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後日談

ハルム王子の恋騒動⑩

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 カナリー宮内の会議室にはハルトマン侯爵とその関係者が集められていた。上座にはハルム、レナーテ、ティトが座っている。
ダン、とハルムが音を立ててテーブルを叩きつけると会議室は一気に緊迫感が高まった。

「侯爵。なぜ呼ばれたかわかるよな?」
「っ…それは…その…」

ミルシェ王女の…、と蚊の鳴くような声で侯爵が呟くとハルムが小さくため息を吐いた。ここでシラを切ろうとしたならもう後はない。賢明な判断だ。

「ファース。資料を」
「は」

後ろに控えていたファースがサッと資料を渡す。同じものがティトやレナーテにも渡された。

「最初に言っておくが国はお前たちの私物ではない」

調査の結果ミルシェ王女との婚約反対、ミルシェを陥れるような事件――それら一連の事柄は鉱山開発の難航を発端としたハルトマン侯爵家のお家騒動と繋がっていたことがわかった。

「お前たちのメンツを守るために俺を利用しようとしたことはすでに調べがついている」
「!」

ハルトマン侯爵家は過去、兄弟で家督争いも激しかったが、兄が現領主となった今でもなお弟が領主の座を虎視眈々と狙っている。
今回鉱山開発が難航し、多額の負債を背負ったことでハルトマン侯爵は弟や同じ家門の弟派の貴族から激しく追求され領主の座から引きずり下ろされそうになっている。
そこで考えたのがメリッサとハルムを結婚させて王室という大きな後ろ盾を得、何とか体裁を整えようとすることだった。

「まぁ俺を利用しようというのはまだいい。だがなぜミルシェ王女を傷つけるようなことをした?」
「それは…殿下の婚約がなかなか決まらないのでまだチャンスはあるかと…それにモルスクの王女との婚約にはメリットがないのも確かで…我が娘なら…」
「メリットがなければ貶めても良い理由にはならない」
「っ…」

謝罪より先に言い訳をした侯爵をハルムがスパッと切り捨てる。

「そしてレナーテからの報告もあがっている」

レナーテ王女もここ一、二ヵ月メリッサの言動が少しおかしい、そう思って探りを入れていたようだ。
お茶会のあの日、レナーテはわざと遅参し上からメリッサや令嬢たちの動きを見ていた。あからさまにミルシェを避ける令嬢たち。
後日その令嬢の一人を捕まえて問い詰めたところ、すべてハルトマン父娘による指示だと白状した。

「幼馴染みという立場を利用してレナーテを傷つけたことも兄としては許しがたい」
「そうですわね。私はメリッサ嬢を信頼してミルシェ王女を任せたのです。その信頼を裏切るような幼馴染みはもう必要ありませんわ」
「っ…王女様、どうかっ、娘は私の指示で仕方なくっ」

冷たく切り捨てると侯爵は慌てたが王女は首を横に振る。もう手遅れだ。

そして更に、とハルムが口を開く。

「王立学校内でミルシェ王女の陰口や悪評を流したのもすべてハルトマン侯爵派の令息令嬢だと調べがついている」

校内での調査はレネが協力してくれた。資料にはミルシェを貶めようとした令息令嬢の名前がずらっと並ぶ。それらはすべてハルトマン侯爵派の貴族ばかりだった。

「それに勘違いしているようだが、例え婚約者であっても俺は公私混同などしない。国民にマイナスのなるようなことは言わずもがなだ」

あり得ないがもしハルムとメリッサが結婚したとしても国民のためにならないのなら私情を挟むつもりはない、ということだろう。有り体に言えば金は出さない。

「今回は多少大目に見るが次このような事があればその時は」
「断罪、ですわね」

王女の言葉にハルトマン侯爵たちがビクッと反応する。王子王女に睨まれ真っ青な顔で震え上がる男たち。
自分たちがしでかしたことの代償をこれから知ることになるのだろうとティトは小さくため息を吐いたのだった。



***



「はぁ~ムカつき疲れたわ」
「お疲れさん」

会議が終わりカナリー宮の廊下を歩きながらハルムがため息を吐く。
このひと月、ミルシェ王女が嫌がらせをされていたことをハルムは知るよしもなかった。それが先日一気にわかり激怒したのだ。
今まで他人のことで怒るなんてことはなかったハルムがミルシェのために感情を動かした。ティトはその変化を大いに喜んでいる。

「レナーテ王女も災難だったな。メリッサ嬢とは仲が良かったんだろう?」
「そうですわね…でも元々メリッサはいつも頭の中で損得を考えて動いていたと思います。子供の頃からそういう子でしたから」
「なるほど…」

少し寂しそうにレナーテ王女が笑った。王室に近づいて来るのは打算的な者が多い。
本当の意味で信用できる人間を得ることは難しいのかもしれない。
そんな中で信用できるハルムという存在がいることはティトにとっても尊いことだ。

「う~ん、でも俺もわからなかったことがあるんだ」
「何が?」
「何で国王はミルシェ王女との婚約を勧めたんだろ?皆が言うようにメリットはないし」
「あら、お兄様…お父様の話をちゃんと聞いてなかったのですか?」

二十歳を越えても浮いた話一つでない息子の恋愛事情を心配した国王が偶然訪れていたモルスク使節団の中にいたミルシェ王女をとても気に入り、うちの息子の嫁にどうかとお見合い話を持ちかけたらしい。

「そもそも家の親たちは政略結婚よりも愛情を重視しております。ご存じのはずでは?」
「う、それは…」

政治的駆け引きではなく愛があるから仲良くやれていると自負している王室だ。

「メリッサがミルシェ王女を孤立させたことは許しがたいことですし残念です。だけどもそれもすべてお兄様のせいですわ!」
「な、」

レナーテの言葉にティトもうんうんと頷く。

「お兄様がミルシェ王女をきちんと誘惑できないからです!」
「ゆ、誘惑!?」
「ぷっ…」

なるほど女性の園で育ったギマールの王女らしい発想だ。ティトは思わず吹き出してしまった。

「お前はどうでもいいことはペラペラしゃべるくせに大事なことは何一つ伝えないからな。レナーテ王女の言う通りお前がはっきり言えば済むことだ」
「その通りですわ!お兄様、早くミルシェ様に求愛を!」
「きゅ、求愛!?」

ハルムがたじろぐ言葉を選ぶのはわざとだろう。顔を真っ赤にさせているハルムの肩をポンと叩く。

「ミルシェ王女、専用邸にいるから」
「……ああ」
「ちゃんとお前の気持ちを伝えろ」

わかった、と頷いたハルムにやれやれやっとか、とティトもレナーテも微笑んだのだった。


しかし、


「モルスクに帰ります」


ミルシェの口から出たのは謝絶の言葉だった。


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