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豫州
腐敗官吏
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「韓儀様、ようこそお越しくださいました」
王順はこれ以上ないほどの笑顔で韓儀を迎え入れた。
その様子に韓儀も満足そうにうなずく。
韓儀は今年で三十五歳になる小男で、背が低い上に痩せているので見た目は貧相な男だった。
それを隠すように大振りできらびやかな服を着こんでおり、おかげで全体の統制が取れていない妙な印象になっている。
王順は雑貨商として日頃から美的感覚を養っているだけに、この男の様子が以前から不快だった。自身の虚栄心が服飾に出過ぎており、もはや下品ですらある。
(誰も指摘してくれないのだろう。それはそれで不幸だな)
頭ではそんなことを考えながら、口からは時候の挨拶が滑らかに出てくる。
韓儀はそれを手を振って遮り、弾んだ声を上げた。
「下らん挨拶はいい。あれが手に入ったというから夜中でも急いで来たのだ。早く見せろ」
「はい、では早速。こちらです」
王順は鷹揚にうなずいてみせ、奥の一室へと案内した。
韓儀の後ろには二人の護衛がピタリとついている。
かなり大柄な男たちで、長身の王順よりもさらに頭一つ大きい。筋肉もたくましく、腕は子供の頭ほどの太さがある。
顔を見ると瓜二つなので、おそらく双子なのだろうと推測できた。二人とも背中に大きな袋を抱えている。
この屈強な二人の護衛がどこにでもついて来るため、対比で韓儀がより貧相に見えるのだった。
王順に案内された部屋の中央には、飾り木箱が一つ置かれていた。
韓儀は子供のようにそこへ駆け寄ると、断りもせずに封を開けた。
中から出てきた手の平くらいの緑色をした物体が、燭台の炎に照らされて鈍い光を返す。
「これだこれだ。翡翠の亀甲。これでこの先十年は安泰だ」
それは亀の甲羅を模して加工された、翡翠の置物だった。
王順は韓儀がとりあえず満足してくれたようなので内心安堵した。
「私などは卜占をあまり存じ上げないのですが、そちらでよろしかったのでしょうか?」
「ああ、結構だ。これで占えば今後就くべき役職が分かる」
翡翠の置物は、韓儀に求められて用意した占い用の道具だった。
亀卜、と呼ばれる占いがある。殷や商と呼ばれた国家が繁栄していた千年以上前から存在していたもので、亀の甲羅を火で炙り、割れた亀裂を見て吉凶を占う。
「俺はこんな矮小な郡の郡丞など終わりにして、別の役職に就く。ある程度は好きな役職に就けるだけの銭が貯まったからな。だが、どの役職に就けば今後の吉と出るかを悩んでいたのだ。聞くところによると翡翠の甲羅で亀卜を行えば、砂漠の砂粒の数ですらたちどころに分かるというぞ」
(卜占狂いめ)
王順は心中でののしったが、相変わらず顔だけは笑顔を崩さない。
韓儀は占いにひどく凝っており、王順に賄賂として翡翠の亀甲を要求したのだ。雑貨商ならこのようなものも手に入りやすかろう、という軽い思いつきだった。
しかし、そもそもそのような需要は滅多にないので八方探したが見つからず、仕方なく知り合いの翡翠職人に頼んで特注で作ってもらった。それなりの大きさなので、かなり値が張った。
韓儀はそれを灯にかざし、舐めるように見ている。
「しかし……翡翠の宝飾品としてはあまり質が良くないのではないか?筋がかなり多いぞ」
「火で炙った結果として割れなければならないので、幾本も筋が入ったものがいいのだと聞いております。あまり上等だといくら炙っても割れないか、一通りにしか割れないそうです」
「ふむ、そういうことか」
この上、文句をつける韓儀に腹が立ったが、用意しておいた理由で何とか乗り切った。この大きさで上等な原石など使えるはずがない。
「よし、確かに受け取ったぞ」
韓儀は亀甲を箱に戻すと、さっさと出ていこうとした。
「あっ、お待ちください。今、酒など用意させておりますので」
止める王順を、韓儀は迷惑そうに振り返った。
「不要だ。これさえもらえればもう満足だ。帰る」
「しかし」
「なんだ。お前もこんな夜更けに来られて迷惑ではないのか」
(普段なら当然そうだが)
韓儀からは絶対に出てこなさそうな気を遣った言葉を聞かされ、王順は二の句が継げなかった。
「いいな、帰るぞ」
そう言って部屋から廊下へ出たところで、酒食の盆を抱えた許靖とぶつかった。
盆がひっくり返り、酒とつまみが廊下に散らばる。
「失礼いたしました!お召し物は大丈夫ですか?」
許靖は韓儀の服を気にする振りをして、瞳を盗み見た。
これが目的で使用人に扮し、給仕に出させてもらったのだ。
廊下の暗がりの中、韓儀の瞳の奥の「天地」が許靖の視界に広がる。
そこはふわふわとした雲が浮いていて、あたかも天界を思わせる雰囲気だった。その中心に一人の男がだらしなく寝そべっている。
周囲には美しい天女が幾人も舞っていた。その中の一人が男の口に桃を運び、男は横になったまま口だけを動かしてそれを食べた。
その横には酒器をかかげた別の天女も侍っており、男がそちらに視線を送ると酒を口元まで持っていった。
酒を喉に流し込んだ男が肩を軽く揺すると、今度は背後にいた天女が揉み始める。
(これは……あまり見ないほど自己中心的な人間だな。他人は自分のために何かをする存在でしかないと考えている。しかも、現実にそうなっていることが多いのだろう。それを当たり前だと思い、しかも満たされている)
「無礼者めっ!この服一つで貴様の給金何年分になると思っている!」
韓儀の怒鳴り声を浴び、許靖は平伏した。額を床に押し付ける。
王順が慌ててとりなした。
「申し訳ございません、私が急いで酒食をお持ちするように命じたものですから。お許しください」
韓儀は答えもせず服が汚れていないかを確認していたが、どうやら問題なかったらしい。
「ふん。気を付けろ」
鼻を鳴らし、わざと許靖の頭につま先をぶつけてから玄関の方へ歩き出した。
許靖は頭を床につけたまま動かない。韓儀が玄関から出ていく音を聞き届けるまで、そのままの姿勢でい続けた。
王順はこれ以上ないほどの笑顔で韓儀を迎え入れた。
その様子に韓儀も満足そうにうなずく。
韓儀は今年で三十五歳になる小男で、背が低い上に痩せているので見た目は貧相な男だった。
それを隠すように大振りできらびやかな服を着こんでおり、おかげで全体の統制が取れていない妙な印象になっている。
王順は雑貨商として日頃から美的感覚を養っているだけに、この男の様子が以前から不快だった。自身の虚栄心が服飾に出過ぎており、もはや下品ですらある。
(誰も指摘してくれないのだろう。それはそれで不幸だな)
頭ではそんなことを考えながら、口からは時候の挨拶が滑らかに出てくる。
韓儀はそれを手を振って遮り、弾んだ声を上げた。
「下らん挨拶はいい。あれが手に入ったというから夜中でも急いで来たのだ。早く見せろ」
「はい、では早速。こちらです」
王順は鷹揚にうなずいてみせ、奥の一室へと案内した。
韓儀の後ろには二人の護衛がピタリとついている。
かなり大柄な男たちで、長身の王順よりもさらに頭一つ大きい。筋肉もたくましく、腕は子供の頭ほどの太さがある。
顔を見ると瓜二つなので、おそらく双子なのだろうと推測できた。二人とも背中に大きな袋を抱えている。
この屈強な二人の護衛がどこにでもついて来るため、対比で韓儀がより貧相に見えるのだった。
王順に案内された部屋の中央には、飾り木箱が一つ置かれていた。
韓儀は子供のようにそこへ駆け寄ると、断りもせずに封を開けた。
中から出てきた手の平くらいの緑色をした物体が、燭台の炎に照らされて鈍い光を返す。
「これだこれだ。翡翠の亀甲。これでこの先十年は安泰だ」
それは亀の甲羅を模して加工された、翡翠の置物だった。
王順は韓儀がとりあえず満足してくれたようなので内心安堵した。
「私などは卜占をあまり存じ上げないのですが、そちらでよろしかったのでしょうか?」
「ああ、結構だ。これで占えば今後就くべき役職が分かる」
翡翠の置物は、韓儀に求められて用意した占い用の道具だった。
亀卜、と呼ばれる占いがある。殷や商と呼ばれた国家が繁栄していた千年以上前から存在していたもので、亀の甲羅を火で炙り、割れた亀裂を見て吉凶を占う。
「俺はこんな矮小な郡の郡丞など終わりにして、別の役職に就く。ある程度は好きな役職に就けるだけの銭が貯まったからな。だが、どの役職に就けば今後の吉と出るかを悩んでいたのだ。聞くところによると翡翠の甲羅で亀卜を行えば、砂漠の砂粒の数ですらたちどころに分かるというぞ」
(卜占狂いめ)
王順は心中でののしったが、相変わらず顔だけは笑顔を崩さない。
韓儀は占いにひどく凝っており、王順に賄賂として翡翠の亀甲を要求したのだ。雑貨商ならこのようなものも手に入りやすかろう、という軽い思いつきだった。
しかし、そもそもそのような需要は滅多にないので八方探したが見つからず、仕方なく知り合いの翡翠職人に頼んで特注で作ってもらった。それなりの大きさなので、かなり値が張った。
韓儀はそれを灯にかざし、舐めるように見ている。
「しかし……翡翠の宝飾品としてはあまり質が良くないのではないか?筋がかなり多いぞ」
「火で炙った結果として割れなければならないので、幾本も筋が入ったものがいいのだと聞いております。あまり上等だといくら炙っても割れないか、一通りにしか割れないそうです」
「ふむ、そういうことか」
この上、文句をつける韓儀に腹が立ったが、用意しておいた理由で何とか乗り切った。この大きさで上等な原石など使えるはずがない。
「よし、確かに受け取ったぞ」
韓儀は亀甲を箱に戻すと、さっさと出ていこうとした。
「あっ、お待ちください。今、酒など用意させておりますので」
止める王順を、韓儀は迷惑そうに振り返った。
「不要だ。これさえもらえればもう満足だ。帰る」
「しかし」
「なんだ。お前もこんな夜更けに来られて迷惑ではないのか」
(普段なら当然そうだが)
韓儀からは絶対に出てこなさそうな気を遣った言葉を聞かされ、王順は二の句が継げなかった。
「いいな、帰るぞ」
そう言って部屋から廊下へ出たところで、酒食の盆を抱えた許靖とぶつかった。
盆がひっくり返り、酒とつまみが廊下に散らばる。
「失礼いたしました!お召し物は大丈夫ですか?」
許靖は韓儀の服を気にする振りをして、瞳を盗み見た。
これが目的で使用人に扮し、給仕に出させてもらったのだ。
廊下の暗がりの中、韓儀の瞳の奥の「天地」が許靖の視界に広がる。
そこはふわふわとした雲が浮いていて、あたかも天界を思わせる雰囲気だった。その中心に一人の男がだらしなく寝そべっている。
周囲には美しい天女が幾人も舞っていた。その中の一人が男の口に桃を運び、男は横になったまま口だけを動かしてそれを食べた。
その横には酒器をかかげた別の天女も侍っており、男がそちらに視線を送ると酒を口元まで持っていった。
酒を喉に流し込んだ男が肩を軽く揺すると、今度は背後にいた天女が揉み始める。
(これは……あまり見ないほど自己中心的な人間だな。他人は自分のために何かをする存在でしかないと考えている。しかも、現実にそうなっていることが多いのだろう。それを当たり前だと思い、しかも満たされている)
「無礼者めっ!この服一つで貴様の給金何年分になると思っている!」
韓儀の怒鳴り声を浴び、許靖は平伏した。額を床に押し付ける。
王順が慌ててとりなした。
「申し訳ございません、私が急いで酒食をお持ちするように命じたものですから。お許しください」
韓儀は答えもせず服が汚れていないかを確認していたが、どうやら問題なかったらしい。
「ふん。気を付けろ」
鼻を鳴らし、わざと許靖の頭につま先をぶつけてから玄関の方へ歩き出した。
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