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桂枝湯5

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(遅いんだよ、この駄女神!)

 景はそんな罵倒をなんとか飲み込み、手短に状況を伝える。

「病邪だよ!なんか風邪引いてるっぽいんだけど、麻黄刀でも葛根刀でも倒れない上に、依代になってる人間の方にダメージが入るんだ!」

 喋りながら、瑤姫にも向かった触手を斬り払った。

「早く四診ビームを!」

「あ、うん。アイスを冷凍庫に入れたらね」

 などと景の後ろを小走りで通り抜け、キッチンへと向かう瑤姫。

 景は一度飲み込んだ罵倒を思い切り吐き出した。

「んなことやってる場合かこの駄女神!ダース単位で買ってやるからその辺投げとけ!」

「えっ、ダース単位!?……でもすでに今ハーゲ○ダッツを一ダース買ってるんだけど、合計二ダースってことでいいのかしら?」

(人の金で高級アイスを、しかも一ダース買ってきただと!?)

 そのことにブチギレそうにはなったものの、命がかかっている状況で気にすべき事柄でもない。

 背に腹は代えられないと自分に言い聞かせ、再度促した。

「分かったから早くしろ!」

「やったぁ!四診ビーム!」

 これまでで一番嬉しそうな声の神術が放たれ、四角い光の枠が源一郎の胸に当たった。

 そしてすぐに瑤姫の頭へ情報が流れ込む。

「発汗、悪寒、倦怠感、頭重感……風邪の引き始めではあるけど自汗があるわね。そして本人は体力がなく、虚弱気味……これは……」

 瑤姫は左手を景の腕輪へまっすぐ伸ばした。

桂枝湯けいしとう証!景、その葛根刀から麻黄マオウ葛根カッコンを抜くわよ!」

「は?抜く?」

 意味が分からなかったが、景が首を傾げる間すら無い。

 突如として腕輪から二つの光球が抜け、瑤姫のもとへ飛んでいった。

「これでその闘薬術に込められた生薬は桂枝ケイシ芍薬シャクヤク甘草カンゾウ大棗タイソウ生姜ショウキョウ、すなわち……」

 瑤姫は一度言葉を切り、大きく息を吸った。

 そして景の腕輪にかざしていた手をぐっと握り、処方名を口にする。

「魔剣 桂枝刀けいしとう!」

 葛根刀がまばゆいばかりに輝き、その光が消えた時には刀の形状が変わっていた。

 一番の変化は長さだ。短い刀になっている。刀身は葛根刀の半分以下だろう。

 そしてつばはなく、柄が白木になっていた。

「……ドス?」

 それは刀といえば刀なのだが、ドスと言った方がしっくりとくる刃物だった。

「なんか頼りないような……」

 これまでの葛根刀、麻黄刀と比べると、外見上はどうにもそう感じられてしまう。

 はっきり言うとガッカリしてしまったのだが、次の瞬間その思考は完全な油断だったと思い知らされた。

 新しい魔剣に気を取られている間に触手が伸びてきて、瑤姫の体に巻き付いたのだ。

 おそらく病邪と瑤姫の間に景がいたことで、殴打ではなく締めつけが選択されたのだろう。

「キャアアア!」

 触手は瑤姫の体を這い回り、全身を拘束しようとする。

 しまいにはズリズリと服の中にまで入った挙げ句、悲鳴を上げる口に突っ込まれた。

「ちょ、ちょっと……ムグッ」

(アイスがどうとかアホなやり取りをしてた罰だ!)

 などと思わない景でもなかったが、さすがに放置はできない。

 病邪の力で締めつけられたら怪我どころでは済まないだろう。急いで新たな魔剣、桂枝刀で触手に斬りかかる。

「たぁっ!」

 スパリ

 と一振り振っただけで、簡単に触手は斬れた。

 しなる触手を捉えるのはこれまでかなり難儀だったのに、不思議なほど簡単に刃が届いたのだ。

 全身に巻き付いた触手から力が失われ、瑤姫は開放された。

「ペッ、ペッ!清純派な女神様に生臭いものくわえさせてんじゃないわよ!」

 清純とは程遠い仕草で触手を吐き出し、悪態をつく女神。

(この触手、生臭いのか……やっぱりタコなのかな?)

 などと思いながら、景はあらためて桂枝刀を眺めた。

「桂枝刀……すごく振りやすい刀だな。なんていうか、斬ろうとイメージしただけで斬れちゃった感じだ」

「そうでしょうね。パワーは弱めだけど、イメージと肉体を上手く調和させてくれるわ」

 瑤姫が口の周りを拭いながらそう説明を加えた。

「イメージと肉体を調和?」

「つまり、使用者をとても器用にしてくれるってことよ」

 器用さというのは戦闘において馬鹿にならない。ほんの数度の戦いしか経験してない景でもそれはよく分かる。

 そんなふうに感心する景の肌を、何かがゾクリと撫でたような気がした。殺気のようなものを感じたのだ。

(来る!)

 思った通り、残りの触手がありとあらゆる角度から襲いかかってきた。全周囲からの一斉攻撃だ。

(駄目だ!やられる!)

 そう覚悟したのだが、景の体は触手の猛攻を滑らかにかわしていった。踊るような身ごなしだ。

 しかもわしつつ、桂枝刀の刃は滑らかに触手を撫で斬りにしている。

 ほんの数瞬後、全ての触手は一つ残らず斬り落とされていた。

「おおっ!」

 床でしばらくのたうってから消えていく触手たち。それらを見下ろしていると、剣の達人にでもなれたような気がしてしまった。

 事実として、自分でもよく理解できないほど流麗な剣捌きができていた。速いというよりも滑らかだ。

 ただしパワーは弱めだと言う話なので、簡単に斬れているのは単純に症状・体質と処方の相性が良いからなのだろうと理解できた。

「よくも俺んちを滅茶苦茶にしてくれたな!」

 景は病邪を睨みつけると、全力で床を蹴った。

 やはり葛根刀の時ほどスピードは出ないものの、距離を詰めることをイメージするだけで自然と最適な位置取りと足運びになる。

 加えて室内であることもあり、病邪はあっさりと壁際に追い詰められた。

「はぁっ!」

 景の左腕が洗練された片手突きを放ち、桂枝刀が病邪の胸のど真ん中を貫いた。

 ドスッ

 という音にやや遅れ、源一郎の体から黒いモヤが吹き出した。

 それは一瞬だけ部屋の中に広がったものの、すぐに浄化されて跡形もなく消えていく。

 そして後には床に横たわる源一郎と、目を覆いたくなるほど荒れ果てた部屋だけが残った。

「終わった……」

 緊張の糸が切れ、その場にへたり込む景。

 そこへ瑤姫が笑顔で歩み寄ってきた。

「お疲れ様。大変だったわね」

 まるで他人事のような言い方に景は腹が立った。

「……もう少し早く帰って来れたんじゃないか?病邪が発生したら感じられるんだろ?」

「うーん……確かにアレ?とは思ったんだけど、元々病邪が完全顕現するほど邪気が強くなかったし。自分の中のセンサーをオフにしてたっていうか」

「常時オンにしといてくれよ……」

 うめくように抗議する景をまぁまぁと軽くなだめ、瑤姫はあっさりと話題を変えた。

「そういえば桂枝刀はどうだった?」

 景はまだ文句を言い足りなかったが、梨のつぶてになるだけだろうと思い直して桂枝刀へ目を向けた。

 ドスのような短い刀で、大柄な麻黄刀とは対照的だ。

「イメージと肉体を調和させて器用になるとか、そんな話だったよな?すごく使いやすかった。これが今回の病邪には合ってたんだな」

「桂枝湯は体力のあまりない患者や虚弱者の風邪で、特に汗をかいているような症例にはぴったりなの。ジワッと汗をかいて、ブルッと寒くなったら桂枝湯がいいわ」

「ああ……やっぱり汗がポイントだったのか。麻黄刀や葛根刀で斬った時、苦しそうに汗をかいてたのが気になってたんだ」

「よく気づいたわね。麻黄湯も葛根湯も汗をかかせて熱を下げる薬だから、元々汗をかいてる人にはあまり向いてないのよ。発汗させ過ぎると患者が消耗してしまうの。特に麻黄湯はそういった作用が強いわ」

 景は瑤姫の説明を聞き、後で言ってやろうと思っていた文句を思い出した。

「そういえば、闘薬術は人体を傷つけないって話だったじゃないか。そう言ってたよな?」

「基本的にはそうよ。でも薬を使ったのと同じ作用がある以上、薬による害という形では傷つけることだってあるわ」

 副作用が全くない薬など存在しない。

 薬学生である景はそれを当然のこととして知っているから、それ以上の文句を口にするのはやめた。

「……分かったよ。要は患者さんが初めて薬を飲んだ時と同じように、何か変わったことがないか注意しなきゃいけないってことだな」

「いい理解ね。それが闘薬術を使う上で基本的かつ重要な心構えになるわ」

(だったら何であらかじめ言っておかないんだよ!三回目の戦いで初めて聞いたわ!)

 景はまた文句を言いたくなったのをぐっと飲み込み、建設的な質問をすることにした。すでにこの駄女神には何を言っても駄目な気がしている。

「……桂枝湯は患者への負担が少ない漢方だと思って間違いないんだな?」

「もちろん人にはよるけど、概ねその通りよ。だから体力が衰えた時の風邪の初期、それに老人や虚弱者の万年風邪なんかにもいいわ。ただしあまり強い薬じゃないから、症状のひどい風邪には向かないわね」

 強い薬ではないと聞いて、景は桂枝刀を発動させた時のことを思い出した。

「そういえば葛根湯から一部の生薬を抜いたら桂枝湯になったな。やっぱり抜けば弱くなるのか」

「そこはケースバイケースで何とも言えないわね。生薬数の少ない処方の方が切れ味は鋭い、なんてこともよく言われるし」

「少ない方が切れ味が鋭い……でも桂枝湯は葛根湯よりも緩やかなんだよな?」

「だからケースバイケースとしか言いようがないのよ。少なくとも生薬数の多い方がよく効くっていうのは間違いだから注意して」

「分かった。単純には考えないようにしておくよ」

 景が素直にうなずくと、瑤姫も満足してうなずき返した。

「あともう一点。葛根湯から抜いたというよりも、桂枝湯に麻黄と葛根を加えたものが葛根湯だっていう認識の方が適切だから、そこも改めておいて」

 この注意に関してはよく理解できず、景は小首をかしげた。

「……ん?どういうことだ?」

「桂枝湯は色々な処方の基礎になってるのよ。桂枝湯に何かを加える形で作られた処方がたくさんあるわ」

「へぇ、基礎の薬か」

「衆方の祖、なんて言い方をされることもあるわね」

「衆方の祖……なんか格好いいな」

「そうでしょう?実際にそんな別名が付くだけあって、桂枝湯の派生処方は本当に多いのよ。葛根湯の他にも桂枝加芍薬湯けいしかしゃくやくとう桂枝加芍薬大黄湯けいしかしゃくやくだいおうとう小建中湯しょうけんちゅうとう黄耆建中湯おうぎけんちゅうとう……」

 瑤姫は指折り数えていく。

 初めはそれをふんふんと聞いていた景だったが、あまりに数が多く、しかも長い名前も多いのでだんだんと眉間にしわが寄っていく。

桂枝加竜骨牡蛎湯けいしかりゅうこつぼれいとう桂枝加朮附湯けいしかじゅつぶとう桂枝芍薬知母湯けいししゃくやくちもとう……」

「ストップストップ!もういい!そんなに覚えられるかよ!」

 手をパタパタと振る景に、瑤姫は呆れた目を向けた。

「何言ってるの。これから景は闘薬術を極めるんだから、どうせ名前くらい覚えることになるわよ」

(だからもう戦わないって言ってんだろ!)

 景はそう言い返そうとしたが、そうすると何度も繰り返した不毛ループに突入してしまう。

 しかも今日に限っては『たった今戦ってたじゃない』などと言われること間違いなしだ。

 だからこの際、駄女神の妄言だと思って聞き流すことにした。

「……もう漢方の話はいいよ。それより我が家のことだ。壊れた家と家具、原状回復で直せるんだよな?床も壁も穴だらけだし、テレビもソファもボロボロだ」

「もちろん直せるけど、アイスは約束通り買ってくれるのよね?」

 景は頬を引きつらせた。

 駄女神の脳みそなら忘れてくれるのではないかと期待していたが、しっかり覚えているようだ。

「いや……さすがにまだ溶けてないだろうし、それは無しでいいだろ」

「じゃあ直さない」

 プイッとそっぽを向いた瑤姫に苛立つ景だったが、これを直してもらえなければ高級アイス代どころの出費では済まなくなる。

 何十万、下手したら何百万になるかもしれない。

「……くそっ、俺も食べるからな!」

 景はそう念を押して、渋々ながらもう一ダースのハーゲ○ダッツ購入を約束した。
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