすることも多かった。
しかし、このように民を救えることもあるのだ。それは家族のために働くこととは別に、仕事を続けていく糧となっている。
支援は許靖の辛抱強い説明の甲斐もあって、何とか実施の目途をつけられた。
(これで幾人もの命を救えるはずだ)
官庁からの帰路、疲れた体にその充足感が心地良かった。帰宅すれば妻と息子が待っていると思うと、なお幸せな気持ちになれる。
許靖は夕日に照らされた自宅を眺め、大きく息を吸った。肺に溜まった空気を疲れと共にゆっくり吐き出す。
「ただいま……おかえり……」
小さな声でつぶやいた。
息子がまだ赤子だった頃、一番初めに口にした言葉が『おかえり』だった。
もう少し言いやすい言葉があろうにとも思ったが、それ以来許靖は家に帰るこの瞬間が楽しみになっていた。
おかえり、と今日も言ってもらえる。
そう思うだけで、心が暖かくなった。
黄巾の乱と呼ばれる大規模な宗教・農民反乱が起こったのだ。
そもそもの始まりは一代前の帝である桓帝の時代にあったといえる。
その時代、異民族の侵入や反乱の鎮圧、一部の人間による政府の私物化・奢侈などで、国は多額の出費を強いられた。そして現在の帝、霊帝が即位した時には国庫はほとんど空になっていた。
何とかせねばと知恵を絞った霊帝は、官位を銭で売ることを思いついた。銭さえ払えば誰もが地位の高い役人になれるようにしたのだ。
もちろん全ての官職が銭で買えたわけではなかったが、それでもその効果は抜群だった。金持ちたちが我先にと手を上げ、国庫はすぐに満たされた。
しかし、銭さえあれば誰でも高級役人になれるのだ。当然ながら善政が布けるはずはないし、賄賂もいっそう横行することとなった。
また、銭を払って役人になった者は、それを回収するために重税を課した。
(こうなればもはや一種の投機だ)
善意を残した官吏はこの状況に絶望した。絞られる一方の民はたまったものではない。
そんな中、教祖張角を指導者とする太平道という宗教が急速に広まった。
太平道は初め、懺悔や祈祷などを行うことによって病を癒すと触れ回っていた道教の一種だった。しかし規模が大きくなるにつれ高度に組織化され、やがて政治化、軍事化していった。
「蒼天すでに死す、黄天まさに立つべし」
蒼天とは漢王朝、黄天とは太平道の世のことだ。
この題目を唱えて反乱軍に参加したのは、一説によると三十六万人に及ぶといわれる。信者は皆、頭に黄色の巾をかぶったため『黄巾の乱』と呼ばれた。
とても腐った国が対応できる規模の反乱とは思えなかったが、腐っても漢王朝は四百年近く続いている大帝国だ。帝が帝というだけで、忠義に燃える者も多かった。
鎮圧戦の中で優秀な人材が幾人も頭角を現し、奮戦に奮戦を重ねた結果、反乱は何とか収束できた。戦中、教祖の張角が病に倒れたことも大きい。
今、その反乱鎮圧の功労者たちが続々と洛陽へ帰還している。政府主催でいくつもの宴が計画されていた。
許靖の同僚が土下座することになったのも、その宴の準備で上司に手落ちがあったからだ。
(宴の前にやることがあるだろうに)
許靖からすれば、戦乱で荒廃した民の生活を元に戻すことの方が先決だった。
(もちろん将兵たちは自らの命を賭して戦ったのだから、宴でもなければやっていられないとは思うが……)
許靖もそれくらい頭では分かっているのだが、それよりも今困窮している人々がいることの方が気になる性分なのだ。
許靖は戦争が終わらないうちから、各地の被害状況などをかき集めた。そしてそれを元に支援策を練り、各方面へ働きかけて実行に移してきた。
戦勝後の支援としては今回上げたものが第一段だったが、早めに戦の片がついた地域にはすでに支援物資が届いているはずだった。
許靖は今、侍郎という役職についている。文書の作成、起草を取り仕切るが、誰でもなれる役職ではない。
孝廉に挙げられた者の中でも特に優秀な者がまず尚書郎という役職につき、そこで三年勤め上げられた者だけが侍郎となる。尚書郎の三年間も、初めの一年は試用期間とされた。
(官庁勤めはもう少し楽な仕事だと思っていたが……)
文書の作成、起草と言ってしまえば大したことのない仕事にも感じられるが、国家の命令は基本的に全て文書で出される。その文書に非効率的な内容や不条理なものがあれば、行政の全てに不都合が生じる。
言ってみれば、実務上最も重要な部署だ。
仮に、ある事業の担当者から命令書の起草依頼が来たとする。大抵の場合、その担当者の考えていることだけでは文書が出来上がらない。
担当者は『命令の要点』と『欲しい結果』だけを考えているが、文書にしてしまうとそう簡単な話ではないことが分かる。
『穴だらけ』『他の法令や命令との矛盾』『他部署との調整が必要』といった事が、文書にして初めて見えてくることが多いのだ。そういった問題を見逃さず、一つ一つ潰して文書にしていかなくては行政が回らない。
また、命令を出す根本にいるわけなので、今回の支援のように自身から動いて何かをすることもできた。これが許靖のいる尚書台という部署が力を持っている所以だ。
自分発案で何かをするのは大変といえば大変だったが、普段から他部署より『欲しい結果』だけを伝えられて丸投げされることも多い。それを考えれば日常業務とさして変わらないとも言える。
仕事は楽ではなかったし、嫌な思いをすることも多かった。
しかし、このように民を救えることもあるのだ。それは家族のために働くこととは別に、仕事を続けていく糧となっている。
支援は許靖の辛抱強い説明の甲斐もあって、何とか実施の目途をつけられた。
(これで幾人もの命を救えるはずだ)
官庁からの帰路、疲れた体にその充足感が心地良かった。帰宅すれば妻と息子が待っていると思うと、なお幸せな気持ちになれる。
許靖は夕日に照らされた自宅を眺め、大きく息を吸った。肺に溜まった空気を疲れと共にゆっくり吐き出す。
「ただいま……おかえり……」
小さな声でつぶやいた。
息子がまだ赤子だった頃、一番初めに口にした言葉が『おかえり』だった。
もう少し言いやすい言葉があろうにとも思ったが、それ以来許靖は家に帰るこの瞬間が楽しみになっていた。
おかえり、と今日も言ってもらえる。
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