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半夏瀉心湯、六君子湯、四君子湯、二陳湯1

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(あ、川中島果樹園だ)

 月子は遠くに見える桃園に気づくと、すぐにそこが伯母の経営する果樹園だと分かった。

 半引きこもりになるまでは毎年訪れていた場所だし、つい最近も果物狩りに行った。

 だから当然のように気づいたのだが、気づいたところで視線を送る以外に何もできない。何と言っても、今の月子は絶賛誘拐され中なのだ。

(動けないし、喋れない……)

 両手両足を紐で拘束され、口にはテープを貼られている。そして見ず知らずの人間に担ぎ上げられて運ばれている。

 誘拐犯は月子を抱えたまま市街地の屋根から屋根へと跳び移り、山の中へと入った。アクションヒーロー顔負けの動きではあるが、闘薬術の身体強化をもってすれば、こんな移動方法もそう難しいことではない。

 とはいえ、月子や景は平時ならそんなことはしない。一般人に見られた時、病邪被害がなければ原状回復の神術で記憶を消すことができないからだ。

(私を誘拐してるこの人、通行人から見られることを全く気にしてなかったけど……なんでだろう?)

 すでにここまでの道中で何人かの一般人に見られている。なんなら月子と目が合った人間すらいた。

 しかし誘拐犯たちは気にした様子もなく、淡々と移動を続けていた。

 そして今は深い山中を移動しているのだが、月子は思い返して強い違和感を抱いた。誘拐犯に普通を求めるのも変な話だが、やはりこうも人目を気にしないのはおかしいと思う。

(違和感といえば、山に入ってからのルートもすごく違和感なんだよね……パッと見は道じゃないんだけど、闘薬術の身体強化があれば道って言えるようなところをずっと通ってる)

 例えば一見するとまともに歩けない急斜面だが、太い枝から枝へ跳び移ることを前提にすれば、上手く道のような空間になっていたりする。

 そしてさらに意識して見れば、一部の枝が都合よく伐採されているのも目についた。

(……人為的に作られた、三次元的な山道?)

 月子はまさかという気持ちでそう考え、直後にそのまさかを打ち消した。

(闘薬術で出来ることを考えたら自然な発想……なんだろうな)

 それはつまり、月子を誘拐しているこの連中が、闘薬術を当たり前と思えるほどに習熟しているという事実に他ならない。

 抵抗したところで勝てる見込みなどないだろう。そう思ったから、運ばれるがままに任せている。

(でもいい加減、この姿勢のままっていうのも疲れちゃった……)

 闘薬術の発生させる力場のせいで移動の負荷はさして感じないのだが、単純に同じ姿勢のままというのが辛かった。

 しかし、その辛さが続いたのもそれから五分程度のことだった。川中島果樹園のある山の斜面を登り切り、山頂を越えたもう少し先で誘拐犯たちの足は止まった。

 そこは周囲を背の高い木々に囲まれた空間で、厚い枝葉をかき分けた内側はちょっとした広場のようになっていた。

「……もう!この女、ちょー重いんですけど!?」

 誘拐犯が月子を半ば放るようにして降ろし、そんなセリフを吐き捨てた。気の強そうな女だ。

 両手両足を縛られた月子はまともに受け身を取れず、腰をしたたかに地面へぶつけた。骨が折れるほどではないが、青アザはできる程度には痛かった。

「こっから先は自分で歩いてよね。足の拘束だけは解いてあげるけど、逃げ出そうとしても無駄だから」

 女は痛みに顔をしかめる月子を気にもかけず、腰の刀を抜いて足を縛っていた紐を切った。見たところ、手にしているのは葛根刀のようだ。

「立って」

 月子は言われた通り、ヨロヨロと立ち上がった。両腕は後ろ手に縛られたままなので少しまごついてしまう。

 そして自分を誘拐した女と改めて向き合った。

(……露出の多い人だな)

 月子の受けた第一印象はそういうものだった。

 丈の短いシャツからはへそが覗いていて、上に羽織った上着もわざと着崩しているから肩が大きく出ている。

 そして下はホットパンツなので、肉感的な生足が股下から全て陽光に晒されていた。

 八月という季節を考慮してなお露出過多に感じられるが、スタイルが非常に良いのでそれを誇示しているのだろう。

 そして化粧が濃いというか、クッキリしていた。やけに色気と格好良さを強調した化粧だ。

 気が強そうではあるが、それでも男はいくらでも寄ってくるだろうと思えるような女だった。



「おい、樹里じゅり。目隠しをしてないじゃないか。山に入る前にしとけって言っただろうが」

 別の誘拐犯が女を責める口調でそう言ってきた。こちらは中年の男だ。

 樹里と呼ばれた女はフンと鼻を鳴らす。

「あれだけ山の中を走ったんだから、ここがどこかなんてどうせ分かんないでしょ。それにさ、どうせもうすぐ世界は私たちのものになるんだから、細かいことなんか気にする必要ないって」

(せ、世界!?)

 月子は叫ぼうとしたが、口が開かない。テープで塞がれているので、口周りの皮膚が伸びただけだった。

 しかし世界が自分たちのものになるというのはどういうことか。冗談のようなセリフだが、言われた中年男は笑いはしなかった。

「まぁ、それはそうだけどな」

 あまつさえ、そんな風に肯定してみせる。

「でも油断はするなよ。邪気まといの医聖が一般人に負けるわけがないとはいえ、蚩尤しゆう様以外の医聖もまだいるんだからな」

「それだって一番大きいのはもう倒しちゃったじゃん。やっぱり邪気まといは最強なんだよ」

 そんなことを話しながら、樹里は近くの木へと近づいていった。

 その木はかなりの大木ではあるが、それ以外は特に変わったところのない、ただの杉の木だ。

 しかし樹里がその根元に触れると、いきなりそこを中心にして両開きに樹の肌が開いた。

 その奥は広い空洞になっている。

(か、隠し扉?)

 月子は漫画やゲームでよく見るような光景に、つい胸の高鳴りを覚えた。

 扉はちょうど人一人が通れる程度の大きさで、地下へと下る階段も見える。

(地下の秘密基地だ!)
 
 誘拐されているということも忘れ、そのことに興奮してしまう。

 しかしそれに冷水をかけるような強い声がかかった。

「ボサッとしてないで早くこっちに来なさいよ!」

 月子はビクリと体を震わせ、身を小さくして樹里の命令に従った。

 この語調だけで、樹里が自分の苦手な人種だとよく理解できた。ヤンキーとまでは言わないが、気の強い女は苦手だ。

 それから月子は樹里と男に前後を挟まれて階段を下りていった。

 地下というのは温度が変化しにくいため、夏場の今は下れば下るほど空気がひんやりとしてくる。涼しいのだが、どうにも不安を掻き立てるような冷たさだった。

 階段を下り切ると、その先には長い通路が続いている。通路の左右にはある程度の間隔をおいて扉が並んでおり、この地下建造物にはかなりの部屋数があるのだろうと察せられた。

 樹里はそれら左右の扉には見向きもせず、真っ直ぐ進んでいく。

 そしてその突き当たり、やたら重厚で大きな扉の前でようやく足を止めた。

「樹里です。駄女神の医聖を連れてきました」

 一転して樹里の言葉遣いは丁寧になった。部屋の中にいる人物との上下関係が否応にも分かろうというものだ。

 そして駄女神という単語を平然と使っていたが、月子にもそれが誰を指すかはすぐに分かった。景がよくそう呼んでいるからだ。

「ご苦労様。入っていいよ」

 意外にも、中から帰ってきたのは澄んだボーイソプラノの声だった。琴の弦を弾いたようなその声音は美しいとさえ感じられる。

 樹里が扉を開けて入室し、月子もそれに続いた。

 そしてまず目に入ったのは、思わぬ見知った顔だった。

(由紀ちゃん!?)

 月子はその名を叫ぼうとしたが、やはり口が塞がっているので言葉にはならない。

 しかし由紀の方は何の拘束も受けておらず、ちゃんと声が出せた。

「月子お姉ちゃん!」

 由紀は月子を見るとすぐに駆け寄ろうとした。ここしばらく景の家で面倒を見てもらったため、すでにかなり懐かれている。

 が、その前に樹里が身を滑らせて通せんぼした。月子の拘束を解かれることを警戒したのかもしれない。

「樹里、構わないよ。そっちの娘も自由にしてもらっていい」

 先ほど廊下で聞いたボーイソプラノがそう指示したことで、樹里が後ろへ下がった。

 由紀はすぐに月子のところへ来て、口のテープを剥がそうとしてくれた。しかし特別なテープなのか、なかなか剥がれてくれない。

 月子は頬に立てられる爪の痛みに耐えながら、目は樹里に命令を下していた男へと向けた。

 いや、その男は男ではあるが、男というには少々幼すぎる。小学二年生の由紀とさほど変わらないような外見の少年なのだ。

 ただし服装はそこらにいる少年とはまるで違った。瑤姫と同じように漢服を着込んでおり、頭には飾りのぶら下がった三角笠をかぶっている。

 その顔立ちは非常に端正で、形の良い口元に柔和な笑みを浮かべ、赤い瞳を細めて月子のことを見ていた。

(瞳が赤い……)

 月子にはその赤が気になった。血のような深い赤で、優しげであるにも関わらず、不思議と恐ろしいものを感じさせた。

 そして少年はその美しくも恐ろしい笑顔で自己紹介をする。

「はじめまして、僕は蚩尤しゆう。君に世界征服を手伝ってほしくてここに来てもらったんだ」

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