アパートの一室

服部ユタカ

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十章 アパートの一室

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    十. アパートの一室


 俺は二〇四号室の前で座り込み、煙草に火を点けた。ショートホープだ。

 それはすっかり乾燥して、辛くなっていた。風味も落ちて、かなり不味い部類だった。

 俺は短く吸って、鼻から煙を抜いた。刺激が鼻腔を通り抜けていく。

 箱の中身は残り三本だった。吸う人間を待って待って、待ちくたびれたようだった。

 その煙草を、俺は胸ポケットに入れた。不味かろうと、吸えはする。箱の方は取っておくことにした。健康被害を訴える無粋な文章には目を瞑っておいた。

 二〇三号室の女性の住人が出てきて、俺を見た。胡散臭そうに何度か目線をこちらに送ってから、会釈をしてきたので、俺はそれに応じて、少しにっこりとした。

 住人はすぐ視線を切って、階段を下りて行った。

 入れ替わりに、二〇二号室の住民が上がってきた。カンジ君は俺に気付いて、一瞬止まってから声を上げた。

「お久しぶりです! うわ、ホント、えっ。お久しぶりじゃないですか!」

 衝撃でカンジ君は言葉に詰まりまくっていた。

 彼はこざっぱりとした格好になったうえ、顔つきが変わっていた。色々な経験をしたのだと、一目で分かった。

 俺はさらに、もう少しにっこりとして、挨拶を返した。カンジ君が俺の横に来て、エコバッグを廊下に置いた。そして、何よりも先にカンジ君は空を見上げた。

「今年もあっついですねえ」

 本当に訊きたいことを訊けずにいるのが分かったが、俺は気づかないフリをした。

 真夏が到来していた。じわじわ、とセミがやかましく鳴いていた。

 それでも、日陰になっているアパートの廊下の床は、ひやりとしていた。俺は尻が冷えてきたのを感じながら、柵に背を預けた。

 生ぬるい風が吹き抜けた。頬にそれを感じながら俺は煙草をふかした。

 カンジ君がそれを煙たそうにすることはなかった。祖母の影響で受動喫煙には耐性があったんだっけ、と俺は思った。

 カンジ君が隣に座った。

 しばらく、俺はカンジ君の近況を聞いた。

 彼女ができたのだと知り、俺はカンジ君の肩を軽く叩いた。悪くない気分だった。そこに、“兄”とかいう下らない感覚は存在しなかった。

 煙草に印字された「ホープ」へと火が迫るだいぶ手前で、俺は携帯灰皿で消火した。それから、一息ついた。

 話が途切れて、沈黙が流れた。

 少ししてから、そういえば、とカンジ君は買い物袋からアイスを出した。

「あちゃー、溶けてきてる」

 カップアイスの容器が水気を吸ってぐにゃりとなっていた。カンジ君はひとつ俺に勧めると、残りを冷凍庫に入れるため部屋へ入っていった。

 渡されたのはバニラだった。柔らかくなりすぎてはいたが、アイスはまだ冷たかった。

 木のスプーンで一口食べた。この味はいつも変わらないな、と俺は思った。抹茶味なら言うことがなかったんだが、とも思った。

 カンジ君もバニラを持って戻ってきた。液状になった部分をすすってから、それを食べ始めた。

 最近どうですか、とカンジ君はようやく訊いた。

 ぼちぼちだよ、と俺は答えた。

 ぼちぼち。その言葉に尽きた。

 それはよかった、とカンジ君が頷いた。少しだけ引っかかりのある笑顔だった。

 俺は脚を投げ出した状態から、両手を使って両脚を引き寄せ、不細工なあぐらの形にした。カンジ君も同じようにあぐらをかいた。

 暑いですね、とカンジ君がもう一度言った。

 ああ、と俺は簡単に答えた。

 スマホが鳴った。どうやら電話の主は仕事を早引けしたらしい。

『今どこに?』

 居場所を伝えると、安堵したようなため息が聞こえた。時間までにはちゃんと到着するようにするよ、と言うと、了解です、と返事がきた。

 電話はすぐに切られた。一応、俺たちの仲であったから、それくらい素っ気なくてもよかった。

「お時間大丈夫なんですか?」

 まだまだ余裕がある、と伝え、俺はアイスを頬張った。カンジ君もそれに続いて、二人して同じタイミングで頭がキーンとするあれにやられた。

 カップアイスを空にしてから、俺は百円玉を取り出してカンジ君に渡そうとした。しかし、それは丁寧に断られた。

 カンジ君が部屋に戻ります、と言うので、俺も出発することにした。

 別れ際「また」と言うと、彼も同じく「また」と手を上げたので、俺はアパートから視線を外してをそこをあとにした。

 天から降り注ぐ殺人熱線は、路上で反射され、上下から人類を根絶やしにしそうだった。まあ、それが言い過ぎだとしても、マンホールの蓋で目玉焼きが一分で作れそうに暑かった。

 汗をかきかき、俺は移動を続けた。

 俺は兄と合流した。兄には駅の喫茶店で時間を潰してもらっていた。

「行くか」

 電車に揺られ、俺たちは郊外に出た。そこからタクシーを拾った。

 クーラーの効いた車内は快適だった。それに、なかなか上手い運転だったと俺は思った。

 二十分ほど走って、霊園の入口に到着すると、俺たちは下車した。

 その先には、「彼女」が眠っていた。

 墓参りは、静かに始まり、静かに終わった。

 俺は線香をあげ、手を合わせ、瞑目し、胸中で様々な報告をした。

 そして、兄も遅れて、同じように手を合わせて目を瞑った。表情を盗み見ることはしなかった。

 霊園には他にも人がいて、墓石に水をかけ、たわしで洗ってやっているのが見えた。

 蝉時雨の中、額に浮いた汗を拭った。

 兄が立ち上がり、俺に向き直った。

「もう、いいか?」

 ああ、と俺は答えた。
 そうか、と兄は言った。

 じりじりと日差しで首筋が焼かれた。いつかみたいな、いい天気だった。

 両脚で地面を踏みしめ、杖をつきながら墓石の間を行った。

 俺は、歩いて、「彼女」の墓石を後にした。


   ***


 未だ、かなり不細工な歩き方しかできなかったが、俺は歩けるようになった。

 杖を両腕に、よろめき、常に転ぶ寸前のような形でだったが。

 リハビリはまだ続けていた。左腕は以前ほどではないが、日常生活には耐えうる機能を取り戻した。

 もっと上手く、以前のように歩ける保障はなかったが、継続していた。

 理学療法士は根気よく俺に付き合ってくれた。一人で外出できるレベルまで面倒を見てくれた。

 奇跡ではない、これは努力の賜物だ。毎回、彼らはそう言って俺のへなちょこ歩行を褒めてくれた。

 車椅子はあれば便利だが、なくても充分に生活ができた。なにより、自分の脚で立つということが重要だった。

 俺が初めて掴まり立ちから一歩踏み出せた日、俺は喜びのあまり落涙した。視界がぐんにゃりと歪んで驚いた。

 ぼたぼたと熱い涙が落ちるものだから、何かの異常かと思ったほどだ。

 嬉しくて泣くなんて、初めての経験だった。それまでの人生で一度だってそんなことはなかったのだ。

 リョウスケ君、カンジ君、ソウタ君、ユッコちゃんはケーキ持参で祝ってくれた。その時食べたショートケーキは、無類の味だった。

 それから、俺はとにかく歩くことに執着した。病院内のトイレにも、浴室にも、待合室にもなんとかして歩いて行こうとした。

 凄まじく疲労したが、その分、脚が鍛えられるのだと信じて続けた。腕は学生時代よりも健康的に太くなっていった。

 胸や背中もそれに続くように鍛えられ、一部のTシャツが着られなくなったほどだった。

 俺は、前を向いていた。

 後ろを振り返って悩む時間がなくなっていった。

 心療内科の医師は、俺の病気が寛解したと診断した。以前に比べれば、かなりの減薬で対応できる日々を保証されて、俺は嬉しくなった。

 どんどん、前に進んでいける気がした。

 俺は、自分で歩けるようになったのだ。

 自分の脚で、俺はどこへでも行けた。


   ***


 俺には約束があったため、兄とは駅で別れた。カンジ君と会っていた頃に話した電話の主との待ち合わせだ。

 場所は都心に近い、栄えた町だった。俺が心をやられていた時期なら絶対寄り付けない、人の多い、ビルの立ち並ぶ場所だった。

「こんにちは」

 待ち合わせのモニュメント前にリョウスケ君が立っていた。隣人氏はいわゆるクールビズスタイルだった。半袖のワイシャツが汗で吸ってはいなかったので、どこか喫茶店にでもいたのだろう。

 持っていたシアトルボトルを見ると、スタバにいたことが判明した。

 隣人氏は大学卒業と共に、そこそこ聞いたことのある企業へ就職をし、今では職場から数駅のアパートに居を移しているという。

 学生然としたあか抜けない表情はどこへやら、立派に社会人をやっているようだった。

 気の回る人間だったことは承知していたので、驚くことでもない気がした。

 困った時のリョウスケ氏。俺は小さく笑った。

「お墓参りをしてきたんですよね」

 隣人氏は静かに言った。俺は、黙って首肯した。

「命日、か」

 隣人氏は神妙な面持ちで、言った。

 俺たちは個室のあるダイニングバーに移動した。薄暗い、雰囲気の良い店だった。

 俺たちはとりあえずの生ビールを注文し、料理は、リョウスケ君のセンスに任せることにした。

 お通しに箸を付ける前に、俺は昼間のことを話した。カンジ君は上手くやっているみたいだよ、と。

 隣人氏の方は、ソウタ君、ユッコちゃんの近況を教えてくれた。彼らも卒後、しっかり就職をし、今も別のアパートで同棲を続けているらしい。

 住んでいる地域は、「あの」アパートからはかなり離れていたが、あの頃の生活がどこかでまだ続いていることを知り、俺は嬉しくなった。

 近く結婚の話も出るでしょうね、とリョウスケ君は静かに言った。

 そうであっても不思議じゃないな、と俺は言った。

 ジョッキを軽くぶつけ、乾杯した。少しして、漬物盛り合わせが運ばれてきた。

 俺はナスを摘まみ、隣人氏はキュウリを食べた。つくね串が出てくるのはもう少し後になるだろう。

「今は何を?」

 最近は色々とやっていたので、ひとつに絞って話をすることにした。

 よく人と会って話をしている、と俺は言った。

 漠然とした言い方に、リョウスケ君は怪訝な顔をした。

 俺はまあ、本当に色々着手していた。

 嘘偽りなく、今は病院やリハビリ施設を始めとした、様々な場所で、出会った人々とよく話をしている、というのが生活の主軸だった。

 あの日の事件以来、俺はしばらく生きていけるだけの慰謝料が犯人の家族から支払われた。障害年金も国からおりるようになり、懐に余裕ができたのが要因のひとつだった。

 もちろん、仕事をしないつもりはなかったが、今はこうして生きているのが俺の中で正しいあり方だと考えるようにしていた。

 正直、慰謝料の件は意外だった。犯人は既に自立していたからだ。しかし、それが犯人の家庭のけじめの付け方ということで、俺はなにも言わずに口座を指定した。

 俺は馬鹿な話から真面目な話まで、多用なネタを仕込んできたのだが、それを出す前に、リョウスケ君が固い表情で切り出してきた。

「それで、もういいですよね。そのつもりで連絡してきてくれたんですよね」

 改まって、リョウスケ君が言った。

 俺はビールを一口飲みながら、頷いた。

 隣人氏が言葉を整理しているのが分かった。

 きっと、この日のために溜めてきたものがあったのだろう。

 俺は待つ間、胸ポケットからショートホープの一本を取り出して、吸おうとした。しかし、百円ライターが点かなくなっていた。

 それに気付いて隣人氏がジッポーを渡してくれた。かなり使い込まれた印象を受けた。

 ホイールを操作し、フリントを擦って点火してから、煙草を小さく、柔らかく吸った。

 煙は相変わらず、辛いだけで香りもへったくれもないものだった。

 時間の流れは、物事を良くも悪くもするのだ、と俺は思った。

 リョウスケ君が、俺が煙草を吸うのを少し待って、ようやく決心したように、俺の横顔を見た。

「理由は問いません。訊きたいことはひとつです。俺らの前から姿を消したあとの、彼女の居場所を教えてください」

 リョウスケ君ははっきりと、そう言った。

 俺は煙草を灰皿に押し付けた。

 お願いします、とリョウスケ君が力を込めた。

 俺は一度瞬きをして、リョウスケ君の目を見た。その瞳は揺るがなかった。

 三年の月日は、リョウスケ君を堂々たる男にした。

 ビールを呷った。

 お願いします、とリョウスケ君が再び言った。

 俺は、こうなることが分かっていてここに来た。むしろそうなるようにしたのは俺だ。それに対する答えを用意しなかったわけではなかった。

 急かす視線を受けながらも、まずはひとつの質問をぶつけてから、返答をするつもりだった。

 後悔はしないだろうな、と。

「絶対にしません。たとえ何があろうとも」

 即答だった。

 俺はジョッキを置いた。


   ***


 事件から一年近くが経過していた。俺はベッドの横で、友人に話しかけていた。

 車椅子からだと、ちょうど顔の高さが一緒になった。

 返答のない、一方通行の会話を俺は続けた。安らかな、綺麗な顔で、友人は眠り続けていた。

 手を取り、弱く握った。ぴくりと反応があった。それに喜ぶことは、もうなくなっていた。

 医師が、反射でそうなることがある、と言っていたからだ。

 昏睡状態が長引くにつれ、友人の体は細くなっていった。

 関節を動かしてやった時、体のあまりの軽さに俺は愕然とした。

 まるで枯れ木のようだった。人間らしい柔らかさが失われつつあった。

 リョウスケ君も同じことを感じたらしかった。

 友人の病室から出てくる度に、彼は顔面を強張らせていたのだ。

 何度訪れても慣れはしなかった。慣れてしまうのが怖かった。人間を人間として見られなくなってしまいそうだったからだ。

 人をモノと変わらずに扱ってしまう想像をして、身震いした。それは、その人間の死を享受したのと同じだと、俺は思った。そして、服役が決まったヒカルの姉と同類になるのが怖かった。ヒカルを、感情のない存在であるかのように扱うことが。


   ***


 俺が今住んでいる部屋まで、電車で三十分、徒歩で十分だった。とはいえ、健常者の十分なので、俺の歩行だと二十分はかかった。

 いつもなら気にせず歩いていたのが、その日、俺たちはタクシーを拾って移動した。客人がいたら、話は別だ。

 たった数分のことだったが、リョウスケ君は道中ずっと無言だった。

 その視線は窓の外を流れる風景の方にあった。

 俺は運転手の後頭部の辺りをぼんやりと眺めていた。その運転手は、昼に捕まえたタクシーの人物よりもかなりお喋りだった。

 やがて、車は俺の住むアパートに到着した。ワンメーター分の支払いをして、俺たちは下車した。

 俺の部屋は一階にあった。理由は言わずもがなだろう。

 開錠し、ドアを開けた。暗い部屋の中で、冷蔵庫が小さく唸り声を上げていた。

「あの」

 ドアの前でリョウスケ君が口を開いた。俺は玄関の前に置いた組み立て式の丸椅子に座り、靴を脱ぎ始めていた。これはリョウスケ君が予想していた展開とは異なったのであることはすぐに察した。

 きっと、リョウスケ君の見立てでは、ヒカルとの感動的な再会がここに待っていたのだろう。

 しかし、部屋には誰もいなかった。俺は靴を脱ぎ終えると、何も言わず部屋に上がり、空調の電源を入れた。

 リョウスケ君は少し迷ってから着いてきた。感動的な再会なんてものは、俺は用意していなかった。

 誰もそこには待っていなかった。特別なものも置いていなかった。……いや、一つだけあった。

 流しの下の棚から、瓶を取り出すように頼んだ。リョウスケ君は黙ってそれに従ったが、すぐに声を小さく上げた。

 俺の記憶に間違いがなければ、それはリョウスケ君の好みの焼酎だった。いつか、一緒に飲んだものだ。

 俺はベッドに、隣人氏は丸椅子に座ると、酒杯を軽く掲げた。

 しばらく、俺たちは酒を飲み続けた。かなりペースは遅かった。一杯を干すのに、時間をかけた。

 リョウスケ君はつまみを作ってくれた。

 焼き味噌と明太子を和えたネギ焼きだった。ほんの少しだけ白米が欲しくなった。

 礼を言ってから、引き続き黙って飲んだ。

 瓶の半分が空いた。

「……会えるんですよね。そのための、三年越しの、呼び出しなんですよね」

 念を押すように、リョウスケ君は言った。

 俺は首肯した。

 それ以上、リョウスケ君は、嘘を吐いたのかだとか、早くしろだとか、そんなことは言わなかった。この調子だと、早くて明日には会えるはずだと考えているのが分かった。

 明日はリョウスケ君が休みだと聞いていた。俺に関しては、言うまでもないことだろう。

 時間は有限だが、けっして余裕がないわけではない。少しくらいは、ゆっくりしても構わないはずだ。

 その晩、隣人氏は床に敷いた布団に収まってもらったのだが、よく眠れなかったようだった。何度も寝返りを打つ気配がした。落ち着かないようだったが、俺は何も言わなかった。

 エアコンがほどほどに効いていて、俺もベッドの中で心地よく眠ることができるはずだった。なのに、自分もうまく眠れないことに気付かないわけにはいかなかった。

 酔いが回っていたのに、それに身を委ねることができなかった。その理由を言語化してしまうことは簡単だった。

 だが、あえてしない自分がいた。

 リョウスケ君もきっと、そうしていたことだろう。

 言葉にしてしまうと、不安が形を持って俺たちを襲ってくる気がしたのだ。

 いつ眠ったのか、分からないくらい浅い睡眠の後、俺は目覚めた。

 まだ七時前だった。

 リョウスケ君の方を見ると、彼はこちらに背を向けて横になっていた。声をかけるとゆっくりとこちらを向いた。

 お互いに、あまりよく眠れなかったようだった。目元がどんよりとしていた。

 干からびかけたつまみを少し食べた。濃い味に唾液腺が縮こまった。

 ドアチャイム。

 俺は、今日は早いな、と思ったが口には出さずにいた。

「おはようございます」

 ドア越しにくぐもった声が聞こえた。

「俺が出ます」

 隣人氏はすかさず気を回して、玄関口に出てくれた。

 そして、ドアが開けられた。

「おはようございま……す?」

 俺の世話をしてくれている女性が挨拶の言葉を惑わせた。リョウスケ君の方は何も言わなかった。

 俺の見えていない玄関で、微妙な空気が流れているのが分かった。

 俺は、ベッドの上からは見えない、二人の邂逅を思い描いた。

「あの、どうかしました?」

 女性が迷いながら言葉を繋いだが、リョウスケ君は答えられなかった。俺は、わざと時間を置いてから杖を突いて玄関に向かった。

「あ、おはようございます」
 現隣人は、その表情を少しだけ柔らかくして、俺の名を呼んだ。

「そちら、俺の友達だよ。おはよう、ヒカルさん」

 俺も名前を呼んで、挨拶をした。


   ***


 頭が真っ白になった。

 待ち焦がれていた瞬間に、俺は打ちのめされた。誰もが期待していない展開だった。期待どころか、忌避すべき状況だった。

 友人の目覚めが、まさか、こんなことになるだなんて。

 その日、友人はついに目を覚ました。静かに、誰もが予想しないタイミングで。事件から二年と少し経った日だった。

 ちょうどそれは、俺の妹の命日に重なる日だった。

 まるで、何かを謀ったかのようだった。

 俺は、電話口で友人の覚醒を知り、飛んで病院に向かった。その時、既にリョウスケ君やソウタ君たちは卒業していて、電話をするのが憚られた。とにかく、俺は、何度も転びながら一人で病室に駆け込んだ。

「こ、こ、は……」

 ぼんやりとした表情で、かすれた、か細い声でヒカルは言った。

「どうして、私……は、ここに?」

 俺と同じで、事件のことを明確に覚えていないのだと思った。

「……ここ、は?」

 二年も昔のことだ、覚えていなくても仕方のない……。

「……?」

 俺は、その透き通った瞳を見て、全てを悟った。

 無様に床に膝をついた。

「だ、れ?」

 ヒカルは、ヒカルでなくなっていた。


   ***


「お友達の分も、朝ごはん、作っちゃいますね」

 エプロンをかけると、ヒカルさんはキッチンに立った。リョウスケ君は、それを見て、言葉を失った。

 隣人は、俺の母が料理を教えると、スポンジが水を吸うように覚えていった。家事一般もそつなくこなした。

 ヒカルさんの得意料理は、野菜の具沢山な味噌汁だった。それは、俺の好みの味をしていた。

「俺は」

 リョウスケ君は口を開いて、何かしようとした。手伝おうとしたか、自己紹介しようとしたかのどちらかだ。


 ヒカルさんはよく俺の介護に来てくれた。無償でだ。

 何かしらの事故に巻き込まれたらしく、生活するのに充分なだけの蓄えを得たと、ヒカルさんは嬉しそうにも悲しそうにもとれる表情で言った。

 かなり痩せていたヒカルさんだったが、一年がかりで体力をつけ、いくらか健康的な体つきと、健全な精神の大枠を取り戻していた。

「そう、ところで、俺がヒカルさんと出会ったのは――」

「やめて下さい。そんな風に言うのは」

 隣人について「まるで他人事のように」話をしていると、リョウスケ君がそれを制した。

 俺は、口をつぐんでベッドに座った。


   ***


 一年だ。
 長い一年だった。

 俺は、ヒカルとの再会、いや「出会い」のあと、すぐに俺の実家に身を寄せるよう話をした。

 ヒカル、あなたの実家はあなたを迎え入れてはくれないはずだ、と。

 慰謝料の話は流れるかと思ったが、そんなことはなかった。むしろ、手切れ金とばかりに犯人の両親が手早く支払いを行った。そして、もう連絡をよこしてくれるな、と文書が届いた。

 そして、俺の実家の人間が代わりに暖かくヒカルを迎えた――とは言えなかった。

 まず姉が、次いで父が反対した。

 俺がヒカルの人生をどうにかしようとするのは、おこがましいとしか言いようがない。一度目の保護はやむを得ないと言えたが、今回はどうだ。

 彼女を保護すると言って、実際はお前の介護もさせることになるのではないか。一人の人間をそう簡単に縛っていいわけがない。

 俺は言葉に窮した。二人の意見は至極まっとうなものだった。

 母は、終始黙っていた。兄だけが俺の側について弁護をしてくれた。

 自分のことを話し合っているということを理解すらできないヒカルは、きょとんとしていた。そんな姿を見ると、俺は、ますますヒカルを放っておけなくなっていった。

 不安という感情すら分からなくなってしまったヒカル。その痛々しいまでに無垢な状態に、俺の胸は張り裂けそうになっていた。

 本人に自覚はなくとも、人生で二度目になる、極寒の地で、何故寒いのか分からずに裸で立たされているような状況。そのままでいいはずが、ない。

 俺はその心持を、いつの間にか吐露していた。言葉を整理することもなく、まとまりなく口を動かした。

 せめて、せめて記憶が戻るまで。それか彼女が一人で生きられるようになるまで。

 口を突いて出たのは、まるでただのエゴだった。何人にも許されるはずのないわがままだった。もともと、俺はエゴで彼女と一緒にいた。俺には儚いものを守るためにそうしなければいけないという思い込みがあった。

 お互いに頑として曲がらず、姉と父、俺と兄の意見は平行線を辿った。場が停滞した頃合いに、母が、沈黙を破った。

 あなたはどうしたい、と母はヒカルに問うた。

 そして――そして、ヒカルは、いや、ヒカルさんは俺の服の裾を掴んだ。

 家族が納得するのに充分な返答の形だったと、俺は思った。

 あんたも生半な気持ちじゃないだろうね、と俺は母に睨まれた。俺は目をまっすぐ見つめ返し、首を縦に振った。

 決まりだね。そう母は言った。


 まずは、俺がそうであったように、簡単な運動でリハビリを始める必要があった。ヒカルさんは日常の些細な行動ですら息を上げていた。階段や緩い勾配を登るのに何度も休憩を必要としていた。独りで買い物などもできそうにはなかった。

 動作のリハビリ以外にも、たくさんのことを教えなければいけなかった。食事とは何か、というところから始めなければいけなかった。ヒカルは目前に出された白米を、食べ物と認識できなかった。空腹とは何か、食べ過ぎるとどうなってしまうか、全く理解できなくなっていた。

 どんな時にどうすれば生理現象を解消できるか、ヒカルさんは忘れてしまっていた。大きくて、しかし、大人しい、そんな赤ん坊のようだった。

 金銭のシステムを説明する前には、外を歩かせることができなかった。銀行という機関をも忘却していたので、金は有限だと学ばせるのは簡単だったが。

 俺たち家族は、ヒカルさんに多大なる時間を割いた。

 始めは姉と父は渋々ながら協力していた。

 しかし、次第にその態度は表面上のことだということが、分かった。

 愛を、注ぎたかったのだ。

 きっと、妹が生きていれば、こんな具合だった。そんな風に見てしまう瞬間があった。

 俺たち家族は、ひどい人間の集まりだった。
 最悪で最悪で最悪の家族だった。
 自己満足の塊に手足を付けて、優しい言葉を吐く生物が俺たちだった。

 それでも――

 俺は、口さがない人間が「ヒカルさんというのは抜け殻でしかない」と言ったとしても、その人間が生きているという事実を失いたくなかったんだ。


***


 リョウスケ君が胸を押さえ、呼吸を整えようとしていた。その間も、キッチンで野菜が切られる音は止まらなかった。

 ヒカルさんは、見知らぬ人間が辛そうな息遣いをしていても、何をしていいか分からなかった。

 自分にできることを一生懸命やればいい、という俺の母の言葉を愚直に守っていた。

 ヒカルさんにできないことは俺がサポートした。ヒカルさんが隣に住んでいる理由はそれだった。

 逆に俺が歩行に困難さを見せた時などは、ヒカルさんはなんとか考えに考え抜いて、支えてくれた。不器用ながら、一生懸命に。

「そんな……、そんな……」

 リョウスケ君の視線が定まらなかった。言葉も、意味を持ったものを絞り出せずにいた。

 いつも朝は簡単でいいと言っていた通り、ヒカルさんは一汁一菜をもって朝食とした。

 白米、赤だしの味噌汁、切り干し大根だった。

「いただきます」

 いただきます、と俺は続いた。

 リョウスケ君は、何も言えず、箸も持てなかった。

 料理の味は、俺の実家準拠だったので、無論、美味いはずだった。……はずだったが、今日に限っては、俺も久しぶりに味覚が鈍麻していた。リョウスケ君に味噌汁をすすめて、なんとか一口食べさせた。

 すぐに、リョウスケ君は椀を置いて、うつむいてしまった。その顔の下に、雫が一つ、二つと落ち、止まらなくなった。

 その横顔からは、「絶対にしない」と言っていた「後悔」が読み取れた。俺は、何も言えなかった。

 嗚咽が漏れ始めた。俺は、何もできなかった。

 こうなることは予想していた。

 なのに、言葉をかけることができなかった。

 なんと言ってやれただろう。

 辛いよな、すまない。
 違う。

 これからがあるさ。
 違う。

 もう会わなければよかったな。
 断じて違う。

 ヒカルさんが箸を置いて、立ち上がった。

 そして、友人の背後に座ると、俺にとっては予想外の行動をした。

 その両腕を友人の首に回して、抱きしめたのだ。

 リョウスケ君は、はっとして、首に回った腕を触った。

 それから、それから……。

 俺たちは何も言わなかった。


   ***


 俺は、ヒカルさんが記憶をなくしたことを他のアパートの人間には隠した。それは、欠落した記憶の範囲の広さ、無情さが原因だった。

 ……いや、俺のわがままだ。

 俺しか、彼女を守ってやれないと思い上がっていた。ヒカルさんが、「以前と同じ人物」として生きることを望んだ。

 俺は依存していたんだ。

 友人であるヒカルに。弱くて感情の薄いヒカルに。

 あの小さな掌。
 長い黒髪。
 白い肌。
 切れ長の目。
 薄い唇。

 それら全てを含めての、「ヒカル」という存在に、俺は寄りかかっていた。きっと、彼女も俺に対してそうであってくれるという根拠のない自信があった。

 だから、辛いリハビリも耐えられた。目覚めを待つことができた。

 なのに、目覚めたヒカルは、俺を、全てを忘れていた。

 そうなったことで、誰も咎めることができなかった。

 あの犯人でさえ、人生を踏み間違えた人間としては同類であるとして、咎められなかった。

 俺はある意味で、犯人と同じように「ヒカル」という存在を掌の上で飼っていたかっただけなのかもしれなかった。だから、俺は誰も彼もと等しく咎人だ。

 ただただ、俺は空虚な気持ちをそこに抱えていた。まるで、二度目の世界の終わりを味わったようだった。

 俺は、受け入れるしかなかった。

 「ヒカル」の死を。

 あれだけ愛した人間の死を、受け入れるしかなかった。

 時間が穏やかに俺の記憶をも風化させようとしていた。

 右手を顔に当て、少しだけ揺すぶった。事態は何も変わりはしなかった。

 しばらくして、俺は俺にできることを考えるようになった。

 それが、今の生活だった。

 以前あった状況に近付けて、何かを思い出してはくれないか、と思ったのだ。

 完全に、俺のわがままだった。

 それでも、ヒカルさんは俺の介護をするということを受け入れてくれた。俺は、世間から白い目で見られても仕方ないことをしていた。

 一人の人間を、玩具のように扱っていた……。

 そんな風にしか、俺はヒカルさんを愛せなかった。


   ***


 リョウスケ君は朝食をなんとか胃に全て収めると、部屋を出た。

 俺がそれを追いかけようとすると、冷たく乾いた声がした。

「ちょっと、独りにしてください」

 俺は中途半端に立ち上がりかけたためによろめいた。

 ヒカルさんがそれを支えてくれた。その腕は細く、俺を長くは支えられないことが分かっていた。

 俺たちは、支え合うには、少し弱すぎた。

 残念ながら、二人だけで生きることはできなかった。だから、たくさんの人との繋がりを持とうと、俺は脚を動かした。

 色々なことに興味を持ち、それに関わりある人々から何か得ようとした。俺にできることは他の人間に施すことがあった。

 視野が狭窄した状態では、生きていけない。人は独りでは生きていけない。

 ドアの外で、俺は、リョウスケ君が壁にもたれかかっているのを発見した。きっと、どこかに走り出そうとしたのだが、その気力が湧かなかったのだろう。

「独りにしてくださいって、言ったじゃ、ないですか……」

 震える声で、リョウスケ君は言った。

 俺は謝罪した。

 こんな形でしか、再会させてやれなかったことを。これまで、姿をくらましていたことを。そして、事実を隠していたことを。

 俺は一度に謝罪した。

 間違いなく、俺は卑怯だった。あのアパートにいた人間を「仲間」だと認識した上で、やることじゃなかった。

「ずるいですよ。……ずるいです」

 真っ白なキャンバスを俺は独占しようとした。他に、ヒカルを見つめていた人間がいたことを知りながら。

 罵られる覚悟で、落胆される覚悟で、あるいは殺されるかもしれない覚悟で、俺はリョウスケ君をここに連れてきた。その結果はどうだ。

 俺は、何も言えなかった。俺たちは、何も言えなかった。

 ヒカルさんが、部屋の中からこっそりとこちらを見ていた。

 俺はそれに気付くと、なんでもない、大丈夫だよ、と戻るように言った。

 夏だったが、まだ朝の涼しさがそこにあった。ひやりとした空気が、俺たちの頬を撫でた。

 リョウスケ君がポケットから煙草を出した。相変わらず、オレンジ色のパッケージをし銘柄だった。

 俺も胸ポケットに入っているショートホープを吸うか迷った。

 手で探ると、そこに入れっぱなしで寝たにも関わらず、タバコのケースは形を保っていた。

「抱き締めてあげる、って言われたんですよ」

 俺は不意を突かれて、煙草を取り出すのを止めた。

「いつか、俺たちが遊びに出た時に。耳打ちされたんです」

 思い出していた。あの時、確かにそんなことがあった。当時は気にも留めなかったが、そう言われていたのか。

「こんな形で実現するだなんて。こんな、タイミングで、やり方で、俺の知らないヒカルさんが……」

 そうやって、リョウスケ君は言った。

 おずおずとヒカルさんがこちらの様子をうかがっていた。

 俺はもう、戻るよう言わなかった。

 俺の指示を待つヒカルさんの姿が、ひどく痛ましく思えた。しかし、俺がどれだけの権利をもって彼女たちの行動を左右してよいのだろう。

 事件から、俺は前に進んできた。絞り出した自信は、これまで俺を突き動かしてくれた。

 だが、ここにきて、リョウスケ君を連れてきて、ついにそれはハリボテのごとく風が吹けば飛びそうなほど、薄っぺらなものに見えてきた。

 俺の脆弱な心では自分をこれ以上、だますことができそうになかった。

 つい、とTシャツの背中を摘ままれた。

 振り返ると、不安げな顔がそこにあった。ヒカルさんには、どうしていいか分からない事態だ。

 果たして、俺はなんと言うべきなのか。

 やがてリョウスケ君が立ち上がり、俺を見た。そこに、恨みや憎しみの表情がなかったことで、俺はかえって辛かった。

 怒鳴られた方がどれだけマシだっただろう。悲しげに、リョウスケ君は言った。

「楽に、なりましたか」

 胸に鋭い針を刺し込まれたようだった。

 楽だなんて、そんなことはけっしてない。だが、俺は何も答えることができなかった。

 やがて、セミの鳴き声が大きくなってきた。一週間しか生きられない彼らの必死な声が、そこら中から聞こえてくる。

 生きたい、生きたい。

 俺にはそう聞こえて仕方がなかった。


 生きたい。


 人間の声が聞こえた気がした。

 それは、俺の中にいる「ヒカル」の声だった。

 実際には聞こえてこない。もう、既に失われたものだった。

「……」

 リョウスケ君は帰った。

 彼の求めた女性は、ここにいて、もうここにはいなかった。

 矛盾した人物であったヒカルは、さらにその存在を儚いものにした。

 ひどい喪失感が、襲ってきた。もう、彼とは二度と会えない気がした。

 連絡も取ることはないだろうと、俺は思った。その事実に俺は耐えられない気がした。会うことも、会わないことも等しく辛かった。

「いいんですか?」

 俺は、何が、と訊いた。

「だって、えっと……大切な、お友達なんでしょう?」

 ヒカルさんは、当然のことのように、そう言った。

「だから、私に紹介してくれるってお話だったんでしょう?」

 俺は。

 俺は――。


 走った。

 これまでにないぐらい不細工な走り方だった。杖を途中で何度か落とした。

 二度、激しく転んだ。膝を擦りむいたが、気にしなかった。

 後ろには、ヒカルさんがいた。俺がよろめく度に、支えてくれた。

 駅の改札をくぐる、リョウスケ君の背中を見つけた。

 俺は周囲を気にせず叫んだ。

「また、また来てくれ! 今度は、同じ立場で! 同じ目線で!」

「……」

 リョウスケ君は少しこちらを振り向きかけたが、その場で止まるに留まった。

 俺は息を整えることもなく、初めて呼び捨てで名前を呼んだ。

「リョウスケ! また、会おう! 絶対、絶対会おう! ヒカルも待ってる!」

 俺たちは、これで終わっていい関係じゃないはずだ。

 それは、ちっぽけな俺のわがままでしかなかった。

 無表情が少し崩れただけの笑顔で、リョウスケは振り向いてくれた。

 そして、小さく会釈をすると、そのままホームへ続く階段へ姿を消した。

 後ろで、ヒカルさんが息を切らせて膝に手を突いていた。疲れたその顔は、それでも、なんだかとても嬉しそうだった。

 汗がしたたり落ちた。

 夏はまだまだこれからだという気がした。

 部屋に戻ると、スマホにショートメッセージが届いていた。

 俺は、こらえ切れず、視界が歪み、目元を押さえた。

 画面には、「今度は秋口にでも」と簡潔なメッセージが表示されていた。

 差出人は――言わずもがな、だ。


   ***


 少し蒸し暑い晩だった。

 ベランダでショートホープに火を点けた。辛くなった、まずい煙草だった。

 最後の一本を、ヒカルさんに勧めた。煙草の吸い方を体が覚えているかと思ったが、残念ながらそれはなかった。

 俺は、煙草をくわえるように言い、彼女はそれに従った。俺の煙草の先端を、ヒカルさんの煙草の先端にくっつけた。

 軽く吸うようにいい、火を移した。ヒカルさんは煙に激しくむせた。

 俺が少し笑うと、肩口を軽く叩かれた。それが懐かしい仕草で、また俺は頬を緩めてしまった。

 何をしても笑われるので、ヒカルさんは困ってしまったようだった。

 そんな様子が愛おしくて、俺は思わずキスをしそうになった。しかし、ヒカルさんはそれを拒んだ。


 必要ならするけれど、私たちにはきっと必要がないからしない。


 そうだった。

 すまないすまない、と俺は軽く謝った。

 そして、俺は煙草をふかしながら、言った。

「愛してるよ、ヒカル」

 「ホープ」の印字が燃えるまで、まだもう少しはかかりそうだった。

 俺は返答を求めなかった。

 ヒカルさんの、どこか困ったような顔がとても可愛かったから、それでよしとした。

 また始めよう。
 このアパートの一室で。
 俺たちの関係を、はじめから。


               了
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感想 1

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みんなの感想(1件)

氷河
2019.04.01 氷河

流れるような文章美。心地好い(#^.^#) また読みに来ます。

服部ユタカ
2019.06.03 服部ユタカ

すみません、返信の方法を知らず長らく放置してしまいました。
コメントありがとうございます。どうぞごひいきに。

解除

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