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御堂筋ノクターン
しおりを挟む近頃仕事がうまくいかん。
晩メシもそこそこに深夜まで仕事し、重い足を引きずって帰ってきた。玄関の扉を開けると中は真っ暗で静まり返っている。
いつもなら婚約以来、ほぼ同棲状態になってしまった奈乃香さんが笑顔で「おかえり」と迎えてくれる。
だが一週間前についイライラして八つ当たりしそうになる自分に危険を感じ、奈乃香さんにはしばらく自宅に帰ってもらうように伝えた。それ以来奈乃香さんとは連絡もとっていない。
真っ暗な自宅に足を踏み入れた瞬間、昼間奈乃香さんが来てたってすぐにわかった。
ここ一週間片付けも掃除もしてなかったから埃っぽかったけどそれが一切なかったから。
キッチンのシンクにたまってた食器も脱衣所に積みあげてた服も見事に綺麗に片付いてた。
それ見たら急に寂しなって――
――というのは昨日の話。
で。
今日仕事を早く切り上げて迎えに来たけど奈乃香さんは留守やった。
「遅い」
「!」
改札口を出て来た奈乃香さんに一言声を掛けると飛び上がらんばかりに驚いたようだ。
よもやこんなところで待ち伏せされているなんて思ってもなかったやろう。
買い物にでも行ってたのか、手には小さな紙袋を持ってる。
「心配するやないですか」
「でも…うん、ごめんなさい…」
奈乃香さんの言いたいことはよくわかる。
まだ九時台やし心配されるような時間じゃない。
でも奈乃香さんはやっぱり謝った。
「仕事ひと段落ついたの?」
「いや、まだ」
「そっか」
奈乃香さんは一瞬だけ落胆したような顔を見せたがすぐに切り替えた。
「え、と…何か用事?」
「今日は俺ん家戻ってきて」
「あ、うん!」
ホンマ、何なん。
冷たいと思われても仕方ない態度でしかも自分勝手やってんのに。
何でこの人こんなことで喜んでくれるんやろ。
嬉しいはずやのに。
(イライラする…)
出て来た改札口を再び通って半歩後ろをついてくる奈乃香さんに特別声を掛けることもなく地下鉄に乗り込む。
俺が機嫌が悪いってわかってるんやろう、奈乃香さんも話し掛けてはこない。
「…次で降ります」
「え?…うん」
最寄り駅ではない駅で降りると言えば奈乃香さんは不思議そうな顔をしたものの頷いた。
電車を降りて地下から階段で地上に上がる。その間も特に会話らしい会話はなかったが。
「!」
「……」
地上に上がった瞬間、奈乃香さんは目を丸くした。
「キレイ…」
「今ライトアップやっとるんです」
御堂筋沿いの木はすべて電飾されている。ピンクと紫が混じったようなキラキラのイルミネーションに奈乃香さんはその光と同じように瞳を輝かせていた。
夜のオフィス街はごてごて人もおらんしぶらぶらするにはもってこいやろう。
「時間いいの?」
「持ち帰りの仕事あるんであんまりゆっくりはできませんけど」
「うん」
奈乃香さんはまた嬉しそうに笑った。
何となくその顔を直視できなくて歩き出す。
普段やったら「寒ない?」とかなんちゅーこともなく掛けられる言葉がどうしても出て来ない。
自分が意固地になっているということは理解しているが素直になれなかった。
勝手な話や。
突き放しといて寂しくなったら呼び戻してしかも優しないって何なん。
もしかして将来DVとかしてまうんちゃうかと自分のことながら本気で心配になってきた。
「!」
悶々としていると指先に何かが触れた。
次いでは確かな感触。
遠慮がちに繋れた柔らかい手の感触に俺は――
(めっちゃ情けない)
一気に自己嫌悪に陥った。
「っ!?奏哉君大丈夫!?」
「もう、ホンマに…」
額に手を当ててしゃがみこんでしまった俺に体調が悪いとでも思ったんやろう、奈乃香さんも慌てて座り込んだ。
ああ、もう、地面に膝付けて。
――俺なんかのために。
「…すみません」
「え」
「すみませんでした」
情けなくて恥ずかしくて奈乃香さんの顔が見れない。俯いたままぽつぽつ今までのことを話し始める。
「仕事上手くいってなくてイライラしとったんです」
「…うん」
「だから一緒にいたら絶対めっちゃ八つ当たりしてまうって。実際してもうたし」
「…うん」
「ストレス解消のために寝てる奈乃香さん無理矢理抱こうとしたこともあります」
「…うん」
「このままじゃやばいって恐なって…突き放すようなことしてしまいました」
俺の告白に奈乃香さんは相槌を打ちながら丁寧に聞いてくれてる。
「不安にさせてすみませんでした」
「…ううん。大丈夫だよ」
奈乃香さんが俺を立ち上がらせようと肩に触れた。
何とか立ち上がった俺に優しい笑みを浮かべている。
「ありがとう」
「…はぁ?」
また突拍子もないこと言い出した。
今の話のどこがありがとうに繋るんか奈乃香さんの思考回路は俺にはさっぱりわからん。
「だって私のこと考えてくれたってことでしょ?傷つけないようにって」
「それは…まぁ。逆に傷つけてしまいましたけど」
奈乃香さんが俺の手を両手でぎゅっと握った。
「でも…嬉しいけどやっぱり寂しいかな」
「……」
「八つ当たりぐらいしてくれてもいいよ?ストレス解消だって」
「奈乃香さん……」
「奏哉君の側にいたい」
「っ…」
「あ、でも仕事に専念したいっていう時はちゃんと、」
話途中でギュッと奈乃香さんを抱きしめた。
もう、ホンマに、何なん。
「ゴメン」
「奏哉君何も悪いことしてないよ」
「…でも、いや…」
これ以上謝っても意味なんかない。
それなら。
「…ありがとう」
「うん」
「ホンマに、好きです」
「…うん、私も好き」
体を離して見つめると何の合図かわかったらしく目を閉じてくれた。
触れた柔らかい唇に安心してわだかまりが全部溶けていく。
「…帰りましょか」
「うん」
人目を感じたのか奈乃香さんが恥ずかしそうに俯く。
そうや、ここは御堂筋。
すっかり自分達の世界に入ってもうてた。
「カフェでコーヒーぐらいと思ってたけど…帰ったら奈乃香さん淹れてくれます?」
「うん、もちろん!」
手を繋いでさっき歩いたばかりの道を引き返す。
嘘のように足取りが軽い。
「それと」
「うん?」
「そろそろ具体的に話進めていきましょう」
「う、ん?」
主語のない文章に何のことだかわからずに奈乃香さんが首を傾げる。
足を止めてもう一度向き合った。
「もう修行は終わりってことで」
「あ…」
奈乃香さんの首にかかってるチェーンを指先で引きだしその先にぶら下がる婚約指輪を摘む。
意味がわかった奈乃香さんは泣きそうな笑顔で頷いた。
***
風呂場からはシャワーの音は聞こえない。っちゅーことは奈乃香さんは湯船の中。
我ながら良いタイミングやと思う。
「奈乃香さん」
「っ…びっくりしたぁ」
「入ってええ?」
いや、承諾得る前にもう思いっきり扉開けたけど。
「ええ!?でも…」
「大丈夫、襲う気力ないから」
そう言い切ると奈乃香さんは戸惑いながらも頷いた。
ヤりたいっちゃーヤりたいけど疲れてるからたぶん物理的に無理やと思う。
しかしまぁええ眺めやと思いつつ自分も湯船に入った。
「仕事どう?」
「うーん…まぁまぁ。でもちょっとずつ終わりは見えてきたかな」
「そっか。良かった」
湯船の中で向き合ってぽつぽつ言葉を交わす。襲わんって断言したから油断してるのか奈乃香さんは普段通りにニコニコしてる。
膝を抱えて小さく座る姿が何とも言えん。
乳白色の湯船は見えそうで見えへん具合が逆にいい。
「奈乃香さんは長風呂派?」
「普通だと思うよ。半身浴とかはしないし」
「なるほど。じゃあ風呂はこんなもんスね」
「うん?」
「キッチンはもちろん広めで」
「!」
新居のことやと気がついた奈乃香さんはちょっと恥ずかしそうに頷いた。
こういう反応が俺には至極新鮮や。
「っ…何、」
「ちょい体勢変え」
グイッと腕を引っ張り反転させると後ろから抱きしめた。
首元に顔を埋めると奈乃香さんの体がビクリと跳ねる。
「そうや、くん」
「あー…癒される」
素直に口にするとちょっとびっくりしたみたいやけどクスリと笑った。
しばらくそのままで目を閉じてたけどちょっと飽きてきてお腹に回してた手を上にずらす。
ふわふわの膨らみを手に収めて揉み始めると奈乃香さんは案の定驚いた。
「や、ちょっ、何して」
「ちょっとだけ触らせて」
「っ…約束が違、ん…」
あちこち触ると見えへんからか過剰に反応する。それが面白くてこっちもついエスカレートして。
抵抗しようと後ろを向いた奈乃香さんに口付けた。 少し開いた唇から内部に入り込んで絡める。
(体、熱…)
「んっ…っ…」
体を這い回る手にピクピク反応するのが伝わってくる。久しぶりに重ねる体温に俺は強烈な甘さを感じた。
(あ)
できそう。
「え、奏哉君、待っ」
「ゴメン。我慢できへん」
「しごと、ど、する」
「何とかなります。ってことで」
「!!」
かなり強引に押し進めた俺に奈乃香さんは少しの間ちょっと痛い顔をしてたが次第に甘い顔になって。
すべてを吐き出した瞬間、信じられへんくらい体と頭が軽くなった。
人間、バランスが如何に大事かってことに身をもって気がついた瞬間やった。
【end】
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