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全面対決編
転換期
しおりを挟むペルラン王国、王城の二階庭園――
ここは人目に触れないひっそりとした、まるであることさえ忘れられたような庭だ。目を引くような派手な花はないが丁寧に手入れされた草木、その中央に素朴なテーブルセットがあるだけ。
今日もその庭でクレールが午後のひとときを過ごしていた。以前は見向きもしなかった場所だが、今の自分にはこの場所が一番合っているとクレールは思っている。
「クレール殿下、紅茶のおかわりはいかがでしょうか?」
「…ああ、頂こう」
いつの間に飲み干したのか空になっていたティーカップに侍従が紅茶を注いでくれた。その淡いオレンジ色の紅茶の表面にやせ細った自身の顔が薄く浮かぶ。
アンジェルの儀式の後、ジラルの塔の前で弟のレネと遭遇してからクレールは一年近く自室から出ることが出来なかった。
時が経った今、ようやくこうして部屋から出て外の空気を楽しめるまで回復した、と言っても王城の外に出るには至っていない。
父親である国王からは「あの程度のことで心病むとは情けない」と呆れられ、側近からは王太子の資格なしと烙印を押されている。近頃は従兄であるルイゾンを次期国王に推す声も高まり、継承権剥奪の日も近いともっぱらの噂だ。
だがクレールにとってそんなことはどうでも良く、どこか他人事のような話であった。
まだ償う方法も見つかっていない…そんなことを考え、爽やかな渋味のある紅茶を一口飲むとクレールは目を閉じた。
ここ一週間ほど議会やら何やらで城内が騒がしかったが今日は比較的静かだ。
使用人たちが荷物を運ぶ音や城内の草木を整えている音、業務の合間に無駄話でもしているのか楽しそうな笑い声…そんな生活音が耳に届く。それを心地よく聞いていると遠くから馬車が止まり来客を知らせる声が聞こえてきた。
「今日は誰か来る予定が?」
「ええ。ダンドリュー伯爵から国王陛下に謁見の申し出があったと」
「…ダンドリュー伯爵?」
しばし公の場から離れていたためその顔も浮かんでこない。それに精神を病んだせいなのか記憶力が欠陥しているようだ。
考え込んだクレールを不憫に思ったのか侍従が口を開いた。
「…セルトンの隣領主です」
「……そうか。セルトンの隣…」
セルトン、そう口にしても心が揺らがないことを確認する。
セルトン、ヴィオレット、そしてアンジェル…自業自得だがその単語を思い出すだけで小さくうずくまり震えていた頃とはもう違う。確実に精神状態は安定してきていると感じた。
「ダンドリュー伯爵が何の用事だろうか…?」
「私も詳しくは把握しておりませんがダンドリュー領は上手く回っており、これと言った問題はないかと思うのですが…」
「…ふむ」
なぜだか少し興味が湧いて立ち上がると侍従が不思議そうに名を呼んだ。
「クレール殿下?どちらに…」
「いや、少し気になって」
「…左様でございますか」
どこか嬉しそうに頷く侍従を見て、今までずいぶん心配を掛けてきたのだと反省する。
クレールはそんな侍従の姿に小さく微笑むと吸い寄せられるように謁見の間に足を向けたのだった。
***
一方セルトン侯爵家本邸――
「アンジェル様ー!」
「ルーシー!レネ!アド!」
馬車を下りるなりぶんぶんと大きく手を振りながら走ってくるのはルシアナだ。その後ろをレネとアドルフィトが歩いてくる。
領地の状況が少し落ち着いたため、ギマールから彼らも手伝いに来てくれたのだ。
「レネもルーシーも学校があるのにごめんなさいね。手伝いに来てくれてとても心強いわ!」
レネは入学して二年目であるからもう学校にも慣れていると思うが、ルシアナはこの間入ったばかりだ。まだ学校に馴染む途上である時期に休ませてしまって申し訳ない。
「こういう経験も勉強になるからと先生に言われたよ。それにハルム殿下が校長に一筆書いて口添え、」
「わー!言うな!」
影でこっそり力添えしていることをレネが暴露するとハルムが真っ赤になった。
最初の頃はキツイ物言いにたじろぐこともあったが、ハルムの性格にも段々慣れてきた。こういうところがハルムの愛されるところなのだろう。
そんなハルムの姿を呆れたように笑ったティトが三人の前に立った。
「三人とも来たばかりで申し訳ないが明日の朝には南部のトロンカに出発しようと思うんだ」
「あ…大雨で被害にあった地域ですね」
レネの言葉にティトが頷く。
バルニエの話では南部は少しずつ回復してきているというがまだまだ厳しいだろう。先の災害では田畑だけでなく家屋にも被害が出たがセルトン侯爵家からは何の支援も出さなかった。
明日からは食糧配布と家屋修繕の手伝い、またその費用を渡しに行くことになっている。
「それと南部に配置されている衛兵がどうなっているかの確認だな」
「おそらくほとんどが残っていないと思いますが…」
給金が届かなくなった時点で辞めてしまった兵が多いだろうから期待はできない。チェルーフとの国境も近い南部は危険にさらされている。
「…とまぁ、詳しい話は後にして今はゆっくり休んでくれ」
ティトがレネとルシアナの頭を順にポン、と撫でると二人とも嬉しそうに頷くのが可愛い。
「レネ、お屋敷の探検しよう!」
「うん!」
「あ、こら、ルーシー、レネ!荷物を…」
「後でー!」
楽しそうに走り去った二人と後ろでぶつぶつ小言を言うアドルフィト。久しぶりに目にするやり取りにアンジェルは微笑む。
「途端に屋敷が明るくなったな」
「ふふ、そうですね」
屋敷の中だけではない。
新たに加わってくれた三人によって、連日の業務で疲れていた皆の心の中も一気に明るくなったことをアンジェルは実感したのだった。
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