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不可逆

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ペルラン王国、王城――


「っ!…はぁ…はぁ…」

夜半、クレールはうなされて目が覚めた。あのジラルの塔の儀式の日から毎晩これの繰り返しだ。
夜は悪夢にうなされ眠れず、食事は喉を通らずでみるみるうちに痩せていった。

“クレール・バルテルはまるで廃人のようだ”

彼を目にした者は皆そう噂した。

「アンジェル、アンジェルっ…」

クレールは暗い部屋の中でぶつぶつとその名前を呼び続ける。

――アンジェルは生まれた時からの婚約者で、クレールもそのことに異存などなかった。王族の婚姻などこんなものだ、そう割り切っていた。
見た目は少し地味かもしれないが美しくないわけではない。性格も穏やかで声を荒らげたりすることもない。分をわきまえ、必要以上にでしゃばることもない。今にして思えば王太子の婚約者たるものかくあるべしと教育されてきただけなのだろう。
心を奪われるようなこともなく、そう――本当に空気みたいな存在だった。

反対に一瞬にして心を奪われたあの女性、ヴィオレット。
あの華やかで甘く柔らかな表情に魅惑的な身体。まるで麻薬を求めるようにクレールは彼女に堕ちていった。甘えられることも刺激的でこの娘には自分が必要なのだと庇護欲を掻き立てられた。

ヴィオレットとその両親に言われるがままに創立記念パーティーの場でアンジェルに婚約破棄を突きつけた。
それがどんなにアンジェルの心を傷つけるかも想像できず…いや、わかっていた。わかっていながらやったのだ。
彼女を蔑むことに躍起になっている母娘に自分は荷担した。そのことに罪悪感など湧かなかった。

婚約者がいる裏での逢瀬は刺激的でその背徳感さえ高揚に繋がった。アンジェルからは得られなかった真実の愛。それを手に入れた、やり遂げた!…そう、思ったのは一時的なこと。

蓋を開けてみればヴィオレットは見た目を着飾るばかりで教養もマナーも何も身に付いていない。それならこれから、と学ぼうとする姿勢も皆無だった。高価な物とかしずかれる事ばかりを好み、気に入らないと怒るか泣くか。あの美しい容姿の中身は驚くほど空っぽだった。

そうなると冷めるのは一瞬だ。ヴィオレットの愚劣さは早々に両親の耳に入り、程なく追い出せたのまでは良かった。
しかし自分の知らない間になぜかアンジェルがすべての罪を被ることになっていた。そしてそれに反抗する勇気もなく―― 今や王族からは蔑まれ、国民には白い目で見られている。


(ジラルの塔に魔物なんていないんだ…)

生け贄なんて綺麗なもんじゃない。
あそこは体のいい処刑場だ。ジラルの塔に生け贄として入れられた者は食べ物も、水さえ口にすることなく餓死するのを待つだけだ。そしてクレールは自身の選択でアンジェルを殺してしまったのだ。

(俺はなんて、愚かな…)

ジラルの塔のどこかにアンジェルの遺体が――

「うわぁぁーっ!!」

半狂乱になって泣き叫ぶ。
だがそんなクレールを宥めてくれるような人はいない。侍従もメイドもすべてクレールが遠ざけたからだ。
クレールは今夜も自身の気が済むまでわめき続けるのだ。




そして気がついたときにはジラルの塔の前にいた。
ひざまずいて許しを請う。こんなことをしてもアンジェルが戻ってくるわけでも許されるわけでもない、わかってはいるが。

「アンジェル…、すまない、すまないっ」

涙を流しながら謝罪の言葉を口にし続ける。どのくらいの時間そうしていたかはわからないが、クレールの目の前にふわりと白い花びらが落ちてきてハッと顔を上げた。

「っ…アンジェル!?」

黒い服に、ハニーブラウンの髪、手には白い花籠……アンジェルが振り返る――

「アンジェル!アンジェル…生きて…」
「……」

何の感情も映していないような瞳を向けられてクレールはゾクッとした。
あの時扉の前で「卑怯者」と言ったアンジェルの姿と重なり体の震えが止まらなくなる。

「……レネ・セルトン。アンジェルの弟です」
「っ…!」

レネはジラルの塔の扉の前に花籠を置くとひざまずいてしばらく祈っていた。立ち上がるとクレールには目もくれず去っていく。しかし、


「人殺し」


すれ違い様にポツリと呟かれた言葉。
そのひと言は剣で刺されるよりクレールに鋭い痛みを与え…――


その後王城に戻ったクレールは部屋に閉じ籠ったまま出てこなくなったのだった。


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