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桂枝加芍薬湯、桂枝加芍薬大黄湯6

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 いつの間にか公園にいた。

 月子の家からは少し遠い、しかし小学生の頃には友達とよく遊びに来ていた公園だ。

 無我夢中で走っていて、ちょうどお腹が限界に来たところで公園のトイレが目に入った。

 過敏性腸症候群は排便によって症状が和らぐのが普通だ。この時の月子も用を足して少し楽になり、ようやく自分がかつて遊んでいた公園にいることを知った。

「ブランコに乗るの、何年ぶりかな……」

 本当に久しぶりの振り子運動に身を任せながら、月子は独りごちた。

 引きこもってから公園になど一度も来ていない。同級生が遊んでいるかもしれないと思うと、遊びに行く気になれなかった。

 しかし今は時間が遅いこともあり、同級生どころか現役の子供たちも帰宅していて月子だけだ。

 独りは気が楽だった。誰かに汚いと思われることもない。

 このまま世界から自分以外が消えてしまえばいいのにと思った。

(いや、私自身が世界から消えちゃえばいいのか……)

 そんなことを考えた時、心地良い独りの世界は壊された。

 公園に人が入ってきたのだ。

 しかもそれは月子が顔を合わせたくないと思っていた人間、張中景だった。

「あー……大丈夫?なんか様子がおかしかったから……」

 景はどこか遠慮がちに聞いてきた。

 正直なところ、わざわざ追いかけてまで声をかけるのは余計なお節介ではないかとも思っている。

 しかし朝に源一郎夫婦から頼まれているし、何より月子の様子がどう見ても普通ではなかった。

 だから話しかけてみたのだが、月子は景が予想していた以上に激しい言葉を返してきた。

「来ないで!あっち行って!」

 こんな事を言う女子に近づけば通報されても文句は言えない。だから景は足を止めた。

 そしてやっぱりお節介だったと思って引き返そうとした足は、次の言葉で逆に止められることになった。

「私、汚いよ!朝お父さんから聞いたでしょ!?汚いから近づかないで!」

 言ってから、月子の目からは涙があふれてきた。

 景は当然戸惑った。

 戸惑いながらも、客観的に見れば当たり前の疑問を口にした。

「……え?そ、それって小学生の時のことだよな?」

「だけど汚いの!漏らしちゃった私は汚くて当たり前なの!」

 月子はそう言ったきり、子供のように泣きじゃくった。この点、月子の時は小学生で止まったままなのだ。

 景は黙ったまま立ちつくし、公園にはしばらく嗚咽の声だけが響いた。

 そしてそれが少しずつ小さくなり、しゃくりあげる音も落ち着いた頃になって、ようやく景は口を開いた。

「あのさ……小学生の時に漏らしたのが汚いって言われちゃうと、つい先月漏らした俺なんかめっちゃ汚いことになるんだけど」

「…………え?」

 月子はたっぷり時間をかけて景の言ったことを噛み砕き、それから反問した。

「先月……漏らしたの?」

「うん」

「えっと……いくつ?」

「齢?今年で二十一になるけど」

 自分より一つ年上だ。

 それがつい先月漏らしたという事実に、今度は月子の方が戸惑った。

「わ、私みたいにお腹が緩めなの?」

「いや、普段はそういうわけじゃないんだけどその日は下痢気味でさ、ちょっと水っぽかったわけ。それなのに『ガスかな?これはガスかな?』って思いながらトイレに行かずに出したら、バンッてなって……」

「…………」

 月子はこのバンッという表現がやたらリアルだと思った。ガスが溜まった状態だとそんな感じになるのだ。

 景はそこからは笑って話した。

「でも唯一の救いだったのが家だったことでさ、しかもありがたいことに今は一人暮らしだから。あの時ほど実家を出てよかったと思ったことはないよ」

 ハッハッハと豪快な笑い声を上げる景に、月子は少しあっけにとられてからハハハ、と気を使った小さな笑い声を出した。

「お、大人になって漏らす人もいるんだ……」

「え?いや、大人だってちょいちょい漏らすだろ。前に大学でこの話したら、八割が自分も経験あるって言ってたよ」

「八割!?嘘!」

「嘘じゃないよ。って言ってもその場にいた五人中の四人だから、全国民の八割かと言われたら統計的には要検討だけど」

 大学はうんちを漏らした話をフランクにできるところなのか。

 そう思った月子は、自分が大学に行っていないことを少しもったいなく感じた。

 ただし、そもそもこの話自体が冗談なのではないだろうかとも思う。

「ほ、本当の話?」

「本当だよ。皆で『どうしてパンツを洗う時の風呂場ってあんなに広く感じるんだろうな』って話で盛り上がったし」

 やはり話がやたらリアルだ。

 そう思っている月子に、今度は景が尋ねてきた。

「そんな先月漏らしたばっかりの俺だけどさ、汚いかな?ちゃんと毎日風呂に入ってるし、さっきもバイト終わりに手は洗ったけど」

「え?い、いや……そんなことない……」

 首を横に振る月子へ、景は片手を差し出した。

「じゃあさ、仲直りの握手をしてくれない?」

 月子は意味が分からず聞き返す。

「え?握手?っていうか、仲直りって言われても……」

「さっき泣かせちゃっただろ?だから仲直りの握手」

 景は月子へ向けた手をさらに伸ばした。

 月子はそれでも人に対する恐怖心からか、手を取ることをためらっていた。

 しかしそこで、

「やっぱり俺、汚いかな?」

と聞かれると、

「そ、そんなことない」

と言って、慌ててその手を握った。

 温かい。そう思ってから気がついた。

 この場合、景を汚くないと言うことは、月子自身を汚くないと言うことと同義になる。だから景はあえて握手しようとしたのだろう。

 そして月子はあの日以来、初めて自分のことを汚くないと言えたことに気がついた。すると、スッと胸のつかえが取れた気がした。

(心が、軽い……)

 そう感じた。もはや景の話が本当のことかどうかなど、どうでもいい。

 自分で自分のことを汚いと思うことが、どれほど重いことだったか。ようやくそれに気がついた。

 そして同時に理解した。

 結局のところ、自分のことを一番汚いと思っているのは自分自身だった。だからこそ辛かったのだ。

「う……う……う……うわぁ~ん」

 月子はまた子供のように泣きじゃくり始めた。心が重りから解き放たれた反動で、逆に跳ね上がり過ぎてしまったようだ。

 再び泣かれてしまった景はギョッとしたが、片手を握られたままなので離れることもできない。

 オロオロした挙句、仕方ないので子供をあやすように頭を撫でてやった。

 月子にはそれが心地良かった。

 この人は自分のことを汚いなんて思っていない。撫でてくれる手からそれが伝わってくる。

 だから月子はこの温かい手を、ずっとずっと握っていたいと思った。
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