上 下
84 / 118
全面対決編

最後の最後まで

しおりを挟む


「何だこれ可愛いな~」
「ベビーシューズを作ってるんです」

アンジェルが編み物をしていたところを覗き込んできたティトは、出来上がった真っ白な毛糸で作った小さな靴を手の平に乗せて嬉しそうに眺めている。
ここ最近空いた時間に二人分のシューズやケープをちまちま編むのがアンジェルの楽しみになっていた。

「ママの手作りなんてこぐまちゃんたちは幸せだな」
「ふふ、そうだと良いんですけど」

ティトがアンジェルのお腹を愛しそうにちょんちょんとつつく。

あの日、王城に呼び出されてから更に二週間経った。
結果が出た直後は手続きやこれからの段取り等をまとめるのにバタバタしたが、段々と日常に戻りつつある。
レネとルシアナもすでにギマールの学校に戻っているから大人ばかりの静かな空間ではあるが、心配事も減り穏やかな毎日を過ごしていた。

「そろそろセルトン領に戻らねばなりませんね」
「そうだな~まだ調整しなきゃならんことがたくさんあるし」

他領地への編入を領民に納得してもらうためにできれば直接出向いて丁寧に説明したい。体のこともあるから無理はできないができる限りのことはしたいと思っている。
セルトン領として残るトロンカに拠点を移すための整備もしていかなくてはならないしやることは山積みだ。

「ティト様」
「ん?どうした、アド」

居間に入ってきたアドルフィトがティトの耳元でコソっと何か呟いた。何か良くないことが起こったのだろうかとアンジェルは心配したのだがティトが急に笑いだす。

「ハハッ!さすが期待通りの動きをしてくれるな」
「どうしましょう?」
「もちろん行く」

なぜかウキウキし始めたティトに首をかしげる。

「アンジェルも行くか?」
「どこにですか?」

アドルフィトが後ろでやれやれと呆れている。どうやらあまり誉められたことをしようとしているわけではないらしい。

「追い立て」

素晴らしい笑顔で言い放ったそのひと言にアンジェルは目をぱちくりさせたのだった。


***


「あ、これはティト殿下にアンジェル様!」
「ああ、ご苦労」

セルトン家別邸の門前にいた兵に声を掛けるとバッと敬礼をされた。
査問会議以降、セルトン家別邸には王家の警備兵が配置されており、ベランジェ一家が逃げ出さないように監視されていたのだ。

「どうだ?まだ粘ってるのか?」
「はい…もう半日になりますね」

今日、彼らは国外に追放される。
行き先は聞いていないが国境を越えたらもう二度とペルランの地に足を踏み入れることはできない。
本来なら今朝早くに出発だったらしいのだが……

「イヤよ!どうして私たちが出ていかなきゃならないのよ!ここは私の屋敷よ!」
「無礼者!私に触れるな!」

開け放たれた扉から大きな叫び声が聞こえてくる。姿は見えなくともヴィオレットと義母リゼットが騒いでいるのだとわかった。
ベランジェはどこに行ったかと見回すとすでに馬車に乗っている。

(ずいぶんやつれたわね…)

馬車で小さくなっているベランジェは万策つきたのか廃人のようになっていた。この間見た時より一回り小さくなり、青白い顔でぶつぶつと何か呟いている。
じっと見ていると目が合ったが特に何の反応も示さなかった。一瞬アンジェルの中に情のようなものが上がってきたが首を横に振り、その感情を押し込める。

その時屋敷の中からまた大きな声が聞こえアンジェルは我に返った。

「あ!あなたは!」
「んあ?」

ヴィオレットが屋敷から出てきてティトの方に駆け寄ってきた。罵声でも浴びせられるかと思っていたのにヴィオレットの反応が少し妙だ。どこか歓迎しているように見え、それを感じたのかティトも眉を顰めた。

「やっぱり私を迎えに来て下さったのね!ほら、お母様!私の言った通りでしょう!?」
「?……?、?…?」

ヴィオレットはなぜか満面の笑みで屋敷内にいるリゼットを呼んでいる。
ここにいる誰もが、何をどう考えても、口を開こうとしてもハテナマークしか出ない、そんな顔をしていた。
ギマールでの事を知らないロルダンがどういうことでしょうか、と聞いてきたがアンジェルだってわからない。確かあのパーティーでは二人ともヴィオレットを無下に扱ったと聞いたのだが。

(もしかしてティト様の正体を知らないのかしら)

そんなことを考えていると、やっとアンジェルの存在に気がついたヴィオレットの表情が面白いほど一気に険しいものに変わった。

「……は?何でここにアンタがっ…!」

これ以上ないほど憎悪に満ちた視線を向けられた。それも仕方のないことかもしれない。彼らはアンジェルのせいで追い出されると憎んでいるに違いない。

「アンジェルは俺の愛する妻だが何か問題が?」

アンジェルを隠すようにスッと前に立ったティトがそう言い放つ。そのひと言にヴィオレットとリゼットの表情が凍りついた。

「っ…!?ウソよ!そんなはずない!」
「俺はジラルディエールの王太子、アンジェルは王太子妃だ。お前ごときがアンタなどと呼んで良い相手ではない」

それを聞いて更に腹が立ったのかヴィオレットがヒートアップする。

「こんな地味な女があなたの相手なわけないわ!私の方が相応しいわよ!」
「お前みたいなアホな女が俺の相手なわけないだろう」
「でも!クレール様だって私を選んだのよ!」
「すでに捨てられただろうが」

目の前で辛辣に否定されているのに必死に食らいつこうとするヴィオレットに狂気を感じる。アドルフィトとロルダンはドン引きだ。

「え。何ですかこのホラーな女は」
「正気とは思えませんね」
「王都に突如現れたユキヒョウに襲われたってことにして始末しません?」
「名案ですが残虐な光景はアンジェル様の体に悪影響かと」

それもそうか、と従者二人は頷いている。この二人が普段会話するところはあまり見たことがないが今日は息が合っているらしい。というか。

「ロルダンはユキヒョウになるのですか!?」
「あれ、アンジェル様はご存じなかったですかね。特にあご下なんかは毛が真っ白でもふもふです」
「白いもふもふ!」

今度の新月期間には絶対に触らせてもらおうと想像していると、自分だけ仲間外れにされていると気がついたティトがアンジェルをぎゅっと抱きしめた。

「こらー!アンジェルをそそのかすな!」
「そそのかすだなんて…ただロルダンのもふもふが、」
「浮気禁止!」

何だか話が脱線し何しに来たのかすっかり忘れそうになっているとヴィオレットが突然、そうだわ!と楽しげな声をあげた。

「私、お姉さまの侍女になるわ!」
「…は」
「そうね、それが良いわ!私もアンジェルの母親なのだから一緒に行くわ」
「私たち家族じゃない!ね!」
「……家族?」

本当に底抜けに図々しい。
今の今まで蔑んでいたくせに突然方向性を変えすり寄ってきた二人に寒気がした。

アンジェルは小さくため息を吐くと母娘の前に立った。感情的にならないように丹田に力を込め、舐められないように凛と姿勢を正す。

「最初から私とレネはあなた方の家族ではなかったではないですか」
「そ、そんなことないわ!」

ことあるごとにアンジェルとレネに嫌がらせをし、時には手を上げ、使用人まで一緒になって虐げてきた。そんなもののどこが家族と言えるのだ。聞いて呆れる。

「一度も家族だったことなんかありません。それは散々私を虐げてきたあなた方母娘が一番良くわかっていらっしゃるでしょう」

毅然とした口調で言い切るとリゼットが悔しそうに睨んできた。

「くっ…追い出さずに育ててやったのにっ…」
「育てた?あなたが?私を?いつ?」
「っ…」
「そもそも追い出される理由はありませんし、私を育てたのはあなたではありません。お金のことを言っているのであれば祖父に育てられたも同然。それはあなた方にも言えることでは?先祖が積み上げてきた財産をただただ食い潰し、領民からも搾取する…人のモノを奪ってきただけの人生ですものね」
「っ…この!」
「おっと。俺の目の前でアンジェルに手をあげるとか死にたいのか?」

リゼットが振り上げた手をティトがグッと掴む。もう少し力を入れたら折れてしまいそうだ。ティトの表情を見て本気と取ったのかリゼットは一気に顔を青くした。

「あなた方のように人の物を奪うような低俗極まりない行為はいたしませんのでどうぞ私物はお持ちください。それよりいつまで警備の者たちを煩わせるのですか」

アンジェルがちらりと警備兵に視線を送るとその責任者が大きく頷いた。

「本当に時間切れです。これよりは強行手段を取らせていただきます。拘束しろ!」
「はっ!」

責任者の合図が出るとヴィオレットとリゼットは兵に囲まれ拘束された。まだぎゃあぎゃあ騒いでいるがもうどうでもいい。
アンジェルに罵詈雑言を浴びせながら馬車に連行されていく母娘。

(最後まで救いようのない人たちだった…)

謝罪の言葉ひとつでもあれば…とも思ったが逆になくて良かったのかもしれない。
その方がアンジェルの心の中に罪悪感や後悔が湧くことはないのだから。

「アンジェル」
「ティト様…」

労るようにそっと抱きしめられようやく体から力が抜けた。

「めちゃくちゃかっこ良かったぞ」
「ふ…」

思わず零れた涙は何を意味するのか。
悔しいのか悲しいのか、嬉しいのかはたまた安堵の涙か…それさえもわからなかった。
ただアンジェルは、これですべて終わった、と心の中で呟いたのだった。

しおりを挟む

処理中です...