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後日談(短編)
レヨン ドゥ ソレイユ・後編
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クリスティナがメイドと部屋を出てから約一時間、客室に入り睡眠薬入りの果実酒を回収し別のものに置き換える。空になったグラスを目にするとおかしくて笑えてきた。
(やっと邪魔者が消えたわ!)
物心ついた時からリクハルド殿下に憧れていた。明るくフランクで優しく、外見ももちろん美しい。旦那様にするには完璧な理想の男性だった。
親族ではあるが再従兄妹だからそれほど問題にはならず、外部の血を入れないためにはちょうど良いと両親も期待していた。…しかし私の名が婚約者候補に上がることはなかった。その婚約者候補達も一人を除くと伯爵家の令嬢ばかりでなぜ格下を相手にするのか理解ができなかった。
先日婚約者候補がすべて白紙になったからついにチャンスが来た、と意気込んでいたのに―― 白紙になったはずの婚約者候補を今度は幼馴染として連れて来た。しかも一番あり得ないシルキア伯爵家令嬢。
ふと足元を見ると黄色いバラの花びらが一枚落ちている。殿下の隣ですました顔をしていたクリスティナを思い出してその花びらを踏みつけた。
(あんな女、死ねばいい)
ぐりぐりと花びらを踏みつける。今夜クリスティナ・シルキアは酩酊状態で散歩するという不注意から起こった事故でこの花びらのようにボロボロになって命を落とすのだ。
そしてその裏で私と殿下は体の関係を持つ。その事実があれば真面目な殿下は責任をとって婚約してくれるはずだ。運が良ければ一夜で子を成す可能性だってある。そのためにお祖父様にどうにかして殿下に薬を飲ませるように頼み込んだ。
(絶対に失敗はできないわ)
媚薬を飲んだ殿下を確実に誘えるように肌の手入れも入念に夜着も下着もセクシーなものを選んだ。自信はある。
(ああ、今夜リクハルド殿下と肌を重ねるんだわ…)
リクハルド殿下はどんな風に私に触れるのだろう。優しく抱かれるのだろうか、それとも薬のせいで激しく求められるのだろうか…考えただけで胸が高鳴る。
「ふ、ふふ…」
「何がおかしいんだ?」
「っ…!?」
低い声が後ろから聞こえてハッと振り返ると――そこにはいるはずのないリクハルド殿下が立っている。冷水を浴びせられたように血の気が引いた。
「どうして、ここに…」
「どうして?ああ…媚薬で悶えているとでも思ったか?」
「っ…」
予定と違う展開に頭がうまく働かない。冷たい目をしている殿下から目を逸らすこともできずただただ立ち尽くす。殿下は部屋を見渡し、次いで私の足元を見た。踏んでぼろぼろになったバラの花びらだ。
「…ティナはどこだ?」
「し、知りま、せんっ」
「もう一度聞く。ティナはどこだ?」
初めて感じる威圧感に体がブルブル震え出した。こんな殿下は知らない。どうやら私はずいぶん殿下を甘く見ていたと思い知らされた。ここで嘘を言ったら本当に後がない、そう思わされる程の恐怖を感じる。
「っ…メイドにさせたから、場所はわかりません。そのメイドもしゃべらないように、薬で眠らせました…」
「……」
「クリスティナさんは、強いアルコールと睡眠薬で、まっすぐ歩けず谷に…ひっ!」
ガンッ!、と殿下が思い切り壁を殴った。恐怖で立っていられずペタリと座り込んでしまう。
「お前、覚悟はできてるんだろうな?」
圧倒的な威圧感。殿下はこの部屋の入り口から一歩も動いていない。身体的な距離は十分あるはずなのに徐々に追い詰められ喉元に剣を突き付けられているような感覚に陥る。
(これが…次期国王の威厳…)
国王の血を強く引くリクハルド殿下の逆鱗に触れ、殿下が去った後も私の震えが収まることはなかった。
***
「ティナーっ!ティナーっ!」
名前を叫んでも空しくこだまするだけでティナの返事は返ってこない。
(どこだ…どこにいる!)
何か手掛かりはないか、そう思いながら谷を見下ろすが真っ暗闇では何も見えない。この屋敷は正面からだとなだらかな丘の上に建っているように見えるが、裏は急な斜面になっている。落ちたら無傷では済まない。
「…ん?」
その時、何故だか風に乗ってふわりと匂いがした気がする。これはティナの髪に飾られていたレヨン ドゥ ソレイユの香りだ。ハッと足元を見れば足を滑らせたような跡が地面にある。
(ここだ!)
「ティナーっ!!」
「え…」
「無事か!?」
ズサササーっと急な斜面を滑り降りればやはりそこにはティナが居た。間違いじゃなかった、と安堵する。ティナが足を踏み外した場所は思ったほど深い谷ではなかった。運がいい。
「あ…リクハルド様?あっ…」
「おっと!大丈夫か?」
立ち上がりふらついたティナを抱きしめる。アルコールと睡眠薬が合わさって意識を保つのも難しいはずだ。
「危ないのに、こんな…怪我したら、ど、する」
「危ないから来たんだろ」
「そ、ですよね…そういう人でした…」
また俺のせいで危ない目に遭わせた。今回も俺の読みが甘かったせいで起こったことだ。こうして無事でいてくれたことが救いだ。
「ケガは?酷く痛むところはないか?」
「あちこち、痛いけど…大、丈夫」
「すまん、無理に話さなくていい」
今は考えることも話すことも辛いんだと思う。部屋を出るとき掴んできた外套をティナの肩から掛けた。怪我の確認をしたいがこの暗闇ではよく見えない。様子からして骨が折れたりはしてなさそうだが。
「今動くのは危険だから明るくなったら動こう」
「…はい」
足の間にティナを入れて座り込み後ろから手を回す。その体は小刻みに震えている。
「寒いか?」
「……」
「…怖かったか?」
「…うん」
頷いたティナは体をこちらに向けてぎゅっと抱きついてきた。あまり見せない弱々しい姿に後悔が押し寄せる。
「怖い目に遭わせてごめん」
「ううん、来てくれて…うれしい」
「ティナ…」
俺のせいでこんな目に遭ってるのに責めもせず可愛いことを言う。いっそのこと責めてくれた方が楽だ。申し訳なくて強く抱き込むと背中をポンポンと撫でられた。俺の考えていることなどお見通しということだろう。
ふと空を見上げると木々の間から明るい星が見えた。先ほど公爵の気を逸らさせた明るい星だ。
「ティナが前に教えてくれた一等星のおかげで俺は難を逃れたぞ」
「ふふ、覚えてたんだ…」
星はスレヴィの得意分野だから、二人がその話をするときは俺は一歩引いていたがちゃんと頭に入っていたらしい。
「ずっと、思ってたんですけど…」
「何だ?」
「リクハルド様…私のこと、どう、思ってるんですか?」
「……へ」
どう?どうとは何だ?
俺は何か間違えてるか?頭の中でぐるぐる回る。
「…どういう意味だ?」
「もう…バカ王子…」
「ええっ!?」
はぁ、とティナが胸元でため息を吐いて脱力する。何て答えようかと色々考えていたのだがいつしか小さな寝息が聞こえてきた。
「ティナ?」
「……」
「眠ったか…」
腕の中にいるティナの温もりに改めて安堵する。こんな状況で不謹慎極まりないが、一晩中ティナに触れていられることを喜んでいる自分もいた。
「………さまーっ!」
「リクハルド様ーっ!!」
「!」
上から声が聞こえハッと意識が浮上した。いつの間にかうとうとしていたらしい。上の方にちらっと見える姿はトピアスだ。
「トピアス!ここだ!」
「! クリスティナ様は!?」
「一緒だ!二人とも大きな怪我はない!」
「わかりました!今救助します!」
助かった、と胸を撫で下ろす。腕の中にいるティナはまだ目を閉じている。アルコールと薬はそう簡単に抜けないだろう。
「ティナ、ティナ」
「う、ん…」
「もうすぐ助けがくるからな」
ゆっくりとティナのまぶたが開く。
次いでその瞳に俺を映したとき――
(まるでバラの蕾が開いたみたいだ…)
東の空が灯りをともしたように一気に明るくなった。ほのかに香ってくるのはティナの髪に飾られたレヨン ドゥ ソレイユの香り。その香りが俺を誘って――
「好きだ」
「ぇ…んっ」
冷たくなった唇に熱を送るように何度も何度も口づける。柔らかなそれはすぐに熱を持ち甘い吐息が漏れた。それさえも欲しくて全部飲み込んだ。
「ん…ん…」
可愛い、愛しい、今すぐにティナの全部が欲しい。無意識なのかティナが俺の胸元をキュッと掴んだ。些細なことだがそれが更に俺を刺激する。
「はぁ…リクハルド、さ」
「ティナ…」
至近距離でその潤んだ瞳を見つめる。引き込まれるようにもう一度その柔らかい唇に触れようとした時――
「…何でいつもこう変なタイミングで盛るんですかね、俺の主は」
「!!」
「今から救助しますって言いましたよね、俺」
ハッと振り返るとロープはしごで降りてきたらしいトピアスが呆れて立っている。
「今回は一刻を争う事態じゃなかったから良かったですけど命に関わる怪我でもしてたらどうするつもりだったんですか」
「…すまん」
「まったく…殿下はいつもクリスティナ様が絡むと直情径行になるんですから。とっとと城に帰りますよ」
「……はい」
これでは孫が絡むとアホになるラハティ公爵と同じではないか。俺は自分の浅慮さにつくづく落ち込むのだった。
**
手当てや着替えはすべて馬車の中で行った。事の重大さに慌てたラハティ公爵家の人間が救助や手当てを申し出たが、この屋敷に関係する者は誰一人信用できないと王子様の優秀な家臣はにべもなく断ったらしい。
すでにラハティ公爵とアリサ嬢は王室の警備兵による監視下に置かれている。親族だからといって特別扱いをするつもりは微塵もないのだろう。
ぼんやり座って待っていると馬車の扉が開けられた。リクハルド様は乗り込む前にラハティ公爵家の屋敷をしばらく見ていたが、私の顔を見るなり優しく微笑んだ。それが何だか切なくてやるせない気持ちになる。
「ティナ、怪我はどうだ?」
「あ、えっと…」
昨夜は意識が朦朧としていてよくわからなかったが打撲傷と切り傷が至るところにあって驚いてしまった。痛み止めの薬も飲んだが前世のように数十分で痛みが止まるようなものでもなく鈍い痛みがずっと続いている。だが私の体の傷より、リクハルド様の方がもっと傷ついているはずだ。
「私は大丈夫です」
「…そうか?」
「…リクハルド様こそ辛くないんですか?」
「え」
リクハルド様が驚いた顔をする。
幼い頃から交流していて良い思い出だってあっただろう親族に嵌められそうになったのだ。さらにはその親族を処罰しなくてはならない。
リクハルド様は何も答えずに困ったように笑っただけだった。これ以上聞いても何も答えてはくれないだろう。次期国王となる自分の使命をすでに受け入れているのか…それとも私では力不足なのか。
ゆっくりと馬車が動き出す。しばらく双方黙っていたのだが、
「ティナ、昨夜のことだけど」
「え?」
「どう思ってるかって聞いただろ?」
「えっ!?」
(…確かにそんなような事を尋ねた気がする…)
心のどこかにアリサ嬢に言われた“虫除け”が引っ掛かっていたのだろうか。いらんこと聞いたと恥ずかしく思っていると今朝あったことを急激に思い出しぶわっと顔が熱を持った。
「も、もういいです!わかったので!」
「…そうか?」
リクハルド様に言葉で好きと言われたのも初めてだし、唇にキスされたのも初めてだった。
(まさかあんなに…わーっ!!)
あの時のリクハルド様の眼差しや感触がありありと思い出されてますます頬が熱くなってくる。それなのにリクハルド様はまた爆弾を落とした。
「子供の頃からずっと変わらず俺の大切なたった一人のお姫様だって言おうと思ったんだが」
「っ…!? もうっ!」
「痛って!なんで叩くんだよ!」
「知りません!」
(よくそんなクッソ恥ずかしいこと平気で言えるな!)
こっちは恥ずかしすぎてパニックになっているのに王子様はあっけらかんとしている。何だか一人であたふたしているのがバカらしくなってきて脱力すると、眠いのか?なんて見当違いのことを聞いてくる。
「寝るならここ使っていいぞ」
「…はぁ」
何故かニコニコしながら得意気に自身の肩を指すリクハルド様に呆れながらも、素直に甘えもたれ掛かかって目を閉じる。すると優しく手を握られた。
(私がこの人のためにしてあげられることは一体何だろう…?)
段々と落ちていく意識の中、私はそんなことを考えていたのだった――
【end】
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